3-(4) 天儀とセシリア
「直近の思想チェックデータですわ」
セシリアが、そういって天儀へデータを転送していた。
場所は陸奥司令室、時はドック海明へ向けて発つ5日前。
情報室長セシリア・フィッツジェラルドは、全陸奥乗員の調査の結果を天儀へ提出に現れていた。
「思想データからは、陸奥乗員に恒星衛社派の乗員は一人もいませんわ」
と、セシリアが付け加えても天儀は、自身でデータを開き簡単な洗い出し作業を開始していた。
情報部が解析をかけた情報に、再度素人が解析しても何か見つかるものでもない。
――マメな方ねですわ。
などと思うセシリアだが、こうでなくては困るとも思う。
天儀のチェックなど、特定の単語や数値で洗い出す程度の検索だろうが、やはりやらないよりはましだ。
結果報告だけ聞き、提出されたデータの中身も見ずに、ご苦労の一言で終わらせてしまう上司も少なくない。
セシリアは、そんな相手を見ると、私がミスを犯していたり、偽装データを渡していたらどうなさるおつもりなのでしょうかと冷淡な目で見ていた。
受け取ったものを、そのまま入れる。
これを信用されているなどといえば聞こえがいいが、ほとんど場合、提出書類に興味がない、楽をしてしまおうという怠惰さが透けて見えるだけだ。
「あわせて二親等以の親族が、恒星衛社の関連企業に勤めている乗員もいませんわ。ただアルバイトなどの短期契約の就労は40名ほどです」
「短期契約の就労でも職を失えば困る。が、疑いすぎということにしておこう」
「恒星衛社は、それだけ大きな企業です。ミリタリー関連だけでなく、もとが通常の警備会社なのでそちら関連の業務ありますので」
「外食産業、食品関連じゃなくてよかったとしよう。これだと親族が、恒星衛社関連企業で働いているというケースは増えたろう」
「あら、海明星とその周辺宙域では、ショッピングモールなどの経営などだけでなく、流通にも手を出しています。恒星衛社は、多角経営の総合商社ですわよ」
セシリアが、助言という体で、天儀の安直な発想に釘を差した。
「流通か。兵器や機材の運搬には、ノウハウがいるからな。それで運送業にも手を出したか」
「ご名答ですわ」
微笑とともにいうセシリア。
天儀が、表情に苦味を混ぜて
「では海明出身者を除けばおのずと、恒星衛社派は除けるというものだな」
そう乱暴に話を切り上げた。
気分を害したというほどではないが、特に意味もない何気ない言葉へ、踏み込んで助言を差し挟むセシリアに辟易という色がある。
――もうこの話はやめよう。君の報告どおりだ。信用する。
と、ばかりに退散する天儀。
セシリアは、天儀のそんな様子を見て、心の中でくすりとした。
セシリアを心服させ、セシリアにとって、信頼に値する上司の天儀。
そんな相手へ、少し心の距離を寄せて熱心に報告をしていて、セシリアは気づいたことがあった。
天儀は会話する折に、相手へかなり気を使っている。
何に気を使っているのか、
――『心の距離』だ。
会話に際して、誰でもこのようなことへの気遣いは多少あるが、セシリアの気づいた天儀は、彼我の心の位置を気に留めているようだった。
セシリアが忠誠心のようなものから、熱くなり親しく助言を呈すると、天儀が一歩引いた容が出る。
セシリアは、
――あら
と、気づいて、さらに少しよせてみた。
天儀が下がっていた。
セシリアが、また一歩踏み込むと、天儀が一歩下がる。
だが、二人が立つ現実世界の部屋にさして広さがないように、心が下がれる距離にも限度がある。心の空間も無限ではない。ぐいぐい迫るセシリアに、天儀が窮し音を上げる。
天儀自身に自覚はないようだが、セシリアの気づいた天儀の一面だった。
セシリアは、それが面白くて、折を見ては、天儀へ心を肉薄させる遊びを楽しんでいた。
この絶対に勝てない相手へ、イニシアチブ握る、つまり関係において主導権を握っているような面白さ。
セシリアの天儀相手への密かな楽しみだった。
もちろんこの遊びは、天儀がセシリアを尊重し、気を使っているという大前提で成り立つ。
天儀が心を頑なにするか、毅然とすれば、セシリアに天儀へつけ込む要素はない。
それに、あまりやりすぎると関係は悪くなる。加減が重要だった。
天儀から、もうやめてくれ、というような色が出たら早々切り上げて、何もなかったように振る舞うのが重要。
セシリアは、天儀の様子を見て
「随伴する妙高と羽黒は恒星衛社側ですね。二艦の艦長は、恒星衛社派で、合わせて二艦には人材交流という名目で、プリンス・オブ・エシュロンの隊員も乗り込んでいますわ」
と、雰囲気をがらりと変え、真剣な装いをもって問いかけた。
セシリアが、言葉に重さを加えると、天儀からも鋭さが出た。
やはり先程のやりとりには温さがあった。
データに目を通す天儀には、心身の充実さを欠き、起き抜けのような散漫さが表情に出ていた。それが今はなくなり、目に鋭利さがだけがある。
そうだ、やはり先程までの天儀は、目に力が欠けていた。と、セシリアは思う。
部下の前で、おおらかな雰囲気を出し、目に慈しみをともしていても強さがある目。
これが、セシリアの惹かれる天儀の目。
言い換えれば、セシリアの惹かれた天儀の目には、付け入る隙きがない。
セシリアは、
――やはり天儀さんはこうでなくては
と、まで思い
「どうなさるおつもりで」
そう催促するように問を継いでいた。
「ま、なるようになる。釣り糸を垂らして待つだけだ」
「あら、罠ではなくて」
「はは、針すらついていない。魚がかかれば、天命だったということだ」
天命と、急に大きな事を言う天儀。
「釣り針のない釣り糸を垂らす」
という天儀の言葉に、セシリアは、むしろ大事件を予感し肌にあわがたつような思いだった。
三七路で、公子軍が、3隻の第二戦隊へ進路を譲ればそれだけで、軍内で天儀は盛名を得るだろう。
だが、天儀の物言いでは、それ以上のことを、想定しているようにしか思えない。
――天儀司令は、何をなさる気なんでしょう
と、セシリアが、天儀の表情をうかがうなか
「二艦の動向など関係はない。すべては公子軍対応。いや想像通り行けば唐公の出方しだいとなる」
とも天儀はいった。
必死という色さえ出し、天儀の様子をうかがうセシリア。
いま二人の心の立場は逆転し、攻守が入れ替わり、天儀がイニシアチブを握っていた。
セシリアから見て、とにかく天儀が、恒星衛社相手へ何かしかける気なのはだけは確かで、その「何か」が、進路の妨害といのもわかる。
だが、それ以上のことはよくわからない。
いま準備している電子戦作戦は、唐公側がかなり強引な態度にでて一線を踏み越えなければ、発動は難しい。
――天儀司令は、どうやって唐公を挑発するのか。
これが、セシリアの疑問だった。
この方法については、天儀は一切口にしていない。
セシリアからして、ドック海明までいき、帰ってくるという任務自体が、唐公をはめる作戦ということには間違いない。
これが試運転も兼ねた航行任務に秘匿された意味。
けれど、この任務に伴い準備している電子戦作戦は、仮に不測の事態に陥った場合の対処でしかない。
そう、準備した電子戦作戦を発動させるには、
「不測の事態に陥る」
ことが絶対条件。
千宮氷華と、極秘裏に共謀して妙高か羽黒辺りを唐公の艦隊へ突っ込ませるのか、とすらセシリアが考えていると、
「唐公は天譴をうける。だが、全ては唐公次第だ」
と、天儀が愁眉を以っていった。
つまり、必ずしも電子戦作戦を発動し、戦闘に発展するとは限らない。ということだった。
――唐公が、進路を譲れば作戦は発動し得ない。
なるほど。と、セシリアは思う。天儀は必ずしも作戦を発動させる必要はないと思っている。
確かに、そもそもとして、絶頂の威勢を誇る唐大公の座乗する艦隊へ進路を譲らせれば、それだけで大きな業績にはなる。
欲張ることもないように思える。
そこまで考えても、だが、とセシリアは思う。
天儀は、天譴うける、ともいい切っている。
これは唐公が必ず誅伐をうけるという言い切りだ。可能性ではない。
やはり天儀には、電子戦作戦を確実に発動させうる目算があるのだろう。と、セシリアは思った。
「天譴」
とは、天からの譴責。
天儀は尊大に《そんだい》振る舞う唐大公が、天からいましめをうけるだろうと口にしたのだ。
この場合、天とはなにか、単純に見れば神、これ外には人々の思い、つまり世論も指す。
天儀の一挙は、唐大公へ向けられている無言の不満を代弁する形となるのか、セシリアは考えを切り上げた。
セシリアが、ここまで粘っても、天儀が唐公を挑発する方法を口にしないということは、他言するきはないのだろう。
天儀が、どのように唐公を怒らせるかは、三七路で公子軍と対面するまで不明。
セシリアはそう結論づけ、この疑問を、当日の楽しみとして胸の中におさめたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
話が一段落し、天儀が立ち上がっていた。
部屋の一角へ向かい歩き始める天儀。
給湯器がある一角で、当然そこにはティーセットと、ちょっとした茶菓子が備え付けられている。
「紅茶でいいか。時間があるならだが」
天儀からセシリアへ向けて問い二つ。
セシリアが部下へ紅茶をいれようとする司令に驚き
「いえ、そんな。私がいれます」
と、口にしつつ駆け寄った。
「帝へ拝謁が願う前から、君の働きには助かっている。これは、せめてもの」
天儀のこの言葉を、セシリアが行動と笑顔をもって遮っていた。
「私が、いれたほうが美味しいですわ」
という笑み。
無言の圧力に、天儀が屈しセシリアへ場所を譲っていた。
セシリアは、すでに幾度か天儀の私室兼執務室の司令室で、天儀のいれる紅茶を、ご馳走になっていたが悪いが下手で美味しくない。
軍艦というものは、社交の場として使われることも想定し迎賓という機能も備わっている。
特に近衛艦隊などと呼ばれる第一艦隊に所属する艦艇の艦長室や司令室には、それ目的のよい備品が備わっているのだ。
その中でも旗艦機能持つ軍艦などは、特に充実した設備を備えていたりする。
――天下の近衛軍が、客へ粗末なものは出さない。
星系軍は、陸海、二つの伝統的を継承した組織だが、嗜好品の充実という慣習は海軍からの伝統だった。
そのせっかくの高級茶葉を、天儀は高温のお湯で、ジャパジャパとしていれてしまう。これでは台無しだった。
セシリアが、手慣れた手つきでティーポットと、茶葉の入った缶。ティーストレーナーに、カップを二つ取り出す。
衝撃吸収がほどこされた戸棚から取り出されたティーセットは最低限。
さすが第二戦隊旗艦だけある。陶器のティーセットだ。
そして取り出したティーポットがすでに温かい。
戸棚に温熱加工がなされているのだ。当然こんな設備は、一般的ではない。
このよくわからない所へのこだわりは、恐らく内装設計を担当したものか、艦政本部の長についた武官辺りが、紅茶好きというのがうかがわれる。
――案外そんないい加減なわがままが通ってしまいますのよね
などと、セシリアは思う。
天儀は砂糖やミルクをいれることにこだわらないようなので、今回はセシリアもそれに合わせることにした。
取り出した缶は、植物工場プラントで気候まで再現し生産されたオータムのダージリン。
ミルクティーにしたいところだが、この濃い風味を、あえてそのまま楽しむ。
近衛の第二戦隊旗艦陸奥に置かれているオータムナル。オータムナルの当たりは、その風味をブランデーのような、と表現されることもある。
今回は、その濃厚さを楽しめばいい。
セシリアは、ティーポットへ、ティースプーンにふたさじ。茶葉は細かいので、スプーンから少し盛り上がる程度。
沸騰したお湯を勢いよくそそぎ、蒸らすのは三分程度でいいだろう。
セシリアは、機嫌良さげに、茶葉の香りを楽しみながら手際よく進めていた。
なお、以前に天儀はこの三分間に、何を思ったのか、ポットの蓋の外し中身を確認しながらティーポットを振っていた。
この想定外の行動。
セシリアからして、天儀の行動の意図はわかる。
振って茶葉が早く開けと振動を与えているのだろう。この粗野な行為で、本当に茶葉が早く開くかはあるかは別としてだ。
――なんてせっかちな方
あれを見せつけられてから、セシリアは天儀の厚意には甘えずに、自身でいれるようになっていた。
蒸らす間に、
「時に司令。司令は、周公とはご面識が」
セシリアが、そう問いかけると、天儀の表情にぱっと明るみが出た。
「セシリーは、周公をご存知なのか」
そう応じる天儀の声はやはり、好感の色が強い。
この様子を見るに、天儀は周公恩をそうとうに慕っているなと、セシリアは感じた。
「ええ、以前何度かお会いしたことがありますわ。好々爺といった感じで、お会いするたびに、とてもよくしていただきました」
セシリアの瞳に映る天儀が、苦笑していた。
天儀の苦笑は、
「好々爺」
という部分にだ。
ただし、親しみのある笑いだった。
天儀は惑星秋津の内戦で周公恩の下にいた男だ。
実際その指揮下で戦い、セシリアからみて好々爺だった周公恩の峻厳な一面も知っているのだろう。
「それに周公恩は、もう教科書にも載っているぐらいですわ。とても有名な方です。司令はその周公恩の下で働いていらしたいのですよね」
天儀が、うなずき少し遠いい目をした。
周公恩は先日亡くなっている。故人へ、思いを馳せたのだろう。
セシリアは、そんな天儀を横目にしながら、ティーポットの蓋を開け、スプーンで軽くかき混ぜた。
蓋を開けた瞬間、芳醇な香りがセシリアの鼻孔をついた。
ポットに蓋を戻し、セシリアは、ティーストレーナーを挟みカップへ紅茶をそそいでいく。
部屋に、心地よい紅茶の香りが、満ちていた。
――水色もよく香りも十分ですわ。やはり、こうでなくては
と、セシリアが紅茶のできに満足ししつつ、天儀の前へカップを置いた。
セシリアは、天儀が紅茶を一口するのを待ってから
「質問があるのですが、よろしいでしょうか」
と、問いかけていた。
天儀が、なんだとばかりにセシリアへ目を向ける。
天儀からして、いまのセシリアには、やわらかさがある。質問とは、仕事上のことについてではなく差し障りの無いような問題のはず。つまり天儀の私事について。
だが、自分に、セシリアが知りたいような情報があるのか。天儀には不思議だった。
「周公のお近くにいた天儀司令は、ご存知かと思って」
なるほど、すでに話題に上がっている周公恩のことか、と天儀は納得した。
確かに、天儀は周公と面識があり、言葉も交わしたことがある。
だが、セシリアの話しぶりから見るに、セシリアは、周公恩とかなり親しそうだ。何度も直接言葉を交わしている様子がうかがい知れる。
内戦終了後からの付き合いでもゆうに数年はある。その間に年に数回会い。親しく話していたのであれば、その関係は天儀と周公恩の関係をこえうる。
民進党軍にいた頃の天儀は、一編成単位の長でしかなく、対して周公恩は党代表。ここに秋津の状況を加味すれば、この立場は国家の長と言い換えてもいい。
同じ惑星で、同じ組織に所属していても二人の立場には隔絶していた。
天儀からすれば唯一無二の周公恩と慕っていても、周公恩から見れば、天儀は多くの党員一人にすぎない。
天儀は、周公恩と全く面識がないといえば嘘になるが、周公恩が天儀の顔と名前が一致するかと思えば、否と思うしかない。
――セシリーの満足行くような回答は難しいな
これがセシリアから問が出る前に、天儀が思ったこと。
天儀が知る周公恩は、民進党代表という一面だけで、むしろセシリアの方が公私に渡り周公恩を知っていそうだった。
天儀は、そんなことを思いながら
「私に、周公恩について聞きたいか。答えられるかどうかは、内容によるな。私が、叱責を受けたなどという話は恥ずかしいな」
と、軽い雰囲気を出しセシリアの問いを受けていた。
深い話はわからんぞ、という防衛戦でもある。
軽口を挟む天儀に、セシリアがくすりと笑ってから
「司令は、『周公と鳩』というお話をご存知ですか。私最近この話を知ったのですが、創作的な逸話なのか、事実なのか私ついに聞きそびれて。それにご本人に聞けば失礼ですし、知った頃には周公恩様のご容態はもう深刻でしたし」
と、問を出していきていた。
『周公と鳩』
とは、周公恩が惑星秋津の内戦中期に、平和がいつおとずれるのかと青年から糾弾されたエピソード。
平和を鳩に仮託し、青年が周公恩に詰め寄るという話だ。
周公恩の人間性をよくでている話でもあるが、それだけに出来過ぎでもあった。だが、セシリアとしては、単なる創作とも思えない。いや、本当の話であって欲しいという願いすらある。
そんな『周公と鳩』について、周公恩の下で働いていた天儀なら何か知っているかもしれない、という思いの問だった。
『周公と鳩』
と、聞いて天儀の心に、うっと、つまるような重みが走った。この重みとは気まずさだ。
セシリアの問いに対し、天儀の顔に露骨に渋いものがでていた。
いま、セシリアの目の前の天儀は
――不味い。言いたくない
という色がありありとでている。
「あら、何かご存ですの。是非教えて下さいまし。お願いしますわ」
「いや、それは」
「ご存知、なんですわよね。いいんです仰って下さい」
私、真実を受け入れる覚悟があります。たとえあの話が作り話でも、話自体は周公恩の人間性をよくあらわしている良い物ですわ。素晴らしい寓話として胸に納めておきたいんです。
セシリアの、そんな怒涛の思いが込められた問い詰め。
これに一瞬間を置いて
「知っている」
天儀が苦しそうに吐いた。
天儀の苦味のある態度など気にもとめずに、セシリアが興味津々と天儀へ視線を向ける。
天儀から見て、この素晴らしい話が、真実であることを期待する純真な目だ。
天儀は罪悪感から腋間に冷たい汗を覚えた。
――はぐらかせない。
と、天儀は感じた。セシリアは今後間違いなく重な司令部要員となる。真摯に応じ心を掴んでおく必要がある。
それが彼女にとってもショックな結果でも真実をつたえるべきだ。
それが自分だ。とも天儀は思う。
「作り話だ」
「そうなのですか。残念です。周公恩様らしいお話だともっていましたが、やはりそうでしたか。鳩に平和を仮託して志しを問う。とは出来過ぎですわよね。しかも名も残らないような青年です。実話なら尋ね方が誰なのかも残るはずです。立派な話ですし、きっと内戦中も周公恩様をお助けしたでしょうし」
「違う。話自体は、事実だ」
氷華がサモトラケのニケとまで思ったセシリアの美しい顔が、困惑と疑問でいっぱいになり歪む。
何を言っているのだこの男は、
「作り話なのに、話は事実」
とは、完全に矛盾している。
――何が仰りたいのか全くわかりませんわ。
私をもてあそんで、楽しんでいるのでしたら良いご趣味とはいえませんわね。とすらセシリアが思うなか天儀が言葉を継いでいた。
「周公と鳩、この鳩の部分が、作り話だ」
天儀が、セシリアから完全に視線を外しながら気まずそうに白状するようにしていた。
――何故知っている。
と、セシリアの眼光が鋭くなった。
話自体が創作でなく、平和に仮託した鳩の部分が創作とは、随分と細かい事情だ。
こんなことを知っているとなれば、その場に立ち会わせたとか、よほど親しかったとか、いや、もしかしたら周公恩を問い詰めた青年と知り合いとか。
――ありえない話ではなですわ。
と、セシリアが熱くなる。
内戦中盤で青年なら、いまは天儀と似たような年齢のはずだ。
『周公と鳩』に出てくる青年と、天儀が知人なら是非紹介してもらいたい。ひと目会いたい。
早く教えてくださいましと、迫るセシリア。
「やめろ、そんな目で見るな。若気の至りだ。私の地元に周公がこられて党員の徴募のための演説を行った。実際は兵員の募集だな。このときの内容に感銘を受けただけに、本当に外に吐いたことをやる気があるのか確かめたくなった。いま思えば本当に恥ずかしい」
いたずらを白状したような恥ずかしさから、気まずさを見せ黙る天儀に、天儀からでた想像しなかった内容に驚くセシリア。
場に数秒の沈黙が訪れた。
「あの青年は、司令なのですか」
今度は天儀のほうが、けげんな表情でセシリアを見た。
天儀からすれば、セシリアは、その青年が天儀だと知ってことの真相を確かめてきたのだと思ったのだ。
「そ、そうだが」
「あら、本当に世の中狭いのですね」
苦しく肯定する天儀に、セシリアとってはあまりにあっけない答え。
セシリアは思わず手を口元に当て哄笑していた。
「戦争に限らずあの手の話は、だいたい作り話だ。子どもや老人が突然問いかけてきて目がさめたというような話や、子どもに問われて答に窮したとかな。くそ、今思えば恥ずかしい。あの瞬間は、素晴らしく良いと思ったんだ。責めるな。やめてくれ」
「いえ、いい話だと思いますわ」
言い繕う天儀に、セシリアが笑いを噛み殺しつつそう応じていた。
終始動じるところがなさそうな天儀にでた狼狽。
セシリアからすればそれだけで面白い。
それに話の真実がわかったのだ。十分だった。
「では、まだ大業は、半ばということで、頑張らなくてなりませんわね」
セシリアは、笑いで出た涙をぬぐいつつ、エールを送ったが天儀は違った。
「周公は、万事につけて均斉をお持ちだったが、私は戦うことしかできない。弓箭は扱うものがあってこそ獲物を獲て、馬は御すものがいて初めてはしる。帝は、臣をお使いになられる。ただ進むだけだ。
唐公には侈傲にして傲然、一つ驕ればそれだけで死地への一穴といえるのに、今の唐公は、傲然として隙きを隠さず、侈傲にして隙き多し。事は必ず成る」
瞬間、セシリアの前に、朝廷の集光殿の情景が広がり、玉座が見えた。
天儀の突然の変容に、セシリアは、ただ、ただ驚いて見守ったのだった。