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恋する氷華の星間戦争  作者: 遊観吟詠
破章五、模擬戦編
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(閑話) 盲目の子黄

 繰り返すが太師子黄たいししこうはもともと

 ――平帝へいてい

 に太傅たいふとして仕えた。


 つまり太師子黄は、平帝時代は

「太傅子黄」

 だったわけだ。


 太傅子黄たいふしこうの仕えた平帝は愚人ぐじんといっても差し支えない人物だったが、これを教導きょうどうし続けたのが子黄である。


 ところで生前の評価に基づき選定せんていされ諡号しごうには、上中下の三段階の美諡、平諡、悪諡があるが、夭折ようせつもしくはよほどのことがない限り美諡から選ばれる。美諡が最も多いことからもこれはうかがえる。

 

 では平帝の

「平」

 はどうか。


 悪くはないが、さほどよくもない。だが、この平帝の平は、平と書いてぼんといい、ようを意味したに近い。


 庸は、もちいる、つね、おろか、などと読ませる事があるが、庸劣という言葉があり、能力が低い場合には庸器や凡庸というのでいい意味ではない。

 平帝は議会に対し朝廷の権力の伸張しんちょうをはかったが、その人格も知性も凡庸。平帝は、やはりさほど評判の良い皇帝でなかったのだ。


 広大な宇宙を治めるには、象徴しょうちょうはいえ一人の人力では限りがある。仮に平帝が自らの庸器を知っていたのであれば苦痛であったろう。


 平帝の器量と智能では、七つの星系と八つの惑星はあまりに大きく手に余る。


 七星系から遵奉そんぽうを集める皇帝という存在が、凡庸さを自覚すれば、

 ――絶望しかない。

 

 平帝時代の朝廷は、権力の拡大かくだいを目論みながらも、さほど風通しのいい場所ではなく、帝の周囲には阿諛追従あゆついしょう佞臣ねいしんとも取れるような人々が取り巻いていた。だが、その一方で子黄などの賢人を周囲に置き続けた事実は大きい。

 

 太傅子黄の存在は、平帝の感じた絶望へのせめてもの抵抗だったともいえる。


 そんな平帝が崩御ほうぎょするとき、当時太子だったいまの帝が枕元に呼ばれた。

 

 部屋前で太子は、しばし待たされた。どうやら先客がいたようだ。

 

 待たされる太子は、まだ二十代に入ったばかり、多感な時期を過ぎてはいるもののその人格は形成されきっていない。そして人としては多情多感たじょうたかんという性質を持つ太子の心中は複雑。

 

 父の優しく大きな手と同時に、だらしない姿も思い出され感情の処理に困る。というのが太子正直な心境。

 

 だが、やはり父との思い出が走馬灯のように浮かび、こみ上げるものを感じた太子は

 

 ――寵臣ちょうしんを侍らせ好き勝手やっていた男だ。

 と、怜悧れいりに思い。心を落ち着けた。


 続けて太子は思う。

 

 平帝の病状は3年前から危うかったので、遠からずこの日が訪れることもわかっていた。そして即位してからを思えば感傷など許されない。帝が崩御すれば、自分は文字通り人間を辞め帝というかたちに徹するしかない。

 

 そう思うと太子の感情が冷えた。


 国家象徴としての職責しょくせきを果たすという点で、自堕落じだらくな父は落第点。

 

 父は皇帝といっても政柄せいへいを握っていたわけではないが、

 ――それではだめだ。

 と断じ、若い太子は皇帝である父へ厳しかった。

 

 太子が平帝の死を前に、気持ちを強く持つと同時に、部屋から人があわれた。

 太傅の子黄だった。


 ――先客とはこの老人か

 と、太子は多少の驚きを覚えた。


 父が死に際に会いたがる人間にはとても思えない。もっと佞人や下らないものを呼んでもおかしくないとすら思っていたのだ。

 

 ――それが太傅殿とはな。

 

 だが太子の太傅への印象も大していいものではない。父の側近のなかでは、まともな方だ程度だが、庸劣な父へ仕えているのだ、太傅にもそれに阿諛あゆする性質があるのだろうと、太子には冷えた分析ぶんせきがある。

 

 加えて太子は、噂は本当だったかという驚きも持った。


 ――太傅殿は廷内ていないなら白杖はくじょうを必要としない

 朝廷内には、こんな噂があったのだ。

 

 この噂は太子の住まう東宮にも聞こえていた。

 

 普段、太傅子黄は白杖をつき、案内を伴うことも多いが、廷内の間取りを完璧に把握しており杖なしで歩ける。という噂がまことしやかになされていたのだ。


 いま太子の目に映る、その太傅子黄の存在感が崛起くっきしていた。


 太子は太傅子黄を見て、普段は影が薄い老人と思っていたが、これほど存在感のある人物だったかと驚きを感じつつ、佞臣ねいしんにはとても見えないな。などと続けて思った。


 部屋か出た太傅子黄が、動きを止め、さっと太子へ向け一礼した。

 太子は、ぎょっとした。


 お辞儀をするということは、太子の存在を認知しているということだ。


 いま太傅子黄は一人で、状況的にも部屋を出る折に、太子が待っているので、などと聞かさたとは思えない。


 加えて太子は、太傅子黄が目が見えないと思い子黄をジロジロと直視ちょくししていた。当然、無作法で礼を欠いている。

 

 太傅殿は余の存在に気づいた上に、見られているのを知っていたな。と、太子は直感し肝を冷やした。

 

 ただ太子の本当の驚きは、太傅は見られているのを知っていたか、というだけのものではない。

 お辞儀をするために、正面を向いた太傅子黄の顔面が真っ青だったのだ。

 

 多感な太子は、頑強な岩山が揺らいでいるような感覚を受け、太傅子黄にとっての帝の重さを知り感情を揺さぶられた。


 心を揺さぶられた太子は、

 ――できの悪い生徒ほど可愛いともいうしな。

 などと皮肉を思い浮かべ、必至に感情を押さえ込んだ。


 太傅子黄が去り、太子は特に感慨もない。と強く思い部屋へと入った。


 太子が、平帝の寝る(しょう)の横に立つと


ちんが知ったことを教えよう」

 と平帝が始めていた。


「宇宙は広大で朕は持て余した。どんなに気を発しても全てが飲み込まれてしまう。むなしいものだ。朕が残してやれるものは何もないが、一つ太傅の子黄を残す。

 帝は万能で、朝廷内においては思うことは際限なくできる。太傅には、朕と同じように新帝を助けるようによく頼んでおいたが、太子がその席について必要ないと思えば太傅を遠ざければ良い」


 言葉が終わり、太子が跪拝きはいする。


「太傅殿は手厳しいぞ、太子には朕ほどの器量があるかな」


 と、平帝は力なくうそぶくと眠りについた。


 太子はその時、気に入らなければ殺さず官を解くだけにしろというのが父の願いかと理解した。


 平帝の崩御から十年以上、いまだに子黄は帝の太師として側に仕え続けている。

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