2-(2) 氷華 (下)
「近衛艦隊の将校が、何の用向きなのか」
と、氷華は色付き男を目で追いつつ思った。
入ってきた男の肩章には、近衛艦隊と呼ばれている第一艦隊の特有のデザインが施された装飾がつている。
目立つ装飾だ。ひと目で識別できた。
氷華の目に映る男は、トップにボリュームのあるツーブロックに黒い髪の毛。
黒い瞳でキリリとした眉、鼻筋が通ったスッキリした顔立ち。
――背は低いけど悪くはないです。
氷華は、そんなことを思いながら「色付き」と名付けた男を目で追い続ける。
いま氷華のジト目に映る色付きの男は、電子戦司令部の課長へ挨拶をしている。
最初、課長は色付きの男の挨拶を、いつも部下からされるように受けていたが、その課長が突如立ち上がり敬礼した。
男は挨拶が終わった後に、何か見せたようだ。
氷華が
「課長のあの態度は解せません。色付きさんは何を見せたんでしょうか」
そんなことを思いジト目を凝らす。
色付きさんは、准将の課長が驚くような何かを見せた。
氷華にもそこまではわかったが、それ以上がわからない。
いま氷華は色付きの男を背中側から見る形となっている。男の手元は見えない。
氷華に知る由もないが、色付き男は帝からの
『特許状』
を見せたのだ。
特許状はグランダ国内では、短期間一定の特別な権限などを認める際にも利用される朝廷から発行される証書である。
今時、電子データだけでなく、偽造防止が施された用紙も合わせて発行される。
なお今回、男が手にしていた特許状の内容は、軍内を自由に歩き回れる権利と、人材の勧誘の権限が与えられたもの。
一課の課長は、氷華が色付きの男と脳内で仮称している若い将校にではなく、提示された特許状へ敬礼しいていたのだ。
氷華は、あらわれた色付きの男をそれとなく目で追う。
与えられた業務はすでに終わってしまっている暇なのだ。
男は室内の人間は皆業務中にも関わらず、遠慮なく何人かに声をかけてまわり質問を投げかけては煙たがられている。
そんな男が氷華の前に立った。
瞬間、氷華は、
――来た。
と、思った。
同時に、そう思った自分に驚いた。
自分は、この色付きの男から声をかけられるのを心待ちにしていたのか。何故だ。
が、氷華が胸懐に抱いたこの不思議は、
「失礼、千宮氷華さんですね。天儀という者です。お話大丈夫でしょうか」
と、いう男の声で答えを見つける前にかき消されていた。
男の声にうたれ、氷華の顔が上がった。
ジト目が、天儀と名乗った男を正面にとらえる。
――天儀と言うのか。
色付きの男から声を聞くと同時に、氷華を取り囲んでいた鏡の壁が崩れ落ちていた。
声を聞くと眺めていたときとは、随分印象が違ったからだ。
人は、見ると聞くとでは、印象が大きく違う。
どんな人間かは、喋ってみなければわからない。
それほどに第一声は、人の印象を決定づけかねない。
言に醜悪さが混じれば不快を感じるし、居丈高として出した話題が下世話ならば当然印象は悪くなる。
「大きく温かく、真心がある」
これが天儀の一声を耳底に受けた氷華の印象。
そして温かさと真心の奥に、犯し難い青白い火のようなものを垣間見た。
あれは、心の芯のようなものだろうと氷華は思った。
加えて、人は他人通して自分を知る。
――他人の心に映る自分を見る。
と、いえばいのか。
逆に言えば、自分の心の鏡には、他人が映っているともいえる。
氷華は、天儀に声をかけられた瞬間。
天儀を映していた心の鏡面が、割れたような衝撃を受けたのだ。
氷華は声をかけてきた天儀という男に、持ち前のジットリとした視線を向ける。
視線を向けられた天儀が、愛嬌のある会釈した。
不思議な男だ。それだけで、氷華はますます男へ惹かれた。
だが同時に、こうも思う。
軍隊には変人が多い、そして自分もその例にもれないが、それにしてもこの人は自分以上に
――『変』
と、直感した。だが、同時に好奇心も湧いた。
この男と、話してみたい。だが共通の話題があるのか。氷華が、そんなことを思いつつ天儀を黙って見上げていると、天儀と名乗った色付きの男は喋り出した。
「貴女の星間連合破壊作戦を読みました。是非お話がしたい。今日の業務は終わっているようですね。ここではなんですカフェテリアへ行きませんか」
何故か天儀という男は、氷華が業務を終わらせていることを見ぬいていた。
氷華は、うなづき立ち上がる。
仕事の話だが、共通の話題があるということでもある。
この時の氷華は、ただ話したいという衝動にから天儀の申し出を受けていた。
立ち上がった氷華が、課長に席を離れる許可を取ろうと課長のデスクの方向へ一歩踏み出した瞬間、課長は追い払うような仕草を見せた。
許可されたのだ。
まるで好きにしてくれというような投げやりな態度。
氷華は、その課長の態度などさして気にせず天儀と名乗った男に視線を戻した。
「では、まいりましょうか」
天儀が、そういって歩き出した。
氷華は黙って天儀の後ろに続いたのだった。
天儀の後ろに続く、氷華が恨めしそうに天儀の背中へジト目を向ける。
氷華は、天儀と一瞬だけ視線が絡んだ瞬間に、鼓動が高鳴り思わず視線を外してしまっていた。
何なんだこの男は、何故自分が動揺せねばならないのか。
氷華は、そんなことを思いながら歩みを進めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二人がカフェテリアに到着した。
カフェテリア内には、まだ夜間に冷えた空気の冷たさが残っており、午前中の特有の透き通った空気が支配していた。
そこに日が差し込み閑散としている。
時刻は午前中、休憩を取っているようなものはまだいない。
――二人きりか、
と氷華は思いつつ、天儀の後ろに続き案内されるがまま席についた。
「なにをお飲みになりますか」
と、椅子に腰を下ろすなり、天儀がにこやかに聞いてくる。
氷華が持ち前のジト目で、じっと睨み返した。
込めたのは「今度は、動揺しないぞ」という強い決意だ。
そんな氷華を、天儀から見れば問いかけても無表情のジト目で黙然としているだけ、若干ジト目に力がこもっているように感じないでもない。
「コーヒーで、どうでしょうか」
問いかけてもジト目を向けられただけの天儀がそう聞いていた。
氷華が黙ってうなづくと、天儀は、ではそれでといって離れていく。
不思議な男だ。と、氷華は思う。
一緒にいるだけで高揚感を伴う居心地の良さがあるのに、声をかけられるたびに動揺のようなものが氷華を襲う。
言葉をかけるたびに動揺するのは、そのつど視線が絡むからだ。
氷華は何故か天儀と目を合わせがたい。
無表情ジト目の自分は、見つめ合いには強い。
相手が、居心地の悪さを感じ、しびれを切らすように視線をそらすのだ。
それが全く通用しない相手。
悪さなどして後ろめたい気持ちがあるわけでもないのに、氷華は天儀と視線があうとそれを維持できない。
「一々面倒くさい。」
と、氷華は思う。
話すにしても目が合うたびに感情が起伏していては思考が鈍る。
しばらくして天儀が、コーヒーを二つ手にして戻ってきた。
氷華は、差し出されるカップを受け取りつつ
「違います」
と声を発した。
天儀が、突然の氷華の言葉に、えっといって氷華を見つめた。
氷華は、その視線にどきりとするも、もう動揺しないぞという決意を新たにジト目を向けつつ言葉を継ぐ。
「星間連合破壊作戦ではありません。星間連合、第一星系電子防御陣ツクヨミ突破計画です」
さらにすぐに継いで
「国家解体が、目的ではありません」
と、付け加えた。
天儀が、なるほどと苦笑した。
天儀は氷華へ声をかけるさいに氷華の計画書を『星間連合破壊作戦』といっていた。
いま、氷華はそれを訂正したのだ。
氷華は、天儀の苦笑を前に
「その笑みはずるいです。なぜか惹かれます」
と、不思議だと冷静に分析し、起伏しそうになった感情を押さえ込む。
そもそも、この男は誰なんでしょうか。と、氷華は思う。
近衛艦隊の将校という「それなりのエリート」なのはわかってます。
私より上なのか、下なのか、それすらわかりません。
なお氷華の天儀の所属への、それなりのエリートという少し下げたような定義は、天儀が単なる近衛艦隊の将校なら、氷華の所属する電子戦司令部の方がキャリアとしては上だからだ。
そして、どちらが偉いかというのは、当然個々の階級による。
――私の中尉で、色付きさんの階級は。
と、氷華は思い。
それとなく目の前の男の階級章を確認した。
――大佐じゃないですか。
と、思わず氷華が驚いた。
これは艦隊司令官補佐か、戦隊司令クラスだろう。悪くても大艦の艦長。
一方、天儀は天儀で、氷華へそれとなく階級章を見やすくするような動作をしていた。
氷華は、さりげなく確認したつもりのようだが、顔を突き出しのぞき込むようにして天儀の階級章へ視線を向けていたのだ。わからないはずがないというもの。
天儀としては、立場の違いを越えて、話がしたいという思いもあり、あえて名前しか名乗らずにいた。
何故か氷華をひと目見て、彼女相手には、それが通用すると思ったのだ。
天儀からすれば、階級とおおよその所属は自分の格好を見れば分かるだろう。
それ以上、知りたければ聞いてくるはずだ。とも天儀は考え名前しか口にしなかった。
だが天儀からして、それでは不十分という思いもある。
聞いてこないので名乗らないが、知りたいなら見せようといった具合での動作だった。
氷華の確認が終わったのを見て天儀が、苦笑しながらいう。
「でも、あれでは星間連合の第一星系には、人の住めるところなんて残りゃしませんよ」
「ま、そうでしょうね」
氷華が無表情で答えると、天儀がまた笑った。
笑う天儀に、氷華が続ける
「あの計画書の提出で、私は電子戦司令部内で変人扱いです」
この言葉を聞いた天儀が真剣な顔になり
「それはおかしい」
と、身を乗り出すような勢いで真剣に口にした。重い声だ。
氷華は、天儀の真剣な言葉を受けて
「いけません。特にこの目が」
と、自身の目を人差し指でしめしながらいった。
天儀の真剣さからかたくなりそうな場の雰囲気への気遣い。氷華なりの冗談のつもりだった。
そもそも提出した計画書が冗談のようなものだ。
天儀という男の真剣さが、氷華に彼女の人生でも稀な冗談を言わせていた。
容姿が異性を引きつける氷華だが、寡黙な態度に、ジットリとした目のせいで近寄り難い雰囲気も合わせてもっている。
顔の作りはよく、大人しく、静謐の美人などと見える氷華をデートに誘ってくる男子はいるが、氷華がジト目を向け終始黙っているだけなので3時間持たない。
同性相手なら別だが、氷華の人生で、異性に対して空気を気遣い冗談を出すなどもってのほかだった。
「氷華さんは変わってるね」
「千宮さんに、僕は物足りないようだ」
「今日はつまらなかったよね。ごめんね」
大抵この趣旨の言葉を頂き解散となる。
そして同じ男子から二度誘われたことはない。
天儀は、氷華の言葉をうけて、なるほどと微笑してから話を始めた。
「私は陛下お心を忖度するに、お望みは星間連合に完勝することだと思っております。将軍は皆それを真剣に検討すべきなのに、亡くなった衛世将軍以外誰ひとりとしてそれを計画したものはいない」
そんな事はない。と、氷華は思った。
陛下が度々内示されるので参謀本部はじめ軍関係者からかなりの数の計画書が出たはずだ。
氷華が沈思するなか天儀は続ける。
「貴女の計画書を読みました。唯一星間連合攻略する具体策を提示していました。白眉です」
この力強い言葉に、氷華は思わず
「でもあれは現実不可能です」
と、声を出していた。
氷華の言葉に、天儀は間髪入れずに、
「それでいいんです!」
と応じてきた。
氷華の天儀という男に対する思いが「自分を困惑させる色付き男」から、明確に興味へと変わった瞬間だった。
後から冷静になれば、令部内で一蹴された計画書を評価されたのが心地よかったのもあるだろう。
氷華は、この瞬間から天儀という男に明確な好感を抱いていた。
氷華が興味を持つということはそういうことだった。
実現可能かどうかを無視し、氷華の計画書を肯定した天儀。
「天儀さんは、あの星間連合の電子防御網を突破する方法を御存知と」
氷華がジト目を向け鋭く問いかけた。
計画書を肯定され、ツクヨミに関する話題を出された。
それに応じて、一歩踏み込んで考えればこういう問いになる。
氷華の計画書の内容は、実行不能な行動計画ばかりで、これは別の角度から見ればツクヨミの攻略が如何に現実的でないかを書いたものだ。
氷華としては、自分は天儀からツクヨミ攻略を真剣に考えることのできる同士と見られたと判断した。
あの計画書を見て、氷華へ希望を見出したのなら、逆に計画書は多少内容を修正したぐらいではツクヨミ攻略の足がかりにすらならないということはわかっているはずだ。
なら、天儀はツクヨミ攻略の手がかりを手にした上で、氷華へ声をかけてきた。
電子戦の専門家が、思いもよらないツクヨミ攻略手段。
これを目の前の電子戦の素人は思いついた。ありえないことではない。
専門家は得てして視野狭窄に陥りやすい。が、にわかに信じがたいのも事実。
氷華は、そこまで想像を飛ばして、問いを発していた。
だが、天儀は笑いながら
「ないですね」
と、あっさり答えた。
氷華のジト目が、少し開いた。驚きからだ。
天儀は驚く氷華に
「そもそもあそこで戦う必要がない」
と、鋭い目でいった。
盲点だった。
なるほど星間連合と戦う際に、皆議題や論点は常にあのツクヨミを突き崩すことだった。
だがすぐに星間連合軍があそこから出てこないから自分たちは苦慮しているのだと氷華は気づいた。
そんな氷華は、
「なぜ戦おうとなされるのです。両国は、一年前にも停戦ではなく、講和条約を結んでいます。講和ですよ。これは戦争が終わっていることを意味しますよね。講和条約を捨ててまで、星間戦争を再開する必要があるのでしょうか」
と、ツクヨミの問題とは別の思いを口にしていた。
考えてみれば、両国の間で、戦争をしなければいけないという雰囲気すらある大前提がおかしい。
これが、ツクヨミという問題にとらわれすぎだと感じた氷華の頭のなかに新たに浮かんだ疑念だった。
そもそも星間連合と戦う必要があるのか。
陛下のご意思というなら思いとどまっていただけばいい話だ。
「もう戦ってしまいました。戦争という火種がくすぶり続けて約百年。戦争を終わらすには戦って、お互いぶつかって白黒つけるしかない」
「なるほど天儀さんは、百年前偶発的な開戦から戦争は継続状態ととらえているわけですね」
「そうです。停戦だ、講和だのというものは表面的なものに過ぎず。問題解決にはなっていない。戦争を終わらすという問題解決には、戦うしかないと思います」
天儀のこの言葉に、氷華が沈思してから
「もう三回も戦い、また戦争しようと意気込んでいる。なるほど、これが現実。私が計画書を電子戦司令部へ提出したのも広い意味で戦争が止めようがないことの左証でもある。
グランダと星間連合は、この広い宇宙で、領域を接する形で隣り合ってしまっている。なるほどこれが地政学上の問題というやつですか。そうなると戦争は起こるべくして起こる」
と、ひとりごちるように言葉を出していた。
「もし別の方法を思いつく人がいれば、それでいいんですけどね」
「戦争を終わらすために戦う。面白いと思います」
「でしょ。時代を動かせますよ。言い換えれば私は、貴女の計画書にその力を感じたんです」
氷華は、この天儀という男から自分へ向けられる好意へ心地さを感じた。
そ天儀から褒められ、悪い気はしない。これが自分の感情だった。
自分は、興味のない相手から褒められても不快か、気にもとめないだろうと氷華は思う。
その瞬間、氷華の心は決まっていた。
電子戦司令部にいてもモノクロの世界だ。
この色付きの男の話に乗ったほうが面白そうだ。
天儀なら色彩豊かな世界を見せてくれる。氷華はそう感じた。
そんな氷華へむけ
「戦争を終わらす。これは一人では無理です。一緒にやりませんか」
そう力強くいう天儀。
だが氷華の意識は、もう別のところに移っている。
もう氷華の中では、天儀への協力は決定事項。すでに承諾しているのに、勧誘を明言されても意味不明。
氷華は、天儀の声を聞き流し
「でも中性子爆弾は」
と、思ったことを口にしていた。
天儀が笑った。
「大丈夫、電子防御陣ツクヨミとは戦いませんよ。それにあんなもの実際に使おうってやつは人間じゃない」
氷華は、安心した。
それが露骨に表情に出たのだろう。氷華の表情を見とめた天儀は、承諾を得たと理解したようだ。
天儀から氷華へ向け、親しみの情が出ている。先程までは感じなかった雰囲気。
直前より、明らかに心の距離が縮まったと氷華は感じた。
氷華は、人間の関係が縮まる瞬間を目撃していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、氷華は天儀から転属先の説明ざっと受けた。
転属先となるのは第一軍の第二戦隊旗艦陸奥ということだ。
つまり天儀は、星系軍のエリート艦隊である第一軍の将校。
近衛軍の名を冠する艦隊の第二戦隊の「戦隊司令」だったのだ。
氷華は
「自分より階級は上と承知で対等に喋ってはいましたが、随分偉い人とズケズケと言葉を交わしたものです」
と思った。
その随分偉い人の天儀が、去り際に氷華の方へ振り向き
「そう言えば」
と切り出してから
「魅力的ですよ。目。話していて見つめられるとドキドキしました」
と、いって爽やかに笑った。
氷華は、その言葉を最後まで聞けずに顔を伏せた。
おそらく耳まで真っ赤だったろう。