2-(6) 秘書官氷華
3日間、一直線へと突き抜けるようにして完成した陸奥ブリッジ、同時に役割も決定していき、その間30名は夢見心地だったともいえる。
そんなさなか、2日目にブリッジに現れた天儀が、氷華の助言どおり外衣を羽織ってあらわれたのは、氷華にとっては嬉しいことだった。
天儀の羽織ってきた外衣のデザインは、袖と襟が強調され、丈は短く胸元を覆い隠すぐらいまで。
「やはり似合います」
と、氷華は鼻を膨らまし得意げに、ジト目を細める思いで天儀を見ていた。
天儀は、外衣に袖を通さず、左肩ははおり、右袖は完全に背に回る形で、見事に着こなしている。
外衣は、袖を通さず肩に羽織るだけのことが多い。
これをずり落ちないようにするために留め金があったり、掛襟の鎖骨あたりの高さで紐を通して外衣の襟と襟を繋ぐ。
氷華が見るに、天儀は肩章部分の留め金に、外衣を固定しているようだ。外衣の飾緒が、綺麗に天儀の胸の前を走っている。
そして3日目には、氷華は司令官付きの秘書官とされていた。
つまり氷華は、第二戦隊の電子戦の責任者と司令秘書官兼任する。
氷華の軍歴が始まった頃には思いもよらなかったポジションである。
――秘書官。
とは、各艦に配置される主計官をいう。
食料弾薬などのあらゆる物資の管理、賞与、昇進、勲章の授与の手続き、入港手続き、報告書の作成、戦闘記録など、艦上にあっては戦闘以外のあらゆる業務をつかさどるのが秘書官。
艦長へ付けられれば艦の秘書業務。司令へ付けられれば艦隊の秘書業務を行う。
1人から6人程度。艦隊の規模に応じて任命され、必要に応じて秘書官をとりまとめる長も指名される。
天儀は、その秘書官という仕事を
「氷華、君がやってくれ。君はむいている」
と、一礼をもって口にしていた。
司令官が、頭を下げて部下に頼む。
下手に出た態度だったが、むしろ頭をたれて賢哲を迎えるようで、周囲に悪い印象はなかった。
天儀の突然の申し出に、応じかね。
ですが、という躊躇の色を出してジト目を向ける氷華。
「戦いは、始まる前が重要。秘書官は、星系軍においてあらゆる数字を握る。その数字を私にわかりやすく説明できるのは君だと、私は見た。お願いできないか」
氷華は、この言葉に、天儀は自分へ親近感を感じているようだと心思が浮き上がる感覚をおぼえた。それに司令から頼りにされるとは、名誉なことでもある。
だが、秘書官の長は、通常、経理局・主計部秘書課なかでも主計部主計科と呼ばれる主計学校を出た数字の天才がやる仕事である。
電子戦科主席という氷華は、数字には自信があるが、経理の技能はない。
今から必死に覚えることになるだろう。
躊躇する氷華を見た周りから、セシリアではどうなのか、という声が上がった。
確かにセシリアも万事にそつなく、秀でたものを周囲に感じさせる。氷華より愛想もよく、長身で優美。秘書という字面からして向いていそうな物を感じさせる。
だが、
「私は、情報部の仕事もありますし」
と、セシリアはやんわりと辞退した。
これに氷華は
――譲ってもらった
と、強く感じた。
同時に、セシリアが氷華へ微笑みかけてきた。
まるで
「おやりなさい。大丈夫ですよ」
というように。
セシリアの説得の微笑みに、氷華が逡巡した。
電子戦指揮をしながら、秘書業務までやりきれるのか。
だが、秘書官として主計業務は、一人で全てをやることはない。
秘書官は複数人いるはずだ。それが秘書官氷華の下につけられる。
細かい仕事は部下に任せ、重要なところだけ自分が握ればいい。
一人で全部やることがないのは電子戦も同じだ。
部下をいかに上手く使うかも、電子戦では重要である。
そうだ。電子戦のように、秘書業務でも部下を上手くつかえばいい。
――見通しはある。可能だ。
これが逡巡した氷華の結論で、氷華のジト目に光が満ちた。
天儀が、この氷華の様態の変化を見逃さず
「私にとって、秘書官の業務は重要だ。君がやってくれ」
と、力強く口にすると、氷華が敬礼して受けたのだった。
――ゆくゆくは、六個艦隊全体を取りまとめる秘書官か。
秘書官という仕事をうけた氷華がそう思った。
天儀の目的が、星間戦争の再開あるならおのずとそうなる。
早く仕事を覚えておかねばならない。部下の使い方もだ。
戦隊規模のうちに、自分なりの秘書官の形をみつけておき連合艦隊規模となったときもそれで対応する。
氷華は、やりがいを覚えつつも
――でも、いつのことになるのでしょうか。
とも思ったのだった。
氷華も、ここに集められたものたちも、天儀がすでに帝からグランダ軍の最高責任者である大将軍の内定を、口頭だけとはいえすでに得ているとは夢にも思っていない。
ただ、天儀の
「星間戦争を終わらす」
という勧誘文句と、天儀の戦いへ向かうことへの当然とした態度が、ゆくゆくはこの人が全軍の長という立場で、戦争を再開するのだろうということを強く予感させていたのであった。