11-(2) マグヌスの出陣(天童愛の憂鬱)
天井に重厚なシャンデリアが4つ、床には赤い絨毯。
ここは参謀統合会議が行われている部屋の前のホール。
いまは閑散としたこの場所で、天童愛が一人、兄の正宗が会議室から出てくるのを待っていた。
おそらくこの会議で、兄正宗の意向に反し、
――星間連合軍の出撃が決まってしまうでしょうね
そう思うと天童愛は、居ても立っても居られなかったのだ。
静かに、会議室の扉を見つめる天童愛。
すると突然。会議室から万歳三唱。
天童愛は一瞬驚いたが、出撃が決定されたことを悟って痛恨の顔となった。
万歳三唱の後、しばらくしてから会議室から続々と人が出てきた。
天童愛は、それを目で追う。
人が次々と出てくるが、兄の姿は見えない。
――お兄様は扉の前で一人一人に声をかけているのでしょうね。
天童愛には、そんな兄の姿が容易に想像できる。優秀だが心配りを忘れない人だ。
出て行く将校たちと入れ違いに、参謀部ビルの雑用係が入って室内の消灯や清掃、それに盗聴などがなかったかのチェックを開始している。
そんななか愛のお兄様が部屋から出てきた。
天童愛が、物憂げな視線を兄に向けたのだった。
会議室を出てきた正宗に、天童愛が近づいて
「戦うことになりましたのね。愚かです」
と鼻息荒くいうと、正宗は
「そういうことを言うものじゃない。みな星間連合を思ってのことだ」
とやんわりと制す。
そんな兄妹2人の仲の良い様子に、膝元まで伸びた髪が美しいコーネリア・アルバーン・セレスティアルが微笑んだ後に
「ついに戦われるのですね」
と気落ちした表情で口にした。
公女コーネリアは、正宗と一緒に会議室を出ていたのだが、天童愛の視界からは意図的に削除されていた。
仲良く2人で会議室から出てくる様子が、天童愛の気に障ったからだ。
――気落ちするお兄様を一番に慰めるのは、この天道愛の役割。
それがどうだろうか、会議室から出てくるお兄様の横にはコーネリアが。そして2人は、微笑み合ってとても仲が良さそうだ。
天童愛は、その様子をとりあえず無かった事にすることで気を静めていた。
コーネリアの言葉に、正宗が応じていう。
「戦うと言っても相手を一蹴して帰ってくるだけですよ。グランダ軍は我が9個艦隊と戦う勇気はありません」
正宗はさらに、彼らに星間連合を目の前にしては勝つ算段がないと締めくくる。もちろんすべて気休めだった。
そんな正宗に対して、公女コーネリアの心配は別のところにあった。
「正宗様は、戦いを好んでいないと思っておりました」
「戦いは好きではありませんね。野蛮だ。でもグランダの蛮行はそれ以上に許せない」
正宗が、水明星宙域での殲滅戦を婉曲に指していった。
実のところ正宗は、黄子推以下一五〇〇名の殄滅に、心中は穏やかではなかった。
正宗には、
――普通、そこまでするか。野蛮に過ぎるぞ。
という冷えた怒りがある。
「正宗様は、先陣を切るようなことになるのでしょうか」
コーネリアが自重しきれず、本来口にしたかったことを思わず吐き出していた。
全軍出撃からの決戦となれば、司令長官の正宗も危険な場所に出ることがあるだろう。
コーネリアは、ただ純粋に正宗のことが心配なだけだった。
だがコーネリアには、公女と公称される公人としての立場がある。
――正宗だけが心配
などといえるわけもなく、それ以前に軍人してもそんなことは口にできない。
だが全軍出撃が決定されたいま、感情を抑制しながら遠回しに聞くということはコーネリアには無理だった。
いまにも張り裂けそうな感情を抱えているといった表情のコーネリア。
それを正宗が優しい微笑で受け止める。
――見つめ合う2人。
「お兄様が、出て行ったらすぐに片が付きますわ。全部一人で片付けてお終いと言ったぐらいに」
天童愛がたまりかねて割って入っていた。
天道愛の強引な行動に、2人が驚いて同時に愛を見た。
――あ、はい。私の存在など忘れていらしたのですね。
天童愛の心がざわつく。
「あら、2人の世界に浸っていたらしたのですね。邪魔してしまったかしら」
微笑みながらそういう天童愛だったが、正宗は妹が内心むくれているのを察して苦笑した。
対してコーネリアは、少し恥ずかしげに顔を伏せた。
コーネリアからすれば、天道愛が嫉妬するほど、というのは悪い気はしない。
正宗は顔を赤らめるコーネリアを見て微笑し、励ますように
「大丈夫ですよ。グランダと星間連合は、約40年も戦った結果、戦時国際法や戦争協定だけは充実しています。宇宙戦争は、いわば制限戦という側面もある。そう簡単には死にませんよ」
と、いった。
気休めだったが、コーネリアの思いつめた表情が和らぎ微笑んだ。
なによりコーネリアとしては
――正宗さんの気遣いは身を包むようで優しいです。
ただ正宗からのいたわりが嬉しかった。
気持ちの切り替え出来たコーネリア。
公女コーネリアには、出撃にあたってのセレスティアル家としての公務がある。
コーネリアは、正宗と天童愛に会釈してその場を立ち去ったのだった。
コーネリアと別れた正宗と妹の愛は、参謀部長室へ向かっていた。
出撃にあたって司令長官直属の機関軍令部で、具体的な行動プランを早急に組む必要がある。
すでに第一星系のツクヨミから出る場合の大筋のプランは用意されているが、それを現状に合わせて微修正するのだ。
参謀本部の参謀次長あたりから提出されるであろうプランを、そのまま飲むはけにはいかない。
あくまで軍のイニシアティブを取るのは、司令長官である必要があった。そのための軍令部である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
正宗が、公女コーネリアへ口にした
『制限戦』
とは、成約された状況下での戦いを意味する。
戦争は殺し合いだからといって何でもしていいわけではないし、そもそも持てる軍とあらゆる環境から選択肢は制約を受ける。
前者は、正宗が口にした戦時国際法だ。次に後者は、例えば十八世紀のヨーロッパの戦争。
大規模な軍を動員すれば、補給の問題もある上に、動ける範囲は限られる。
当時動員された兵数は、当時のヨーロッパの経済力とインフラ設備に対して圧倒的多寡だったためその作戦は大きく制約を受けていた。
だが戦いは
――数が多い方が有利。
ヨーロッパの戦争は、一時的にこのジレンマに悩まされる。
フリードリヒ大王の軍隊ですら軍用の黒パンを焼くかまどの位置で、軍を動員できる場所が成約されていたのだ。
多惑星間時代の星系軍では、まず宇宙空間という過酷な状況で制約を受ける。さらにそれに戦時国際法や各種の戦争協定が加わった。
宇宙空間では、人は生存するということだけですでに懸命の状態であるといってもいい。
一撃で敵の艦艇を粉砕出来るような兵器を積んだ時代になっても宇宙空間では、人命が最も優先されていた。
降伏した敵を攻撃することはなかったし、降伏した側も従順に相手の指示に従う。
投降後に反乱を起こすようなことも絶対になかったし、反乱を起こしたくなるような扱いをすることもない。
状況が決すれば、悪あがきせずに現実を受け入れる。星系軍と呼ばれる宇宙軍の責任者に求められる資質の一つはこれだった。
これが星系軍が、星系軍たる所以でもある。
そう、天儀の黄子推と一五〇〇名の殲滅は、宇宙のタブーを犯していたのだった。
グランダ軍の本格的な侵攻という圧倒的な状況を前に埋没し、誰もがさして気に止めなかったこの事実を、天童正宗ただ一人が注視していた。




