10-(6) 強行軍(氷華の体重)
300人の意識が天儀に集中するなか、天儀が氷華へ向けて問いを発した。
「お前体重は、いくつだ」
大きな声ではないが、やはり周囲に響く声。
これで場の張り詰めた空気が、霧散していた。
――女性に体重を、しかもこんな大勢の前で。
強襲隊員たちから見ても天儀の聞き方はあまりに酷い。しかも問いかたに気遣いがなく、気軽にすぎる。
そして体重を聞いた意図はなにかを考えれば、
――大将軍が自分で運ぶのだろう
と、隊員たちの誰もが思った。
「なるほど大将軍は、自分で作った無理は、自分で処理するか」
と、強襲隊員たち思い。さらに押し付けない天儀へ、
「大将軍とは、こういう男か」
と、好感をもった。
体重を大勢の前で口にしろという天儀に指示に、氷華に口惜しさがしみたが、氷華は天儀の意図も理解した。
それに天儀は、最初ダメだといったのに無理をいってついてきたのは氷華だ。
何より動けなくなった自分が悪い。体重を聞かれるぐらい仕方ないと思い口にする。
「39キロです」
「軽いな」
と、天儀が、ふっと息を吐くように笑った。
これなら自分でもなんとかなるというような調子だ。
天儀が背にしていた自身のザックを胸の前へとかけかえ、氷華の前にしゃがみこんだ。
「乗れ、おぶってやる」
と、天儀がいうので、氷華は諾々として従った。
――これは命令されたからやるのです。
と氷華が思う。
ただ氷華は、歩きながらこれを薄々は予感し望んですらいた。
自分が動けなくなった場合の対処は二つ。
捨てて置かれるか、誰かが背負って運ぶかだ。
そして氷華が考えるに、恐らく後者だろう。九鼎のシステム奪取に氷華がいなければ不足が生じる。
では、誰に運ばれるのか。
氷華が疲労の濃い目で、朦朧としつつも周囲を確認する。
屈強そうな男たちがいる。彼らなら氷華を抱えて進むぐらい軽いだろう。
――ですが臭いが。
と氷華が思う。
長時間歩いて皆汗臭いのだ。酸っぱい目を刺すような匂い。
氷華は、そこまで考え、天儀ならと思うが、
――天儀も同じように臭いだろう。絶対に。
とすぐに思いなおしうんざりした。
でも同じ臭いなら、天儀がマシだった。それに背負われるということは体に触られる。臭い男に触られるのは嫌だが、天儀なら譲歩してもいい。
だが氷華は、疲労からそんなことはどうでも良くなっていた。
遠からず自分は動けなくなり、誰か背負われる。
常識的に考えれば、背負われる相手は天儀ではないだろう。天儀が、自分を背負って疲れ果てては、今後の指揮に差し障る。
重鼎の攻撃に失敗すればすなわち死。
死ぬぐらいなら天儀以外の臭い男の背に、背負われるぐらい我慢すべきだ。
氷華は、そんなことを朦朧とする意識のなか思い進んでいたのだ。
天儀が背負ってくれるというなら、早々にその背中に収まりたかった。
それに遠慮している時間も無駄だ。こうして行軍が止まっているのも由々しき問題なのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
氷華が天儀の背に収まると、行軍が開始されていた。
合流地点まで、あと数時間。
天儀は、
――足場は良くないが、平地が続くのが幸いだな
と思う。
同時に天儀は、場をうまくおさめきった安堵感より、自分の判断の温さに身を寒くしていた。
思えば、氷華の同行決定からしていい加減なものだった。
当初、氷華の自薦による同行に、体力がなく強行軍につていけないという理由から難色を示した天儀だったが、
――こいつが居ないと重鼎が確保は難しいのも事実。
と、考えをひるがえし、同行を許可した。
九鼎を乗っ取るだけではやはり足りない。それを制御する人材が必要。それには千宮氷華が、最も好ましい。
だが状況は、当初天儀が懸念したとおり、氷華は行軍を遅らせてしまった。
なにか手を打ちたかったが、あと数時間で、空輸されてくる車輌班との合流地点。
――あと少しなので持つだろう。
という甘い考えがあった。
加えて、天儀は具体的に打つ手も思い浮かばず。いらぬ気を使えば氷華への侮辱にもなるとも考えもあった。
あえて無視して進むのが、氷華のためであり、隊員たちの士気を下げない方法。
天儀は、無理だなと感じてからも
「もう少しだけ、もってくれれば――」
という願望から氷華を放置した。
天儀は空輸する車輌に荷物として氷華を乗せてしまうことも考えたが、先行部隊に同行するならこの300人の中が最も安全だった。
車輌の空輸は発見補足され撃墜される危険があり、山岳部を行くよりはるかに危険が大きい。万一を考えると、やはり氷華を歩かせるしかない。
だが、懸念していたとおり、氷華の疲労によるダウン。
天儀が放置したせいで、300名から氷華へ
「足手まといめ」
という冷眼が向けられていた。
――自分のぬるい判断が、あの時、氷華へ向けての批難となって襲っていた。
と、天儀が苦さを伴って自省した。
視点を変えれば、不可能を取り繕って実行した作戦の無理が、氷華へ批難という形となって露見したともいえるのだ。
山を夜を徹して歩き疲労困憊なのは、どう考えても『重鼎攻略作戦』が原因。
だが、作戦はありきだ。隊員たちは、『重鼎攻略作戦』のせいで苦労しているという考えをまず頭の外に置く。
苦痛の原因を潜在的に遠ざければ、フラストレーションは大きい。加えてその後待ち受ける重鼎攻撃というプレッシャー。
ストレスが蓄積し、蓄積したストレスはきっかけがあれば吹き出す。
いま、疲労でいら立つ隊員たちを、もっともいら立たせる要素は、電子戦指揮官殿の
「鈍さ」。
その鈍い氷華を同行させたのは天儀だ。
天儀は、氷華への批難は自分へ向けられた批難んとも感じた。
そして場の空気の悪さは、ヒシヒシと肌で感じるほど。
天儀は対処を迫られていた。
ここで天儀が対処を誤れば、ただでさえ苦労しているところに、氷華という余計なものまでくっつけやがってと隊の不満が高まる。
だが、この中で氷華は特別。電子戦指揮官なのだ。
天儀からすれば、これを300名へ頭で理解させるのは容易い。そして立場の違いがわかれば、不満も和らぐ。
が、天儀は同時に、現状はそんな段階にないとも考えた。
隊員たちは、天儀からいわれずともこの小さい女と、自分たちは体力も役割も違うとわかっている。わかっていても実際こうして過酷な状況で疲労すれば違った。
この状況では、天儀が氷華へ特別措置を指示すれば
「皆疲れているのに、この女だけは特別なのか」
とか
「俺たちが、代わる代わるおぶるのか。馬鹿らしい」
と、わかっていても思う。
天儀は状況に不味さを感じつつ思考を飛ばしていた。
女にかまけていると思われるのは不味い。嫉視され、士気が下がる。そうなると部隊員たちに背負わせて歩かせるわけにもいかない。上手くやらなければ、重鼎攻撃前に士気が崩壊する。
天儀の思考が極まった。
こいつが居ないと重鼎が確保できない。だが、お前らは足手まといだと不満だろう。分かる、それは分かる。
だったら
「この荷物は俺が運ぶ」
と、いうのが天儀の決意だった。
大将軍天儀も惑星降下作戦という強引のなか、決断を迫られていたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、天儀の背中に収まった氷華は、案外揺れるな、などと思い意識を朦朧とさせていた。
――天儀の臭がする。
と、氷華の心に安心感が広がり意識がまどろむ。
先程、周囲から向けらた自分への非難。疲労した心身へ孤立感が襲い、激昂で氷華は、自分を捨てておいていけばいいとすら思ったのだ。
天儀だって女一人より、強襲隊員300名を取るだろう。当たり前だ。
それを天儀は
「千宮氷華が、ここにいるのは私の責任だ」
と、敢然と放っていた。
まどろむ意識のなかで、氷華は、この天儀の先程の言葉を思い出し、氷華の胸間に熱いものが込み上がってきた。
ジト目が赤くなり、奥歯をきゅっとした。泣いたらみっともない。
氷華を背負う際に、まず自身のザックを胸の前にかけ直したのも天儀らしいと思う。
氷華を背負うなら、背にしていたザックは、部下に任せてもいいはずだ。
自分の面倒は、あくまで自分で見る。これが天儀。
天儀、日常のこまごまとしたことで人を使わないタイプの上司だった。
上司が職場で私事で部下使うのは、ままあること。人によっては当たり前のように、肩を揉めというような仕事も押し付ける。
これは軍に限った話ではない。民間企業でも同様な我儘はまかり通る。やりすぎると当然パワーハラスメントとして問題となる。だが、やりすぎなければコミュニケーションの一環や、仕事を効率良く回す範疇におさめられ問題にもならない。
天儀の毅然とした態度に、
『天儀が自分を守ってくれた』
とも氷華は感じたが、そんな熱い思いもすぐに遠のき、氷華は天儀の背中で意識を失ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
氷華が意識を失うなか、氷華を背にしている天儀の思考が冷徹に働いていた。
判断の甘さからこの状況だ。今後、こんなミスは許されない。小さなほころびから総てが崩壊する。
――自分で氷華を背負って行く。
これが、氷華も連れて行くが、部下にも不満に思われたくないという矛盾を、あの瞬間に唯一押し通す方法だった。
天儀からすれば、自分は、必要に迫られて、偽善を行った。とうことだった。
自分は、それが最善なら氷華を捨てていったろう。
――そうはならなかったが、最善ならそうしていた。
と、天儀は思う。
彼女を、山中に捨てていけばどうなるか。
『氷華が死ぬ――』
その事実が、天儀の思考から甘さを取り除き、明瞭とした潜思を産んでいた。
氷華だけでなく、部下も天儀も、天儀の判断で死ぬ。ここにいる全員がそうだ。いや敵もそうだろう。
こんなことは当たり前だったが、長く地上を離れていたことで、天儀の思考に温さが出ていた。
戦況が本格化する前に、自らの一言であらゆる死が発生するということを明確意識できたことは、天儀にとって幸いだった。
ただそれだけだった。
冷徹の底に沈んでいく天儀へ、強襲隊員の一人が近づき
「代わります」
と、申し出た。
自分たちは、こんな女の面倒をみたくないと頑なな態度を出したが、大将軍がここまで折れれば話は別だった。
溜飲も下がったし、大将軍へ人を背負わせておくなど不味い。
300名に冷静さが戻っていた。
大将軍天儀の周りを進む者たちのなかで、
「おい誰か代われよ」
という雰囲気がありありと出始めていたのだ。
だが、天儀は周囲の気遣いの意識が集まるなか
「いい」
と、一言だけ。拒否した。
拒否を口にする声の響きは頑な。
ただ表情には微笑が伴い、申し出に対して、気遣いありがとう、という色はよくでている。
「ですが」
と、申し出た隊員が食い下がった。
大将軍が肝心な時にバテて動けないでは困る。
天儀は、隊員たちが思っていたより随分と体力はある。いや、これは体力があるというより、よく自身の体のことを理解しており、ペースの配分がうまいのだと思う。
そうなると、やはりあと数時間34キロのおもりを担ぎ進むのは難しいはずだ。彼らから見ても大将軍は、体力が多くて余力があるのではなく、少ない体力を上手く使って余裕があるというだけ。ポテンシャルは低い。
恐らくこの千宮氷華という女性を背負って、このまま進めば疲れ切ってしまうのではないかというのが、冷静さを取り戻した隊員たちの危惧。
疲れて明瞭な指示が出せるのか。重鼎へ近づけば、重鼎のメインタワービル九鼎制圧まで、大将軍の指揮は不可欠。
これが交代を申し出た隊員だけでなく、大将軍の近くを行くものたちの考え。
だが、やはり天儀は、
「私が、こいつをつれてきた。私の荷物だ。自分のケツは自分で拭く。これが私の信条だ」
そう笑っただけだった。
これに声をかけた隊員だけでなく、周囲の隊員たちも苦笑した。
天儀の頑なともいえる態度は、自分で持ってきた荷物の責任を取るというより
「大将軍は、この女性を他のものに触れさせたくないのだろう」
と、思わせた。
周囲の者は、なんとなくそう感じたが、これは大将軍の人間味だなと苦笑をもって思った。
――大将軍もやはり人間。
一連の大将軍天儀の言動に、隊員たちは親しみを感じていた。
「俺が氷華を背負う」
という頑なな態度は、隊員たちへ必死さすら感じさせ、苦笑となって表にでていた。その苦笑は、好感を伴っている。
思えば、
「面白い、やってやる」
これが重鼎降下作戦に選抜され、大将軍から直接作戦を聞かされた選抜歩兵とされた強襲隊員たちがまず思ったこと。
だが、当然考えたことはこれだけではない。もう一つ同時に胸間を走った思いがあった。
「だが、こんなことをやろうだなんて、こいつは頭がどうかしている」
このような指揮官へ感じる異常さからの畏怖は服従となる。
恐ろしいからとりあえずいうことを聞いておこう。不満を顔に出すと、指導をうけて面倒くさい。という延長線上にある服従。
上に立つものは、職の別になく傲慢なものも多い。集団を統率するとか、リーダーシップとは、そういうことでもあるのだ。意見を一つにまとめ集団の意思を決定すれば、傲慢さなくしては難しい。
そして天儀は、氷華の問題で、やぶれかぶれで強引に意思を押し通したが、結果的にこの強引さが、部隊員たちの好感を呼んでいた。
――この男なら、自分たちの面倒も、この女同様に見てくれるだろう。
そんな思いが、300名の一人一人にしみた。
そう、ああして背負われているのは、300人全員。いや星系軍6個艦隊だろ総てだろう。
強襲隊員たちは一時的な不満にかられもしたが、彼らは戦闘のプロ。その中でも選抜歩兵とされた最精鋭。
重鼎戦において、電子戦指揮官の重要性は、感覚的にも理解できる。今の時代電子戦なしに戦闘は成り立たない。
仮にあの折に、電子戦指揮官である氷華を見捨てていればどうなったか。
「間違いなく、自分たちは重鼎で苦労する」
精鋭の選抜歩兵は、
――体力基準。
白兵戦という戦闘能力で選抜されたのだ。最強の戦士も万能ではない。精鋭300名は、頭脳に特化した戦いは不得手。
こう考えると大将軍天儀は、一人へ手を差し伸べることで、結果的に300人へ手を差し伸べている。
あのとき弱る氷華を見捨てず、敢然と300人へ立ち向かった天儀だけが巨視的だった。
「こいつを救うことは、お前たちのためでもある。納得がいかないなら俺が背負っていく。お前たちのためにな」
強襲隊員たちは、天儀から敢然と放たれた言葉を心で受け止め、こう解釈していた。
300人から責められても、一人を見捨てない。なら自分たちも見捨てられない。
そもそも大見得を切る男は、星間戦争を再開した男で、大将軍。思えば自分たちの運命はあの男に握られているのだ。
――信じてついていこう
という静かな決意が、300名全体にしみ広がったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数時間後に合流地点へ到着。
氷華は地に立った。まだ疲労感があるが、青い空が高く、昼の空気清々しい。そして視界に舗装された道路が映った。
自然以外の風景。
「文明だ」
と、氷華は嘆息して思った。
まる一日以上目にしたものといえば植物だけ。
――あと岩と雲か。
そう氷華はうんざりして思った。
氷華のここ数十時間の記憶には、木と岩と、たまに見える空しかない。
そんな中、天儀が携行食を取り出し、また氷華の口へ無理やり押し込もうとしてきたが、氷華はそれを奪い取り、自身で口に運んだ。
氷華は食事が終わると、天儀にうながされ指定され装甲車両へ向かう。
氷華は移動用の装甲車両に座席におさまると、入り口から覗き込む天儀に
「重鼎についてからが、お前の仕事だ。とにかく寝ろ」
といわれたが、その言葉を最後で聞けずに氷華は意識を失っていた。
氷華の疲労はまだ大きい。座るなり眠りに落ちていたのだった。




