2-(1) 氷華 (上)
レンガ造りにコバルトブルーの屋根。
重厚な外観の建物を、木々がぐるりと一周。
これがグランダ共和国の電子戦司令部のおかれる庁舎だ。
外見こそ時代を感じさせるデザインだが内部はとても現代的。
この青い空にコバルトブルーの屋根がよく栄える建物なかを行き交う人々といえば、カーキ色のブレザー風の軍服に身をつつみ誰もエリートと然としていて知的だ。
そんな電子戦司令部で、その頭脳が集まる場所といえばずばり
――第一課。
第一課の広い部屋には、一番奥に課長の席が設けられ、その前にはずらりと職員たちのデスクが並んでいる。
ここにいま午前中の爽やかな日差しが差し込み、ひとりの女性を照らしていた。
彼女の名前は、
――千宮氷華。
いま彼女は陽光を受け、ウエーブのかかった長い黒髪が深緑色に輝き美しい。
外見はといえば、身長149センチにジットリとした目。
無表情に目つきは悪いが、容姿の分類は間違いなく美人。
制服とされるカーキ色のブレザーの上に白衣をはおっているのが特徴。
氷華は士官学校78期生を主席で卒業。先行は電子戦科。
はるか昔、ナポレオン時代の軍のエリートが砲兵科出身だったのに対し、多惑星間時代のエリートは仮想空間上で戦う電子戦科だ。
そんな氷華が自身デスクのディスプレイで目にしているのは、
『星間連合打倒!戦争計画案の募集!★緊急★』
というという朝廷から軍内へでている戦争計画の募集。
思わず氷華がフッと笑った。
皇帝様も、そのわがままに付き合う朝廷もお暇ですね。
なにより「星付けで緊急」というのが必死すぎで笑いを誘います。
――しかもです
毎日、毎朝、この「ほし・きんきゅう・ほし」を見せられて、見なれてしまいました。
全然もう緊急感がないのですが。
そもそもです。これだけ待ってなかなか提出がないのは攻略が無理なんですよ。
なぜ現状を理解しようとしないんでしょうか。
そう勝つのは無理。
これはグランダ軍内では、なかば常識だった。
理由か簡単、敵である星間連合の第一星系にはりめぐらされた
『ツクヨミシステム』
を打破できないからだ。
グランダ艦隊がツクヨミシステムないに入れば、瞬時にコントロールを乗っ取られ戦いどころではありません。
それなのに星間連合艦隊は、このツクヨミシステムからでてこない。これは完全に『詰み』ですよ。
向こうが攻めてくる、というなら話はべつですが、攻め入って撃破しようだなんて、ムリムリかたつむりなんですよ。
こんな電子戦科でなくともわかるようなことを、やれとは不可思議。
皇帝というのはお暇なんですかね。
やるせない苛立ちから、無表情のジト目の氷華の思考がヒートアップ。
この氷華の不機嫌には理由がある。
ことは三ヶ月前、電子戦司令部へ着任して二週間目のできごとだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日、氷華は小太りの一課の課長のデスクの前の立ち
「星間連合、第一星系電子防御陣ツクヨミ突破計画です」
と、だけ口にすると課長のデスクへデータの転送を開始。
氷華の突然の登場と言葉に驚く課長。
課長が思わずまじまじと、氷華の顔をのぞきこむ。
グランダ軍始まって以来の天才といわれる千宮氷華。
電子戦司令部かなめである一課の課長も、その扱いには慎重になっていた。
逸材の育成に失敗すれば、責任問題だけでなく軍にとって大きな損失といえる。
だが、課長にとって氷華は扱いにくい部下だった。
先ず何より愛想がない。
そして仕事は早く、疎漏はないが、与えられた仕事が終わると定時までじっとしているだけ。
最初は、
「終わりました」
と、愛想なくデータを転送してきていた。
が、一週間もたたないうちに、仕事が終わると黙って座っているだけになった。
ようはサボっているという状態だが、あまり過度に仕事を与えるとハラスメントになりかねないし、倒れられても困る。
課長は、この愛想のない美人を扱いかね、完全に持て余していた。
そもそも課長からすれば、すでに相当な量の仕事を氷華へ与えている。
それが午前中には終わってしまうのだ。これ以上仕事を与えていいのか判断しかねた。
そんな腫れ物の千宮氷華が、いま、ツクヨミがどうしたと口頭で報告しながら、自分のデスクにデータを転送してきている。
送られてきたデータの冒頭をひと目見た課長は
「ツクヨミシステムの攻略案か」
と、気色とともに口にしていた。
なるほど、グランダ軍始まって以来の天才といわれるだけある。と、課長は興奮気味にデータへ目を通す。
いま課長を驚きと喜びが支配していた。
あの不可能とされるツクヨミシステムへのアプローチ案を提出してきたのか、という思で気が高揚すらしている。
もちろん課長とて、提出された計画書が、現実の作戦でそのまま採用可能なものとは思ってもいないし、問題点は散見されるだろうという予想も込みだ。
加えて氷華はまだ若い。
そんな彼女が、完璧な計画書を提出したとは思ってもいない。
だが、現状はどんなものであろうが、ツクヨミシステムへのアプローチを計画できるというだけで評価できるという状況。
電子戦司令部としては、打つ手なしなのだ。
「ツクヨミシステムに対し、向こう十年間は打つ手なしという試算が出ていたが、君は期待通りだな」
「いえ、それほどでも」
「謙遜だな。すばらしいぞ」
課長は、そう興奮もあらわに口にし計画書に目を通していたが……
その顔が次第に苦いものになり、青くなり、ついには無表情になり、最後は渋くなって、
「多数の条約、国際協定違反、かつ実行不能な部分が散見されるが」
と、ため息をもらすのを我慢したように、計画書への感想を口にしていた。
「氷華君、国際協定違反は不味いのだが」
課長が感情を押し殺し、氷華へ気遣うように言葉を選んでいった。
「まあ、勝てば官軍と申しますし」
課長の気遣いに、にべもない氷華。
いま課長の目に映る氷華は、無表情にジト目。
課長の顔が引きつる。
この計画書には、ざっと目を通しただけで、あらゆる無理が内包されている。
兵器は消耗品だが、主力艦艇を片道切符で、自爆攻撃のように使う部分も無理がある。
課長は、その中でも目についたものの一つをたずねるように口にした。
「中性子爆弾を、グランダ軍は有していないが」
「ツクヨミシステムを破壊したいなら製造するんでしょう」
「君の計画を見ると100万発とあるが、この規模になると大規模プラントが必要だが」
「ツクヨミシステムを破壊したいなら製造ラインを作るのでしょう」
「この数となると保管場所も馬鹿にならないが」
「破壊したいなら用意するんでしょう」
他人事のようにいう氷華。
課長の疲労の色が濃くなる。
「主力艦艇120隻を敵の第一星系へ突入させるとあるが」
「ツクヨミシステムをダウンさせるには、それと同出力の演算措置をぶつけるのがもっとも効果的です」
と、氷華が応じ
「計画書にあるように」
と、続けて口頭で詳述にはいったが、課長は疲れが一気に出たような表情になっただけ。
課長は氷華の言葉を、もういい。と、遮り自分の前から下がらせたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グランダ軍電子戦科始まって以来の天才から提出されたもの計画書は、あまりに非現実的。
実効性は皆無だった。
だが、氷華からいわせれば
「不可能を可能にするのだから、非現実的なアプローチになるのは当然でしょう」
ということだった。
そうツクヨミシステムの攻略は現実無理なのだ。
無理を押してやるのだから、その内容はフィクションにならざるを得ない。
さらに氷華の考えを付け加えれば
「AI制御も伴うといってもツクヨミシステムの根幹を握るのは、人間ですから人間を沈黙させるのが一番です。そうなると残念ながら人体破壊兵器である中性子爆弾です」
こういうことで、氷華からして中性子爆弾など正気の沙汰ではない。
そう現状、ツクヨミシステムの突破はそれほどに無理難題なのだ。
課長は、そんな淡白なことを思う氷華の胸中など知らず。
――これが、グランダ軍の将来を担うかもしれない逸材なのか。
と、内心ため息をついただけだった。
今の時代、本来なら軍の頂点にあるのは電子戦科の出身者で、電子戦科出身者が軍中枢部を寡占するような状態になるだろう。
現に敵である星間連合軍の中枢は、電子戦科出身者が多い。
それに軍始まって以来の天才ともいわれる千宮氷華。
電子戦能力だけみれば課長より高い。
そう千宮氷華は期待の新人だ。
その期待の新人から作戦書が提出されたのだ。
しかも帝から再三要求され、先延ばしにしいていた星間戦争に関する計画書。
課長は否が応でも期待した。
が、喜びの絶頂から、悪い意味で驚きのどん底に叩き落された。
課長は提出された計画書の内容に、失望や期待はずれではなく
「こんなものは無理だ。やめてくれ」
という悲鳴のような衝撃を受けただけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この日以来、氷華は司令部内で浮いた存在。
業務以外で誰も氷華へ近寄ってこない日々を三ヶ月を間。
氷華はモノクロの世界の住人となっていた。
そう、あの日までは一緒に配属された同僚の男子たちから誘われ
――煩わしいぐらいだったんですが。
と、氷華は思い出す。
それがぱったりとなくなったのだ。
氷華としては、つどの誘いに面倒くさい。と、思わないこともない。
だが、ごちそうしてくれるのだから悪い話でもない。
それに、ともに電子戦科。
価値観も近いし、それなりに知性のある相手から聞かされる話も退屈を感じるほどではない。
いつの時代もで男は、女性を楽しませようと必死だ。
女性の気を引くために、極楽鳥のようにさえずり、体と羽を動かしアピールしてくる。
誘ってくる男たちから出る言葉や雰囲気を盛り上げるための演出は、正に美しい尾羽根だ。
氷華は、そんな相手に、
――必死だな
と、ジト目を向けるだけだが。
いまはすっかり誘いはない。
日々の業務を淡々とこなし定時に上がり、両親と夕食を取る毎日の繰り返し。
やってしまいました。あの計画書の提出で、私は完全に変人です。最悪です。
いわゆる「ぼっち」ですよこれは。
それは、いいんですけど退屈です。退屈で死にそうです。
そんなことを思い、今日もモノクロの世界に浸る氷華。
そんな折に、星系軍の将校の服を着た若い男が一課に現れた。
氷華は男を見た瞬間に、モノクロの風景の中に一つの色が差しような感覚が総身を突き抜け、思わずその男を目で追ってしまっていた。
――あれは、色付きね。
目で追う氷華は、そんなふうに心のなかで思う。
氷華は目で追いながら颯爽と室内を進む男に、青々とした新緑のような爽やかさを感じた。
――涼しく、森林独特の爽やかな肌心地に木々の香り。
そう、まるで気分は、真夏に木漏れ日を受けながら木々の間を行くよう。
男を目にした瞬間、氷華の退屈な世界に、光が差し込み目に映る風景に豊かな色彩が蘇っていた。
……氷華は男を目で追い続けていたのだった。