4-(9) 権道
薄暗い室内にリラクゼーションBGM、数点の観葉植物、そしてアロマの香り。
ビジネスホテルの一室ほどの広さの部屋。
だが、ここはアロマテラピーでも、ストレス対策のマインドフルネス室でもない。
――移送船の独房だ。
これらの部屋の機能は、収容者の自傷行為、自殺抑止のためだ。
この部屋で一人たたずむは、千早宗介。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第一星系の天京へ移送される千早宗介は、移送船の中で暗く沈んでいた。
移送中の宗介は、まず
「妙高、羽黒が随行していないことを深く考えるべきだった」
と悔やんだ。
丸腰でドックへ入ってきた天儀を甘く見たが、いま考えれば両艦の艦長は唐公派である。あえて離したと見るべきであった。
天儀は、唐公派の者をはなから信用していなかったのだ。
そして、客観的に見れば唐大公と昵懇な自分は、唐公派と見られてもおかしくはない。
この点に気づければ、自分はもっと確実な方法を選択したはずだ。
宗介は、唐公の死を知った瞬間に、怒りに燃え、頭に血が上り、平静さを欠いたと今にして思う。
千早宗介は唐大公と近すぎた。
宗介は、
「唐公の誅殺」
という急報を目の前にして、唐公の潔白を先ず思い、天儀の詐謀を直感していた。
千早家と唐公の家は縁戚にあり、家族ぐるみの付き合いだったのだ。
唐公が帝を害する気があれば、まずは千早家も誘われる。宗介は、そんな話は感知していなかった。
唐公の死を聞いて
――天儀は唐公をはめたな
宗介は、怒りに燃え上がった。
だが、いま宗介の心身から燃え上がった怒りが、綺麗に消えようとしていた。
――自分は、なぜ死んでいない
意識を取り戻した宗介が、先ず思ったことがこれ。
宗介には、驚きだった。自分は天儀を斬殺しようとしたのだ。
宗介は、最後に貴賓室で殴られ意識が遠のく際に
「これでもう目覚めることはない」
とすら思い。死んだ気でいたいのだ。
それが、手首の拘束の痛みで意識が戻り、房の中だった。
意識を取り戻した瞬間に、天儀を甘く見た後悔が強くよぎると同時に、宗介は自分が生きているという不思議さにとらわれていた。
それ以降、怒りと、生きている不思議が、交互に宗介を襲い。
繰り返す内に、なぜ天儀が自分を殺さなかったのかという疑問に、宗介の意識が移っていた。
だが、そんなことは宗介にとって、もうどうでもいいことだった。
それより何より、
――唐大公は、何故路を譲らなかったのか。
それだけだった。
考える内に、宗介は疲労で意識が朦朧とし、眼底から唐大公の顔が消えていた。
宗介は生かされたことには意味がある。
「これからどうするか」
そんなことを考えながら、まどろみの中に意識を沈めたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
拘束後も慍怒する千早宗介の送還に、陸奥側で立ち会ったのはセシリア。
セシリアは、その折の宗介の様子を
「目は怒りで燃えておりましたけれど、おとなしく従っておりましたわ」
そう天儀へ報告した。
これに天儀ではなく、その傍らにいた氷華がジト目を向け淡白に応じた。
「あの唐公へ対して、随分義理堅いことです」
「同感ですわ。千早宗介は優秀な軍人。あれほどの方が唐公へ肩入れするなだなんて、これが義というものなのでしょうかね」
「ほお、義心に篤いから仇を取りという行動に出たと、何にせよ私にはよくわかりませんが」
二人のやり取りに、黙って聞いていた天儀が
「違うな。千早宗介の性質は仁だ。つまり宗介は仁者だな。私は彼と話したことがあるからな。その時感じた彼の温かみは間違いなく仁という性質だ」
と、口を挟んだ。
この言葉に、驚いて顔を向けてくる二人に、天儀が言葉を継ぐ。
「仁者は、近親者に厚く詐術を憎む。彼は、私の詐術を見ぬいたから怒りに燃えたのだ。加えて詐術の対象が彼の親戚の唐公。宗介の怒りもひとしおと言うものだ。ただ唐公のことは、彼にとって実のところ二の次で、宗介は私の嘘が許せなかった。これだな」
「はあ、仁義ですか」
と、興味なさそうにいう氷華に続いて、セシリアも軽い感じで続き
「あらまあ、任侠さんみたいですわね」
と口にした。
これに天儀が、不快感で眉を上げ
「あれは無恥と浅学から仁義を詐称しているに過ぎん。あんなものと一緒にするな」
そういって不機嫌に黙り込んでしまったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
往古の仁者は、宋襄公が楚軍の渡河を待ち、陳余は李左車の進言を退けた。両者は共に滅んだが、節義を全うしその言を曲げなかった。
宗介は自身の牙城に天儀を招きながら正々堂々と、天儀の不正を指摘した。あえて策謀を設けず、相手の詐術を糾弾したのだ。立派であるといえよう。
しかし詐術の限りを尽くした漢の高祖が生き残り、その子孫は四百年も君臨したことを思えば仁者は常に敗者として時代を甘受するしかない。
仁に目がくらみ、唐公の驕慢を無視した宗介の正義は浅い。
そして、天儀が昏倒する前の千早宗介へ向けて放った
「権道」
という言葉はなにか。
これは
「過程が間違っていても結果が正しければ良しとする」
という言葉の一つである。
権 (はかりごと)――
とは、人の道に反するように見えながら、最後には最善をもたらすことである。
権を用いるのは、死に陥るような危急存亡のときであり、自らを貶損して権を行い、人を害して権を行ってはならない。
人を殺して自らが生き、人を滅ぼして自らが存続するようなことは、君子は行わない。
――公羊伝、桓公十一年
権とは物事の変に応ずる道をいうが、では権の道とは何かを、考えた時に最もわかりやすい説明がおそらくこれである。
権道という言葉の意味を求めれば、おのずと『権』は何かという定義に尽きるからだ。
なるほど、こう考えると千早宗介が激昂したのも無理はない。
天儀は、自らの行いを
「権道」
と、称したのに、唐公を滅ぼし帝を存続させ、唐公派の艦長2人を生贄にして自らを生かした。
権とは程遠く、目的のためには手段を選ばないマキャベリストそのものだ。
つまりこの瞬間だけ見れば、宗介からみれば天儀には確かに罪がある。
宗介のような人間は、正義を騙ったこの手の詐術を特に嫌う。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、天京で取り調べを受けた千早宗介は、ほどなく釈放された。
唐公との関係はないと判断されたのだ。
天儀へ斬りかかった不始末も、天儀が訴えなかったため不問となった。
いま釈放された宗介が、眩しそうに空を見上げていた。
時刻は昼過ぎ。
無実とされ開放された宗介に、午後の太陽が降り注いだ。
――身に受ける陽光とは、これほどに気持ちがいいものか
と、宗介は思い。おのれの身の自由を噛み締めた。
宗介は実家に戻るおりの移動中、軌道エレベーターのステーションでニュースを見かけた。
目にしたニュースは、どれも他愛のないものばかり。
世間は平和そのもの。唐公誅殺などなかったかのよう。事件はすでに過去の出来事となっていた。
――自分の取り調べの過程で、千早家も関与なしと見られたのか。
この平和さは、そういうことだった。
唐公の一族は大族だ。連座が発生していれば、まだ世間はその話題を引きずっているはずだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
広い敷地に、黒い瓦風の屋根。木造部分の目立つ外観。
なにより目を引くのは、和風然とした高麗門。
門から中の建物、庭園まで、私邸とは思えないほど立派な作り。
これが千早宗介の実家。
いま、宗介は、その実家の門をくぐっていた。
宗介が実家に戻ると、親戚や家人が宗介に群がった。
天儀は、宗介を「仁者」の一言で評したが、思いやりがある宗介は家族や使用人からも慕われていたのだ。
集まった千早家の面々は、宗介へしきりに天儀への恨みを口にし、襲ってしまおうというものさえ出た。
宗介若様の不遇に義憤を燃やす面々。
千早家は屋敷どころか、敷地内全体が熱気に包まれている。
――これは不味い
と、思った宗介は周囲の感情の温度が上がるほどに、自分の感情は水を打ったように静まり返るのを感じた。
家人を引き連れるように家の中を進む宗介。
宗介が目指すのは、たたみ30畳ほどの広い部屋。
宗介は、まず父である千早退助へ帰宅の挨拶をせねばならない。
――父はきっとそこにいる
と、廊下を進む宗介は自然と思う。
毎回、実家に戻ったときには、そこで最初に帰宅の挨拶をするからだ。
やはり今回も、父千早退助は、その部屋の正面に静かに座していた。
30畳の室内も宗介若様の不遇への義憤で溢れかえっていた。
そんな部屋で一人。父、退助だけが瞑想するように静かだ。
宗介は感情の荒波のなかを一人静かに進み、父千早退助に向かっていった。
「天儀は、私を捕縛することで千早家を救ってくれたのです。考えても見て下さい。私を捕縛した折に、始末しても誰が咎めたというのでしょう。私は天儀を殺そうとしたのです」
宗介は、自分は一度死んだようなものだ、とも思い言葉を続けた。
「帝に害心を抱く事は何よりも重い。我らは唐公の同類とみなされて族滅されてもおかしくなかった。それが唐公の姻戚で連座したものは一人も居ない。天儀が私を生かし、天京へとどけ、弁明の場所を与えてくれたからです」
静かに言葉を紡ぐ宗介。室内は静まり返っている。
「危難にあって静黙して座していればおのずと災いとなる。関係がこじれた場合の沈黙は、疑心と猜疑へと繋がるからです。思いを声にし、考えを述べてこそ、疑心を払い、災難を退けることができるのです。
こう考えれば、あそこで天儀が私を捕縛しなければ、父上も私も今こうしていないのは明白です。天儀には恩こそあれ、恨みなど思えましょうか」
千早退助は、ただうなずいただけだった。
宗介の言葉が終わると、もう誰も天儀への恨み言を口にしなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天儀は、千早宗介ただ一人を虜にすることで、千早家だけでなく唐公の縁者すべてを救った。
唐公家は星系一つを治めるような大家である。姻戚の数は両手でも収まらない。
天儀は、宗介の詐謀嫌う正直さを知っていたのだ。
天儀は、宗介に憎まれていることを承知で、おのれが斬りつけられることもいとわずに身をさらけ出し、宗介を捕らえた。そして天京へ送り、弁明させ、唐公と唐公の権勢だけを世の中から取り除いた。
これは宗介の剣刃に身をさらし、抱きとめるようにして彼を救ったに等しい。
――自らを貶損して人を救う。
確かに天儀には、権道といえるような深謀と遠慮があったと言えよう。




