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恋する氷華の星間戦争  作者: 遊観吟詠
破章十三、終戦編
122/126

14-(8) 大和の凱旋

 巨艦大和(やまと)がミアン宙域のドックから音もなく出航。

 千宮氷華せんぐうひょうかは大和ブリッジで、


「案外あっけないものでしたね」

 と、図上から遠ざかる惑星ミアンをジト目で眺めた。


 一昨日、グランダから政府と朝廷の代表からなる統治団が到着し、大将軍本営は約一ヶ月で、その役割を終えていた。

 

 大将軍本営からグランダ統治団への引き継ぎも半日で終了。

 氷華は天儀ともに宇宙へ、そして大和へ乗り込んで出航。もちろんグランダへ帰るためだ。


「もっと、こう盛大にお見送りがあるとか思っていたのですが」

 氷華が横に立つ天儀へと問いかけた。


 氷華からして、大和の出発は秘密裏というほどではないが、その輝かしい勝利からは想像もつかないほどひっそりとしている。

 

 そうです。ただの帰還ではないのです。天儀さんは大勝利での凱旋がいせんです。この静けさはせません。と、氷華は思うも、天儀は世間の空気を敏感に感じ取っていた。


 そう星間会戦から一ヶ月。戦争はもう過去の事だった。すでに世間は、今後の両国の統合がどのような形で進むかということにすら興味を失いかけている。

 

 戦争終結後しばらくして大衆の間で、

 ――今後の生活もほとんど変わらない。

 という意識が芽生えた瞬間から人々は日々の生活追われるようになった。


 つまり天儀の意見は、

 ――こんな状況で盛大に出航してもとんだ茶番で滑稽こっけいなだけ。


 今回の静かな出航に不満な氷華から見ても天儀は変に体面を気にする男。そして大将軍の意向は絶大。天儀が、

 ――必要ない。

 といえば周囲は、


 ――はい

 と、返事をして従うしかない。


 もう少し盛大に、と不満げな氷華に、

「一応、帰ったら式典があるらしいぞ」

 と、天儀が笑った。


「ジミーなやつですよね。知ってます。秘書官ですから」

 

 氷華は秘書官として天儀のスケジュール管理している。そんな氷華の胸懐に寂しさがよぎった。

 

 そう。天京に帰って、式典が終われば天儀の中軍は〝解散〟される。氷華も秘書官と艦隊電子戦指揮官を解任され、電子戦司令部(サイバーフォース)へ戻ることになる。


 ――天儀さんと一緒に入られる名目がなくなってしまいます。

 という寂しさもあるが、それだけでなく、

 

 ――天儀の新たな門出を華やかにしたい。

 という思いも強い。


 それを天儀さんはジミーな式典だけでいいだなんて、どうかしてるんですよ。と不満げな氷華へ天儀は、


「帝が主催してくださるのだぞ?」

 と、さも光栄だろというような様子。


「実質、単なる勲章くんしょうの授与式ですよね」


「もう星間戦争勝利の大規模な式典は終わっているからな。またパレードをしても白けるだけだろう」


「主役不在で勝利の式典ってどうなんですかね」


 そう星間百年宣言せいかんひゃくねんせんげんの調印式翌日に、グランダ内では政府主導で戦勝を祝ってセレモニーが行われていた。

 

 さらに一週間後、会戦で大きく損傷したグランダ艦艇と、鹵獲艦ろかくかんの星間連合艦隊旗艦アマテラスがグランダに入ると帝の意向を受けた朝廷主導で盛大に祝賀しゅくが。世間では、これが凱旋式がいせんしきと位置づけられた。


 つまりもう一連の戦勝記念の行事はすんでいる。いま戻っても再度式典をやるという雰囲気ではない。


 だが、氷華はやはり納得がいかない。


「首都でパレードでもしたいといえばそれぐらいは受け入れてもらえると思いますが」

 と、問いかけた。この程度なら秘書官としても準備できる。


「いや、戦争に勝つという一番の目的を達成している。それ以上に望むことはない」

 

 だが天儀が氷華の言葉をきっぱりと否定した。そして言葉を継ぐ。


「私は、政権の主体ではないからな。あくまで一軍人だ。政治家、そうだな。首相になりたいなら別だ。その場合、私の勝利として国民へ大々的にアピールするかな」


 政治家と聞いて、氷華は驚いて天儀を見る。政治家にどんなタイプな人間が向いているかは知らないが、氷華から見て天儀は間違いなく政治家には向いていない。

 

 そう思えば氷華からしても、

 ――ああ、凱旋式は必要ないですね。

 と、すんなり理解ができた。

 

 野心がない人間が変に目立っても世の中を混乱させるだけだし、もっと単純に――。天儀さんは政治家さんたちから政界入りを打診されて極めて迷惑というものでしょうか。と、氷華は納得がいった。


「もちろん戦闘と戦争に勝てば、それだけでいいと問題ではない。勝ちを無駄にするような事になってはならない。戦後の処理は大事だ」


 天儀の続ける話題に氷華の思いは苦い。大和での天京への帰投。ここまでくると別れはもう秒読みに近い。

 

 ――それなのに天儀さんは、固い話題ばかり。せません。

 

 だが、氷華は渋々天儀に合わせることにした。


「それは思います。戦うより、そのほうが大変だとは思いませんでした。この一ヶ月間とても大変でした」


「革命と災害、戦場は常に目の前の状況に対応していればいいからな。行政は違う」


「〝対策〟ではなく〝対応〟ですか。行政でも災害が起きれば、状況対応ですからね。行政官は、氾濫はんらんしそうな川へどう対処するかというのは実は苦手ですからね」


「予め対策していないと対応は難しいからな。土嚢どのうを運んで堤防ていぼうを強化すると言っても必要な人員が整備されていなければ難しい」


「土嚢を作るのはどこか、それを運ぶ車両は、堤防に土嚢を積み上げる人員は、これに即興で対応できれば極めて優秀な行政官です」


 そう戦場では状況が総てを支配する。

 

 〝軍人脳〟が政治をおこなえば、

 ――政治の状況に力で対応する。

 

 政敵には逮捕・暗殺・追放。デモには弾圧。メディアには言論統制。

 政治の状況に有形力で対応するとはこういうことだ。


 天儀からして、自身が政治家となった姿を想像すれば、

 ――独裁者。

 という像に容易たやすくいたる。


をよく知るということは、よく学ぶということだ。独裁者の末路はひど い。政治家はやめておこう」


 そういう天儀を氷華はジト目で眺めていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 帰路につく大和ブリッジには、弛緩しかんしているというわけではないが、ゆったりした空気が流れていた。

 氷華をもふくめ誰もが、この約一ヶ月は生き馬の目を抜くような生活が続いていた。やっと帰れるという思いが強い。

 

 星間連合5星系11惑星。


 いかに行政機構が効率化さ高度な人工知能の手助けを受けているとはいえ、これを大将軍本営だけで監視するのは不可能である。大将軍本営は、首都惑星アミン内の動向と、星系軍、各惑星の守備軍の監視と指導だけで手一杯。それに忙殺されるような状況だった。


 そんな忙しさから開放され、どこかほっとした雰囲気の流れる大和艦内。

 天儀と氷華の会話も途切れ、沈黙が2人の間を流れている。

 

 この沈黙をめずらしく氷華から破り、


天童正宗てんどうまさむねは戦争をしなくても両国はそのうち統合されたと言っていました。私にはそのあたりの事情はよくわかりませんが、星間連合軍の降伏、そして調印式も粛々と進められ、この一ヶ月大した問題が起きなかったのは、国家の統合は遠からずという認識が両国の間にあったのでしょうか?」

 そう天儀へ問いかけた。


「そうだな。大将軍本営は業務に忙殺されたが問題なく役割を終えることができたのは、そう言うところが大きのだろう。漠然とだが、誰もが認識していたんじゃないか」


「なるほど、ただ来るべき時が来た。私もわかります。広くいえば私も大衆の1人ですからね。なんとなく戦後の平静が納得いきました」

 

 天儀がうなづき、言葉を継ぐ。


「それだ。私は勝つべくして勝つ状況を演出した。勝つべくして勝ったから、状況を世論が受け入れた。そして勝つべくして勝ったというなら、それは天意だ」


 氷華はそれを聞いて、

 ――まーた天儀さんが始めましたね。

 と少しあきれる。


 多分しゃべっていて気分が良くなったのだろう。と、氷華は思う。


「天意というなら、高所から低所へ水が流れるようなもの。摂理である。誰が何をしたと言うわけでもない」


「ま、1人じゃ戦争は出来ませんからね」

 

 氷華は、天儀のいうところが全くわからないので適当にそれらしい言葉で合わせた。こういう時の天儀はしゃべりたいだけなので、それらしい言葉を添えれば勝手に満足する。

 

 そして、

 ――その後は決まって優しいです。

 氷華は天儀の扱いを心得ていた。

 

 そう氷華の天儀への従順な応答は、下心にまみれているが天儀は気付かない。


「そう。こうなることは、つまり戦争に勝つことは天意だったといえる。これを自分の功績と言って誇るのは浅ましいことだと、私は思う」


 だが、聞かされる氷華は半ばあきれ気味、

 ――なるほど。やはりご不満なんですね。

 と、いまの天儀の気持ちの在処を確証した。


 氷華が出航してからの一連の会話から推察するに、天儀さんは実は凱旋式的な行事がないことが実は不満で、それをいま自らの言葉で慰めている。


 ――変わった人、いえ、なんてみみっちい人なんですか。


 そう、ようはかっこつけだ。とも氷華は思う。チョロインさんこと、近衛のレティと気が合うのはこの辺りの子どもじみた感覚からくるのだろう。


「やはりパレードぐらいしますか?」

 と、氷華は確認したが、天儀は、


「必要ない。私は最も望んだことを達成している。それ以上は望まない」

 

 氷華が非難のジト目を天儀に向ける。


 自分の好意を無下に断るこの男の無神経さは面倒くさい。じゃあわざわざ口にするなというものだ。

 

 かまって欲しいでしたら、もうちょっと可愛らしくしてください。と、氷華は非難の色の混じったジト目を天儀へ向けた。

 

 だが天儀はかまわず言葉を継ぐ。

 

「会戦にこぎつけた時は、私はこれまでにない高揚こうように襲われたよ。これで勝ったなら他に何もいらないと確信的に思った」

 

 一旦ここで言葉を切り力強く、


「そして勝った。もう望むものはない」

 と、誇るようにいった。


「その歳で、ですか?お爺さんみたいです。土いじりをするのは、天童正宗ではなく大将軍になるのではないですか」

 

 氷華があきれてそういうと、天儀は、


「違いない」

 といって笑声を上げたのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 天儀と氷華が他愛もない会話を続けていると、情報部長のセシリア・フィッツジェラルドがブリッジに姿をあらわした。

 

 セシリアの顔を見た天儀が、


「もう第一星系を抜けたぞ。早いもんだ」

 と、声をかける。


「艦隊規模が小さい上に、作戦行動中とは違い警戒のレベルも低いですからね。早く進みますわ」


「発つときには1個艦隊が、今はどうだ。実質3個戦隊規模だな」

 

 これを受けて氷華が、


「勝った割にみすぼらしい」

 と相槌あいづちを打った。

 

 天儀の中軍は、いまは主力とは名ばかりで旗艦大和以外の主要艦艇はほとんど星間連合内へ残される。

 

 セシリアが2人の言葉に苦笑。氷華に会釈してから天儀へ報告を入れる。セシリアはなにも暇を持て余してブリッジに現れたわけではなかった。


李紫龍りしりゅうが提案してきた軍縮の件、すでに派遣されてきた統治団でも許可されたそうですよ」


「両軍合わせて15個艦隊規模を戦後も維持するのはナンセンスだからな」

 

 ここで氷華が口を挟む。


「そうなると電子戦司令部(サイバーフォース)も統合ですか」


「そうなりますわね。気になりますか」


「まあ専門ですから。基本部分は星間連合側で、一部補う形でグランダ側のノウハウが適用されるという形になるんでしょう」


「やはり星間連合の方が電子戦技術は進んでいるのですわね」


「微々たる差ですがそうですね。電子技術は宇宙共通です。隔絶していては、両国間を宇宙航行するのに困ります。それに最近は共同での技術開発も多いですよ」


「共同開発か。グランダは先進する星間連合に追いつくため。星間連合は敵の手の内を知るためといったところか」

 

 この天儀の言葉に、氷華が少し嘆息する。天儀は何でも勝負に例える癖があるなと思ったからだ。


「まあ、それもなくもないですが、もっと純粋な目的ですよ」

 

 氷華は言葉を継いで、


「ご安心下さい。電子戦での実践的な技術ではグランダにも優れた独自技術がありますから、呑まれてしまうということはないですよ」

 と、天儀が心配していそうな懸案を口にした。

 

 天儀がこれに、


「そういうものか」

 と受ける。天儀は天儀で、氷華の口にしたことにさして興味が無いようだ。

 

 そんな天儀が、セシリアへ顔を向けて問う。

 

「いつ両軍の統合は、正式に決定されるんだ。まだグランダ政府や帝の許可が降りたというわけではないのだろう」


「決定がなされるのはもっと先ですわね。そうですわね。雇用対策の予算を組み込むと考えると発表は来年度といったとろです」


 そう軍の統合のほうが先行して進むことになっていた。


 星間会戦で両軍が激しくぶつかり合ったことで、グランダ中央の下軍3個艦隊は8割近い艦艇かんていが損傷を受けていた。


 星間連合側の星系軍も会戦に参加した3個艦隊規模の艦艇が機能不全、書類上のだけの存在となっていた。

 

 見通しとしては、両国は今後一つのなるのだ。二つの軍をそれぞれ再編するより、これを機会に自主的な退役を促し軍縮を敢行。新たに一つの星系軍として形成し直してしまうという案が、星間連合側の東宮寺朱雀から提案され、李紫龍がこれを強く押してその方向で進むこととなった。


 ――戦後軍縮せんごぐんしゅく

 は、大将軍天儀の志向するところであり、グランダ政府そして朝廷の強く望むところであった。

 

 グランダ政府は朝廷の力の漸減ぜんげんと維持費用の削減。


 朝廷は維持費問題と軍部統制を重視した。巨大な有形力はそれだけで脅威だ。単純に減らしてコントロールしやすくするのが好ましかった。

 

 勝者側の各機関の思惑は一致しており、すでにその方向で両国の軍部だけでなく国全体が動いている。


 そして軍縮をいいだしたのは李紫龍。

 紫龍は終戦後2週間が経過したころ大将軍本営を訪問した。

 もちろん天儀へ会うためだ。


 だが、紫龍には懸念があった。

 紫龍からして、天儀の心中が計り知れないからだ。

 

 紫龍から見て、天儀は帝の忠臣として立ち振る舞うことを軸として、軍内で地歩ちほを得ていた。そもそも天儀が、星系軍入りしたのは帝の指名だった。これがなければ何一つとして始まっていない。

 

 つまり天儀は、

「帝の軍隊」

 という形にこだわりを見せるのではないかという懸念が紫龍にはある。


 紫龍の考える軍の統合再編は、当然のこととして帝の軍内への影響力を排除する。星間連合軍側は皇帝の統帥権とうすいけんなど絶対に受け入れない。

 

 軍を帝から完全に切り離す。


 ――大将軍は、はたしてそれを容認してくださるのか?

 

 紫龍は天儀から、

 ――ダメだ

 と拒絶をしめされれば、逆らうすべも説得する自信もない。


 驚き慌てて、尻尾を巻いて辞去する自分が想像にやすい。

 そう紫龍は天儀まったく頭が上がらない。


 紫龍には軍縮を提案された天儀が、どのような反応を示すか予想のたたないところがある。


 だが、天儀の反応は意外だった。


「戦争の後は軍縮を行う。これは当然だ。戦争に勝つには軍隊は膨れ上がる。強い国家というは戦勝と軍縮を繰り返す。大将軍として最大の仕事だと思っていた。君が賛成してくれるなら心強い。しかも軍縮だけでなく、両軍を統合もだ。これが星間連合側から出ているのなら、ことも進めやすい」


 天儀は大将軍という強権を使って、軍縮を考えていたと口にした。


 紫龍は、あまりにあっさり肯定されてしまったことで、自身のうちにあった懸念を思わず口にする。


「退役とはいますが、実質リストラ。クビです。士卒は納得するでしょうか?大量に解雇されるのは軍の末端です」


「将校ならいざしらず。士卒を一生軍人で終わらす気か。あまり良い人生ではないな」

 と、天儀は断言した。

 

 これに紫龍が少し驚くと、天儀が言葉を継ぐ。


「開放してやれ。李紫明りしめいは名誉を回復した。彼らは、よくやった」

 

 瞬間、紫龍がのけぞるような感覚に襲われていた。

 目が見開かれ、目頭が熱い。

 

 そうか――。

 軍縮に抵抗感を持っていたのは自分自身。紫龍が率いた下軍は高齢者といっていい兵すらいる。当然、彼らが真っ先に軍縮というふるいにかけられるだろう。


 それを私は軍全体だとか、大将軍が皇軍という形にこだわるだとか、言い訳して自信の心中を巧みに押し隠していた。なんと情けない。

 

 紫龍が気づけなかった自身の心の底に沈んでいた軍縮への不満。

 ――それを大将軍は見事に射抜いて。

 ただ李紫龍に1人にとって、天儀の言葉は箴言しんげんだった。


 紫龍が率いる下軍には、信じられないことだが李紫明の最晩年に軍幼年期学校などで直接薫陶(くんとう)を受けた兵士が残っていた。彼らは60歳を近いかそれを超える。

 

 義体化と遺伝子技術が、

 ――李紫明の名誉回復。

 という彼らの情熱を可能とした。


 そして、その李紫明から直接薫陶を受けた軍人から教育された二世代目軍人が、李紫明の名誉回復派の中核だった。いまは、もうこの二世目軍人たちもかなりの高齢といっていい。


 紫龍は天儀のいった、

 ――開放してやれ。

 とは、彼らのことを指しているのだと理解するのはたやすい。


 因みに李紫龍の世代などは、李紫明名誉回復を口にするめずらしい。死してなおグランダ軍を指揮したといわれる名将李紫明はグランダ軍内でも歴史上の人物、つまり過去になろうとしていた。

 

 恍惚こうこつとして声がでない紫龍へ、天儀が継ぐ。


天童愛てんどうあいが、李紫明に敗れた。死人には勝ちようがない。と言ったそうだ」

 

 紫龍の口元がわずかに動いた。驚きでだ。


「私はこれが、苦し紛れの言い訳には思えない。純粋な賛辞の言葉だ。素直に受け取っておけ」


「それが、退役ですか」


「そうだ。行動に移せ。人生のすべてを李紫明の名誉回復に捧げたのだ。天童愛の言葉は、何も君一人へ向けられたものではない。李紫明の名誉回復を願っていた者たちを納得させるだろう」


「今更、解き放つのは酷ではないでしょうか?」


「そんなことはない。苦しみも人生の一部だ。物事が終わりを告つげたのに、そのまま縛り付けておくことは不幸だ。要らぬ情をかけるな。それは彼らからすれば大きなお世話というものだ」


「わかりました。天童愛は、李紫明に敗れたですか。確かにそう言えば彼らも納得するし、名誉にまみれて残りの人生を生きれるはずです」


 天儀がうなづいた。紫龍の心の中から迷いも消えていた。

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