3-(6) 逆心、唐大公
陸奥と随伴艦2隻は、予定通り時間に三七航路入り、唐公の恒星衛社の艦隊が目の前に迫っていた。
このまま、あと49分も進めば、衝突事故が起きかねないという状況になって、公子軍側の旗艦から陸奥へ通信が入った。
「司令、恒星衛社艦隊が進路を曲げて航路を譲るように要求してきています」
通信オペレーターが内容を報告すると、天儀は、
「黙殺しろ」
と静かにいった。
いま、唐公は陥穽へと、足を踏み込もうとしていた。
さらに20分後、公子軍側から陸奥へと再度警告が発せられた。
天儀は、やはり黙殺した。
10分後、公子軍の旗艦からのホットライン。
通信オペレーターが
「恒星衛社艦隊から再度通信」
といってから、驚き
「唐公、本人からの通信です」
そう天儀の顔を確認するようにつげた。
通信オペレーターからして、これを無視すると不味い、という思いからだ。
それに、このまま行くと、本当に衝突事故になる。
とっくに、もうお互いの艦影を視認できる距離。窓から顔が覗けば、表情を確認できかねないとはいいすぎだが、それほどに両艦隊は近い。
ぶつけて難癖をつける、もしくは強引にこのまま進んで避けさせるとは、あまりいい手法には思えない。
――司令は、どうなさるのか
という空気が、ブリッジ内に満ちるなか、天儀が、すっと右手を肩の高さまで上げた。
通信の許可だ。
ブリッジ内に一先ず安心という空気が漂うが、そんな空気も直後に張り詰めることとなる。
天儀が通信を許可すると、すぐにブリッジの中央に、恰幅のいい中年の男の上半身の立体画像が映し出されたからだ。
――唐公だ。
と、ブリッジ内は緊迫した空気となり、皆息を呑んだ。
映し出された唐公が、不快感をあらわにしながら
「第二戦隊司令官に、余みずらか告ぐ。貴官の戦隊は我が艦隊の進路を妨害している。進路を譲られよ」
と、言葉を放つと、天儀は
「お断りします。公が譲られるべきです」
そうあっさり、かつ静かに応じた。
唐公側のブリッジにも天儀の映像が映し出されている。
いま、唐公の目に映る天儀は、動じず涼しげですらある。
唐公は威をもって放った言葉を、受け流された上に、
「拒否」
という想像外の返答に、苛立ちをあらわして再度言葉を放った。
「余の軍は、正規軍の二軍に等しく、その長は余である。それを戦隊司令ごときが遮るのか」
恫喝である。
陸奥ブリッジに唐公の怒気とともに放たれた言葉が突き抜けていった。
言葉も態度も高圧的。唐公の体貌から驕り溢れ、いまの唐公は、顔に怒りの色すらにじませ威圧し、その容貌から尊大さを放っている。
天儀が、それを見て、ほのかに笑った。
唐公は天儀の態度に、はっ、と強く苛立ちを込めた息を吐き
「余の顔を知らぬと見える。司令官は、そちは名をなんという」
そう見下げていった。
唐公からして、天儀の見せた表情は、明らかな挑発。
――乗るものではない。
と、思い。
――立場の違いを思い知らせてやる
そう思い直し、お前は余を知っているだろうが、余はお前など見たことも聞いたこともないと、威圧した。
だが当然、苛立ちを覚えている時点で挑発に乗っている。唐公は、そこのところまでは考えは及ばない。
「天儀です。昔は周公の下におり、今は君恩にすがって生を繋いでいる者です」
「余は皇族である。帝を遵奉するそちの態度は殊勝。だが、余は皇族で、唐公家とは、帝の最も頼む藩屏でもある。余の顔、知らぬわけではあるまい」
唐公は、帝、皇族である唐公、一軍人の天儀。と、いう形で並べ序列をいったのだ。
――帝を至上とするなら、皇族はその威光の直下にある。
というのが、血を尊ぶ唐公の考え方。
これは、この世で唐公を阻むものは、唯一帝のみといいかえてもいい。
朝廷の顕貴、近衛の名を冠する第一艦隊など、帝と皇族の関係に比べれば薄い。
だが、天儀は
「私は軍籍にあり、すでに命を受けております。間にさしはさむものはございません。公におかれましては、よくこの程を理解すべきではないでしょうか」
といい、帝と自分の間から唐公を排除して応じた。
「そちは、余の顔を知らんようだな。余は、安帝の子である公子恒の血胤ぞ」
唐公が威を一層強くし、慍色をあらわにいい、続けてカッと目を見開き
「つまり、態度をあらため路を譲れ、下郎」
と、一喝した。
唐公の震怒で、陸奥ブリッジが揺れ、唐公の声が乗員たちの身にびりびりと響いた。
陸奥ブリッジが、いや戦艦陸奥全体が、唐公の威圧で満たされていく。
唐公は、帝の血縁者、目や眉、口元など、その容貌もどこか帝に似ている。
ブリッジ内の乗員たちは、
――帝もお怒りになれば、これほどに恐ろしいのかもしれない
と、思い。
唐公が投影される立体映像を、息を呑み、青い顔で見ていた。
氷華は無表情のジト目だが、指一本動かせない。
セシリアは不敵に笑みを見せているが、やはり顔は青い。
だが、天儀は涼しく
「はぁ、お顔ですか。日角は見えませんが」
と、応じると、唐公の顔を、よく確認するようにしてのぞき込んだ。
唐公が、再三に顔、顔と繰り返し、やっと天儀が、その顔というワードに反応した。
だが、言葉も仕草も挑発的だった。
天儀の定義では、あくまで自分に命令できるのは、帝の権威を法律上で正当に帯びた者だけ、つまり軍の上官のみ、他にここに加えうるものは、首相と防衛大臣ぐらい。天儀としては、唐公の指示に従ういわれはない。
なお日角とは、面相の一つをいう。天子とたるような人物には、この日角といわれる相がでる。額に円のようなものが見えるともいうが、実際にどういうものかはわからない。
つまり天儀は、
「お前は、とても天子となるような顔はしていない」
と、婉曲にいったのだ。
これに唐公が、ためていた慍怒を爆発させ
「退かぬか」
と、怒声を上げた。
唐公には、教養はあった。恐らく双方のブリッジで、日角の意味を理解したのは唐公だけだろう。
他のものは、天儀の小馬鹿にした態度に、唐公が慍怒を音として吐き出したと思った。
天儀は、困ったような顔をして
「無理です」
と、応じながらひたいに指を当て、首を振った。
これが、作戦開始の合図。
陸奥ブリッジ内に、温度が戻り乗員たちの目に鋭さが蘇っていた。
乗員たちは、唐公の威に、萎縮を覚えていたが、自分たちの司令天儀はどうか。
落ち着き払い、泰然自若、いや涼しげですらある。
ここで、天儀が自分たちと同じように怯えていたら、自分たちは惨めだったろう。
ブリッジ内の面々は、天儀一人を盾に、自分たちの面目も保たれたという思いだった。
そんな乗員たちからして、唐公の威を前に敢然と立つ天儀の心中は、計り知れないが、
――この人を助けなければ
と、陸奥ブリッジ内が動き出していた。
電子戦指揮官・千宮氷華の姿もすでに天儀の横にない。
ブリッジの一角にある電子戦指揮所に入ったのだ。
入ったといっても特に壁で隔てられているわけではないので、氷華は座席についてからも、時折、顔をあげては天儀の存在を確認していた。
皆、息を呑んで事態を見守る。
――天儀が、唐公をどのように挑発するかは誰も知らない。
はたから見れば、すでに怒り心頭といった唐公だが、まだ両者は、退け、退かないの押し問答をしているだけ、決定的に三法のどれをも犯していない。
三法とは、刑法、民法、そして軍律。
当然民法を犯して刑罰は与えられないので、この場合天儀が狙うのは、刑法もしくは軍律違反。
唐公に一線を越せさせるために、天儀はどうするのか、陸奥ブリッジは水を打ったように静まり返り、天儀と唐公のやりとりを注視していた。
唐公は、天儀がひたいに指を当てた動作に、自分を小馬鹿にしている含みを感じ
「これは命令であるぞ。退け」
と、再度たまりかねて声を荒げた。
――来た。
陸奥ブリッジに、そんな緊張が駆け抜ける。
この様子を電子戦指揮所から眺めていた氷華は、あの唐大公が、天儀の術中に落ちる瞬間を見て背に寒さを覚えた。
この多惑星間時代に、実質惑星一個を支配し、その戦力は2個軍に等しいといわれる唐公を舌先一つではめた。
氷華が見るに、おそらく唐公は、気骨のある正規軍ではあるが、自ら直接言えば恐れて針路をゆずると軽く考えていたのだろう。
しかし、思うように行かない唐公は苛立ち、苛立ちが怒りとなって表に出た。
怒りは、大をつけて呼ばれる唐公の傲慢。傲りから相手を見下しているからこその怒りだった。
天儀は、唐公を傲然、侈傲といったが、確かにそこに陥穽はあった。
天儀が怒りもあらわな唐公へ鋭く応じる。
「なるほど公は、命というものをご存じない。君が命令を定めることを義と言い、臣が君命を奉ずることを信と言うのです。一義に二信なしというのはこのことです。私はすでに君命を受けているのに、公が私に命を下すのか。わきまえられよ」
言葉を放った天儀は、凄まじい気迫を伴っている。
唐公が画面越しに、天儀に気圧された。
天儀は押される唐公へ
「あなたは天子ではなく、私は王師をお預かりしているのだ。ご自重されたらどうか」
と、さらに吼えた。
唐公の内に不快が広がり、その顔にも苦味が広がった。
堂々と言い切った天儀。
陸奥のブリッジが、緊迫した空気におおわれる。
いま、天儀は、帝も首相もはばかる唐大公を面罵したのだ。
唐公とてこれまで屈辱を味わうことなく育ったということはないだろうが、公の場でここまで面と向かって否定されたのは初めてのはずだ。
証拠に唐公の顔は赤黒く、怒りはひと目で分かるような状態にある。
状況を見守る陸奥ブリッジ乗員たちには、唐公が屈辱と抑えがたい怒りに、打ち震えているのがよくわかった。
そして天儀は、王師といったが、天儀が率いている兵の数は、広く過去現在に照らし合わせても師という単位には全く当たらない。
これは別の意味があり、あえて王師といった考えるべきである。
ここには第二戦隊の3隻以外は、公子軍と呼ばれる民間軍事会社の11隻しかいない。
天儀は暗に
――王軍を率いて、お前を討伐しに来た
と、ほのめかしたのだ。
しかし、怒り狂う唐公には、そんな言葉遊びに気づかない。
が、次の瞬間、怒りに震えていた唐公が、突如嘲笑するような顔となって
「貴艦に随伴する二艦は、余に従うようだぞ」
と、余裕を見せた。
第二戦隊を構成する三艦の内の巡洋艦2隻、妙高と羽黒が左右に別れるように動き出したのだ。
唐公の余裕を見れば、おそらく二艦から唐公への投降の信号も出ているのだろう。
妙高、羽黒は、唐公の座する旗艦の左右に寄り添うように動いていく。
唐公の余裕を見た天儀が、確認するように言葉を発した。
「なるほど、あくまで押し通ると言うのですね」
唐公が、これをうけて
「何を今更。踏み潰されたくなければ退け」
と、一喝した。
唐公が一線を越えた瞬間だった。
さらに唐公は、払いのけるようなしぐさで続けていう。
「邪魔だてするなら。砲火のちりにしてくれるわ。帝には余が直接ことの有り様を申し上げよう」
これを認めた天儀が、瞬間手を上げ
「唐公に逆心あり、反逆である。今より第二戦隊は唐公を討つ。君命は我らにあり、討ち取って褒詞とせよ」
と、宣言した。
天儀の言葉とともに、妙高と羽黒の主砲が火を吹いた。
航路を、譲る、譲らないどころではない。戦闘が勃発した。
天儀の近くで電子戦の指揮をしている氷華は、生きた心地がしなかったが、不思議とわくわくもした。
陸奥のブリッジ乗員も似たような心境なのだろう。緊張感の中にもどこか楽しげなものがブリッジには漂っていた。