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恋する氷華の星間戦争  作者: 遊観吟詠
破章五、模擬戦編
49/126

(閑話) 馬首五百金

 模擬戦から3日後、千宮氷華せんぐうひょうかは東アジア風の瀟洒しょうしゃな建物、いわゆる宮殿というやつの中を歩いていた。

 氷華の目の前には天儀てんぎ

 

 いま氷華は、天儀に伴われ朝廷の集光殿しゅうこうでんの中にいた。

 氷華が進む廊下は、床は絨毯じゅうたん、壁に絵画かいが、天井と壁を接合部分には豪華な装飾。

 

 せわしなく動く氷華の目。

 

 特に氷華は天井と壁の接合部分の装飾が気になって仕方ない。

 ――なぜあんなところに金ピカな装飾が必要なんでしょうか、謎です。

 などと思いながら天儀の斜め後ろを進んでいた。


 進む氷華が昨日ことをお思い出す。昨日のお昼に、氷華は天儀から明日、得算室とくさんしつへともに入るように指示されたのだ。


 氷華は、天儀の指示に


「私がですか」

 とけげんそうな顔をした。


 得算室は、参謀本部や電子戦司令部の生え抜き、エリートの中のエリートが集められているような場所だ。

 電子戦司令部(サイバーフォース)という軍中枢にいた氷華にとっても、軍の選りすぐりだけが集められ戦争計画を練っているような場所は遠いい存在。


 氷華は特産室と聞いて

 ――とても自分などが

 とは思わないが


 ――なんで自分が

 という場違いな印象をいだいた。


 だが天儀は


「戦争を再開するなら君が六個艦隊の電子戦責任者だ。もうそろそろ参加しておいてもらわねば困るな」

 そうあっさりすませてしまった。


 むむ、そういわれるとそうですが、私が朝廷ですか。場違いな気しかしません。

 氷華は、そんなことを思いながらも、天儀から電子戦責任者とまでいわれ、もう自分の参加は決定事項だな、とも思い承服。

 

 得算室へ行くと決まった瞬間、氷華に新たな疑問が浮かび、浮かんだはしから


「服はどうしたらいいのでしょうか」

 そう言葉となってでていた。


 朝廷へいくのだ。通常の軍服では不味いのでは、でも以前のようにまた礼装を引っ張り出すのも面倒。もう当分使わないと、この前クリーニングにだしてしまい込んだばかり。

 

 氷華も朝廷へ行くのは初めてではない。式典などで何度かおとずれたことがあるし、士官学校主席で卒業した折には集光殿で短刀を下賜かしされた。


 だが仕事として定期的に通うとなれば別だ。都度、礼装を着ていくとなれば大変だった。

 

「一種もしくは二種の軍装で問題ない。つまり、いつも通りで大丈夫だ。今、着ているそれでいい」

 

 天儀が軽く応じていた。


 だが、ことはファッション、つまり身だしなみについてのセンスの問題。

 氷華にとって、天儀の言葉は信用ならない。


 天儀さんは、これ以外持っていないと、ボロをまとって平気で集光殿しゅうこうでんの朝集の間に入りそうですからね。当てになりません。

 

 氷華は近くにいたセシリアへ、ジト目をむけた。

 セシリアは

 ――セシリーどうなんですか。天儀さんは当てになりません。

 という氷華の視線に気づき苦笑しながら応じる。

 

「我々軍人は軍服が正装ですから平気ですわ。それに制服というのは、そのまま式典へでても問題ない作りですなのですから」


「そういうものですか」


「ええ。電子戦科の氷華さんの場合、その白衣も問題ないと思いますわよ」


 そんなやりとりがあって、いま氷華は天儀のあとに続き得算室に入っていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 氷華にとっては天儀の査問へついていって以来の朝廷だったが、相変わらず豪華で建物そのものが美術品、敷地内は柴の生え方、葉の向き方まで完璧、隙間がない。


 ――中も外も綺麗な装飾を積み上げて作ったようです。

 氷華は、そんなことを思いながら得算室へ入っていた。


 そして得算室にあっての今日の氷華の仕事は、艦隊の電子的防御の仮想空間上安全対策についての打ち合わせ。

 

 すでに得算室のメンバーとして参加していた電子戦司令部(サイバーフォース)の高官が作ったプランの確認と修正。

 

 氷華が作業を進めていると、天儀が


「今日は、みかどはいらっしゃらない。気軽にやれ」

 耳打ちしてきた。

 

 氷華は、

 ――なんだそんなこと

 と、瞬間は思ったが、そうか得算室は帝の執務室の一つをあてがって作られた部屋。


 そう思った刹那、氷華に7星系8惑星の象徴で政治の実権も握る皇帝という存在を強く意識させた。


 無表情ジト目が硬直した。


 ここへ定期的に通うとなると、いずれ帝とも顔を合わす可能性もあるのね。帝がいらしたら、やはり片膝立ての跪拝きはいなのかしらなどと氷華が考えていると、部屋の空気が一変していることに気づいた。

 

 室内が緊張感でおおわれ、先程まで会話していた正面の電子戦司令部(サイバーフォース)の高官の表情が硬い。

 

 氷華はハッとして

 ――帝ですか

 そう思い。身を硬くした。


 噂をすればなんとやら、帝相手にこんなことを思えば不敬だろうが、室内の空気の一変は、そうとしか考えられない。


 だが、氷華がジト目だけ動かし周囲を確認すると、どうも違う。


 誰も跪拝せずに驚いて部屋の入り口を見ているだけ。

 だが、氷華の目に映った誰もが顔を引きつらせ身構えている。軍の高官たちが、こうも縮み上がる相手とは誰だ。


 氷華もジト目を得算室の入り口へと向けた。


 そこには白杖はくじょうをついた一人の老人。


 老人は、太師子黄たいししこう


 この一人の老人によって、室内の空気が一変していた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「太師」

 という官職は、令外官れいがいかんに近く常設の官職ではない

 子黄しこうは先帝の太傅たいふで、朝廷内でその存在を重きを置かれた子黄のために特設された官といっても過言ではない。

 

 役割は太傅と同じで、帝を教え導き助言を与えるのがつとめ。

 

 そして太師という存在は、任命されるものの人物と、任命するものの権威の軽重で、その存在意義が大きく変わってくる。

 

 任じられるものが小物だったり、任命する側が器量に欠ければ、名だけ高い太師という存在はあっという間に朝廷内で埋没し、年次の予算取り決めの段階で廃官、任命されたものは免官されるだろう。


 つまり太師が、太師たるのは、子黄の存在そのものに起因するのだった。


 氷華が部屋の入り口へジト目を向け、太師子黄の存在を認めたと同時に、室内の人々が次々と礼容れいようをしめしていく。


 氷華は、

 ――なんでこのお爺さんに。

 と、思わないわけでもないが、氷華もたどたどしくだがまわりに合わせ礼容をしめした。


 天儀も同様にしているのだ。自分がしないわけにもいかない。


 それに氷華も入り口に立っている老人を知ってはいる。


 氷華にとっては、

 ――偉い人。

 程度の認識だが。


 確か盲人もうじんだったはずですが。怖すぎて白杖はくじょうがなければ、とても目が見えないとは思えません。と、氷華が思った。

 

 続いて氷華が、そういえばと思い出す。


 以前タイムラインで目にした太師子黄の情報では、先帝の太傅で朝廷に長く勤めているので、内部構造をすべて覚えており、つえ無しでも歩けるということだった。

 

 それ以外で覚えていることは、太師子黄は今の帝にも平然と意見し、朝廷内で出過ぎたことをいうと、この太師子黄から舌鋒ぜっぽうが向けられるということだ。つまり朝廷の偉い人でも、間違ったことをいえば太師子黄に怒られるらしい。

 

「ようは怖い老人。ご意見番といったところだろう」

 と、氷華は思いつつも、何故か自分も太師子黄の存在に緊張感を強いられ、不思議だった。


 そう、氷華をして怖い老人である太師子黄の突然の登場で、室内に異常な緊張感がもたらされている。

 

 室内のものは、みな顔をうつむきがちにし息を殺して逼塞ひっそく


 氷華は、

 ――天儀司令は。

 と、思ってジト目を動かし天儀の顔を捉えた。


 氷華の目が捉えた天儀は涼しげ。天儀は引き続き礼容を示しているものの、その目容には余裕がある。

 他の人々には、腋間えきかんに汗もかかんばかりに縮み上がっているのにだ。


 氷華も太師子黄を見て身を硬くし動揺していたが、涼しげな天儀をみたら

 ――さすがです。天儀司令。

 と、思い。なぜか少しホッとし、誇らしい思いになった。


 心に余裕のできた氷華がさらに思う。

 それにしてもなぜのお爺さんは、あんなにも怒っているのか。せませんよこれは。

 

 いまの室内の硬い空気は、あの太師子黄とかいう老人の不機嫌が理由だというのは嫌でもわかる。


 加えて氷華は気づいた。

 太師子黄子の怒りの対象は天儀。

 

 太師子黄は、天儀を捉えつつ室内のものへ向けて威圧感を放っている。


 そして、いま得算室内の人々から礼容を一身に受けた太師子黄が、威厳を全面に押し出し室内へ進でいた。


 室内の視線が太師子黄に集まり、氷華も太師子黄から目が離せない。


 進んだ太師子黄が突然、


功業こうぎょうは天下無二、智略は不世出ふせいしゅつ勇略ゆうりゃく、主をふるえしむものは身は危うく、功、天下をおおうものは賞せらず」

 と、室内へ、いや天儀へ向けて言葉を放っていた。


 声帯に熱をおびて放つ太師子黄。

 凄まじい気迫で、声は咆哮ほうこうのよう。


 氷華は肌がピリピとして、暴風が吹き抜け、足元が揺らいだような感覚を味わっていた。


 ――まるで、ジェットコースターです

 などと氷華は思うものの、叱られる子供のように顔をあげることができない。


 太師子黄が唐突に室内へ向けて放った言葉の意味は


「功績が天下に並ぶものがなく、知恵は不世出。このように君主を恐れさせるような勇略を持つものは身が危うく、巨大過ぎる功績には報いれる賞など存在しないので、賞罰となれば必ず罰を受ける」

 このようなことだ。


 太師子黄の論では、星間戦争に勝てば、天儀は空前の大功となり皇帝という存在を超越しかねない。仮に存在が皇帝をこれえれば排除されるだけなのは自明の理。

 

 たしかに総てにおいて君主より上の家臣が出現すれば、君主はおのれをむなしくし外面を整えるだけとなり、

 

「はたして自分が必要なのか」

 と、君主を苦悩させるだろう。


 このように君主の存在を危うくするものは、たとえ害心がなくとも排除される。


 つまりもっと砕いていえば

『たとえ勝てたとしても、お前は幸せにはならない。戦争は無駄だ』

 と、いうことを太師子黄はいったのだ。


 なお星間戦争に勝てば大きな業績と言えるが、星間戦争に勝った程度で、世の中を支配できてしまうほど多惑星間時代ラージリンクプラネットは単純ではない。

 加えて星間戦争は帝と天儀だけの問題でもない。

 だが太師子黄は、あえて世界を帝と天儀という二極間の小さな物にして言葉を放っていた。


 しかし、天儀は太師子黄の放った言葉へ、


「斬られることは可とし、しょうせざれること是なり。わたくしは、ただ一勝をよくすのみ」

 そう平然と応じてから、継いでいう。


「勝って何を望もうか、勝利は空前にして絶後。名は不朽ふきゅう。勝てば、干戈かんかは再びせず。これぞ賞の極み。ただ一勝を以って賞である。賞を抱いて、重ねて賞を望む。なんと貪婪とんらんなことか」


 言葉を終えた天儀が、これでどうでしょう、というように太師子黄を見た。


偽言ぎげんである。勝てば何も要らないなどということがありえようか。無欲の中に潜むのは、絶大な欲望であろう。将軍に言葉は貪婪とんらんの左証とみるがいかがか」


「勝てば名を残せます。惑星間国家の統一に貢献できます。これ以上のことを望みません」


 天儀は、そういうとさらに言葉を継いだ。


「加えて勝てば戦争は、もうなくなります。両国は一つとなり、戦う相手はいなくなる。平和がもたらされます。くどく申しますが、太師は、賞がないと仰せですが、平和が得られるとは何よりの賞ではないでしょうか」


「なるほど、平和の樹立に貢献した一人として、名声を得られる。それだけでよいと」

 

 天儀がうなづいた。

 これに子黄


「名を成すために、干戈かんかを進めるのか。不純ではないのか」

 と、叱喝しっかした。


「では、名もいりません」


「賞も名もいらないとなれば、何を望むのか」


「一身が残ります。命があれば、なんとかなるでしょう」


「命は惜しいのか」

 

 子黄が吐き捨てるようにいった。


「死んでは、ことは成せません」


 天儀は平然と応じた。


「兵は詭道きどうで、兵事へいじの成否はくもを掴みきりをすくい上げるほどに危うい。将軍の一命であがなえるものではない」


「なるほど戦争での勝利は雲のごとく霧のごとく掴みにくいと。まさに仰るとおりです。で、ご懸念は、失敗したらどうする、ということですね」


 子黄がうなづいた。その態度は早く答えろといわんばかりだ。

 

 この様子をはたから見守っていた氷華は困惑していた。


 揚げ足を取るように、しつこく攻める太師子黄。対して屁理屈へりくつで応じる天儀。

 氷華の目の前で、よくわからない議論が行われていた。


 良い大人が、しかも一人は先帝の太傅で今は太師と呼ばれる子黄という老人で、もう一人は自分の上司で、遠からず全軍の長だ。


 そもそも氷華には、太師子黄のいう戦争に勝っても顕彰けんしょうされないということがに落ちない。

 

 太師子黄のいう

『天儀は勝っても賞がない』

 ということはそういうことだろう。


 だが、そんなはずはない。勲章は貰えるだろうし、どの程度のものか全く想像できないが賞与、つまりボーナスも出るはずだ。


 これに対して、毅然と

『勝ちたいだけなので、顕彰がなくても問題ない』

 と放つ天儀も氷華には不可思議。


 星間戦争に勝って、勲章一つもらえないわけない。天儀司令は全部いらないと辞退する気なのか。そのほうが不敬で問題だ。


 だいたい全軍の長の大将軍の天儀が、顕彰を辞退すれば、自分も含め他の軍人たちは気兼ねするので困る。

 一番功績を立てたものが、辞退すれば二番目、三番目以降のものは受けにくい。


 なお太師子黄が最後にいった負ける可能性があるというのは、百歩譲って氷華としてもわからなくもない。勝敗には万が一がある。


 氷華の理不尽な緊張感にさいなまれるなか、繰り広げられたのは太師とまで尊称される老人が難癖をつけ、それに若い天儀が真っ赤になって言い返しているだけ。

 

 ――まるで子どもの喧嘩です。解せぬというものですよこれは

 と氷華はあきれ、不思議な光景を見る思いだった。


 が、そんな氷華も場の雰囲気には圧倒されるしかない。

 

 太師子黄という盲目の老人から発せられる圧倒感は、なんなのか。その圧倒感を受けても流してしまえる天儀もなんなのか。

 

 氷華はジト目に驚きを伴い2人を眺めていた。


 ただやはり氷華からすれば


「何故この二人は、突然威嚇(いかく)しあって、戦い始めたのか。謎だ」

 というものだった。


 太師子黄が天儀へ向けた気迫は、正に威嚇。それを受け流す天儀も、即、受け立つという色を出したのだ。

 この2人のやり取りは、氷華に虎狼がうなりりあってから爪牙そうがを立てて戦い始めた情景を彷彿ほうふつとさせた。この場合の戦いとは、弁戦である。


 なお、この場にいるもので顔あげられているものは天儀、太師子黄以外には、氷華しかいない。

 

 他のものは皆、背に顔に汗をかき、ひたすら存在を小さくしかしこまっている。


 氷華の内心はどうあれ、他のものから見れば氷華も無表情のジト目で、平然と天儀と太師子黄を眺めている。動揺しているようにはとても見えない。この時に限れば、衆目に氷華は女傑のようにすら映っていた。


 覚めた氷華の視線のもと、太師子黄が天儀へ気迫を向け、天儀がそれを受け流す。

 しかも、どちらも譲らないので始末が悪い。終わりそうにない戦い。


 室内には

 ――早く終わってくれ

 と、内心うんざりした重たい空気が漂っている。


 天儀がそんな重さを払いのけるように


馬首五百金ばしゅごひゃっきん

 と、一言放った。


 この短い言葉に太師子黄の脳漿のうしょうが反応した。


 太師子黄には古代から今までのあらゆる歴史と音曲がその脳に収まっている。教養は極めて高い。


 子黄は『馬首五百金』とう天儀の言葉に意味を感じ、


 ――天儀が、いう馬首五百金なにか。

 思考が開始しされてしまっていた。


 この場合は、子黄に教養があったことがあだとなったろう。もし無教養のものなら、馬の首がどうした程度に捨て、気にも留めない。

 間髪入れずに、天儀へ言葉を返せたはずだ。


 太師子黄が、天儀の術中に落ちていた。

 

 そして馬首五百金と聞いて、太師子黄はすぐに思い浮かんだ逸話がある。


 昔、一日千里を駆ける馬を求める王がいた。

 だが、一日千里を走る馬などそうそうはいない。三年探しても見つからず。ついに王は、涓人けんじんに千金を持たせ千里の馬を買い求めさせることにした。涓人けんじんとは宮殿で王の取次役もしくは身の回りの世話をする人をいう。

 その涓人は三ヶ月間探し回り千里の馬を見つけた。ただ馬は死んでいた。しかし涓人は、その馬の首を五百金で買い取り帰った。王は大いに怒った。

 

 当然だ。生きた馬だから価値がある。死んだ馬では、千里どころか万里走ろうがどうにもならない。


 だが涓人は


「千里の馬なら死んでいても買うのですから、生きていればいくらになるかと誰もが思います。すぐに千里の馬を売りに来るものがあらわれましょう」

 といって王をなだめた。


 はたして年をまたぐ前に、一日千里を駆ける馬が三頭も集まった。


 子黄が思うに、天儀のいう馬首五百金とはこれであろう。


 太師子黄が思考開始したほぼ同時に結論を得ていたが、思考したことで言葉が出なかった。

 

 天儀が、太師子黄が言葉を出す前に詰め寄るように


わたくしは首だけとなっても、五百金程度の役には立ちます。わたくしが敗れても千里を走る者が後に続くでしょう」

 と、発した。


 太師子黄は、言葉を出す機会を失っていた。


「帝は敗亡したものにも恩寵をあたえたのです。たとえわたくしが失敗しようと、事を成すものが、わたくしのあとに必ず出ます」


 つまり天儀は、星間戦争に負けても、それをきっかけにもっと優秀なものがあとに続くといったのだ。だから負けても問題ないと。

 帝は負けるような愚か者にも恩寵をしめしたのだ。勝てばどうなるか。富貴自在、尊貴を極めるだろう。


 天儀より優れていると自負するものが後に必ず続き、自分は敗れてもその後優秀なものが参集して戦争には勝つといったのだ。


 これに太師子黄が、

 ――こしゃくな!

 と、カッとなった。


 天儀が、カッとなった太師子黄へ継ぐ。


「太師子黄様の明鏡めいきょうに、私はどうのように映りますか」

 

 子黄は、また言葉を制せられる形となっていた。

 

 太師子黄は馬首五百金という言葉に反応したため、抗弁が後手後手となり常に天儀に発言を制せられる形となっている。

 

 やはり子黄の教養が仇となっていた。


 教養がなければ、馬首五百金がなにかなど思考を巡らせず、発言への意味など求めなかったろう。

 

 長所とは常に、強さへ転じるとは限らない。状況によっては、弱点へと転じる。

 人は相手を引き落とす狡猾さに長けるからだ。


 彼は勉強が得意だ、というのは賛美さんびであろう。だが、彼は勉強しかできないと言い換えればどうか。

 途端に勉強ができるという長所は、短所へと転じる。勉強ができるという長所も途端に、さげすむ言葉となって相手を刺せる。


 天儀からいわせれば


「長所も状況次第で短所へと転じる。例えそれが、どんなに卓越たくえつしたものでもだ」

 ということで、さらに一歩進めば


「逆説的にいえば、短所も状況に応じて長所に転じるともいえる」

 ということになる。


 これが天儀の勝敗に対する考え方だった。


 子黄は、天儀の


「太師子黄様の明鏡に、私はどうのように映りますか」

 

 という問に、やはり

 ――小賢しい

 という生意気さを感じ、意識を天儀へ鋭くした。


 なお、天儀のいった明鏡とは、この場合の心を指す。

 太師子黄は盲目である。相手の存在を見ることは、心で受け止めるに近い。

 天儀は明鏡という言葉を用いて、俺を見ろ、と子黄の意識を自身の存在へと誘導したのだ。


 盲目の子黄が、天儀の存在を受け止めていた。


 子黄からして、いまの天儀には死相のような者は感じられない。いやむしろ躍動やくどうする生を感じ、溌剌はつらつさを伴った悍馬かんば。荒々しく御しにくいが、帝なら御しうると子黄は思い。続けてよく走る良い馬になるだろう。とも思った。


 天儀に生を感じた太師子黄。

 太師子黄に黒を白という白を黒という邪悪さはない。

 天儀に生を見たなら、それが答えだった。


 ――死相が出ておる。敗亡する

 と、はいえない。


 太師子黄には

「帝道」

 へのこだわりがある。


 人君のあり方には四つある。その四つとは、帝道、王道、覇道の三つに加え、廃道を加えた四つ。廃道とされる人君とは、居丈高に君臨するだけの人君、国を敗亡させるような人君。この二つは似たようなものなので合わせて一つとする。

 そのなかで帝の道とは、人君の最も上級のあり方だ。


 そのような理想的な人君のあり方を説く子黄は、たとえ白を黒と言い負かす技量があっても簡単に虚実を曲げることはしない。

 帝には理想的であれと説くのに、自分は嘘で相手を言い負かしては話にならない。


 何より今の天儀に汚濁がない。この天儀の清潔さが、太師と呼ばれる子黄に、白を黒とするような抗弁をちゅうちょさせていた。

 

 たとえ正論でも、相手の論のうちに邪が含まれていれば、太師子黄も言辞をもって白と黒を入れ替え、正を打ち負かすことも辞さない。それが帝のためになるからだ。正論にも邪悪なものが、含まれれば結局は害をなす。正論も引きよう、時と場合であるともいえる。


 だが、子黄は天儀の言葉に邪悪を感じなかった。それが総てだ。

 いま虚実を入れ替えて論破するのは太師子黄の誇りが許さない。


 加えて子黄が、今の天儀の言葉に抗弁するには、潤沢な教養をから故事を引き、巧みな弁舌で押しつぶさねばならない。故事は、あらゆる事象に富み弁証の根拠に事欠かない。子黄が、天儀の言い負かすこと容易。

 

 そもそも天儀は、故事の中の逸話を引いて弁戦を仕掛けてきたのだ。子黄が万倍の故事をぶつけて粉砕しても構わない。


 が、それをすれば大人気なくもある。


 そう、この程度の男に本気にさせられたという事実は、如何に天儀を言い負かそうと戦争反対という子黄の立場を悪くする。


 太師子黄は、天儀を言葉で粉砕し、帝の戦争への意欲をくじこうとしてこの部屋に入っていた。

 

 今の流れで天儀を論破して、それを帝が知ればどう思うかだった。

 天儀は、太師子黄を本気にさせるほどの弁知に長けていると帝は喜ぶだろう。帝がそう思うなら、周囲もそう思う。この難しさがあった。


「天儀を論破すればむしろ帝が喜び、周囲の者も天儀へ一目置いてしまう」

 これでは意味がない。

 むしろ帝の戦争への意欲は高まってしまう。


 子黄は押し黙らずを得ない状況に憤然となるが、続いていた思考の先に天儀の自己顕示に想到しカッとなり総身に熱を感じた。


 天儀は自身を謙譲して馬首五百金と、死んだ馬に例えたが、本心は間違いなく違うと確信したからだ。


 子黄からみて天儀には死相がなく、後ろ暗いものを感じないということは、つまり逸話になぞらえれば馬の首では適当ではない。

 

 そう現実、天儀は生きているのだ。


 この生に、先の馬首五百金逸話をなぞらえれば、天儀は死んだ馬の首ではなく、千金の価値のある一日千里の生馬となる。


 つまり天儀は、

 ――自分こそが一日千里の馬。

 と豪語したのだ。


 子黄が心中で唸った。


 自分の前で、これほど大見得を切ったものがこれまであったろうか。

 太師子黄の弁知は、相手の驕慢を叩きへこませる。誰も恥はかきたくない。帝の前で誰もが謙譲を心がけるのは、横に太師子黄が居るからという見方もできる。

 

 驕りを態度にし、口にすればたちまち子黄からの舌鋒が飛び心を切り刻まれる。うっかり口を滑らし、心を処断されたものは少なくない。太師子黄という存在は、常に朝廷内に緊張をもたらし、廷臣たちへ責任感を与える役割を果たしていた。


 そんな子黄は、いま天儀に言葉で喉元まで詰め寄られた気分だ。

 この剣刃けんじんを喉元に突きつけられたような感覚は、何年ぶりだろうかと子黄は思う。


 思った途端、子黄は突きつけられた剣刃を振り払うように


「戦う前からそれか」

 と、一喝いっかつした。


 戦争が始まる前から、おのれをして一日千里の馬とは極めて驕っている。

 子黄の一喝に


「恐れ多いことです」

 と、天儀が、さっと頭を下げていた。


 天儀から熱が引き、恭謙きょうけんの色が出ている。


 子黄は、これに

 ――なるほど、驕っていたのは自分かもしれない。

 と、思った。


 子黄は、天儀を言葉で言い負かし、恥をかかせるという覚悟でこの部屋に入っていた。

 

 言葉で攻め立て、天儀に脂汗をかかせ、心を打ち砕き、戦争への意思を砕裂する。

 そう自分は、最初から相手を飲み込める気でいたのだ。驕り以外の何もでもない。


 太師子黄が頭を下げ、踵を返し、部屋を出ていった。


 得算室に

「やっと終わった」

 という安堵の色が広がる。


 太師子黄が出ていくと、室内を支配していた圧迫感も消え去り、緊張がとけていた。


 氷華もホッとしたものを心に感じ、こわばっていたほほがやっと緩んだ。


 そんななか天儀は、太師子黄が出ていってしばらくしてからも頭を下げたままだった。


 氷華は、そんな天儀を、

 ――もう太師子黄様はお去りになったのに。

 と、不思議そうにジト目を向け眺めていた。


 氷華の太師子黄への思いが、よくわからない怖い老人から、太師子黄様に変わり、お去りになったと丁寧な言葉に変わっていた。


 盲目の子黄が示した存在感への畏怖いふだった。


 値打ちのよくわからないものにも、きょうを強いることのできるのが太師子黄だった。

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