第3話 フォース・カインド(4)
焦っていた。
早く倒さないといけないというのもあるが、その倒すべき相手が思いの外に強いからだ。
初撃のストレートは防がれても仕方が無かったものの、それ以降の攻撃も悉く防御されるか躱される。
一方のヤツは手数こそは少ないが、一撃一撃が死神の刃そのもの。掌底、裏拳、回し蹴り……。どれも反撃の猶予を与えず、ギリギリの所で回避するのが精一杯だ。
この男が軍属の時は、『白銀の死神』の名で恐れられていたことを噂で聞いていたが、ここまで強いとは……。
今まで戦ってきた相手とは格が違う。やはり、私の見積もりが甘かったのだろうか?
だが、あそこから逃げた以上は、これも試練の一つに過ぎないと思うしかなかった。最初の試練すら乗り越えることが出来ずして、安寧の地を得られるわけがない。どんな敵であろうが、打ち勝たなければ。
私はネガティブになりかけていた思考を振り払い、目の前にいる敵に集中をする。
「こんな手荒い真似をしないといけないとは。上層部が期待していただけに、私は失望しましたよ」
「失望するなら勝手にすればいい。だが、私は考えを改めるつもりはない」
溜め無しの状態から放った、顎に向けての左アッパー。全力ではないが、顎を粉砕するには充分すぎる威力だ。
しかし、顎に直撃することなどなかった。
右手で軽く叩かれて、私の左アッパーは機動を逸らされてしまった。最低最小の行動での回避。まるで先読みしているかのような反応速度だ。
「ところで、あなたはここを選んだのですか? 行く場所なら他にもたくさんあるじゃないですか?」
回避から一転、ヴァンは回避運動の勢いを利用したローリングソバットを仕掛ける。
私は回避する暇などなく、咄嗟に左腕でガードした。その一撃は重く、4,5mほどの後ずさりながらブレーキ痕を作り出した。
「それは、聞く必要のあることか?」
「いいえ、これは個人的な興味でして。上からは余計なことを聞くなとは言われてますが、そう言われると気になりましてね。私もそういう歳なんですよ」
「ベラベラと五月蠅い!!」
ヴァンが攻撃し終えた直後、私は矢のような勢いで左ストレートを繰り出した。隙の大きい攻撃を仕掛けた今が、最大のチャンス!!
「てやぁっ!!」
初めて打撃がクリーンヒットした。それも鈍く重たい音を立てながら。
「これがあなたの本気ですか?」
ヴァンは涼しい顔をしていた。
本来ならば立ち上がることも出来ないはずの一撃なのに、殆どダメージがない。これはどういうことか?
その理由は、私の左腕にあった。
数秒前に防御した蹴りが思っていた以上に重たく、まともに力が入らなかった。きっと、赤黒腫れているであろう。
「もう少しパワーとスピードがあれば違っていましたが……」
「くっ!!」
私は敵への攻撃のチャンスを作らせないためにもバク転で再び距離を取ろうとしたが、それは悪手だった。
背後に嘲笑うかのように建設用クレーン車が一台。そして、ヤツはそれを見透かしたかのように、一気に間を詰め、ナイフのように鋭い蹴りが襲い掛かった。
完璧な攻撃タイミングの一撃に、頬をかすめながらも紙一重で回避。ハイキックは背後にそびえ立つクレーン車に命中した。
不気味な悲鳴を上げながら、ゆっくりと倒れる作業車。同時に、黒く硬い地面はひび割れ、土埃が舞う、大地が揺れる。
傷は浅いが、血が止めどなく溢れ出る。止まらない出血は、私の気の焦りそのものだった。
ハイキックとはいえ、これだけの威力。数十tもするであろう長い首の作業車を転倒させるだけの威力。身体改造でもしなければ、このような破壊力を生み出せるはずがない。あるいは、これがヴァンの身体能力とでもいうのだろうか? どちらにしろ、脅威他ならない。
「この攻撃を回避するとは。ミューナ様の護衛するだけはありますね」
「……」
「特に、あの鋭いアッパー。あれにはビックリしましたよ。あれを喰らえば、私でもひとたまりもない」
「……」
「でも、あなたが勝つことは到底敵わない」
「……」
私はひたすら沈黙を貫いた。長期戦は避けたいが、相手の挑発に乗っては駄目だ。今は、1秒でも早く左腕の痺れからの回復を図ることが先決だ。左腕がある程度自由になれば、あらかじめ用意していた切り札だって使うことが出来る。それまでの辛抱だ。
あまり目立たぬよう左手をポケットの中に忍ばせ、次の攻撃へと準備を取る。
「改めて聞きます。降伏しませんか?」
「……」
「それが答えですか……。非常に残念です」
「……」
左腕の感覚が戻ってきた。これならば……。
「では、これで終わらせましょう!!」
持ち前の俊足を生かした高速移動。それも、今までとは比較にならないほどの動きだ。
流星の如く駆け抜け、見る見るうちに私との距離を詰めていく。これが、ヤツの本気だというのだろうか? まともに戦えば、私に勝ち目はない。
それでも、私に秘策が2つあった。
1つは。
「これでも喰らえ!!」
左ポケットの中から取り出した小型の鋭利な刃。私の得物である炸裂ダートだ。
既に旧式の携行兵器だが、性能と比較して非常に安価であることと、使い手次第で最大限に活用出来る潜在能力の高さゆえに、現在でも少数ながらに使用者が存在する。私もその一人だ。
右手指の隙間に挟んだ4本の刃状の爆弾を投擲した。
私の手から離れた炸裂ダートは、火を噴きながらクネクネと飛び交いながらも、確実に敵の元へと向かって急接近した。
「炸裂ダートですか。これは厄介なものを」
ヴァンは攻勢から一転、柔軟性を活かして回避行動へと移行した。
それに追随するように追い続ける炸裂ダート。
様々な障害物を駆使し、躱し続ける。鉄の缶を、鉄骨を、作業車を、コンテナを利用して。
トリッキーかつスピーディーな動きは、白銀の流星という肩書きに相応しい動き。現に、3本の炸裂ダートのうちの1本は、街灯に命中して爆発してしまった。
しかし、いかに早かろうと振り切ることのできるはずがない。私の脳波コントロールにより簡易的な遠隔操作を行いながら追尾する炸裂ダートを。
一方のヤツは、背後から迫る脅威に対して空中へ飛翔した後、ある物を投げた。どこかで拾ったのであろう、建設工事用の道具と思わしき八角形の鉄塊だ。
弾丸のように真っ直ぐ放たれた鉄塊は、捉えづらい機動を取って追尾する炸裂ダート2本に命中し、爆散し果てた。
驚異的な命中精度の高さに私は驚くが、これも想定内の展開だった。爆炎に気が囚われているうちに、私は背後に向け、残り1本の炸裂ダートを追尾させていたのだ。ただ攻撃を当てるのは難しいだろうが、これなら命中させることが出来る。
「なかなかやりますね!」
ヤツは落下中、華麗に翻り、残っていた鉄塊を1本投げつけた。先と同じく、炸裂ダートはネジと衝突、空中で赤と黒の花火が炸裂した。これで炸裂ダートを使い切った。神業といっても、控えめなほどに正確な投擲技術だ。
このタイミングこそが最大のチャンスだった。
ヴァンが宙で炸裂ダートの爆風に煽られたまま、着地した直後にもう一つの切り札をお見舞いする。これが私の思い描いた展開だ。どんなに相手が凄かろうと、この攻撃を迎撃できるはずがない。
爆風に叩きつけられたヴァンはゆらりと立ち上がった。まるで私が攻め立てていることに気付かないようにのんびりと。
ヴァンと私との距離は僅か数十cm。
「これで終わりだっ!!」
私は腹部に向けて、私は右ストレートを放った。
ただし、ただの右ストレートではない。私の切り札を隠した右ストレートだ。
避ける術も、防御する猶予もない。これで私の勝ちだ!!
「えっ?」
私の右ストレートは、ヴァンとの距離1mmを残して止まった。いや、動かすことが出来なかった。
「えっ?」
私は目線を足元に向けた。
腹部に深々とめり込むヤツの左拳。その拳からは、血がポタポタと流れ落ちている。
私は、何が起きたのか理解できた。
ヴァンはあの姿勢から、僅かな距離で必殺の一撃を決めたのだ。
「な、なんで……」
理解し終えると、私は体に力が入らないまま、その場に崩れ落ちた。
肺の空気を絞り出され、視覚が歪み、意識が遠のく。これほどの痛打を味わったのは、久しぶりだ。
「十重二十重に仕組んだ作戦とそれを実行できるだけの力は、称賛に値します。ですが――」
「うっ……くっ……」
ヤツは私の髪の毛を引っ張り、無理矢理持ち上げる。
「策士策に溺れる。あなたの手は読めるんですよ」
再び零距離射程からの痛烈なパンチ。
「がはっ!!」
先の攻撃は不完全ながらも強烈な一撃だったが、今度の一撃はそれ以上のもの。肋骨が駄目になったかもしれない。
「それに、ここの人たちは格闘技にちょっとこだわりがありましてね。発勁、あるいはワンインチパンチと言い、これがなかなか使い勝手が良いんですよ」
発勁、どこかで聞いたことがある。超近距離からでも、致命的な一打を見舞うことが出来る格闘の極意。我々からすると、とうの昔に棄てた概念ではあるのだが、こうも強力だとは……。
「もう遅いですよ、降参するのは。裏切り者として――、死になさい」
繰り出される発勁の連打。そのたびに、皮膚が破け、肉が裂け、血飛沫をあげ、骨が悲鳴し、内臓が破壊される。
「わ、私は、お前らに屈しない……」
完全に追い詰められてしまった。練りに練った策が潰され、逆に相手に圧倒的なアドバンテージを与えてしまったのだから。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。
「とどめです!!」
左腕から放たれた最後の一撃、それは今まで以上に鋭く重たい死の凶撃。
私は朦朧とする意識を奮い立たせ、それを右手で受け止めた。
「どうするのですか? 今更抵抗しても無駄ですよ」
「無駄だと分かっている。それでも……」
私は、もう1つの切り札を発動させた。
右手が青白く煌めき、バチバチとスパークを散らす。それは、プラズマが一点に収束する証拠でもあり、同時に過剰な出力をかけている証拠でもある。
この切り札を使い、何度も苦境を切り抜けてきたが、全出力で使うことなど1度たりとも無かった。だから、何が起こるかは分からない。
だが、今更、右腕のことを気にする必要はなかった。ここを切り抜けなければ、未来はないのだから。
「それでも、私は負けられない!!」
「っつ!!」
私は、右手に収束したプラズマを解放した。
瞬間、深紫の世界は、眩い閃光の世界へと変貌した。
右腕を通して、無慈悲な一筋の光の柱が走り抜け、空へと貫く。
それから僅かに遅れて轟く、恐るべき雷鳴音。
直撃を喰らえば、いかなる生命体でも耐えられぬ必殺の一撃、これが私のもう1つの切り札だ。
いかに相手が凄腕もこれを躱すことなど……。
私の願いは叶わなかった。
攻撃こそ当たれど、それを予見していたかのように私を投げ飛ばして、直撃を免れていたのだ。
立ち込める黒い煙と異臭。ヴァンの左腕は、黒く罅割れた塊と化していた。これで、左腕は使いものにならなくなった。
しかし、代償は高かった。
全出力で電撃を放った故に、右腕が機能不全の状態に陥ってしまった。内蔵機構は停止し、右腕の感覚が無く、ただただ重たい。しばらく経てば自動回復するだろうが、それまでにはあまりにも時間がかかりすぎる。
そして、蓄積したダメージがここに来て爆発した。
全身を駆け巡る激痛、まともに考えることすら出来ない疲労感、霞む視界。
「内蔵式の高出力ブラスター砲、これがあなたのもう1つの切り札でしたか。とても面白いもの見せてもらいましたよ」
ヴァンは消し炭となった左腕を右腕で引き千切った。体から分離した左腕は罅割れた黒い地面に落下し、粉々に砕け散った。切断面からは噴水のように出血しているが、それすら気にしていない。
私の心は折れていた。
隻腕になっているにもかかわらず、この余裕。私では到底勝てない相手だったのだろうか? このままでは、私はミューナを失ってしまう。
だが、最悪の展開が私に追い討ちをかけた。
建物内から響き渡る爆発音、漏れ出す閃光、ただならぬ黒煙、轟々と燃え盛る炎。
一体、あの建物で何があったのあろうか? 青年とミューナがあのような大爆発を発生させることなど到底できない。それでは、この男の部下二人がしでかしたのだろうか? ミューナを捕まえるのにここまで大袈裟なことになるはずがない。だから、ミューナは生きているはずだ。ミューナは生きているはずだ。ミューナは生きているはずだ……。
私は、精神を安定させるためにも気を逸らそうとしたが、
「これは、ミューナも青年も死んだかもしれませんね。本来は生かして連れて帰ることが目的ですが、抵抗をしたのだから仕方ありませんね」
ヴァンの言葉が私の心の支えにとどめを刺した。
脳内に過る、最も絶望的な光景。
爆風と瓦礫に押し潰され、動くことも喋ることも笑うことも泣くことも怒ることも喜ぶことも二度と出来なくなった、ミューナの姿が。
嫌だ、そんなの嫌だ。私は認めたくない、絶対に認めたくない。また同じ悲劇を繰り返すなんて、また同じ悲劇を繰り返すなんて、また同じ悲劇を繰り返すなんて、また同じ悲劇を繰り返すなんて、また同じ悲劇を繰り返すなんて、また同じ悲劇を繰り返すなんて……。
「うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「まだ体力が残っていましたか?」
私は狂ったかのように攻撃をするしかなかった。
戦術もセオリーも策も無い、無軌道な攻撃の連続。
当然、こんなものが当たるはずがない。相手は、白銀の流星と恐れられた男。逆に「的になってください」と言わんばかりだ。
でも、そうするしかなかった。
私にとって、最も大切な人を再び喪ってしまったのだから。