(閑話) パイロット候補生セシリア
ご令嬢セシリア・フィッツジェラルドはエネルギー事業で家勢を増す父の反対を押し切り、士官学校航空科を出ると、グランダの首都惑星天京にある航空学校へ入校した。
航空科を卒業したといっても、
――飛行機を飛ばせるだけ。
現場の要求に合わせた訓練を更に行う必要がある。
いまのセシリアの飛行時間は、一五〇時間程度。五〇〇時間で一人前と呼ばれるので、この航空学校で飛行兵としてのキャリアを積むことになる。
セシリアは、将来は惑星守備をつかさどる圏内軍の将校を目指さしている。時代は多惑星間時代、宇宙空間の軍隊、つまり星系軍と比べて、惑星守備の圏内軍は二流の戦力としてみなされることが多かったが、
――それでも軍人ですわ。
というのがこの頃のセシリアの強い思い。
二足機のパイロットになりたかったのが幼いころのセシリア。
だが、セシリアに激甘の父も、娘の星系軍への所属には大反対、
「絶対に許さん!」
と、顔を真赤にして、目に涙をためるセシリアの要望を入れなかった。
グランダは隣国の星間連合と戦争を繰り返している。そんな最中に星系軍所属の二足機のパイロットなど最前線勤務は疑いない、娘を溺愛する父からすれば論外。間違いなく消耗品として終わる。
そんなセシリアは腐らずに航空学校で軍人を満喫。セシリアの飛行学校での日常は、
――毎日がとても充実していますわ。
というもので、輝きに満ちていた。
そこへ大将軍である衛世が視察におとずれたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――大将軍衛世の航空学校視察。
と、聞いて航空学校は上から下まで大騒ぎ。
生徒たちどころか、校長や教官たちまで浮足立った。
グランダの全軍を統括する大将軍といっても、その主体は当然星系軍、わざわざ圏内軍の航空学校に視察におとずれる真意は不明に過ぎる。
学生たちの間では噂はつきない。
「大将軍といっても軍再編の事務仕事ばかり、天京内に留まる衛世将軍はお暇なんでしょうね」
というのはセシリアの友人の1人の、
――エリカ・アルボー。(通称:姫)
肩ほどの長さの巻き毛で、ののほほんとした女子だ。
「暇だからって迷惑な話よね。わざわざ礼装で講堂へでて、話聞いて。教官たちもカリカリしてるじゃない。面倒くさいったらないわよ」
エリカの言葉に不満で応じるのは短髪でボーイッシュな女子で、
――中原ユウ。(通称:王子)
セシリア、エリカ、ユウは航空学校内では一目置かれたグループだった。
なお、セシリアの航空学校内での通称は、
――女王。
この女王と呼ばれて、
「あら、なんです?」
と、あっさり、さも当然のように受けてしまえるのがセシリアでもあった。
航空学校内では、突然の大将軍の視察に、
――暇つぶし。
とか、
――事務仕事での溜まったストレスの憂さ晴らし。
という噂がまかり通っていた。
星系軍関連の学校ならなっとくもいくが、大将軍が圏内軍の、それも航空学校にくる理由などまったく不明だ。
そしてセシリアの航空学校は、都がおかれるテンロン特区からもかなり近い。暇つぶしに出向くにはいい距離。
こんなことから今回の大将軍衛世の視察は、
「暇つぶし、憂さ晴らし、そして気まぐれ」
というのが学校内での一致した意見だった。
そして視察当日……。
飛行学校の講堂の壇上に立つ大将軍衛世。
真っ白な立派な髭に、これまた白く長い厳しい眉。高身長で体躯は隆々としている。
その詰め襟の軍服には、首周りを一周しているような肩章と飾緒の組み合わせ。いかにも特別というのがひと目でわかる。
――威厳のあるご老人ですわね。
と、セシリアは壇上で訓示を行う大将軍を見上げていた。
講堂に集められた生徒たちは直立不動、いや生徒だけでなく校長や教官たちもだ。
大将軍からすれば、二級戦力の圏内軍の兵員育成学校など視界に入らないような底辺といっていい。
セシリアからしても、大将軍の存在は遠い。目の前で喋っている怖そうな老人が本当に大将軍なのかという半信半疑。
セシリアは壇上の老人を眺めながら、大将軍様の経歴を反芻するように思い出すことにした。老人の話は長いのだ。頭の中で暇つぶしをするに限る。
いまのグランダ星系軍のトップは電子科出身か砲雷科出身が多いですわ。けれど衛世将軍は情報科から出世した異色の人物ですわね……。
そして衛世将軍は、情報の収集と管理に優れ、情報部にあって煩雑だった情報収集と管理の体系化を行い、システムを再整備した。これが帝の目にとまり、全軍の整備再編成を命じられる。というご経歴だったはずですが――。
などと長々考えると、セシリアでも眠くなる。
ようは――。
衛世大将軍は、組織管理に長けた名将。星系軍の動員の効率化だけでなく、圏内軍からも部隊を引き抜きやすく組織改編を行った。と、いうわけですわね。
セシリアが脳内で暇つぶしをするなか、壇上の衛世がムッツリと黙っていた。
壇上の衛世が目の前にした航空学校の学生たちは40名。これが全校生徒だ。
衛世の目には、この40名は緩みきっていた。
衛世が分析するところ、先ず緩みの原因の第一は生徒たちの自分たちが、実戦に出ることなど先ずないという思い。
そして二流の圏内守備軍といっても首都惑星天京の守備隊は特別だった。この航空学校に在籍するものはこのまま圏内軍のエリートである天京の守備につくものが多い。
天京は治安もよくテロなども起こりにくいし、災害救助活動も航空科の戦闘機乗りにはあまり関係ない話だった。
つまり将来への過信と見通しの甘さが、校内にはただよっていたのだ。
これに青筋を立てた衛世が、
「わかった。諸君たちは実戦に出ることがないと腐っている!帝の代理である大将軍を前にしてその態度。よく、わかったぞ」
と、憤慨を口にした。
衛世が真っ赤になると、生徒たちは反省するどころか、講堂には益々白けた空気が漂った。
これに大将軍衛世は、怒りを押し殺し、
「わかった以上だ」
と、訓示を終えていた。
奮然と壇上を降りる衛世。突然の怒りに、ただ驚くのは生徒たちだけでなく教官や校長もだ。場違いな熱気を放つ老人を前に、講堂には釈然としない空気がただよった。
このとき誰も大将軍様が体貌から火を吹いていたことに気づかなかった。
訓示が終わるといつも通り、ただいつもと違うのは礼装という点だ。
セシリアたち生徒が、座学教室や飛行訓練を受けるのを大将軍衛世が見て回る。
だが、大将軍衛世は教室には姿を見せなかった。
セシリアは、
――おかしいですわね。
とは思うも、さして気に留めなかった。
視察など壇上の老人の気まぐれですわ。どうせ校長室あたりで接待でも受けているのでしょう。などと勝手に理由付け。
セシリアが以前目撃したところでは、校長室の戸棚には高級酒のコレクションがズラリと並べてあった。セシリアは校長がご機嫌取りで、それを大将軍様に進呈していそうだなどと想像し、くすりとした。
結局、大将軍衛世はセシリアたちの前に姿見せずに昼食となったのだった。
セシリアは親しい友人のエリカとユウの3人で食堂へ向かうなか、進む先の掲示板の前が騒がしい。
「何があったのかしら」
と、ユウが口にするとセシリアを含む3人は、携帯端末を取り出し確認した。
掲示板情報は構内の学校のローカルネットワーク上でも公開されている。
さして幅のない廊下に人だかりでは、掲示板を覗いて原因を確かめようにも、掲示板には近づけそうにない。
携帯端末を操作してしばらくセシリアが、驚きを口にする。
「飛行学校校長が、大将軍の命令で解任ですって!」
それにユウが、
「はぁあ?ばっかじゃないの!」
と叫ぶようにいい。エリカも驚き、
「ええええ、クビってことですか!?」
と、大きく口をあけていた。
クイーンから出た思わぬ情報に、王子と姫も信じられないといった様子だ。
「校内の規律がゆるいというのが解任の理由とのことですわ」
セシリアがさらに情報を付け加える。
「しかも憲兵隊へ身柄を送られていますわね。つまり間違いなく軍籍剥奪で、年金ももらえない……」
3人は青くなって顔を見合わせた。
大将軍が解任して憲兵隊へ送った場合、憲兵隊長が立件し軍法会議が開かれる。この場合有罪は確定である。
つまり、校長は綱紀粛正のため見せしめで処罰を受けた。
いま3人は、壇上の老人の怒りが本物だと知って驚くやらとまどうやらだ。
「さらに、私たちは衛世大将軍自ら3日間の調練だそうですわ」
セシリアからそう聞かされたユウとエリカが絶句。
訓練でなく、
――調練。
という古風ないい方が衛世の年齢を感じさせる。
「衛世大将軍は、情報科出身だよね。どうやって飛行訓練をするのだろうか……」
ユウが戸惑いもあらわに疑問を口にする。
嫌な予感が3人を襲う。どう考えても実施されるのは飛行学校で行うような専門的な訓練ではない。
もっと汎用的で、一般的な誰でもできる、
――〝シゴキ〟
が、容易に想像できた。
「歩兵系の訓練でしょうね。と言うか共通の基礎訓練でしょう。しこたま、しごかれますわ」
と、セシリアが代表して考えたくもない事実を口にすると、ユウとエリカが交互に話しだす。
「え、穴掘ったりするの」
「歩兵って穴を掘るんですか!?」
「陣地構築するから。塹壕戦とかもそうでしょ。歩兵科の娘に聞いたよ。部下に穴ばかり掘らせるって」
ユウは、そういいながら片手を胸の前まで上げると、その手で地を掻くような動作をする。
「陣地構築や塹壕って重機でやるものではないのですか。え、手で掘るの?信じられない」
エリカが穴を掘る動作を見て驚いて、そういうと、セシリアが思わず、
「あらいやだ。素手だなんて。スコップが渡されるはずよ」
と、2人へ突っ込みを入れた。
これにユウとエリカの2人が思わず吹き出す。
「そう言う意味じゃないけれど、スコップが渡されようが似たようもんね」
「セシリーは相変わらず少し抜けてますね」
セシリアは2人の見せた反応に、少し驚いたふうな色を出して、
「あらそうですの?」
と、応じた。
「そりゃそうよ。用具もなしに素手で地面掘るなんて多分シゴキでもやらないわよ。非効率的よ」
「私が、『手で掘る』と言ったので勘違いなさったのですよ」
「そこを勘違いできるのが、セシリーらしいわ」
「セシリーさん、私たちが言ったのは人力でっと言ったニュアンスのことです」
そう交互にいうユウとエリカに、セシリアは不満げ、2人はあきれながら思わず笑ってしまった。
2人の笑いがおさまると同時に、校内放送が流れた。内容は、
『全生徒は13時半に校舎前のグランドに集合』
というもの。
服装などの指定はないが、聡いものは運動しやすい格好で集合し、グラウンドに集まった全校生徒40名の服装はまちまちだった。
セシリアたち3人は、着替えるのも億劫で講堂での訓示の時に着ていた礼装のまま。
生徒たちがグラウンドに並び終わると、衛世が姿をあらわした。
衛世は講堂での訓示の時とは違い、地上戦を行う歩兵が着用するような迷彩服を着ている。
その後から4人の教官たちが、カートを1人一台。小銃を載せ運んできた。
生徒たちは、運ばれてきた小銃より教官たちを見て驚いた。
4人とも顔面が真っ赤に膨れ上がっている。
グラウンドの不気味な驚きが広がり、
「一等軍曹から尉官を殴って指導したのか――」
と40名がざわついた。
生徒たちの目から見てもその教官たちが、衛世大将軍の『教育的指導』を受けたのは間違いない。
エリカは顔面蒼白で狼狽、
――ええ、ええ!?
心中ですら声にならない。
ユウは口元を引きつらせ、
――あの様子だと、衛世将軍が馬乗りでタコ殴りにしたんじゃ。
セシリアは驚き目で教官たちを目の端で眺め、
――あれが、私たち未来でしょうね。
と、腋に嫌な汗を覚えた。
とにかくセシリアたち生徒は、午後の強い日差しを受けるなか震え上がったのだった。
衛世はグランドに並んでいる生徒たちの前に立ち、
「諸君は、自分たちが実戦に出ることなどないと思っているようだが、今、帝は第七星系の秋津の内乱鎮圧を考えておられる」
と、開始した。
衛世が口にした惑星秋津は、今どき惑星内に複数の政権を持つグランダ内では珍しい惑星だった。
多惑星間国家のグランダへの参加惑星ではあるが、秋津はグランダ議会に議席を持たない。引き換えというわけではないが、惑星内の各政権は、独立国同等の自治権が認められている。
その秋津が、完全な内乱状態に陥ってもう何年も経過していた。
グランダの加盟惑星が、グランダの統治が全く及んでいないこの状況は不味い。だが惑星間グランダ政府は何も手を打てないでいた。
この秋津の征圧に、朝廷を通じて帝が指導力を発揮し、問題を解決したことで帝へ益々権力が集まる結果となるが、いまはその話は関係ない。
衛世が更に言葉を継ぐ。
「惑星秋津で、戦闘に発展すれば地上戦である。地上戦となれば制空権奪取は必須事項。諸君たちの出番となるのは十分考えられるぞ」
この言葉に学生たちから失笑が起こった。
恐ろしい爺さんだが、
――時代遅れの精神論者、まさに骨董品だな。
という生徒たちの失笑の原因。
生徒たちからすれば、衛世が真剣にいうさまは滑稽ですらある。
何故なら星系軍は宇宙軍といっても、独立してすべての軍事活動を行えるように編成されている。
例え星系軍からの降下作戦が展開されても、先ず星系軍の地上部隊が展開するので、各惑星の守備をつかさどっている圏内軍から引き抜きが生じることなどほぼありえなかった。
しかも自分たちはまだ学生だ。お呼びがかかることなどありえない。
偉そうにいっていて、衛世からでたのは現実離れした言葉だ。宇宙戦争で惑星守備隊からの動員など、子ども向けのアニメより酷い。想像たくましく、冗談に過ぎる。
大将軍衛世が嘲笑に包まれていた。
それを衛世は一喝して黙らせ、
「次、規律を乱すような行動を行えば、班長に罰を与える」
と、宣言した。
全校生徒40名は5人づつの八班に分けられて管理されている。衛世は、その8個の班の班長のことをいったのだ。
グラウンドに不気味な静けさが満ちた。
衛世の一喝で、生徒たちは目の前の顔面が倍に腫れ上がっている教官たちを思い出したのだ。そして校長は軍法会議に送られている。
生徒たちは思い出せば、
――冗談ではない。
と、冷え上がるしかない。
その教官たちから40名へ小銃が配られると、訓練が開始された。
まずは銃剣付きの小銃を抱えてグラウンド50周。
その間にトラック3台がグラウンドへ入り、荷物をおろして出ていった。
降ろされた荷物は鉄骨を組んで作られた障害物や網、そしてどこから持ってきたのか切り出したばかりというような丸太などもある。
走りながらもセシリアたち生徒の目は降ろされた荷物へ釘付け。全員が驚きで顔が青い。
――大将軍は本気だ。
と誰もが感じたからだ。
加えて、
「本気で、ここで基礎訓練を行う」
そう誰もが思いゾッとした。
降ろされた荷のなかでもひときわ目立つ鉄骨で組まれた訓練用の障害物。
この鉄骨の塊をグラウンドへ並べていけば、
「あっという間にアスレチックコースの出来上がりですわね」
などと、セシリアは思った。
ただ、話はそこまで簡単でもない。
重機で釣り上げ、障害物を配置し、15センチの金属製の鋲で地面に打ち付け固定する必要がある。
教官たちが重機を操作し、グラウンドへコースを構築していく。
先ずは鉄骨で組まれた障害物を並べ、網を広げ四方を止め、次に丸太を積み上げ、小型の重機を入れて穴を掘り、そこに水を流しこんだ。
セシリアたちが50周走り終わる間には、グラウンド中央に見事なコースが出来上がっていた。
コースは最初に網地帯、ここを匍匐前進でくぐるのだろう。
次に丸太が五段に積み重ねられた障害物。これは単純によじ登り降りると想像できる。
その後に雲梯やらロープが吊り下げられた鉄骨で組まれた障害物が並んでいた。
そして最後に8メートル四方を四〇センチほど掘り下げてから泥水を入れた泥濘地帯。ここは走るのか匍匐前進なのかは不明だ。
衛世の自らの号令で、5人づつ進む。泥濘地帯は走り抜けるよう指示された。
セシリアの班が最初だった。
衛世の号令が響く、一斉に駆け出すセシリアたち。班にはエリカやユウの姿もある。
銃剣を手に網の下を匍匐前進し、なんとか丸太のピラミッドをよじ登り、泥濘地帯にたどり着いた。
一番に駆け抜けてきたセシリアだったが、そこで足が止まった。
――眼下の泥濘は見るからに汚い。
セシリアは泥で服が汚れると躊躇したのだ。いま自分が着ているのは大将軍の前に出るということで礼装と呼ばれる華美でお値段の張る制服。
それにしてもセシリアは、自分でも足が止まったことに意外だった。だが、ご令嬢のセシリアは、生まれた時から士官学校時代までも、そして今でも周囲から特別扱いされていた。
それに普段は不満だったが、そんな扱いに慣れていた面もあった。それが今ここで出た。
特別扱いと言っても甘やかされていたわけではない、何かにつけて周囲に一目置かれ、順番待ちがないといったような些細なことでほんの少しだけ待遇が良い。だが、それが積み重なりセシリアの甘えとなっていた。
止まったセシリアに、衛世が近づいてきて、真っ直ぐセシリアの目を見た。
セシリアの表情には怯え。
セシリアから見て、大将軍衛世は自分の二倍ほどにすら見える。
――目は口ほどにものを言う。
衛世は、セシリアの表情から止まった理由を直感した。
衛世が、
「汚れるのがそんな嫌か!」
と、怒声を発した。
体がこわばるセシリア。
「ひざまずけ。匍匐で抜けろ!」
そういうと衛世は、セシリアの髪の毛を掴み、膝裏に蹴りを入れ強引にひざまずかせた。
勢い良く膝をつく形となったので、泥がはね散る。
それにセシリアが声は上げないが顔をしかめると、衛世が激昂。
髪の毛を掴んだままセシリアの顔面を、そのまま泥の中へ突き入れた。
「貴様、汚れるのが嫌だと!泥が跳ねないように、銃撃の中つま先立ちで進む気か。這え!這って進め!」
この日は、10回この障害物レースを繰り返させられたが、セシリア一人だけ泥濘地帯を這って進んだ。
天京圏内軍で将来を嘱望されている航空機科のクイーンは泥まみれになって、その日の訓練を終えた。
翌日は地獄だった。
朝4時に総員起こしが行われ、5時間の行軍訓練。戻ってきてグラウンド50周。さらに例の障害物競走。
この日は泥濘地帯を全員が這って進むはめになった。
衛世からは、
「今日はやりがいのあるようにしてやったぞ。好きなように越えろ」
と、指示されたが、セシリアたちが泥濘地帯を進む横から、
――機関銃から実弾が連射されていた。
これでは這って進む以外にない。
セシリアたちは、けたたましい銃撃音が響くなか真っ青になって進んだ。
それを衛世は、情けなくなる思いで見ていたのだった。
セシリアたちが顔面蒼白なってコースを越えているが、
――こんな訓練は序の口。
衛世は苦渋の色が、顔だけでなく体貌全体から出ていた。
この程度で青くなったり、倒れたりするのが、これが兵士なのか。質の低い圏内軍とはいえこんなものが兵士か。と、衛世には苦さと渋さしかない。
衛世は嘆息し、
「わしはもう飽きた。なんだこれは。これが兵士か?」
と、いって立ち上がった。
そして横にいる航空学校の教官に自動小銃を持ってくるように指示した。
そんななか、セシリアたちの班の5周目が開始される。
衛世は自動小銃手に、泥濘地帯前に立った。
セシリアが一番に泥濘地帯に入る。セシリアの目の端に衛世が映る。
――衛世が見ている。
と思うと、セシリアは熱くなった。努めていいところを見せようと思ったわけではないが、やはり燃え上がる。
セシリアは泥濘へプールに飛び込むように突っ込み匍匐前進を開始。
だが、疲れと泥で中々進まない。
5人全員が泥濘地帯に入り、最後の1人が三分の一まできたと同時に衛世が自動小銃を構えた。
教官たちが色めき立って、思わず監督していた座席から立ち上がる。
衛世の横で機関銃を連射していた衛世付きの兵士たち2名も驚き、機関重の連射が止まっていた。
――突然の静寂。
セシリアの耳には、自身の荒い息と、水に濡れた砂の擦れる音がよく聞こえる。
セシリアは突如音がやんだことに気づいて、
――弾切れかしら?
と、進みながらも状況を確認した。
が、目には自動小銃を自分たちへ向けて構える衛世が入った。
衛世の目にはまったく感情の色がない。
セシリアは目撃した瞬間に、目を見開き、歯を食いしばるような表情になる。必死の形相というやつだ。匍匐前進にも力が入る。
――あれは間違いなく遅いと撃たれますわ!
と、セシリアは心の底からぞっとした。
衛世は尻や足ぐらいなら平気で当ててきそうだった。
直後に同じ班で泥濘を進む友人のエリカが、自動小銃を構える衛世に気づき、
――※◎△×¥●&%#―っ?!
と、声にならない悲鳴を上げる。
それを合図にしたのか、衛世が自動小銃の掃射を始めた、セシリアたちへ向けてだ。
自動小銃を連射する衛世は嬉々とすらしている。
自動小銃は、いままでの機関銃と違い音は軽いが、泥に着弾する小さい音が鮮明で、より恐怖を煽った。
それまで、ほほに泥をつけても爽として、
――さすがは王子。
と、周囲から見られていたユウも目に涙が滲む。
セシリアの班5人は、1人が失神して、全員が失禁した。失禁したのは泥濘で汚れているため最初はわからなかったが、時間がたつと乾いて臭う。
生徒たちは残りの周回を、機関銃と衛世の自動小銃をかいくぐり泥濘地帯を越えたのだった。
翌日も朝4時から訓練が開始されることとなった。
この最終日は3時間の行軍訓練から開始され、それが終わると朝食。
朝食をとった後に、グラウンド集合するのだが、朝食前に1人が小銃の汚れを衛世に見咎められた。
「貴様、銃が汚れているぞ!どういうことだ。自身の銃も管理出来ないのか。砲身の目立つ部分が汚れているということは、中身の機構の管理も疎かということだ。死地に臨んで撃てないですむと思うのか。貴様だけでなく全員が死ぬぞ!」
これで全員が、小銃を持って講堂へ集合となった。
目立つ部分が汚れている者が多かったが、持ち出す際に拭いてしまえばよかった。
セシリアの小銃も汚れていた。皆が小銃を拭う中、セシリアはそのまま集合場所に直行した。
一番に講堂に立ったセシリア。その銃は汚い。
その後しばらくして次々と学生がたちが入ってくる。
衛世に40人の小銃が点検され、セシリアだけ首根っこを掴まれ引きずられた。もう人の扱いではなく物だ。
40人の前に引き出されたセシリア。
衛世は、セシリアを横において生徒たちに放つ。
「たかが小銃の汚れ、だが規律の乱れはこう言うところからくるのだ。そして小さなほころびから組織が崩壊する」
セシリアは晒し者にされながらも、組織再編を行なった衛世らしい言葉だなと思った。
「貴様、女王らしいな!」
衛世から突然飛行学校内での愛称で怒鳴られ、セシリアはどう応じていいかわからない。
セシリアの目の前に衛世の大きな顔。
「何が女王だ!不敬なやつめ!恥を知れ!」
怒声とともにツバが浴びせかかったが、セシリアは恐怖で瞬きもできない。
次に衛世は、列に並んでいるエリカへ向け、
「おい!こいつは女王らしいな!」
と、怒声を浴びせた。
真っ青で何もいえないエリカ。
衛世はすぐにターゲットを変え、今度はユウと近づき、
「はっ!何も言えんと見える。お前は王子らしいな!こいつは女王さまか!?」
と、セシリアを指さし怒声を浴びせた。
ユウが目をそらし、
――お前などに屈しない。
そう、ムッとした態度を取った。
衛世がユウ短い髪を掴み、顔を近づけ怒鳴りつける。ユウの顔が痛みと乱暴で歪む。
さらに衛世は、
――ほら、何か喋れ!
とばかりにユウの髪の毛を掴んだまま乱暴に左右振る。
「クイーンです――。私たちのまとめ役ですもの!」
と、震える悲鳴のような声が上がった。
真っ青なエリカだった。
衛世がユウから手を離し、無造作にエリカへと近づいて、
――蹴りを一発。
エリカは吹き飛んだが、歯を食いしばりすぐに立って元の位置に戻った。
衛世が、エリカとユウを交互に一瞥してから、セシリアへ、
「いい友人だな!だが、お前のせいで友人2人が捕虜になって拷問を受けたぞ!どんな気分だ!」
と、放った。
支離滅裂な言葉だが、おそらく分析するに、
「セシリアの小銃の動作不良が原因で、セシリアの小隊からエリカとユウが捕虜となった」
このあたりの設定が衛世の中にはあるのだろう。想像たくましいとしか言いようがないが。
場は恐ろしさから冷え上がっている。
そしてセシリア1人が、39人を前に衛世から指導を受けた。
――ほほに張り手を一発。
セシリアは飛んでくる手を、歯を食いしばり、あごを引いて受ける体勢。同時に殴られる側のほほを差し出す。殴られ方を習ったわけではないが、それが良い気がした。されるがまま殴られれば、そのまま失神しかねない。気を失えば無様だ。それに打たれ方間違えると、鼓膜が破れる。
衛世は、セシリアを打ち終わると生徒たちへ向き直り、
「では、続いて詐術を行なった者への処罰を与える。残りの39名は、そこで腕立て100回!」
と、冷たく命じた。
その声が終わるか終わらないかで、39名が跳ねるようにして、床に手をつき腕立てを開始する。
セシリアが立って眺める中、腕立てをする39名は、さんざん教官たちから手を足で払われたり、踏みつけられてしごかれた。
衛世も、
「この衛世の目が節穴だと思ったか、馬鹿どもが!」
と、いって踏みつけてまわっていた。
こうして最終日が始まり、前日2日と同じようにグラウンド中央に設けられた障害物コース10周で大将軍衛世による特別訓練は終了した。
最終日の訓練が終了したのは午後4時頃。
特にその後の予定はなく、生徒たちは夕食の時間まで死んだように部屋に倒れているか、泥々になった服を洗濯。男子は水浴びて体の汚れを落としていた。
そんな中、セシリアだけが校長室へ呼びだされた。
セシリアが校長室へ入ると衛世が部屋中央の机の椅子に座っていた。
直立不動でセシリアが敬礼して挨拶をすませると衛世が、
「セシリア・フィッツジェラルド。お主のお父上とわしとは親しい間柄だ。まさか友人の娘がいるとは夢にも思わなかった」
と、いって笑った。
セシリアは、衛世の笑いの意味を解しかね。衛世の顔を驚きでうかがうしかない。
衛世が言葉を継ぐ。
「今朝の講堂で、なんで汚れた銃をそのまま持ってきた。豪胆なやつだな」
問われてもセシリアは困惑するだけ。
セシリアとしては、
――どうせばれますわ。
と、思っただけだ。現に小銃を拭いて集まった生徒の隠蔽は看破されていた。
答えないセシリアに構わず衛世は更に言葉をつづける。
「お主は馬鹿だな。だがお主だけ唯一詐術を行わなかった。この3日間、40人中で、お主だけが兵士となった。わしはお主を高く評価する」
衛世はそういって言葉を切ってから、
「星系軍へ移動だ。情報部へ移動しろ」
と、セシリアには信じられないことを口にした。
「情報部ですか?」
と、セシリアは思わず問い返した。
父があれだけ反対した星系軍である。しかも希望したパイロットにはなれない。だが、星系軍である。
「そうだ。お主の父に、情報部は後方担当、大気圏内を飛行機で飛ぶより安全だと言ってやったらあっさり承諾したぞ」
衛世がそういうとにやりと笑った。セシリアにも思わず笑みがこぼれる。
「父は、まんまと騙されましたのね」
航空機科で成績優秀なら、星系軍になればまずもって惑星降下部隊に配属される。エリート部隊だが、極めて危険といっていい。
衛世は航空機パイロットでセシリアの父を説得するのは困難と考え、情報部で星系軍入りさせた。
自身の出身の情報部なら何かと融通もきかせやすいのもある。
セシリアのお父様が、愛してやまない娘の星系軍入りを反対したのは、セシリアが二足機科希望で、かつ星間戦争が再開される見通しが間違いなかったからだ。
セシリアのお父様は、戦闘機のパイロットにも不満だったが、実戦に出ることがないであろう圏内軍ならと、妥協して娘の我儘を許していたのだ。
「帝は必ずこの10年の間に星間戦争を再開なさる。その時に圏内軍では、情報部なんぞとは比べ物にならないほど戦場へ出るのは絶望的。可能性をつなぐ。お主は明晰だ。情報部で上手くやれる。このわしが保証する」
「情報部の申し子衛世様にそう言われたら、その気になってしまいますわ。私って意外に単純ですのよ」
セシリアが、臆せずにいうと大将軍衛世は、気持ちよさ気にカラカラと笑った。
セシリア・フィッツジェラルドは、翌日の朝、航空学校を発ったのだった。