(閑話) 唐公路口事件の決着
大規模軍用ドック海明長官の千早宗介の拘束・送還で、恒星衛社はそれまで政府や朝廷から突きつけられ保留していた要求をすべて呑んでいた。
プリンス・オブ・エシュロンも社の決定に従い武装解除を受け入れた。
やはりドック海明は、恒星衛社とその部隊にとって重要な拠点であったのだ。
長官千早宗介の送還は、ドック海明が完全に軍の手に落ちたこと意味する。
恒星衛社に、プリンス・オブ・エシュロンという軍事力を背景にした反抗の芽は完全に摘まれてしまった。
唐公家の皇族指定の停止を皮切りに、国税庁が動き脱税を指摘し捜査を開始、運輸安全委員会が恒星衛社の流通網の不正を告発。
恒星衛社は、防戦一方。
極めつけは、
「特務機関」
と、呼ばれるグランダ共和国の軍警察が、プリンス・オブ・エシュロンの内部調査へ乗り出したことだった。
検察や警察ではなく、軍警察の民間軍事会社は、解釈によっては軍警察の管轄にある。
そして特務機関が動いたという事実は重い。
検察は有罪という確証を極めて強く持った場合のみ被疑者を起訴するが、特務機関は捜査に動き出す段階でそれだった。
特務機関が動いたという時点で、有罪が確定したようなものだ。
ここにドック海明の喪失が決定打となり、恒星衛社の運命は、
――社の解体
という方向で決定づけられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
唐大公の死と同時に、帝を中心としてグランダ全体が動き始めていたといえる。
恒星衛社は、グランダ全体からの袋叩き。
急速に膨張し、威勢を誇っていた恒星衛社は、国内に敵を作りすぎていた。
唐公家と恒星衛社を代表し弁護をおこなったのは、唐公の長子で
「公子伯景」。
公子伯景は、
――太子
などと呼ばれていたのだから唐公家の増長の一端は、ここでもうかがえる
太子とは、君国の長子をいう。つまり、唐公家は、采地を与えられ封土された王のように振る舞っていたのだ。
グランダ共和国に、王を封じる制度はない。跡取りを太子と公称するのは、すさまじい増長といえた。
その公子伯景は、恒星衛社の法務担当部門の長だったが、多方面からの攻勢に、打つ手なく、唐公誅殺3日後から連日行われた記者会見の最後に
「これでは死体蹴りだ。人の死につけ込むとは、君子の行うところではない。我が兄弟は、伯夷、叔斉となって山野に隠れる」
と、悲痛に叫び。帝と朝廷を公然と批判し、記者会見を終えた。
これを聞いた帝は、
――痛いところを突かれた
と心痛し、大いに恐れ憂いた。
皇帝は国家の象徴、生き神様といわずとも至尊の存在。
親政を行う国家象徴も、ひたむきに理想を目指す生真面目な内面を持ちあせていた。
そもそも帝の権力の源泉は、国民の支持。支持とは信頼である。
公子伯景の批判は、事実であり、帝は国民の信頼を失いかねいと鬱怏とした。
太師子黄が、これを諌めた。
「伯景などという豎子は、知識を鼻にかけるだけで、ものを知りません。真の君子とは、伯夷、叔斉らの二人を優先して、百億の民を見捨てないものをいうのです」
伯夷、叔斉の兄弟は、孤竹国の王子で、古代の聖人である。
二人は、紂王を悪逆だと批判した周の武王が、紂王を武力で滅ぼしたのが納得いかなかった。暴力とは、悪の最たる形の一つだ。
伯夷、叔斉は、周の武王の世をよしとせず、首陽山に入り野草と雨露で糊口を凌いでいたが、ついには餓死する。
二人は節義を全うしたという点で、称美され、今でも二人の選択は、人のあり方の一つとされる。
太師子黄は、それでも鬱々とする帝へ、さらに言葉を継いだ。
「武王は、首陽山で野草を食む者を哀れんでも、それらのために民心を損ないませんでした。伯夷と叔斉が批難した武王は、紛れもない聖王です。帝堯に吠える犬もいるのです」
子黄が最後にいった
「帝堯に吠える犬もいるのです」
とは、『跖狗吠堯』という故事による。
書き下せば、
――跖の狗、堯に吠ゆ。
これにもう少し言葉を付け加えれば、
――盗跖という盗賊の犬が、聖人である帝堯に吠えた。
こうなる。
帝堯も古代の聖人である。そんな聖人へ犬が吠えかけるのは、犬は主人以外のものに吠えるとうだけのことで意味はない。ということだ。
なるほど子黄は、
「唐公家と恒星衛社という小さな世界の利益を代弁した公子伯景が、わめくのは当然で、一々に気にするものではない」
と、いったわけだ。
そして、
――批判を恐れては何もできない
これが太師子黄の言葉の深奥にある意味。
犬に吠えられるのが失徳なのか。一々、吠える犬を気にしていては道も歩けない。
太師子黄からすれば、こういうことで、帝が伯景の言を気にするのは馬鹿馬鹿しいことだと諫言したのだ。
さらに太師子黄は、
「百億をお捨てになり、聖人二人とお戯れになるというなら、臣は冠をおき、朝服を払って辞去させて頂きます」
といって、踵を返した。
それを見た帝は立って子黄の手を取り、謝罪し礼容をしめして、その席へと戻し、二度と唐公誅殺のことで鬱怏とはしなかった。
だが、後に帝は唐公家の皇族の身分停止を解除する。
やはり帝には、唐公を暗殺したという負い目があったのだろう。
帝は、天儀が唐公に何かすると知って野放しにし、かつ唐公の死を巧みに利用したのだ。
恒星衛社の解体は是であり叡旨にそうことだったが、人の死の利用という、この事実は如何ともしがたい異臭があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
世間で恒星衛社の解体が進むと同時に、唐公路口事件の調査委員会ももうけられ、関係者全員へ聞き取り調査を行われた。
天儀も当然聞き取り調査の対象となった。
正規軍3隻、対して公子軍は11隻。宇宙航行法の規定上では通常、規模の小さい方が進路を譲る。
それに公子軍が頑ななら、正規軍が大人になって針路を回避すれば、死傷者がでるような事態にはならなかったはずだ。
つまり
「針路を譲るという選択肢もあったはずで、何故それを行わなかったのか」
そう調査員の一人から指摘されると、天儀は一言
「時を同じくすれば、また事を行わん。針路を譲るいわれはない」
と、毅然として放った。
また同じ状況になれば、自分は再び唐公を討つ。と、天儀はいい切ったのだ。
天儀の言葉の冒頭の
「時」
とは、当然時間のことで、この場合、
――タイムリープ
へ置き換えるとわかりやすい。
つまり天儀は、
「タイムリープを繰り返そうと、その回数だけ同じことする」
と、いったのだ。
かなり強烈な意思が込められた言葉で、
――後悔などない。何度でも殺してやる。
と、宣言したに近い。
一連の唐公誅殺の調査で、唐公殺害の責任を認めたのは天儀だけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
足柄京子の『古鷹発砲事故』をあわせ、唐公を誅殺及び、二度戦闘で合計12隻を降伏させ、ドッグ海明を占領。
これを陸奥単独で行ったのが天儀で、これが一連の『唐公路口事件』の全容である。
事件の結果、恒星衛社は四つに解体され、プリンス・オブ・エシュロンは解散。武器は軍へ接収された。
唐公家と会社も完全に分離され、唐公家の金融財産は帝室に吸収、これをもって軍事ビジネスから肥大した私兵集団というグランダ国内の憂慮は解決されたのだった。




