6-(1) 治粟殿
第二戦隊旗艦陸奥は、天京宙域のドック大光へと帰投。
陸奥乗員には、一人一人に簡単な面談が行われ、その日のうちに開放された。乗員たちは翌日から2日の休暇、それ以降は通常業務となる。
天京へ戻った天儀を待っていたのは、唐公路口事件を調査するための査問委員会。
査問委員会は、政府と朝廷、検察からの人員で組織され、査問委員会の代表は
「桑国洋」。
帝の新任篤いこの男が、天儀の査問を担当することになっていた。
そして天儀の査問が行われる場所を
「治粟殿」
という。
治粟殿は、桑国洋が帝から特別に与えられた執務用の建物。
――治粟
とは、粟を治める、といい。治粟内史という古代に王朝の財政管理を行った官職に由来する。古代の税金は労働以外では穀物。粟は五穀の一つで、この場合穀物全般を指す。つまり粟は税で、粟を治めるとは、財政を管理するという意味になる。
桑国洋は、もと財務大臣で、朝廷でも一ヶ月前までは皇室財産を管理する少府、いまは大農という財務管理の職にある。つまり財務官の庁舎を古代風にいったのが治粟殿だった。
天儀は天京へ入って2日後に、指示に従いこの治粟殿へ出頭した。
天儀は治粟殿へおもむく当日、宿舎を出ると秘書官の千宮氷華の出迎えを受けた。
この日の氷華の服装は将校用の礼装。特徴であるいつもの白衣ははおっていない。礼装の金糸が陽光を受け輝いている。
天儀にとって氷華の登場は予期せぬもの。天儀は一人で治粟殿へ行くつもりだったのだ。
いま天儀には目の前に現れ、陽光を受ける氷華の姿がまぶしい。
驚き顔の天儀に、氷華はジト目を向けて
「司令だけでは心配なので、私も一緒に行きます」
と有無を言わせない口調でつげた。
天儀が少し笑った。
氷華は、天儀の微笑を同行の許可と受け取り、天儀の横について歩き出す。
「今日は白衣を着ていないな。あれは君に似合うのに」
「あれは礼装にはあいませんから」
「そうか、なるほど失礼した。礼装は金糸で縁取った白地。白衣を着ていなくても君の黒髪がよく栄えるな」
恥ずかしげもなくいう天儀。
氷華は天儀の言葉に応じるように、少し首を振りつつ髪をなでた。
――どう綺麗でしょ
と、いうようにだ。
氷華は、天儀に秘書官でついていてわかったが、天儀は割りと物事をはっきりと口にする。特に褒めることについては思った途端に口にする。
最初は面食らっていた氷華だったが、褒められていると素直に受けることにしていた。
天儀が、氷華の仕草を見てさらに言葉を継いだ。
「君の髪の毛は陽光を受けると、深い緑に輝くのだな。綺麗だ」
氷華の顔にカッと熱さが満ちた。
――綺麗だ
この部分だけが反芻され、氷華の耳底にこだまする。
顔に熱さを感じ氷華は、思わず天儀をジト目で見たが、天儀はもう氷華を見ていなかった。
氷華の瞳に映る天儀は真っ直ぐ前を見つめ。表情に鋭さがある。
輦道のわきをゆく天儀の存在が聳立していた。氷華の胸懐からも甘さが抜け、緊張感が満ちた。
――輦道
とは、天子の車駕の通路をいう。天子の乗り物を玉輦などというので、輦道といえば天子専用道路という意味だ。
この道は基本的に帝の車以外は通ることを許されない。だが道を通れないでは、立ち往生し難儀する。そこで普段は馳せる、つまり小走りで抜けることは許された。故に輦道は、馳道ともいう。
そう二人はもう外庭の敷地内にあった。
天儀の表情から隙きが消え去ったのも、これから治粟殿で査問を強く意識してのこと。
氷華は、そんな天儀を横目でとらえつつ、天儀へ目を向けたさいに目が合えば気まずかったろうな、などと思い。さらに今日の天儀これからの予定を思うと気が気でないというのも確かだった。
治粟殿での大農卿桑国洋からの査問ですからね。事の次第のよっては天儀さんの首も飛びます。私とお話している場合でもないでしょう。
氷華はそんなことを思いながら天儀の後に続き、二人は治粟殿へと入っていったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
治粟殿へ入った天儀と氷華の二人。
天儀が受付を済ますと、天儀だけが奥の部屋へ通され、氷華が一人、その天儀の背中を見送った。
氷華は治粟殿のロビーで、一人待たされ暇を持て余すこととなった。
ロビーのソファーに小さく座った氷華。
頭を上げ室内を見渡す。
――天井は高く。装飾も豪華だ。
やることのない氷華は、ロビーの豪華な装飾を眺めながら
――考えてみれば当たり前だったわね
そうぼんやりと思った。
天儀一人では心配と思い、早起きまでして天儀を待ち伏せして同行したが、ここについてきても氷華にできることは何もない。
氷華は随分空回りしたことをやったものだと思い、こんなことは少し考えればわかることだったとも思った。
若干の自己嫌悪に襲われる氷華。
氷華は帰還後に、情報室長セシリア・フィッツジェラルドと軽く言葉をかわした折のことを思いだしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セシリアは何処で知ったのか、すでに天儀が桑国洋に査問を受けるという情報を掴んでおり、
「大農卿、つまり桑国洋様からの査問。これが最後の難関ですわ」
と、氷華へ切り出していた。
「もしこの査問で不幸を買い、司令にも罪ありとなれば司令はクビ。私達ももちろん処分されますわね」
氷華が、まさか、という目語をのせてジト目をセシリアへ向けた。
セシリアは氷華の反応が出たのか面白いのか、さらに言葉をエスカレートさせ
「いえ、ありえないとも限りませんわ。大農卿は何につけても帝が第一。天儀司令が害になると見れば容赦はなさらないでしょう」
そういうと、得意げになり語りだした。
「ところで治粟殿は外庭内にあって、美しい建物なんですのよ。壁面は古風な白壁造りで、左官とかいう芸術家が壁を塗ったらしいですわ。
で、知っていまして屋根にはグリーンの瓦が乗っていて瓦の一枚一枚にゴールドで装飾が施してあります。瓦って陶器ですのよ。破損しやすいセラミックの工芸品が外装に使用されているだなんて驚きですわね。そして内装は落ち着きのある綺羅びやかさ。建物に入って最初に目にするホールの高い天井には、曼荼羅というのでしょうか、そのような感じで緻密な絵画が描かれていて」
無表情のジト目の氷華を前に、またセシリアの長い話が始まっていた。
セシリアは時間のある時には、こうやって氷華の前に姿をあらわしては一方的に長々語っていく。
氷華がほとんど口を利かないので、セシリアが喋るしかないというのもあるにはあるが、
氷華は全く興味のないセシリアの話に、
――セシリーは普段、聞く側なんでしょうか
などと思いつつ、早々に馬耳東風。耳に入っていない。
セシリアの美しい容姿に、氷華はジト目を向け、得意気に話すサモトラケのニケの鑑賞会へと発展。
「あ、処理しそこねた後れ毛が。今日の香水は初めて嗅ぎますね、いい匂いです。セシリーが付けているとチープなヘアピンですら良い物に見えるすごい。いいチーク使ってるわね、お高いのかしら」
一人セシリア鑑賞会にコメントを添えながら時間を潰すのが常だった。
だが今日の氷華は違った。セシリアの持ってきた話題が話題だったからだ。
氷華は区切りがいいと思ったところで、強く
「どうなんでしょうか」
と、セシリアへ質問した。
突然の氷華の発言。セシリアが少し驚いたふうで問い返す。
「どうとは?」
「だからです。天儀司令も妙高や羽黒の艦長たちのように処分されないかということです」
真剣にいう氷華へ、セシリアが大げさねというように笑った。
セシリアからすれば、天儀が罪を問われることは、ほぼ間違いなくない。
なにせ唐公は
――誅殺《ちゅうさつ
されたのだ。
どう考えてもこれは唐公に罪があるということで、天儀まで処分してしまっては整合性がない。
セシリアからすれば、天儀は間違いなく帝から褒詞を下され、顕彰される。
氷華は、セシリアの笑いにムッとした。
「いえ、待ってください。そもそもセシリーが、天儀司令が心配といったのが始まりですなんですが。桑国洋からの査問が最後の難関だと、これは天儀司令の身を案じてのことではないんですか」
セシリアが、
――あら、そうだったかしら
というような顔をしてから笑った。
これで氷華は悟った。
なるほど、セシリーは女子会で話す噂話程度の意味で、天儀司令の調査委員会からの査問の件を持ってきたのですね。
悟った氷華だったが、ならなんで、さも深刻そうに話題を切り出したのかとも思い、不満を感じないでもない。だが下らない噂話を、指を立てさも重大事のように話すのは雑談の常でもある。
氷華は苛立ちを感じるのも馬鹿らしくなり、フッと息を吐いた。
だが氷華は無表情のジト目。外見からは感情の所在が極めてつかみにくい。
セシリアは、氷華の表情から感情の所在などつかめず
「帝の寵臣とお話だなんて羨ましいことですわ。私、大臣時代の大農卿とも何度かお会いしたことがあるですが、慎み深く柔和な表情のなかにも芯の強さがあって、素敵な方なんですよ」
と、喋り続けていた。
氷華などそっちのけで、気持ちよく喋り続けるセシリア。
氷華は、そんなセシリアを見て
――ま、セシリーのこの様子なら大丈夫でしょう。
と思いつつも
「セシリーは、この天儀司令への査問は形式的なもので、簡単に終わってしまうと考えている。これでいいですか」
そう問いただしていた。やはり氷華としては懸念を払拭してしまいたい。
「ですわね。でも、この査問は天儀司令が大将軍へとなる最後の試験ともいっていいですわ。そう思うと大きなことだと思いませんか」
やはり応じるセシリアには、どこか軽さがあるが、返ってきた言葉は受け方によっては、やはり査問は重要な意味を持つとも取れる。
むむ、解せません。つまりどちらなんですか。重要なのか、どうでもいいイベントなのか。と、氷華は当惑し、ついには
「私も同行します。秘書官ですから」
そう勢い込んで宣言していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
氷華は治粟殿の天井をぼんやり眺めながら、そんなことを思い出し
――今思えば浅はかだった
とも思い。そして、あの自分の宣言でセシリアが
――あらそうですの。
と、不思議な顔をしていのも思い出していた。
なるほど、今思えばあのセシリアの不思議顔も納得だ。と、氷華は思う。
なにせ天儀について来ても待つだけで、やることも、やれることもないのだから。
天井を見飽きた氷華は、次に目の前にある絵画へ視線をやったが、それもすぐに見飽きた。
氷華はいっそ携帯端末を取り出し仕事でもしてしまおうかと思ったが、こんな瀟洒な場所でそんなことをしては無作法。行儀が悪い。
天儀を待つ氷華の胸間を
――暇だ
という叫びが駆け抜けていったのだった。




