(閑話) 周公と鳩
天儀は平林に周公恩が演説に来た折に、その言葉に感銘を受けて民進党軍に参加した。
天儀は党員となった初日、周公恩を見つけてその後をつけた。
天儀と周公恩が今いるのは、もと区役所だった施設だ。
区役所は爆撃で出火したが、爆弾が命中したわけではなく火も比較的早く鎮火し建物自体は使えた。
周公恩は、その区役所の駐車場で演説し、党員を募集。
そのまま区役所内に入り党員登録という流れになっていた。
建物内での受付は5ヶ所。若者たちが列をなした。
周公恩は書類に書き込みをして受付へ並ぶ若者たちに声をかけていたが、しばらくすると奥へ下がっていった。
一番に受付をすませた天儀が、それをつけていたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天儀が付けているのも気づかず周公恩が一人進んで、もと区長室へ入った。
区長室は火災を免れており使いやすいが、扉はない。
天儀が、周公恩が入った部屋をのぞき込むと、
「おい、そんなところで何をしている。早く入れ、みっともない」
と、声が飛んできた。
突然の声に驚き身と心が跳ね上がった天儀。
声の主は、周公恩だった。
虚を突かれた天儀が、抗うすべもなく、室内へ入って直立する。
――不味い。怒られそうだ。
この時天儀の胸中によぎったのはその程度だった。
「なんという」
と、周公恩が声を出した。
天儀は、自分に声をかけているのだろうな。と他人事のように思った。
民進党の代表といえば、数年前までいえば国家元首のようなものだ。単なる政党の党首としても民進党の規模は大きく、悪くても最大野党程度になるだろうそんな人物が、自分へ声をかけているという不思議を、天儀は他人事にように眺める気分でいた。
天儀の目に映る周公恩は、痩せていてさほど大きくない。背丈は、自分よりは大きいが、駐車場で演説を聞いた時の印象とは少し違った。
だが、巨大な温かみと、同時に甘えを許さない峻厳さもある。不思議な老人だ。あと、これは後付だが、天儀の死んだ祖父に眉が非常にそっくりなのも好感を持っていた。
天儀が、そんなことを漠然と思っていると
「名を名乗れ、と言っているのだが聞こえんのか」
と、周公恩が太く声を出した。
「あ、えっと何だったか。あれだ。天儀です」
「てんぎ、だと」
と、周公恩が不審げにたずねた。
「はい。新兵の天儀です。文字は、天球儀の天儀です」
と、天儀は努めて明るく応じた。
周公恩は、不審げに天儀を見つめたが、その容貌に悪意は感じ取れず、若者特有の清々しさと従順さを見てそれ以上咎めなかった。
なにより現れた天儀と名乗る青年は、軽装で丸腰。何が出来るというものでもないだろう。
周公恩は、執務机の椅子に座りながら
「まだ用向きはない」
と、青年へ部屋の隅でおとなしくしているように指示を出した。
新人をよこすとは使いにくい。という不満を周公恩は、押さえ込み胸中におさめた。
戦況が悪化するなか、党中枢部から前線に人員を派遣しなければらない事態が生じていた。
若い男の側近は、もう随分と放出した。その変えがこの素人くさい青年なのだろう。
周公恩は青年の存在を無視して机に向かった。
30分ほどして、青年が茶を入れて持ってきた。
まだ自分は職務中、まことに間が悪い。
何故今なのか。どう見ても一息つきたいタイミングではない。
なんて使えない新人だ。という思いを周公恩はいだきつつも、青年がさも申し訳なさそうに会釈する様子に毒気を抜かれ溜飲を下げた。
周公恩は湯呑みを手にとって口をつけ息を吐いた。
そして周公恩には青年が自分をうかがうように見ていることがよくわかった。
強い意志を持った好奇心旺盛な目。
――問がある。
と、周公恩は、見つめてくる青年、つまり天儀の胸中を見抜いた。
周公恩は、黙って青年を見た。話を聞こうという態度だ。
今後自分の側近を務めるなら、どのような志を持っているか知っておくのは悪くない。
対して天儀も、周公恩が容儀を改めたこと敏感に察した。
言葉を許されている。理由は、よくわからないが天儀は、そう確信した。
確信を持った天儀が
「私は、周公に一つ教えを請いたいことがあります。よろしいでしょうか」
と、うかがいをたてた。
周公恩は、青年の声に、平身低頭、どうしても聞きたいという真摯で必死な思いを見た。加えて、いま周公恩の目に映る青年は、恭謙の容を崩さない。
周公恩は、うなづいて質問することを許した。
とたんに天儀と名乗った青年の表情に、明るさが走った。
が、次の瞬間には、青年は背筋を伸ばし顎を引き
「周公は、鳩をご存ですか」
と、問を発してきた。心に芯のある問いだった。
だが、問の内容は周公恩が、想像していたものとは随分遠かった。
周公恩の眉が動く。鳩などという鳥は聞くまでもない。誰もが知っている。
あえてそれを問うといことは意味がある。つまり自分は試されていと、周公恩は理解した。
問を仕掛けてくるのは、自分の年齢の半分もない、まだ青臭さそうな青年だ。小癪なことをするとも思ったが、黙って聞いた。
「私は、先日道を歩いていて六歳の子供から尋ねられました。鳩はどんな鳥かと」
と、天儀が話を続けた。
青年は、鳩というときに腹から声を出すようにした。
やはり目の前の青年は、鳩にこだわっている。
――鳩に何の意味がある。
と、周公恩が黙考する。
周公恩が、黙然とした体をとり思考を巡らせるなか
「内戦が始まって六年。今の六歳の子供は、鳩を見たことがないそうです。ま、そうでしょうね」
と、青年は続けていた。
加えて天儀と名乗った青年は、言葉尻を失笑するようにしめた。当然失笑には、周公恩への批判がある。
が、周公恩はそんなことなど気にせず思考を止めない。
鳩を見たことがない。とは不可思議な話だった。雀と鳩と《はと》カラスは、内戦が激化した今でも比較的よく目にする鳥だ。見たことがないというのはおかしい。
周公恩は、青年の話には謎掛けがあり、やはり鳩は別の意味を持つと確信した。
――鳩とは何か。
と、周公恩は黙考を続けながら、天儀と名乗った青年をあらためて見る。
言葉でわからなければ、その様態から知る。
挙止を観察し、目の内を覗く。
周公恩の目に映る青年の目は、随分とくたびれ、話している内に感情が高ぶったのだろう目が赤い。
周公恩が見つめるなか、天儀の目尻が光った。
瞬間、周公恩の脳裏にも光が走った。その容貌に熱が灯る。
鳩は、皮肉だ。いや、民進党党首の自分へ批判。
内戦が開始され六年、自分は平和、平和と繰り返してきたが、未だその兆しはない。
つまり青年は、本当に内戦を終わらす気があるのかと、暗に批判してきたのだ。この場合の批判は覚悟を、いや志を問われたといっていい。
――この若者、私に志しがあるかと問うたのか。
と、周公恩は総身に衝撃を受けた。
周公恩は、もう老年といっていい歳だ。老人に志しを問うとは。と、周公恩は弛緩した心身を鞭打たれた感覚を覚え、心身が引き締まる。そう初志を正された思いだ。
周公恩が、鳩が平和の象徴だったか。と、確信を持つなか
「私は答に窮しました。私ももう鳩がどんな鳥か思い出せません。ここ平林の公園にも河原にもよくいた気がするのですが。周公は、博識と聞きます。鳩がどんなものかご存知でしょう」
と、青年が話を最後まで進めていた。
『昔は、公園にも河原にも鳩がいた』
という青年の言葉に、周公恩は懸命に足掻く愁訴を見た。
確かに平和は日常だった。その当たり前を知らない人間が、もう物心つき喋り、世の中を見つめ始めているのだ。憂いを越えて恐るべきことだった。
あと数年もたたずに、混乱が常態と認識する人間ばかりになるだろう。
たった今、言葉を終えた青年。その容貌に愁眉を浮かべ、その目は失望を覚悟して冷えきっている。
そう天儀は、これで周公恩に応じてくるものがなければ、周公恩は頼むに足らない俗物で、期待を裏切られる。その覚悟をもって最後の言葉を吐いていた。
周公恩は、すっと立って天儀へ近づいてその手を取って
「内戦を終わらせ、共に鳩を見ましょう。次たずねられたら、それで応じることができる。そうだ。私は、鳩が住む場所を知っている。その場所まで歩くのに少し時間がかかるだけだ。共にゆこう」
と、熱くいった。
「共にですか」
「ああ、そうです。共にだ」
目の前の青年が感極まったという色を隠さず目尻をぬぐって鼻をすすった。
「あと5年の内に鳩を見る。約束しましょう」
「では、5年間は生き抜きます。生きている間は終生、公のお役に立ちます」
天儀が目に力をみなぎらせて宣言していた。
「言ったな。私の役に立つということは、君は死ぬまで使役されることを意味するぞ。私ももう長いこと公僕といっていい。死ぬまで私はない」
「ええ、望むところです」
「私は要望が大きい。よく欲張りだと側近からはいわれる。全部はできない、諦めろとな。私の目指す究極は、全宇宙の協和だ。私が生きている間に、これを終わらすことはとてもかわない。つまり君はまだ若く、私は老いている。私が死んでからも長く、君は戦うことになるがどうだ」
気概を大きくいう天儀に、周公恩が脅していった。死ぬまで終わらない戦い、孤独な戦いだと。
「士たれば二言はなく、言動は一致し、言葉は貫徹されるべきです。約束は守ります。また真に憂うべきは、陥穽へ落ちることではなく、ありもしない陥穽を恐れ進まないことです。公は私の覚悟をお確かめになったのはわかります。が、不動もまた動であり、無言もまた声です。同様に無知も実は知の内です。知らなければ、恐れようがないからです。私は非才で、器量に欠けます。なので公の境地に至って憂いを知る頃には、私は棺桶の中でしょう。死して憂いを感じましょうか。よって恐れなどありません」
と、天儀が爽やかに、かつこともなげに応じた。
周公恩が大笑した。
青年のいうことはあまりに青臭く、格好をつけすぎている。
だが、その言葉に愚かなほどの愚直さを見て、好感をもったのだった。
天儀と名乗った青年は、翌日からは現れなかった。
周公恩は遊説を兼ねた兵員募集中、多忙で一箇所には留まらない。周公恩は一瞬気に留めたが、平林のみの付き人だったのだろうとすぐに思い当たった。
自分は、目をかけているからといって縁故での起用はしない。また青年もポストのことは一つとして口にしなかった。生きていればまたいつか出会う。と、周公恩は思った。
天儀と名乗った青年の記憶は、多忙な周公恩の思考の波に呑まれ、頭の片隅へと流されていった。