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恋する氷華の星間戦争  作者: 遊観吟詠
破章三、四知・権道編
29/126

4-(9) 権道

 薄暗うすぐらい室内にリラクゼーションBGM、数点の観葉植物かんようしょくぶつ、そしてアロマのかおり。

 ビジネスホテルの一室ほどの広さの部屋。

 

 だが、ここはアロマテラピーでも、ストレス対策のマインドフルネス室でもない。

 

 ――移送船いそうせん独房どくぼうだ。

 

 これらの部屋の機能は、収容者の自傷行為じしょうこうい自殺抑止じさつよくしのためだ。

 

 この部屋で一人たたずむは、千早宗介ちはやそうすけ


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 第一星系の天京てんけい移送いそうされる千早宗介ちはやそうすけは、移送船の中でくらしずんでいた。

 

 移送中の宗介は、まず

 

妙高みょうこう羽黒はぐろ随行ずいこうしていないことを深く考えるべきだった」

 とやんだ。


 丸腰まるごしでドックへ入ってきた天儀てんぎを甘く見たが、いま考えれば両艦の艦長は唐公派とうこうはである。あえてはなしたと見るべきであった。

 天儀は、唐公派の者をはなから信用していなかったのだ。

 

 そして、客観的に見れば唐大公と昵懇じっこんな自分は、唐公派と見られてもおかしくはない。

 この点に気づければ、自分はもっと確実な方法を選択したはずだ。

 

 宗介は、唐公とうこうの死を知った瞬間しゅんかんに、怒りに燃え、頭に血が上り、平静へいせいさをいたと今にして思う。

 

 千早宗介は唐大公とうたいこうと近すぎた。


 宗介は、

「唐公の誅殺」

 という急報きゅうほうを目の前にして、唐公の潔白けっぱくを先ず思い、天儀の詐謀さぼう直感ちょっかんしていた。


 千早家と唐公の家は縁戚えんせきにあり、家族ぐるみの付き合いだったのだ。

 唐公がみかどを害する気があれば、まずは千早家も誘われる。宗介は、そんな話は感知していなかった。

 

 唐公の死を聞いて

 ――天儀は唐公をはめたな

 宗介は、怒りに燃え上がった。


 だが、いま宗介の心身から燃え上がった怒りが、綺麗きれいに消えようとしていた。


 ――自分は、なぜ死んでいない

 意識を取り戻した宗介が、先ず思ったことがこれ。


 宗介には、驚きだった。自分は天儀を斬殺ざんさつしようとしたのだ。

 

 宗介は、最後に貴賓室きひんしつで殴られ意識が遠のく際に

 

「これでもう目覚めることはない」

 とすら思い。死んだ気でいたいのだ。


 それが、手首の拘束こうそくの痛みで意識が戻り、ぼうの中だった。

 

 意識を取り戻した瞬間に、天儀を甘く見た後悔こうかいが強くよぎると同時に、宗介は自分が生きているという不思議さにとらわれていた。


 それ以降、怒りと、生きている不思議が、交互に宗介を襲い。

 繰り返す内に、なぜ天儀が自分を殺さなかったのかという疑問に、宗介の意識が移っていた。


 だが、そんなことは宗介にとって、もうどうでもいいことだった。

 

 それより何より、

 ――唐大公は、何故(みち)ゆずらなかったのか。

 それだけだった。

 

 考える内に、宗介は疲労で意識が朦朧もうろうとし、眼底から唐大公の顔が消えていた。


 宗介は生かされたことには意味がある。


「これからどうするか」

 そんなことを考えながら、まどろみの中に意識をしずめたのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 拘束後も慍怒うんどする千早宗介の送還に、陸奥むつ側で立ち会ったのはセシリア。

 セシリアは、その折の宗介の様子を

 

「目は怒りで燃えておりましたけれど、おとなしく従っておりましたわ」

 そう天儀へ報告した。

 

 これに天儀ではなく、その傍らにいた氷華がジト目を向け淡白に応じた。


「あの唐公へ対して、随分義理堅(ぎりがた)いことです」


「同感ですわ。千早宗介は優秀な軍人。あれほどの方が唐公へ肩入れするなだなんて、これが義というものなのでしょうかね」


「ほお、義心ぎしんあついから仇を取りという行動に出たと、何にせよ私にはよくわかりませんが」


 二人のやり取りに、黙って聞いていた天儀が


「違うな。千早宗介の性質はじんだ。つまり宗介は仁者じんしゃだな。私は彼と話したことがあるからな。その時感じた彼の温かみは間違いなく仁という性質だ」

 と、口を挟んだ。


 この言葉に、驚いて顔を向けてくる二人に、天儀が言葉を継ぐ。


仁者じんしゃは、近親者きんしんしゃあつ詐術さじゅつにくむ。彼は、私の詐術を見ぬいたから怒りに燃えたのだ。加えて詐術の対象が彼の親戚の唐公。宗介の怒りもひとしおと言うものだ。ただ唐公のことは、彼にとって実のところ二の次で、宗介は私のうそが許せなかった。これだな」


「はあ、仁義じんぎですか」

 と、興味なさそうにいう氷華に続いて、セシリアも軽い感じで続き


「あらまあ、任侠にんきょうさんみたいですわね」

 と口にした。


 これに天儀が、不快感ふかいかんで眉を上げ

 

「あれは無恥むち浅学せんがくから仁義を詐称しているに過ぎん。あんなものと一緒にするな」

 そういって不機嫌ふきげんに黙り込んでしまったのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 往古おうこの仁者は、宋襄公そうのじょうこう楚軍そぐん渡河とかを待ち、陳余ちんよ李左車りさしゃの進言を退けた。両者は共にほろんだが、節義せつぎまっとうしそのげんげなかった。

 

 宗介は自身の牙城がじょうに天儀を招きながら正々堂々と、天儀の不正を指摘した。あえて策謀を設けず、相手の詐術を糾弾きゅうだんしたのだ。立派であるといえよう。

 

 しかし詐術の限りを尽くしたかん高祖こうそが生き残り、その子孫は四百年も君臨くんりんしたことを思えば仁者は常に敗者として時代を甘受かんじゅするしかない。

 

 仁に目がくらみ、唐公の驕慢きょうまんを無視した宗介の正義は浅い。


 そして、天儀が昏倒こんとうする前の千早宗介へ向けて放った

権道けんどう

 という言葉はなにか。


 これは

過程かていが間違っていても結果が正しければしとする」

 という言葉の一つである。


権 (はかりごと)――

 とは、人の道にはんするように見えながら、最後には最善さいぜんをもたらすことである。

 権を用いるのは、死におちいるような危急存亡ききゅそんぼうのときであり、みずらを貶損へんそんして権を行い、人を害して権を行ってはならない。

 人を殺して自らが生き、人を滅ぼして自らが存続そんぞくするようなことは、君子くんしは行わない。

――公羊伝くようでん桓公かんこう十一年


 権とは物事のへんずる道をいうが、では権の道とは何かを、考えた時に最もわかりやすい説明がおそらくこれである。

 権道という言葉の意味を求めれば、おのずと『権』は何かという定義に尽きるからだ。


 なるほど、こう考えると千早宗介が激昂げきこうしたのも無理はない。


 天儀は、自らの行いを

 

権道けんどう

 と、称したのに、唐公を滅ぼしみかどを存続させ、唐公派の艦長2人を生贄いけにえにして自らを生かした。

 

 権とは程遠く、目的のためには手段を選ばないマキャベリストそのものだ。


 つまりこの瞬間だけ見れば、宗介からみれば天儀には確かに罪がある。

 宗介のような人間は、正義をかたったこの手の詐術を特に嫌う。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その後、天京てんけいで取り調べを受けた千早宗介は、ほどなく釈放された。

 唐公との関係はないと判断されたのだ。

 天儀てんぎりかかった不始末も、天儀が訴えなかったため不問となった。


 いま釈放された宗介が、まぶしそうに空を見上げていた。

 時刻は昼過ぎ。

 無実とされ開放された宗介に、午後の太陽が降り注いだ。


 ――身に受ける陽光ようこうとは、これほどに気持ちがいいものか

 と、宗介は思い。おのれの身の自由をめた。


 宗介は実家に戻るおりの移動中、軌道エレベーターのステーションでニュースを見かけた。


 目にしたニュースは、どれも他愛のないものばかり。

 世間は平和そのもの。唐公誅殺などなかったかのよう。事件はすでに過去の出来事となっていた。


 ――自分の取り調べの過程で、千早家も関与なしと見られたのか。

 この平和さは、そういうことだった。


 唐公の一族は大族だ。連座が発生していれば、まだ世間はその話題を引きずっているはずだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 広い敷地しきちに、黒い瓦風かわらふうの屋根。木造もくぞう部分の目立つ外観。

 なにより目を引くのは、和風然わふうぜんとした高麗門こうらいもん

 門から中の建物、庭園まで、私邸していとは思えないほど立派な作り。

 これが千早宗介ちはやそうすけの実家。


 いま、宗介は、その実家の門をくぐっていた。


 宗介が実家に戻ると、親戚や家人かじんが宗介に群がった。

 

 天儀は、宗介を「仁者じんしゃ」の一言で評したが、思いやりがある宗介は家族や使用人からも慕われていたのだ。

 

 集まった千早家の面々は、宗介へしきりに天儀へのうらみを口にし、おそってしまおうというものさえ出た。

 

 宗介若様そうすけわかさま不遇ふぐう義憤ぎふんを燃やす面々。

 千早家は屋敷どころか、敷地内全体が熱気ねっきつつまれている。

 

 ――これは不味い

 と、思った宗介は周囲の感情の温度が上がるほどに、自分の感情は水を打ったように静まり返るのを感じた。

 

 家人を引き連れるように家の中を進む宗介。

 宗介が目指すのは、たたみ30じょうほどの広い部屋。

 

 宗介は、まず父である千早退助ちはやたいすけへ帰宅の挨拶をせねばならない。

 

 ――父はきっとそこにいる

 と、廊下を進む宗介は自然と思う。

 毎回、実家に戻ったときには、そこで最初に帰宅の挨拶をするからだ。

 

 やはり今回も、父千早退助は、その部屋の正面に静かに座していた。


 30じょうの室内も宗介若様の不遇への義憤ぎふんで溢れかえっていた。

 そんな部屋で一人。父、退助だけが瞑想めいそうするように静かだ。

 

 宗介は感情の荒波あらなみのなかを一人静かに進み、父千早退助に向かっていった。

 

天儀てんぎは、私を捕縛ほばくすることで千早家を救ってくれたのです。考えても見て下さい。私を捕縛した折に、始末しまつしても誰がとがめたというのでしょう。私は天儀を殺そうとしたのです」


 宗介は、自分は一度死んだようなものだ、とも思い言葉を続けた。


みかど害心がいしんいだく事は何よりも重い。我らは唐公の同類とみなされて族滅されてもおかしくなかった。それが唐公の姻戚いんせき連座れんざしたものは一人も居ない。天儀が私を生かし、天京てんけいへとどけ、弁明の場所を与えてくれたからです」


 静かに言葉を紡ぐ宗介。室内は静まり返っている。


危難きなんにあって静黙せいもくしてしていればおのずとわざわいとなる。関係がこじれた場合の沈黙ちんもくは、疑心ぎしん猜疑さいぎへとつながるからです。思いを声にし、考えを述べてこそ、疑心を払い、災難を退けることができるのです。

 こう考えれば、あそこで天儀が私を捕縛しなければ、父上も私も今こうしていないのは明白です。天儀には恩こそあれ、恨みなど思えましょうか」

 

 千早退助は、ただうなずいただけだった。

 宗介の言葉が終わると、もう誰も天儀への恨み言を口にしなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 天儀は、千早宗介ただ一人を虜にすることで、千早家だけでなく唐公の縁者えんじゃすべてを救った。

 

 唐公家とうこうけは星系一つを治めるような大家である。姻戚いんせきの数は両手でも収まらない。

 

 天儀は、宗介の詐謀さぼう嫌う正直さを知っていたのだ。


 天儀は、宗介ににくまれていることを承知で、おのれがりつけられることもいとわずに身をさらけ出し、宗介を捕らえた。そして天京へ送り、弁明させ、唐公と唐公の権勢だけを世の中から取り除いた。

 

 これは宗介の剣刃けんじんに身をさらし、抱きとめるようにして彼を救ったに等しい。


 ――自らを貶損へんそんして人を救う。

 確かに天儀には、権道けんどうといえるような深謀しんぼう遠慮えんりょがあったと言えよう。

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