2-(8) 氷華と戦争の予感
陸奥のブリッジが完成し、4日目は基地内待機という名の休日が与えられていた。
天儀は一体式ブリッジの完成作業に4日を取っていたが、3日目にブリッジは完成。
集められた30名の士気が高く、連日発生していた3時間程度の残業も、ものともしなかっただけに作業も早く完了していた。
3日目の最後に、天儀は、そんな30名へ向けて
「明日、明後日には、他の乗員たちも到着する。一度出航すれば公休非番といっても艦内のみでだ。明日はゆっくり休め」
と、言葉をかけ解散していた。
天儀は解散をつげると特に誰かに声をかけるということもなく、ブリッジを出ていた。
この3日間、天儀の横につき秘書のようなことをしていたセシリアも、出て行く天儀を微笑んで見守っているだけ。
ブリッジを後にする天儀の態度は、まるで
「明後日からまた忙しい。よく休め」
と、いっているようであり、自ら率先して去ることで、30名へ向け心身を休めろと、行動でしめしているようでもあった。
氷華は、ブリッジを去る天儀の背中を見送りながら、
――明日からは、大量の人間が陸奥へ押し寄せるのだろうな。
などということを漠然と思った。
戦艦陸奥は、30名だけでは動かない。
通常航行での艦運行は三交代制。
明日、陸奥に乗り込んでくるものたちを思い浮かべれば、軍医、カウンセラー、調理師、理髪師、機関士、艦載機パイロット、砲塔要員など、など、きりがない。
高軌道ステーションからの乗り継ぎのシャトルも混雑しそうだなと氷華は思った。
いや、混雑するのはシャトルだけでなく、陸奥のあるドック大光へ入る審査もだ。
そんなことを考えれば、
――前もって大光入り出来てよかったわね。
などと氷華は思う。
混雑は避けたい。待たされるのも面倒だ。
そんなことを考える氷華へ、セシリアが近づき声をかけてきた。
「これで陸奥の改修工事は完了しましたね」
そうドック大光にある戦艦陸奥は、ブリッジの内装工事の未完成をもって、工事中、とされていたのだ。
この3日間で、その未完だったブリッジの内装工事が完了。
晴れて陸奥の改修工事も完了していた。
「それです。まさか本当に改修工事を行うことになるとは」
氷華が、そう嘆息気味に応じると、
「あら、どうして」
と、セシリアが不思議そうな顔をしていった。
セシリアは、表情が豊かというほど変化に富んでいるわけでもないが、会話中は愛嬌ある仕草を交えることが多い。
それが嫌味でないのが、セシリアの武器ね、などと氷華は思う。
「ここに来る前に、大光への行き方や、第二戦隊について調べたんですが、陸奥が『改修工事中』というのが解せませんでした」
「なるほど、本格的な工事中ならドック内に工事作業員しか入れませんからね」
工事中のドックは、空気を抜いたり、防腐剤と呼ばれる宇宙線対策の戦隊表面加工を定着させるために気化させた特殊な化学物質でドック内が満たされたりもする。
常に大小様々な工作機械も動いており危険だった。
「しかし本当に改修工事を、この手でやるはめになるとは」
「でも面白かった。そうでなくて。私は、面白かったですわよ」
氷華が、セシリアのこの言葉にうなづいた。
「明後日からは、なにをやるんでしょうか。塗装作業とかだったらどうしましょうか。塗料で汚れるとか嫌なんですが」
氷華が、そう口にし、意味ありげにセシリアへジト目を向けた。
集められた30名のなかで、天儀とセシリアは明らかに近い。
氷華が思うに、悔しいが現時点では、氷華と天儀より、天儀とセシリアのほうが人間関係という点において蓄積したものがある。
氷華からすれば、天儀と近いセシリアなら明後日以降も何をするかも知っているのではないかという思いがあり、
――知っているなら教えなさいよ
と、そう問いかけたのだ。
「あら、宇宙船の塗装は難しい作業ですわ。素人が命じられることはないと思いますけれど」
だが、セシリアは、そうおかしそうにそう口にしただけ。
氷華がみるに、応じるセシリアは、返答を濁しているというより、氷華が憎まれ口ついでに冗談を口にしたと思っているふう。
唐突に、それも無表情のジト目で、冗談を口になさるなんて面白い方ねというだけ。
これに氷華は、セシリアの意外な一面を見た思いだった。
氷華は、
「明後日以降なにをするのか、セシリアなら知っているんでしょ」
と、暗にではあるが、かなりストレートに近い形で、問いかけたつもりだったのだが、まったくセシリアにはつたわらなかったようだ。
氷華は、セシリアの思わぬ一面、いわゆる
『天然』
という面を見た思いだった。
セシリアは、案外抜けたところがある。
いやこれはお嬢様ぜんとした気の抜け方だろう。
勤務時間も終わり明日は休日、これにホッとしたのか、今のセシリアの態度は、氷華の暗なる問をはぐらかすことを意図したものではなく、地が出ていると氷華は感じた。
氷華は、一見すれば完璧に見えるセシリアもこんな一面もあるのかと思い
「情報部のサモトラケのニケは、天然ちゃん」
そう氷華の頭の中に書き加えられた。
氷華がそんなことを考えるなか、セシリアが会釈をしてブリッジを去っていった。
氷華もブリッジでるために一歩踏み出す。
ここへいても仕方がない。ドック内で与えられている宿泊施設へ戻る。
陸奥は、まだ機関に熱が入っておらず。大光からの外部電源で、必要機器を動かしているような状態。
氷華たちが、陸奥に与えられている部屋はまだ使えない。
明後日は、機関起動から開始され、外部電源で待機状態になっている各種機器の電源を船外の電源から船内の電源へと切り替える作業になるだろう。
失敗すると、艦のメインコントール機器が壊れる。
中々緊張を強いられる作業になるはずだ。
炉が安定してからが、
「電源切替作業」
というブリッジ要員の仕事だ。
そしてこの炉の起動から安定に30分から二時間程度かかる。
そこまで考えた氷華が、一旦足を止め壁によりかかり携帯端末を取り出す。
艦内では衝突転倒につながる歩きながらの携帯端末の操作は、特別の許可がない限り厳禁。
氷華が、取り出した携帯端末の画面に艦内事務員が作った陸奥の予定表を表示した。
「やはり明後日は、機関起動の作業から開始ですか」
そう口にしつつさらに予定表に目を通しながら
――そうなると、明後日の出勤時間は定刻ではなく、余裕があるはず。
と、思い予定表をソートすると、
『炉の起動に必要な人員以外は、一時間遅れで陸奥へ』
という内容の文章が目に入った。
やはり出勤時間には、余裕があった。
氷華にとって重要なのは、この時間をどう活用するかだ。
「この一時間の間に、私物の積み込みを終わらせ、お部屋の点検もしましょう」
と、氷華は浮いた気分になっていた。
氷華は陸奥だけでなく、戦隊全体の電子戦指揮官。個室が与えられる。
乗るのは客船ではなく戦艦、バカンスはなく任務。
それでも氷華は、これから長期滞在する部屋がどんなものか楽しみだった。
予定を確認し終えた氷華が、携帯端末をしまい込み再び歩き出す。
氷華は歩きだす同時に、一瞬緩んだ気を引き締め直した。
セシリアから聞き出すのは失敗したものの明後日は、確実に動きがあるはずだ。
戦艦陸奥は起動作業を終え、早ければ3日後には任務を帯びて大光を出るはず。
そこまで考えた氷華が、そういえば、と思う。
解散間際に天儀は
「一度出航すれば、休日が与えられても艦内で過ごすことになる」
という趣旨のことを口にしていた。
やはり、これは数日以内に何らかの任務が与えられるということを意味していると考えられる。
となると、どんな任務が与えられるかで、今後の第二戦隊の軍内の位置づけが変わってくる。
――いや、より具体的に天儀の軍内での扱いが変わる。
そう氷華は、頭のなかで考えを微修正した。
2、3日以内に、比較的短期間で終わる重要な任務が与えられれば、軍は
「天儀押し」
ということになり
この天儀押しの意味するところは、
「天儀を全軍の長である大将軍へ任命するため」
ということで、この意味するとろは、
「星間戦争の再開」。
なるほど、戦争を終らせるという道筋が見えてきていると、氷華は驚きを覚えた。
10日前の氷華は、何をするのかという思いで陸奥へ移動という辞令を受け、陸奥での作業中には
「作業後に来る任務がくだらないもので、天儀が失望を買ったらどうしよう」
などとヤキモキしていたぐらいだったのに、今は、戦争へ向け、急速に物事が進んでいるという実感がある。
道筋が見えただけで、まだ具体的なことは何もわからないが、考えればそういう結論が持てた。
そして星間戦争の再開のために天儀を押すということは、国家全体で、あの男を押しているということでもある。
そこまで考えると、氷華はぞっとした。
セシリアは、天儀の周囲で起きている一連の動きは、
『帝のお墨付き』
と、明言していた。
だがいくら強大な権力を手中にする帝でも、一人で戦争がやりたいといっても不可能。
軍の協力はもちろん、議会の認証も必要。
帝が天儀を認め、戦争に向けて動き出しているのであれば、国家全体が戦争に向けて動いているということでもある。
グランダは7星系8惑星を持つ。
そう仮に想像通りなら7星系8惑星に、背を押されている男を目の前にしているということだった。
これは考え方と捉え方の問題だが、捉えようによってはそうだった。
そして自分は、戦争へ向け急速に動き出した世界の中心部分に近い位置にいるのではないのか、と氷華は思う。
いまの天儀の近くにいるということは、そういうことでもある。
つまり、
――時代が動く瞬間に立ち会っている。ごく近い場所で。
これに氷華は
「なるほど、面白い」
と、思う。
天儀が、自分へ電子戦司令部で大言壮語した、戦争を終わらす、という言葉は嘘ではない。
そしてあのときに天儀は、
「時代を動かせますよ」
ともいって氷華を勧誘したのだ。
――時代を動かす。
まさにそのとおりになりそうだった。
無表情のジト目の氷華の心に、闘争心のような熱い思いがこみ上げてきたのであった。