(閑話) メンタルチェックと士気と氷華(下)
氷華が天儀の思わぬ行動に驚くなか、空挺隊の隊員たちも突如あわれて自分たちに混ざってきた男に、内心驚いたようだったが、そこはエリート部隊。混ざってきた男が誰だかは、すぐに理解したようだった。
そして隊員たちは、特になにか天儀へ声をかけるでもなく、当たり前のように運動を続けている。
大将軍と空挺隊が、同じ場所で同じ動作をしている。だからなんだ、という話でもあるが、やはり奇妙な光景だった。
そして眺めている氷華からすれば、隊員たちもやはりどこかぎこちない。
空挺隊の隊員たちの面持ちに、妙な、といった感情が入り混じっているのが眺めている氷華からは見てとれる。
氷華は、そんな光景を壁際でジト目を向けながら見守っていた。
氷華が見守るなか、格闘術訓練場で行われている運動が変わった。
天儀が集団に混ざった時に行われていたのは、ジュウドーでなくてもする氷華も体育の授業でよくやった準備運動。
いまは、それが終わり二人一組になって、一人が技をかけては戻る動作を一定数やっては交代している。
二人一組になる前に、号令をかけている隊員がウチコーミーといっていた。
天儀と組になった隊員はさすがに緊張しているようだ。そんな相手に天儀がにこやかに声をかけると、相手も笑顔を返していた。
そんななか、ブザー音が室内に鳴り響く。
氷華は違う運動が始まるのだろうな、と眺めていた。
ブザー音と同時に、ランドリーと掛け声が上がり、行われている運動がより実戦的な内容に変わっていた。
二人一組になりつかみ合ってしばらくしたら片方が投げられた。
氷華は以前ニュース配信サイトのトピックで見たオススメ動画のジュウドーの試合を思い出した。
氷華の目の前で展開される空挺隊の隊員同士のつかみ合い。
――流石に動画で見るよりは迫力がありますね。
などと氷華は思う。
ただ氷華は、この場で特に天儀以外には興味がない。
天儀が何をしているかばかり気になった。
氷華が天儀へジト目を向けると、天儀が、天儀の倍はあろうかという巨漢の隊員に練習を申し込まれていた。
その様子を見とめた氷華のジト目に、クワっと若干力がこもる。焦りと驚きからだ。
――いけませんよあれは。
と、氷華が心中で叫んだ。
大将軍が、コテンパンにされては、こけんに関わるのでは。士気があがるどころか、盛り下がってしまいますよこれは。
氷華は冷静に分析しているようで内心は動揺していた。
氷華は平静な思考の先に、天儀が巨漢にもみ潰されて死んでしまう様を思い浮かべ内心狼狽。
だが、止めに入るわけにもいかず、見守るしかない。
氷華を、もどかしさと焦りが包んだ。
そんな氷華の心配を他所に、状況は進んでいく、お互い頭を下げたかと思ったら、巨漢が天儀へ掴みかかる。
二人が組み合う。
巨漢の背中が氷華の方を向く。
巨漢の背中が大きすぎて天儀がすっぽりうまり、天儀の姿がまったく見えない。
――天儀が死んでしまう。
と、氷華が青ざめる。
いや、死にはしないかもしれないが、とにかく大怪我をされては困る。
天儀の大怪我を想像し酷く狼狽した内心涙目の氷華。
――なりふりなどかまっていられない。
と決意し、止めに入ろうとした瞬間、氷華の目の前にあった大きな背中が消えた。
巨漢が宙を舞っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天儀と氷華は、体育調練室での空挺隊の隊員たちへの激励を終わらせ同室を後にしていた。
氷華が見るに、その場にいた隊員達の表情から、大将軍の訪問は上々だったようだ。
だが氷華は、移動中に横を歩く天儀へジットリした目を向けながらつげる
「死んでしまうかと思いました。怪我をされても困りますので程々にして下さい」
そう口にする氷華の声色は、感情をなるべく抑えているというものを感じさせるものだ。
天儀は、その言葉に最初の巨漢の隊員との乱取りのことをとがめられているのだと察した。
だが天儀は、それを承知のうえで先ほどの体育調練室の話を開始する。
「ああいう時はな。縮こまったら駄目だ。相手は右組み俺とは喧嘩四つだ。この場合は相手の釣り手を張って相手の胸を押して、引き手を絞って相手の方に押し込む。そして背筋を伸ばす。そすると相手と距離ができる」
天儀から氷華のよくわからない説明が出ていた。
私は心配して怒っているのですが、なぜこの人は上機嫌なのでしょか。解せませんよこれは、と氷華が思うなか天儀の言葉は続く
「技を仕掛ける空間が保たれるってわけよ。あの場合は、けつを下げる形で頭を下げると、技をかける空間がなくなるわけだ」
氷華へ向けて興奮気味に身振り手振りで解説してくる天儀だったが、氷華には話の内容が全くわからない。
「やばかったな。あの野郎お願いしますって言いながらニヤって笑いやがった。どの程度か試してやると言った感じだった。つまり俺を見くびってもいる。程々にやって、投げられるのなんて仕方ないと思ってたんだが、あの瞬間、死んでも絶対に投げてやると決めた」
なるほど、天儀さんは部下に舐められてムカついたわけですね。と、氷華は思った。
つづけて氷華は、なら一緒に柔道などしようと思うのか、相手は実戦部隊のエリート。少し考えれば敵わないことはわかる。
そう思った氷華は、天儀へ批判的なジト目を向けておいた。
「だが組んでみると、それがそんな簡単な話じゃない。当たり前だがな。グイグイ押される。投げるのは難しいと思ったから寝技にもつれたら絞め落としてやろうと考えなおした」
絞める、とは何だろうか、首を絞めることだろうか。
やはり氷華には話の内容がよくわからない。
が、天儀はお構いなしに楽しそうに締めくくりに入る。
「そうしたら投げれるもんだな。絵に描いたような一本背負いよ。まだあんな事出来るなんて自分でも驚いたよ」
天儀の話が終ると、氷華は呆れ気味に視線を向けつつ嘆息した。
――何がそんなに楽しいのかこの人は。
と、氷華は思い。
「死んでしまうかと思いましたよ。それを楽しそうに、私のあの瞬間の心配を返して欲しいのですが」
と、批判。
これに天儀が一笑。
天儀が悪い悪いと、いいながら艦内を進んでいく。
氷華は、
――全然反省していないですねあれは。
と思い、再び嘆息してから天儀へ続いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
氷華は天儀の横におさまって艦内を移動しつつ、去り際の体育調練室の空気を思いだしていた。
天儀が巨漢の隊員を投げたあの後、体育調練室にいた面々の天儀を見る目は変わった。それは確かたった。
尊敬というのとは少し違う、と氷華は思う。
あれは大将軍という全軍の長を、より身近に感じた。これだろう。
実際、天儀へ批判を口にした氷華だったが、自身もその例にもれない。
氷華は、
「兵員の心をつかむ。とはいいますが、あんなやりかたもあるのですか。無茶なやりかたでしたけれど、それは認めねばなりません」
そう思いジト目へ向けた。
目に映る天儀は、気分良さげに廊下を進んでいる。
氷華は、そんな天儀の横を歩きながら、また思いを馳せる。
あの時自分はとっさに止めに入ろうと思ったが、どうする気だったのだろうか。あんな大きな男に自分が掴みかかってもどうにもならなかったろう。
氷華は、その様子を客観的に想像してみた。
巨漢へ突進して背中をペチペチ叩く自分。だが、叩かれている男は気づきもしなさそうだ。
氷華は、そんな様子が頭のなかに浮かんで、実際に想像すると随分滑稽だなと思い、くすりと笑ったのだった。




