14-(4) 処刑
薄暗い大和第二格納庫の前に、腰に手を当てひじを張る女性が1人。
林氷沙也加
は、ポニーテールに結い上げた黒髪の毛先が背中にかかる化粧っ気のない作業服。
端正な顔立ちだが、美しさよりも強さを感じさせる。それが沙也加。
どんなに時が流れようと、現場と機械、兵器整備の世界は男が主体の職場だ。油まみれになり男社会に揉まれて、総旗艦の兵器廠長までになった女性には凛とした空気を身にまとっている。
沙也加は管理職になっても現場主義。作業服には黒く擦れた汚れ、指先どころか手はオイルで黒い。
――ま、洗ってもすぐに汚れるからね。
というのが理由だ。一日の最後にきれいに洗い流す。沙也加は、仕事は丁寧で早いが、自身の管理は少し雑。ほほに黒い線を残したまま半日以上過ごすことすらある。
――こんなんだから、いい歳頃なのに彼氏もいないのね。
などと思っていると、黒い影が音もなく現れた。
黒い影を認めた沙也加が緊張の面持ち敬礼。
黒い影の主は男。男は沙也加へ、
「要件は?」
と、敬礼で応じた。
「見ていただければご理解頂けると思います」
「百聞は一見にしかずか、行こう」
沙也加はうなづき、男を先導。
「わざわざ大将軍に、ご足労頂いて恐縮です」
「いい。君がいうのだから大事だろう」
――こういわれて悪い気はしないな。
と、沙也加はくすぐったさを感じた。
沙也加が横を歩く大将軍へ目を落とす。そうグランダ軍の頂点に立つ大将軍は沙也加より小さい。
ですが――。
私はこの男の前だと、子犬のようにあしらわれ、声をかけられればしっぽを振るような態度でおうじてしまう。ほんと不思議ね。
兵器廠長といえば機関科。機関科は、兵科武官に対して技術官。どうしても兵科武官のおえらがたには舐められやすい。
――が、私は違うんだな。
総旗艦の兵器廠長ともなれば一目置かれ、加えて沙也加は男に引けを取らない身長、そして男社会で叩き上げられた独特の風貌がある。
――ようは、私はそんじょそこらの男に簡単には舐められない女なのです。
小型艦艇の艦長ぐらいなら沙也加に、
――ギロリ。
と、ひとにらみされれば縮み上がり、目を逸らす。
――それが大将軍は一味ちがうわね。頭から呑まれちゃったわ。
沙也加が大将軍天儀を初めて見たのは天儀の着任式。
広い第一格納庫に集められた大和の乗員たち。段上には大将軍天儀。
沙也加は大勢のなかでも最前列。
そう、巨艦の兵器廠長ともなれば中々偉いですから。そのなかでも私は総旗艦の兵器廠長。かなりのもんよ。
だが、沙也加から見て、天儀の姿は遠いい。
――ああ、天上人ってやつね。苦労を知らなそう。
沙也加は段上の男を眺めながらそんなことを思った。
沙也加の目には、薫陶を垂れる大将軍の足元に雲にすら見える。
そう天儀と沙也加の2人の立場の違いは大きい。
大将軍にあるのは1人だけ。軍で唯一無二の天儀からすれば、沙也加は有象無象の兵員すぎない。
その大将軍様が、翌日には沙也加の目の前にいた。激励で艦内を回っているらしい。
――ずいぶんと暇なヤツね。
とすら思ったが、にこやかに敬礼で迎える沙也加。
が、続いて大将軍様が沙也加へ手を突き出していた。
――なに?
と、あっけにとられる沙也加。
思ってもみなかった行動だが、
――え、ああ、握手ってこと?
沙也加はそう理解するも躊躇した。
手がオイルで真っ黒なのだ。
――しまった不味いこの手では握手できない。やっちゃった。
と、沙也加はとっさに思う。
人は身なりをかなり気にする。沙也加も女性だ。作業場からブリッジなどへ、報告へいったときには特に自身へ向けられる視線の意味は感じる。
沙也加の手は黒く、作業着も不衛生ではないが汚れが目立つ。対して、清潔な室内できれいな制服を着た将校たち。蔑みの視線は感じないはずがない。
ある将校に胸に差していたペンをかそうとしたときなど、露骨に嫌な顔をされた。
視線には、
――その汚いペンを俺に使えというのか。
という侮蔑と嫌悪がありありとでていた。
そしていま沙也加との握手を望み、手を差し出してきた目の前の男は燦然として、対して自分は黒い油まみれのアブラムシ。それなりの立場の総旗艦の兵器廠長など、気取ってみても虚しいものだ。しょせんは下っ端の長に過ぎない。という苦さが沙也加に胸懐に満ちた。
が、次の瞬間、沙也加は全身が思いがけない力強さに襲われた。
沙也加の手が、大将軍様にガッチリと取られていたのだ。
――え?
と、驚き握られた手を見つめる沙也加。大将軍天儀の手は熱い。
「よろしく頼む」
と、大将軍天儀が重い一言。
艦艇内に置かれた兵器廠は、軍艦のあらゆる兵器の整備、修理を掌握する。ときには航行に必須な部品すらゼロから製造するのだ。兵器廠がなければ軍艦は整備不良にまみれ、重力砲は装填すらままならない、艦載機も発艦どころではない。
沙也加はガッチリと握られた手に、
――大将軍は兵器廠の価値をご存知だ。
と、身が震えた。
沙也加は天儀に、手ではなく心を握られていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天儀は林氷沙也加の案内で格納庫内へと入った。
薄暗い第二格納庫には天儀と沙也加の2人だけ。
そんな場所で天儀は不思議なものを目にしていた。
いま2人の前にあるのは、不死隊と恐れられた、
――二足機凶星。
凶星はコックピットと思われる部分が開放されており、そこには計器に囲まれた空の操縦席ではなく、機械と見慣れないモノが詰まっていた。
操縦席内を見た天儀が、
「なんだこれは」
と、言葉を失う。
目の前には人間の胸より上と思わるモノが、二足機凶星の腹にある開口部から露出していた。
沙也加が、
「おそらく凶星は、この少女の上半身で、機体をコントロールしています。必要なのは上半身ではなくの厳密には脳でしょうが」
そう所見を述べると、天儀が口元を手で抑えながら、
「これは人間の脳を機体のコントロール装置として直接組み込んでいるのか」
と、うめくようにいった。
「はい。生体演算処理装置というやつですね」
「なるほど、生きているのかこれは」
「おそらくはそうでしょう。栄養剤を投与する開口があるのでそこから栄養を投与していた形跡があります」
天儀が人間の部分を指で突く。
――柔らかい。生物のように。
沙也加が、そんあ天儀を見つめながら、
「どうされますか」
と問う。
倫理犯罪として公表するか、グランダ軍で研究するかその辺りが選択肢だろう。
「破棄だ」
天儀が即答していた。
意外な答だったが、沙也加はこの答えを期待していたような気がする。だからわざわざ天儀だけに知らせ、呼び出して直接指示を仰いだのだ。
破棄と聞いた沙也加が、確認のためさらに一歩踏み込んだ質問をする。
「知っているのは私と大将軍だけです」
「忘れるんだな。隠し通すのはどだい無理だが、公表すれば欲しがる馬鹿がグランダ軍内にも絶対いる。聞かれたら知らぬ、存ぜぬでいい」
沙也加が、うなづいた。
「戦闘終了後のごたごたで破棄というところでしょうか。格納庫のスペースには限りがりますし、保持するには邪魔ですからね」
「凶星は間違いなく凶悪な戦術機だ。捕虜に要らぬ出来心を抱かせないためにも即時破棄したということにする。苦しいが通るだろう」
沙也加はうなづきつつ、
「しかしグランダでも理論は提唱されていますが、まさか実用にこぎつけていたとは……」
と、兵器廠の技術者らしい感想を述べた。
この言葉には批判的な響きがこもっている。理論上で提唱されている全身義体とはわけが違う。人間を二足機のパーツの一部として使うのだ。主客が逆転している。
天儀の目に前にさらされる凶星の開口部から露わになっている少女の上半身。
「俺はブリッジで凶星の戦いを見て、人間離れしていると疑ったよ。でもまさかこんなものが乗っていたとはな。酷い。それだけだ」
天儀は、そいうと胸の内ポケットから携帯端末を取り出しブリッジへ何か連絡を始めた。
二、三言葉を天儀は、通話を切ると沙也加へ、
「今から破棄することになった」
と、決定をつげた。
沙也加がうなづく。そのために天儀へ知らせたのだ。沙也加は、その意図が伝わって安心していた。が、場の空気は重い。目の前の生命倫理違反に、ことは重要機密の独断での破棄。責任は重大だ。
天儀が、そんな重さのある空気を押しのけるように、
「爆薬巻きつけて宇宙に投下してボーンよ」
と、努めて明るくいいながら凶星の腹部開口部を閉めようとした。
その時音がした。いや音ではなく声がした。天儀と林氷以外の。
『マーマ――』
沙也加には、そう聞こえた。
天儀は、その声を無視。歯を食いしばって力まかせに蓋を閉めた。
そのとき沙也加は見た。開口部を閉じる天儀の顔を。その顔は絶望をたたえたように真っ青だった。
開口部を閉じた天儀は、黙って格納庫を後にする。破棄準備の作業に1時間はかかる。その間格納庫にいても意味が無い。
天儀の背中を追うように沙也加も後に続く。
沙也加の目の前の背中は、動揺で溢れかえり激しく波打っているように見える。背中はこれほど物を語るのかと沙也加は驚いた。
沙也加には目の前の背中が、
『この世は地獄だ――』
と、語っているような気がした。
天儀は兵器廠長の沙也加と凶星破棄を見届けるとブリッジへ戻った。
席についた天儀は、坦々と凶星破棄の書類を作成していく。
記入事項は日付から始まり、その理由、状況にまで及ぶ。
――格納庫が狭く物資輸送困難。
――また捕虜反乱抑止のため凶星70機を破棄。
凶星パイロット70名は――。
天儀の手の動きが止まった。
――全員処刑。
天儀は書類をとじたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんて、ことなんですか!」
と、憤慨で秘書官の千宮氷華は、大和の第二艦橋へ向かっていた。
大和の第二艦橋は、現在業務で使用されておらず。壁に船外の景色が投影される設備を設置し、いまは士官の休憩場所として利用されている。
いま、氷華がそこへ向かう理由は、
――天儀さんがいるからです!
氷華の憤りは止まらない。
「なんで天儀さんは、独断で凶星を破棄してしまったんですかね。解せませんよこれは。凶星には、いーっぱい調べることがあるんですがぁ???」
第二艦橋へと憤然と進む氷華は、天儀へ一言物申すつもりだ。
宇宙最強の機体凶星は、ハッキング対策も万全。
凶星に興味があるのは、技術将校や情報部だけでなく、電子戦司令部もだ。いや全軍人が、興味があるといっても過言ではない。そして氷華個人としても凶星の解析は望むところだった。
――それを私に相談もなしに捨ててしまうだなんて!脳みそ入ってるんですかあの人は!
憤りを覚えながら氷華は第二艦橋の休憩室へ足を踏み入れた。
薄暗い室内。何脚か置かれたソファーの一つに天儀が座っていた。
氷華は、天儀の背中へいきなり、
「凶星を破棄なされたそうですね」
そう非難の声をかけると、天儀が手を上げて応じた。
――それだけですか?!何か他に言うことあるでしょ!
と、氷華は思うも、天儀からそれ以上反応が返ってこない。
いま氷華は、かなり感情を込めて言葉を口にしたはずで、それでも天儀の反応は薄い。
――何かあるな。
と氷華は直感した。
氷華は問い詰めるのを一旦止め、黙りこむ天儀の横に座った。
やはり天儀から反応がない。女性の自分が、横に座れば何らかの反応を示していいはずだ。それが天儀は黙って真っ直ぐどこかを見つめている。
――ムム、反応がなくつまらないです。
氷華は、あえて天儀との距離を詰めてみることにした。
少し腰を上げて、体が接触するぐらい座る位置をずらす。
ここまですれば距離をとられるか、何か反応があると思ったのだ。
天儀は言葉で反応を示した。ただ氷華の想定した幾つかの反応とは全く違い、
「人は、いやあらゆる生命は何ために生まれてきたのか」
と、いきなり重みのある話題を口にしていた。
重みがあるぶん、逆に滑稽でもある。学者でもない限りそんなことを話しても何の意味もない。
そして実は天儀が、この手の話題で持論を展開して悦に浸るということはままあることだった。
氷華は、いつもは無視するか適当に喋らせて流すが、今回は敢えて付き合うことにしてみた。
「哲学の議論ですか」
そう応じた氷華へ返されたのは、
「俺は答を知っている。生に意味はない。ただ存在する、それだけに価値がある。人生に意味を見出そうとすればその時点で生命の価値は消失する」
という、やはり天儀の持論だった。
――やっぱり単に一方的に喋りたいというだけですね。
普通ならここでうんざりする氷華だが、今日は特別に相手をすることにした。
――生命は存在するだけで価値がある。
天儀は凶星を見てその答が揺らいだ。生きているということに最大の価値があるなら凶星の中身を救済すべきではなかったのか。凶星の中身が生まれたのは何だったのか、その生を断った自分は何様なのか。わからなかった。
だが氷華からすれば、そんな天儀の心中を察しかねる。氷華へ提示された天儀の言葉はあまりに足りない。
「生命の意味、つまり人はどこから来てどこへ行くのか。これは考えるだけ無駄な気がしますが」
「そうだ。無駄だ。そこに答はない。人間の意義を考えるということ自体が着目点が悪い」
氷華がこの天儀の言葉に、
――ああ。
と思った。つまり天儀のいいたことは、
「なるほど、つまり天儀さんは人間も自然現象の一部にすぎないとお捉えになっているということでしょうか」
ということだろう。
天儀がうなづき言葉を継ぐ。
「弱い個体が許容されるかどうかは、環境による。豊かな環境でなら自然界でも四肢の一つを欠損した個体でも生き残る。逆に日照りが続き環境が過酷になれば、五体満足でも弱い個体から淘汰されていく」
「単純に個体数か多ければその種の繁栄を示しますからね。どんな形であれ個体数が多ければ多様性も出て生存競争には有利です」
「そうだ」
「となると、やはり生命、つまり人生には意味があるのではないですか。弱い個体にも役割が出ています」
「ないな。生きているそれだけに価値がある。役割、種にニッチが生じるのは結果論だ。あくまで生があってこその役割だ」
氷華は持ち前のジト目にけげんな色を混ぜて天儀へ視線を向けた。
薄暗い室内の壁には、宇宙の星々が投影され美しい。
そんな室内で、天儀の顔が淡い電灯の光に照らされ、その顔は意外にも特に感情をたたえているという表情はしていなかった。
氷華に視線に気づいた天儀は少し目を伏せながら、
「俺は戦争が嫌になったよ」
と、めずらしく意気消沈したことを口にした。
これは戦争というより、
――何もかもに嫌気が差したという感じですが……。
と、少し驚いた氷華だったが、
「何を今更、気分は直実ですか」
と、応じた。
――直実。
とは熊谷直実のことで、士官学校のテキストのコラムで紹介されている人物だ。極めつけの功名主義者だったが戦争に嫌気が差して聖職者になった人物。と、記載されていたのを氷華は覚えていた。氷華の記憶では、成果主義には落とし穴があるというような訓戒だった気がするがよくは覚えていない。
ですが、いまの天儀さんはそんな気分なんでしょう。と、氷華は思った。
氷華の突然の冗談。天儀が思わず破顔し、笑貌を残したまま、
「なるほど、今のこれが無常感か。頭を丸めて念仏でも唱えるか」
と、自分の心情を口にしてから両手を合わせて呪文を唱えるふうをして笑った。
氷華も笑い返した。
天儀の表情は、氷華が部屋に入ってきた時と比べずいぶんと明るい。
そんな天儀が、氷華へ、
「笑うとますます美人だな」
と、笑顔を向けてきた。
唐突だった。このいきなりの言葉に、氷華は露骨に狼狽してとまどう。
赤くなり慌てる氷華。それを見て天儀が笑声を上げた。
氷華は弄ばれた気分になったが、今回は天儀が元気になったのなら、それでよしとすることにしたのだった。