11-(5) 一等一星
メディアへ向けての会見の翌日、つまり重鼎を離れる前日、大将軍天儀は負傷兵への慰問を行なった。
グランダ軍は少数で重鼎を奇襲し、電撃的に手に入れたとはいえ激しい戦闘が展開されたのだ。
重鼎を奪取し防衛した300名を中心に、負傷兵が多数出ていた。
様態が深刻で動かせない者は重鼎に残される。
重傷者は大気圏を突破するのは不可能だ。軌道エレベーターで宇宙へあげることも不可能ではないが、明日をも知れぬ大怪我を抱えていては、病院の入口から出すだけもリクスが大きい。
大将軍天儀の決断は、
――彼らをおいていく。
という過酷なものだった。
重鼎の統治を取り仕切ったセシリアも
「戦時国際法というものがあります。負傷兵に危害は加えられないはずです。それに重傷者は動かせない以上、残していくしかありませんわ」
と、天儀の決断を支持。
他に手段はない。という気の重い沈黙のなか誰も異見を口にするものはいなかった。
沈黙は天儀の決断への肯定だ。
だが後々この負傷兵の置き去りが本国で問題となれば、沈黙は有利に働く。沈黙の内容を、支持から不支持へそっくり入れ替え、反対だったので無言を押し通した、と言い訳が可能。
支持という意見を口にしただけでもセシリアは偉かったといえる。
それに戦時国際法以外にも、両国の間には負傷兵に対しての扱いの特別な協定もあった。負傷兵に対しては、たとえ敵であってもお互い責任を持つという協定が結ばれている。
だが、死の淵にあり動けず残される者からすれば、先行きに不安しかないだろう。医療班長は負傷兵とともに残ることを強く希望したが、天儀はそれを一蹴、許さなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天儀の負傷兵への慰問の日、千宮氷華も早起きしていた。
朝5時、氷華はベッドからムクリと起き上がり、寝ぼけた顔で鏡の前に立ち、ヘアブラシをかけることから開始。
――身だしなみは完璧です。
と、氷華は手早く身支度をすませ、次に医療施設慰問のための支度にとりかかる。
そう今日、氷華も天儀の負傷兵の慰問に従う。
負傷兵の慰問への随行は、秘書官のとしての業務だ。
大将軍天儀が各負傷兵に声かけながら、秘書官の氷華が指示された勲章や賞与の物品を手渡す。
氷華は昨日の負傷兵慰問の打ち合わせで、天儀から多数の賞与の物品を持つようにと言い渡され、特にそのなかでも
「勲章は全部持って行く」
と、指示されていた。
氷華は打ち合わせが終わると、軍の物資が管理されているコンテナ群へいき、物資が山積みになっているコンテナ内で、1人悪戦苦闘して指定の品々を集めた。
氷華が指示された物品を集め終えると、荷物の量は小柄な氷華が1人でぎりぎり持つことができるほどに。
背中にはザック、両手に手提げ袋を3個づつ、さらに両脇に小包程度の荷物を挟んだ。
氷華は部屋を出る前に、鏡に映った自分を見て、
――よく持てたものです。
と、苦笑。
まず背中に、いっぱい詰まったザックを背負い。次に左手で手提げ袋を3つつかむ。そして空いた右手で、両脇に小包を挟み。最後に右手で紙袋を3つ持つ。
これでこの見苦しい格好が完成だ。
こんな無様な格好にも、今日の氷華は上機嫌。
慰問中の氷華の仕事は、天儀に指示されたものを手渡すだけ、さほど難しい仕事ではない。準備は大変だが、慰問中は天儀の横で気軽なひとときを楽しめる。
そして、さほどかからず慰問は終わるだろう。
――つまり天儀さんと2人きりで昼食を楽しめる。これです。
いま氷華の心をよぎるのは、そんな打算。
このときの氷華は激務の合間に、ちょっとした天儀とのお出かけとすら思っていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
氷華は両手に目一杯つめ込まれた手提げの袋を持った上で、脇にも荷物を挟んで移動用の車両へ向かう。
宿舎とされている建物の外に出ると、すでに移動用の車両が待っていた。天儀もすでに車内にいる。
氷華は天儀の姿を認め、
――2人きりですね。
などと思っていると、天儀が少し笑った。
いまの氷華の面積は、荷物と体で半々。まるで荷物が本体のようだ。
氷華は車両に荷物を詰め込み、そそくさと後部座席に乗り込み乗り込んだのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
車を走らせ40分。医療施設に到着。
天儀は出迎えた医院長への挨拶もそこそこに、負傷兵が集められている病室へと向かう。
氷華は、天儀に従って進むと目的の病室を前にして驚いた。
病室といっても体育館ほどの広いフロアーにベッドが50床ほど並び、負傷兵全員がそこにいた。
氷華は慰問と聞いて、普通の病院にありがちな4人から8人程度の相部屋をまわるものだと想像していたのだ。想像とまったく違う情景に面食らったのだ。
同時に氷華は、ですが荷物を抱えての移動はこれで楽になります。とも思い。ホッとした。
持ってきたものを全部持ち歩くわけではないですが、両手いっぱいにはなります。部屋の出入りは大変です。などと、あわせて思うなか、天儀が始めていた。
天儀は広い病室に入るなり負傷兵に向かって
「重鼎の英雄たちよ」
と大きな声で演説を開始。
氷華は、またも面食らい、
――ここは病院なのですが。しかも重傷者ばかりですよ。
そんな大声は似つかわしくないのでは、と思いながら天儀の横に控えていた。
天儀は話が一通り終わると、室内を歩きまわり、負傷兵に声をかけ始める。
氷華もそれに続く、勲章や賞状などが大量に入った大きな荷物を両手に抱えヨロヨロ進む。
天儀が声かけた相手に、氷華が指示された勲章などを取り出し渡す。この繰り返し。
氷華は黙ってたたずみ、天儀の負傷への慰問を様子を、そのジト目で観察。
天儀は弱っている負傷兵に大きな声で話しかけ、強引に手を握ったりしている
ベッドの脇に生命維持装置が、置かれているような重傷者にもお構いなしだ。
――瀕死の重傷者に、そんなに元気よく接して大丈夫なのですか。
と、氷華は困惑、不安がよぎった。
そして天儀が声をかけた者は決まって、昇級したし賞与も与えられた。中には勲章をもらう者もいる。
このやり取りを眺める氷華が思う。階級とは、こんなにバンバン上がって、勲章はこんなばら撒かれるように配られるものだったのですか。大サービスにも程があるというもですが。
天儀さんは大将軍。たしかに大将軍ともなれば賞与は自由にできますが、これはやり過ぎではないのでしょうか。と、氷華の表情に、後々問題にならないかという懸念が浮かんだ。
そんな思いを巡らす氷華をよそに、天儀は中でもひときわ重傷者に近づいていく、ベッドの中の男は包帯でぐるぐる巻き、左手以外の四肢は吊られている。
――これはかなり重症ですね。ヤバイです。
と、氷華は思った。
男は、これまでの負傷兵のなかでも特に酷い。
そんな男に天儀が大きな声で話しかけた。
対して、氷華の表情は苦い。
――重傷者ですよ。もっといたわるべきです。それを天儀さんはお構いなしに……。
と、氷華は思う。
天儀に声をかけられた男は、唯一残った左手で敬礼をしようとしたが、天儀がそれを制した。
「俺は、お前を知っているぞ。重鼎で真っ先に突っ込んだ上に、九鼎ビルへも同じように真っ先に突っ込んだな」
「へへ、下手踏んじまいましたがね」
そう男が力なく答えた。
「いや素晴らしい。お前は大佐だ」
――おそらくの今の一言で軽く三階級ぐらいは上がったはずですね。恐ろしい……。
と、氷華がジト目で見守るなか、天儀は大佐なら帰りの船は個室だぞ、などと男へ笑いかけている。
「大佐は私には思い入れのある階級だ。帝の抜擢で星系軍少尉、大尉、少佐を経験したが最も長いのは大佐だ。陸奥を駆って戦功を立てたのも大佐だったからな」
天儀のグランダ軍での少尉から少佐まで階級の実態は見習い期間だ。
実戦に勝る経験はないというが、天儀は作戦中の艦艇に、
『教育兵』
という腕章をつけ乗り込み、指導官に指定された兵士の後ろについて星系軍を学んだ。
こういった、
「現場で覚えろ」
という教習を兼ねた乗艦はめずらしいが、まったくないわけでもない。転属や昇進で、未取得の専門的知識が必要となる場合は多い。このような場合、筆記だけでなく一定時間の専門訓練を受ける義務がある。
ただ天儀のグランダ軍採用は、戦隊司令ありきという帝の意思の上にあったので特殊だっただけだ。少尉はともかく大尉や少佐での見習乗艦はめずらしい。そして天儀は教育訓練が終わるたびに昇進。最後には大佐になって戦隊司令へ着任。
いや、考えてみれば帝が天儀を大将軍にするという大前提だったのであれば、大佐も見習い期間ともみえる。
つまり天儀は包帯でぐるぐる巻きの負傷兵へ、
「大佐の次は将官となれる。俺のようにな」
と、言外に明るい未来があるとしめしたのだ。
「そして勲一等義烈一星だな。銃撃をかいくぐって手榴弾を投げ込んだ。あれで九鼎の防御を突破したようなものだ。見ていたぞ。あれはやばかった。他に何か欲しいものはあるか。なんでもいい」
言葉をかけられる負傷兵の男の表情は、氷華からはうかがえない。だが、たとえ顔が見えたとしても、包帯で表情も見えないだろうなと氷華がぼんやりと思う。
そんなふうに、ぼんやりとする氷華に天儀が手を差しだしていた。
いま氷華に前に突き出されるようにある天儀の手。
天儀は体の向きを変えず男から目も離さず、
――ほら、早くわたせ。
と、いわんばかり。
天儀は、氷華へ勲章を渡せと催促してきていたのだ。
勲章には数多く種類があるが、一等は一番いい。八等あるなかの一番だ。
さらに一星といたが、星級と呼ばれる六級わけで、一星から六星まであり、一星が最上級だ。
つまり先の八等が、一等級毎に六分される形となり、一等一星から八等八星の48等級の勲章がある。さらにここに義烈だとか、菊花だとかの附則がつくので勲章の種類は数多ある。
そして、
「一等一星」
これは皇族以外だと艦隊を率いる将軍、参謀総長、電子連司令部長官などが、貰えるか貰えないかといったようなところだった。
氷華は差し出された手に、
――まずい。ないのです。
と思ったが、嘘をいっても始まらない。
はっきりと、
「その勲章はないです」
と、天儀へつたえた。
そう勲一等義烈一星は、所持していなかった。入れ忘れたのだ。荷物の量が多かったせいもあるだろう。
氷華は医療施設へ向かう車内で気づいたが、軍歴が電子戦司令部や参謀本部の長で終わるような人ですら貰えるかわからない勲章だ。使わないだろうと思い天儀には報告しなかった。
氷華の
「ない」
という返答に、天儀の顔色が変わる。
――鬼の形相とは、このことだろうな。
と、氷華は他人事のように思った。
天儀は、
「なに」
と低く短く口にし、
「ない、ないだと」
とさらに続けた。
――聞こえなかったのでしょうか。
と、氷華は当惑。
いま氷華の目の前の天儀は怒りを立ち上らせている。
氷華はその様子に少し驚きつつも
「はい」
と、短く答えた。
――無いものは無い。どうしようもない。
氷華は加えて手違いで所持していないことをつたえた。
「なるほどわかった」
と、天儀は怒気を鎮めると、負傷兵の方に向き直った。天儀が負傷兵を向けた顔は、さっきの形相とは違い笑顔だ。
――何だったんだろうか。
と、氷華は思い。
いまの自分の思いが、いわゆる『いぶかしむ』という心境なのだろうとも思った。
あんなに怒っていたのに、とたんに笑顔だ。なら一々怒らないで欲しい。それにすべての準備を1人でしたのだ。自分は褒められたっていいぐらいだ。とすら思うと氷華は腹立たしさすら覚えムスリとした。
氷華が、そんな思いを抱え眺めるなか、天儀は勲章が無いことをつげ謝罪し、後日届けると約束。そして男の唯一残っている左手を両手で握りながら、君は素晴らしいありがとうと力強くいっている。
男への慰問が終わると、一旦休憩がつげられた。まだまだ声をかけるべき相手は多い。
天儀が1人1人に声をかけるので時間がかかるのだ。
氷華の胸間を、
――今日の昼食は、2人でりゆっくりと行きませんね。
と、不満がよぎる。
実のところ氷華は慰問開始から30分もたたないうちに、退屈が表情に出ないように注意しながら天儀の後に続いていたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天儀は笑顔で病室内へ休憩をつげると、ぐるりと氷華へ向き、
「そこへおいておけ」
と、一言。氷華の抱える荷物を指していった。
よかった。これを病室の外に運び出すのは骨でした。おいてっていいなら楽です。と、氷華は思いつつ荷物を下ろす。
氷華が荷物を下ろしたホッとしたのもつかの間。下ろした途端、天儀に腕をつかまれた。
「こい」
と、天儀が低く短く一言。
氷華が、天儀に腕をつかまれ病室の外へ引きずられる。
すさまじい力。つかまれている腕が痛い。
大抵のことでは表情を変えない氷華の顔が痛みで歪んだ。
天儀は病室から出た瞬間に、氷華に向き直り怒声を浴びせた。その勢いは襟首につかみかからんばかり。
氷華は、突然の天儀の罵声に頭が真っ白。何をいわれたのかすらわからない。
ただガツンと、殴られたような衝撃だけが、身を抜けていった。
そして、いま氷華は壁を背にして、天儀の怒気を受けている形となっている。天儀が最初の怒声とともに、つかんでいた氷華の腕を乱暴に壁際へと放ったからだ。この天儀の乱暴に、軽い氷華の体は壁へ向かってクルクルとピルエット。氷華は驚く間もなく壁を背にしていた。
天儀の怒りはおさまらない。さらに、
「てめえ!」
という怒声に続き、
「なんで、ないんだ」
といって壁を殴りつけた。
ドンッ――。
という振動が、壁を背にした氷華に伝わった。
氷華の表情は変わらないが、体は反射的にビクつく。
さらに天儀が、
「全部持って来いと言ったろ。全部だ!」
と怒鳴る。
――なるほど。
と、氷華が思う。
――勲章がなかったことが、よほどかんに障ったようですね。
そう分析した氷華は心中で冷笑。
ですが、そんなに怒ろうと無いものは無いのです。子供のように駄々をこねて真っ赤になるとは、お子様ですか。情けない。氷華はそんなことをすら思い、いつものジト目で天儀を見つめる。
だが天儀の罵声はとめどなく続く、士官学校時代の教官からのシゴキ以上。あらん限りの罵詈雑言が口から飛び出てくる。
この罵詈雑言は病室どころか医療施設中に響いているだろう。
氷華は、天儀の罵声を最初は無表情で受けていたが、気づくと何故か涙が出ていた。
天儀は一通り怒鳴り終えると、ぞんざいに、
「もういい」
といって病室に戻って慰問を再開。
氷華もドロドロの顔で後に従う。化粧も剥げ落ちてひどい顔だ。
――私が天儀さんの秘書官なんです
と、意地でも従う氷華の目の前で、負傷兵と楽しそうに話す天儀。まるで従っている氷華などいないよう。
――ガン無視ですか。
と、氷華の感情が高ぶり、激しく波打った。
感情の高ぶりを押さえよとすると、余計激しくなり涙があふれる。
声をかけられる負傷兵も、天儀が氷華の存在など無きが如きなので、えずきながら従う女の存在など無視するしかない。というより彼らには氷華を構う余裕もない。誰もが大怪我なのだ。
そんな状態で負傷兵への声掛けは続き、天儀は全員へ声をかけ終わったのだった。
氷華は病室を後にしながら思う。
――天儀は終始負傷兵と盛り上がっていたが、自分の様子はひどかったろう。
さすがに1時間ぐらいで涙は止まったが、浮ついていたところからの罵声で一気に気持ちが沈み込み、最後まで気持ちが持ち直さなかったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帰りの車内でも氷華はうつむいていた。
――医療施設でのことが響いているか。
と、氷華は自分でも意外だった。
そんな様子を見た天儀が、
「忘れろ。そんなに気にするな」
と、優しくいってきた。
今更、優しくしてなんだというのだと思い、氷華は拗ねるようにして首を横にふるような仕草をしてから再び下を向いた。
窓の方へ顔を向けて、天儀から露骨に顔をそむけようとしたのだが、化粧が剥げ落ち涙と鼻水でドロドロの顔をわざわざ外に向ける愚行に気づき、思いとどまったゆえの動作だった。
そんな氷華に、天儀は再び、
「終わったことはしかたねーさ」
と、いった。
だが氷華は、じゃあなんであんなに怒鳴ったのか、意味不明だと思いムッスリ黙りこんだのだった。




