3-(5) 咀嚼四十九回
定日、陸奥はドック大光を三七航路へ向けて進発。
天儀は出航の直前に乗員に向け
「第二星系のドック海明へ向け、巡航任務を行う。これは勅命任務である。各員は心して役に励め」
今回の任務だけを口にし、唐公や恒星衛社に関することは一切匂わせなかった。
陸奥はドック大光を滑るように出航。
流線形ボディを輝かせ噴射口の軌跡を残しつつ、真っ黒な宇宙へと吸い込まれていく。
向かうは、第二星系の海明星の高軌道上にあるドック海明。
第二戦隊は、旗艦陸奥以下、妙高、羽黒の3艦。
対して唐公の艦隊は、唐公の座乗する戦艦1隻と、巡洋艦2隻、駆逐艦8隻の11隻。
この唐公の11隻の針路を、第二戦隊の3隻で遮る。この一挙に向けて、陸奥ブリッジ内には重さはなく、程よい緊張があった。
ブリッジのクルーの表情は、清々しさえあり、気力に満ちている。
千宮氷華は、このブリッジの雰囲気を見て
――これが、士気が高いという状態をいうでしょうか。
と、思いながら天儀の横に収まっていた。
第二戦隊電子指揮官及び秘書官。これが、いまの氷華の立場。
天儀が、戦隊司令としてブリッジ中央で、堂々としているように、氷華も天儀の横で、ここが自分の位置だと無表情のジト目で不動としていた。
氷華はブリッジ内を眺めつつ、皆さん来る唐公の艦隊との対面の瞬間を、待望すらしていますね。と、心の中で思ってから
「公子軍11隻が、航行計画書の予定通りに三七路へ侵入。彼我の進路を見ますに、このまま進めば定刻に唐公の艦隊と遭遇します」
と、天儀へ現状報告をおこなった。
このまま進めば、本当に唐公の11隻と鉢合わせする。
本当にやるのだろうかと、氷華は思い天儀へジト目を向けた。
氷華の目に映る天儀は、表情に起立したものがあり、粛然としたものが漂っている。
今の氷華は、天儀の横に立っている。二人の距離は袖が触れ合わんばかりだ。
それなのに、氷華が、天儀へ受ける印象は
――遠くもなく、近くもない。
というもので、天儀の存在が一つブリッジに崛起していた。
すぐ横に立っているのに、不思議な感覚だった。
今の天儀は、近寄りがたいとも違うし、唐公との対決を前に、気力がみなぎっているのとも違うと、氷華は思う。
遠さを感じるというわけではないが、こんなに間近にいるのに、近さを感じないのだ。
――天儀の立つ領域に、存在そのものに、侵入しがたいものがある。
と、氷華は思いつき、「なるほどこれだ」と、納得した。
天儀は心身を頑なにしているわけではないが、気安く触れれば穢してしまいそうで、触れる側が少し気を使うといった感じ。
――なるほど、天儀司令も、大事を前に緊張なさっていると。
氷華が、天儀の粛然とした姿から、その心中を推量するなか、天儀は
「定刻通りか。さすがだな」
と、氷華の報告に応じた。
報告に天儀は、
――唐公は死地へ入った。
そう静かに思った。
いや、一歩踏み入れた感じか、とも天儀は思う。
三七路へ入っただけでは、唐公の運命はまだわからない。
天儀が、唐公へ向けた無言の殺意は、真っ直ぐ直情的だ。唐公を絡め取るような、何重にも仕掛けられた、というたぐいのものではない。
剣把に手をかけ対峙するなか、目の前に罠を投げ置いたに近い。
少し気を払えば、回避するのは簡単だ。
――罠は目の前に一つ、それも見えるように。
埋伏したわけでもなく、進退を塞いでいるわけでもない。ただ歩を進めなければいい。
いや、罠に注意し上げた足の下ろす場所を少しずらせば、進むことすら可能だ。
そう天儀が氷華やセシリアたち30名と用意した密謀が発動するかは唐公次第。
氷華は沈思し静かにブリッジに立つ天儀へ
「今ならまだ公子軍は、こちらが三七路へ侵入したことに認知していないでしょう」
と、天儀の表情をジト目の端でとらえながらいった。
氷華は、暗に今なら唐公へと放つ密謀をなかったことにできるとにおわせたのだ。
だが、天儀は
「いまの唐公は、時間にうるさい。必ず定刻に所定の場所を通るだろう。我々もそこを押し通る」
と、宣言した。
計画の変更はないということだ。
そしてこの言葉は、少し太い声で、ブリッジに響いていた。
いまブリッジにいるのは、天儀と策謀を立てた30名だけ。
そんなブリッジの乗員たちが、背中に天儀の決意の言葉を受け、緊張とともに充実した気迫をみなぎらせた。
乗員たちからして、
「今更なし」
などという話はない。
それにもう計画していしまったのだ。陸奥内部のデータ上で極秘扱いとはいえ、すでにデータ上にあるものを闇に葬る事は難しい。
今更、電子戦作戦を破棄しようと、データの痕跡は残り、それを根拠に糾弾されるなか、知らぬ存ぜぬを押し通す形となるだろう。
陸奥のメインシステムを破壊するぐらいしないと、完全に痕跡を消せない。
「仮に今取りやめて、後から謀議が露見すれば問題」
これが集められた30名の一致した考え。
天儀へ確認の言葉を口にした氷華も含めてだ。
後に引けないから、行動に移るというわけではないが、いま引くのは誰から見ても明らかに得策ではなかった。
それに天儀は、作戦作成のはじめに
「不測の事態を想定した作戦を作る」
と、いい今回の計画を切り出したが、これはいい方に気を回し、30名のやる気を誘ったのだ。
明らかに公子軍を敵視しておいて、堂々と不測の事態とうそぶく。
恒星衛社を嫌うものたちからすれば痛快ですらある。
あの時点で30名は、天儀の計画へ
「乗った」
のだ。
作戦遂行が、難しくなるような事故にでもあわない限り、計画の中止はない。
これが、天儀の集めた30名の思いだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天儀のいった
――唐公は、時間にうるさい。
これは有名な話で、自身の行動から他人への要求まで、唐公は時間厳守。
多忙な唐公のスケジュールは、分単位だが、起床から就寝まで、それを過不足なくこなしていく。
社交で賓客と食事をともにすることも多い唐公だが、何を食しても時間通りに終える。
そんな唐公の姿を見て、ある人が、
「大公の食事の早さは、噛む回数を決めているに違いない。さすれば何を食べようが時間通りだ。回数はきっと49回ですな」
といった。
咀嚼が49回で食事を終えるなどということはありえない。仮に真実なら唐公の腹の調子は年中悪いだろう。
――咀嚼、四十九回。
これを聞いて、周囲のものは笑った。
時間にうるさい唐公は気も短い。
この少ない回数は、周囲からして唐公の性格をよく表していた。
そして、なにより唐公は、そういわれ悪い気を見せなかったという。
――四十九
は、帝が践祚した岐陽台の階段の段数だったからだ。
「咀嚼、四十九回の内に食事を終える」
これをいったものは、唐公はいずれ帝の位へ昇ると、冗談を言うついでに、おべっかを使ったのだ。
天儀は、この話を聞いた折に、いったものが諂笑しながら阿諛する様が、まざまざと思い浮かび、不快に思い。心に静かに慍怒を思った。
諂笑は、へつらい笑う様で、阿諛とはおべっかだ。慍とは、いきどおり。つまり慍怒とは、憤り怒ったということだ。
天儀の怒りは、帝への義憤というより、驕り高ぶるものへの嫌悪だった。
いま唐公へ策謀を向ける天儀だったが、天儀は邪魔だからどけ、害があるから除くに過ぎない。唐公への特別な感情はない。特にいえば興味がないというのが、最も近い唐公への感情。
だが、人は、どこで恨みを買うかわからない。
仮に天儀が唐公へ、悪感情をもっているならこの冗談がきっかけだった。
唐公は、「咀嚼、四九回の内に食事を終える」という阿諛を喜んだために刺されるとは、夢にも思わなかったろう。
天儀をして、唐公は傲然にして侈傲。
驕りを隙きと見れば、唐公は隙きが多く、隙きを隠そうともしないということだ。
――人は勝てば驕り、驕れば敗れる。
こう思えば、天儀は唐公に敗亡しか予感しなかったのであった。
天儀は、唐公が三七航路へ足を踏み入れた様を見て、運命を感じていたが、唐公の時間に正確すぎるという性癖が陥穽への一歩としか見えない。
天儀の策謀を発動するには、三七路内で、お互いが鉢合わせする必要がある。
三七路に入ろうと、唐公が時間にルーズなら、天儀は、唐公の艦隊へ第二戦隊をぶつけ進路妨害をするのは難しくなる。
唐公の、この時間にうるさいという性格が、今回に限っては唐公を死地へいざなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんなことを思った天儀が、横にひかえる氷華へ目を落とした。
氷華は小さく、この位置関係だと見下ろす形となり、天儀から氷華のつむじがみえた。
天儀は、ふっと口元へ笑みを見せてから
「知っているか。唐公は、咀嚼四九回で食事を終えるというぞ」
と、氷華へことばをかけた。
氷華が、天儀をちらりと見た。
――どう思うかと問われたのだろうか
そう氷華は思った。
氷華からして、四九回はあまりに少ない。これで食事が終わるなら唐公は食が細いわね、などと先ず思ったが、もう少し気の利いたことをいいたい。
氷華は、くだらない話ですが、と前置きしてから
「私からすれば、四九とは不吉です。四から死を、九から苦しみを連想しますね」
と、無表情のジト目で応じた。
これなら気が利いているだろうと、氷華は思いつつも、知恵を絞っただけに少し気恥ずかしくもある。
口にする際に、上手いことをいったというような様子が、でてしまっていれば恥ずかしい。
氷華は、天儀の反応をジト目でうかがいつつ待った。
「なるほど、出生地の文化ルーツによって、音から様々な吉凶を思うが、氷華にとって四十九は不吉か」
天儀がそういって笑い
「私も、その数字に同じ感覚を持つな」
と、継いでいた。
思わぬ事実に、氷華はジト目に心が浮き立ったような色を出し、天儀を見た。
天儀は黒目黒髪、氷華も同じだ。顔の作りも、なんとなく似た雰囲気は持つ。
氷華からして、天儀と自分は血統的なルーツを同じくしているか、ルーツは近い所にあるのだろうと前々から思ってはいた。
正確なルーツなど不明だが、ブロンドで青い瞳のセシリアなどと比べれば、天儀と氷華は明らかに近い。
ここでさら文化や俗習的な解釈も天儀と同じと思うと、面白い。
この面白いとは、喜びだ。
やはり天儀と、自分は近いのだ。という喜び。
だが、氷華がそんな浮ついた思いを持つなか天儀が無情に一言
「だが、七と七をかけて四九。七福神が七組で、四九は、まことに縁起がいいではないか。そして岐陽台の階段の段数も四十九段だ。」
台無しだった。
氷華のジト目が、苦味を通りし白けた。
氷華は、天儀へ対してより親しい価値観の共有という親近感を想ったが、天儀に氷華が感じたような共感はないのだ。
「一人、舞い上がり虚しい」
これがいまの氷華の心境。
だが白けてしまいむしろ天儀の言葉に応じやすくすらあり
「岐陽台の階段の数に、そんな意味が」
と、何事もなかったように応じた。
ただ一応、氷華は全く興味がないという色はジト目に混ぜておいた。
「いや、全く知らん」
だが、天儀からの応じは、軽薄だった。
氷華は内心ムッとした。
じゃあ聞くなというというものだ。今は重要な任務中なのだくだらない私語は控えて欲しい。それに自分の浮ついた心をどうしてくれるのだ。最低だ。
いまの氷華には、勤務中の合間に話される会話など、そのような他愛もない話題のものばかりというようなことは念頭の外だ。
氷華に不満が押し寄せジト目に険悪なものがただよう。
天儀は、そんな氷華の不機嫌に苦笑し、すまん、そんなに怒るなと、謝罪の雰囲気を出しつつ
「何故四十九段なのか、朝廷の偉いに人にでも聞くしかないな。きっと意味はある」
と、結論を口にしていた。
それでも氷華は、口を尖らせる用にして不満を露わにしておく。今後もこんな下らないやりとりはうっとうしい。
もう少し自分へ対して心を砕くようにという要求だった。
だが、天儀はそんな氷華を黙殺。
「その偉い人が、もう目の前だ」
天儀が、あごをしゃくるようにしていうと、体貌から青白さを放った。
目が爛々としている。
氷華は先程までの甘さを伴った不満など吹き飛び、天儀の様相に呑まれ、ごくりと生唾を飲み、緊張感をもってモニターへ目をやった。
第二戦隊へ、唐公と、その艦隊が近づいていた。