第3話 フォース・カインド(3)
数年前に廃棄された建設中のデパートは、闇に包まれた広大な世界だった。
埃まみれとなった工事用の道具や廃材、投げ捨てられた食べ物のゴミ、プラカード。デパートらしいものなんて何一つない。そりゃあそうだ、永遠に開店を迎えることのないデパートに商品が並んでいるわけがない。これでは隠れる場所なんて限られている。
その上、奴らは暗闇の中でも的確に狙ってくる。謎の球体は、ピンボールのように跳ねてくれるわ、巨漢は電気を帯びた鉄の棒を振り回すわで、降参できるものならすぐに降参したいものだ。
「にゃにゃにゃあ!!」
「こんなの、どうしろってんだ!!」
コンクリートの柱をジグザグに縫うように走り、二人の猛攻を紙一重でかわす。あるいは、コンクリートの柱を盾にする。
球体が床に接触するたびに容易く抉れ、鉄の棒がコンクリートの柱に激突するたびに簡単に砕ける。こんなものが当たれば、ひとたまりもない。
はぁはぁ、体力的にも精神的にも限界だ。デュタ探索での疲労と靴下での激走で、足が痛いし、ひざが笑う。
それでも、俺とミミは逃げなければならない。捕まったら最期、俺たちは何をされるか分からない。
「逃げても無駄っすよ!!」
「降伏しなさい……」
追手二人の降伏命令をするが、とてもではないが降伏なんて出来ない。
消火器が逃走経路に雑に転がっていた。俺は手を伸ばし拾い、栓を開き、中身のガスをぶち撒けた。
「ぶはっ!! なんすか、これは!!」
「止めてください……」
勢いよく吹き出し、あっという間に立ちこめる真っ白なガス。それを二人は必死に振り払おうとするが、まとわりついてなかなか態勢が整えることが出来ない。
「ははは、ザマアミロ。こっちも一方的にやられるつもりはないんだよ!!」
俺とミミは二人が煙に巻かれている間に、2階への階段を駆け上ろうとした。
だが、相手はやはり只者ではなかった。煙を突き抜けて飛ぶ、鉄パイプ。それも大きなミミにめがけて。
「にゃっ!!」
「危ない!!」
俺は自らの命の危険など顧みず、ミミを助けるために割り込む形で飛び込んだ。
「あうっ!!」
鉄パイプは右腕に命中し、その勢いで数度バウンドした。
今までに味わったことのない痛みと言葉にならない悲鳴。多少の怪我はすると思っていたが、これほどに痛いとは。
歩くどころか立ち上がることも出来ない最悪の状況。俺はこのままくたばってしまうのか?
その時だった。
悶絶する俺に、細くて柔らかそうな指が差し伸べられた。
ミミだ。
「にゃ、にゃーにゃにゃあん!!」
「助けてくれるのか……?」
俺は考えることなく、左腕を伸ばし、なんとか立ち上がった。激痛で歩くのも困難だが、ここはミミに助けてもらうしかない。
「にゃあにゃにゃあにゃん!!」
励ましか、あるいは喝なのか?
どっちかは分からないが、俺もそれに応えるために奮起し、2階へ続く階段へと登った。
廃屋の2階は、1階同様にコンクリートの柱が並ぶだだっ広い空間だった。
スパナ、ドライバー、鉄パイプ、入口付近に設置された発電用の大型モーター、ガソリンの入ったポリタンク、建設材を運ぶフォークリフト、作業スケジュールの書かれたブラックボードなどなど……。建設に必要な道具が無造作に廃棄されているだけの場所。隠れる場所などまともになく、相変わらず逃げるには不向きな場所だ。
俺とミミは時間稼ぎにシャッターを下ろし、気休めながらも鉄パイプを拾い、壁に背もたれながらゆっくりと座り込んだ。
消火器で時間を稼いだから、すぐに捕捉することは出来ないはず。その間に体力を回復させて、次なる一手を考えなければ。
俺は、完全には思考をフルに働かせる。今あるものでやりくりしないといけないが、とてもどうにかできるような状況ではない。
「うっ!!」
右腕に激痛が走った。
確認する暇もなかったが、俺の右腕は大きく裂傷し、かなり激しい出血を起こしていた。この様子だと、骨や筋肉もやられたのかもしれない。
突然、視界が歪み、吐き気が襲ってきた。気付かないまま、これだけの出血量で逃げれば当然だ。
このまま逃げるのは、とてもではないが無理だ。
「にゃ……」
不安そうに見つめるミミ。庇ってもらったことに、負い目を感じるのだろうか?
「大丈夫だって、だいじょ……、いつつつ……」
思わず苦虫を潰すような顔をしてしまった。
「にゃにゃにゃ……」
すると、ミミは四つん這いで俺の目の前に這い寄ってきたのではないか。いきなりこんなことをして、何がしたいのだろうか?
「うひゃあ!!」
何を思ったのか、ミミは俺の傷口を舐め始めたではないか!?
「にゃっ、にゃっ……」
まるで猫がミルクを飲むかのように、ペロペロと舐める。舐められるたびに痛烈な痛みが走るが、それ以上に猫舌特有のザラザラとした心地がいい。舌と唾液のコンビネーション。異常なシチェーションではあるが、どこか心地が良かった。
「や、止めてくれ!! くすぐったいじゃないか!!」
「にゃっ、にゃっ、にゃっ……」
俺は左手でミミの頭を放そうとするが、なかなか止めようとしない。
舐め始めてから1分は経っただろうか。ミミは傷口を舐めるの止め、今度は既に襤褸切れとなってしまった妙のお古の一部分を口でビリビリと破り始めた。
「にゃにゃにゃ……」
その口で破った布を傷口に対して、グルグル巻きに縛る。それは、お世辞にも丁寧とは言い難かった。
それでも、今の俺にはとても有り難いことだった。痛みは和らぎ、気分も少し良くなった。おかげで、もうひと踏ん張りできそうだ。
「あ、ありがとうな、ミミ」
嬉しさと恥ずかしさがない交ぜになっているせいか、思わずどもってしまった。
「にゃっ、にゃ、にゃにゃにゃあ。にゃにゃ、にゃあにゃあ……」
それはミミも同じだった。薄ら暗がりのせいであることと顔をそらしているせいで表情ははっきりと見えないが、この様子だと恥ずかしがっているのだろう。
その時、外で凄まじい爆発音が連続して轟いた。
一体、外で何があったかは分からない。でも、死闘が繰り広げられていることだけは分かる。そろそろ、俺も作戦を練らねば。
相手は二人、武器は謎の球体と鉄の棒。鉄パイプ程度のものでは、勝てるはずがない。そうでなくとも、白兵戦は自殺行為だ。
フォークリフトあたりは武器になりそうだが、相手はいともたやすくコンクリートの壁を壊す連中。これで突撃しても返り討ちに遭うことは目に見えている。
かといって、ポリタンクのガソリンを地面にばら撒いて火事にしても、簡単に突破される光景しか思い浮かばない。
何か爆弾のような破壊力があって、それでいながら不意打ちを喰らわすのに持ってこいな武器があればいいのだが……。
爆弾?
「ミミ、この機械を起動させてくれ!! レバーを傾けるだけでいい!! 急いでだ!!」
「にゃにゃ!?」
ミミに発電機を起動させるために、一番目立つ赤いレバーを降ろすよう命令した。
だが、小柄なミミにはかなりの力仕事なのだろうか? あるいは機械そのものが錆びているのだろうか? 思いの外、苦戦しているようだ。
「頑張れ!! お前なら出来るはずだ!!」
薄暗がりの中、俺は古来から使われている殺し文句でミミを鼓舞させた。
「にゃあにゃあ……、にゃああ!!」
ギギギギギ、ガゴン……。
ミミの頑張りが実ったのか、あるいは神が微笑んでくれたのか。重たいレバーが降りて、発電機は起動し始めた。
騒々しい駆動音を巻き上げながら回転し始めるモーターのファン。回転数が増すにつれて、その音は大きくなる。
一方の俺も、計画を進めるためにリフトを起動させた。幸い、こちらも機械が生きているようだ。
二つの機械の駆動音が支配する空間で、俺とミミは第二段階へと移行する。
「ミミ、動いたのなら今度はポリタンクの中身をぶちまけてくれ!! 出来れば、発電機にも!!」
「にゃあ!!」
今度は手際が良かった。
俺も目標を合わせるためにフォークリフトを微調整する。ライトが切れているため、憶測で調整するしかないが、それでもやるしかない。
よし、第二段階も終了だ。第三段階は……。
「最後はスパナでもドライバーでも何でもいいから、発電機の中に突っ込んでくれ!!」
「にゃあ!!」
ミミは慌てることなく、発電機の中にスパナとドライバーをブチ込んだ。モーターが順調に回転する駆動音から、不純物と不純物がぶつかり合い歪で不快な騒音へと変貌し、黒煙がもうもうと立ち込める。
これで準備万端だ。
「ミミ、今すぐここから……」
俺が話しかけていた時、鼓膜に酷く残る音が二つ鳴り響いた。
一つは、雷鳴と思わしきつんざく音だ。その音の正体については分からないが、外で鳴り響いたことだけは分かる。
もう一つは、封鎖に使用していたシャッターが真っ二つに切り裂かされた音だ。
切り裂かれたシャッターの隙間から現れる、巨漢とボブカットのネコ耳の二人組。
時間はかなり稼げたが、このタイミングでの登場は都合が悪い。早く行動に移さねば!!
「こっちに逃げろ!! 今すぐだ!!」
「にゃ!!」
ミミは黒煙を上げるモーターと二人組から一目散に、柱へと逃げた。幸い、二人は傍観していた。それだけ余裕があるのか? それでも、この状況は有り難い。
「いい加減諦めたらどうなんすか? 逃げる場所なんてないッすよ?」
「今すぐ投降しなさい……」
しつこいまでもの降伏命令。当たり前だが、降伏なんてできない。
「お前ら、覚悟しろ!!」
俺はフォークリフトのエンジンを全開にし、アクセルを全力で踏み込みんだ。俺とミミの怒りを乗せて。
「うぉおおおおおおおおおぅっ!!」
加速するリフト。その様は、荒野を走るバッファローを髣髴させる爆走そのもの。出来るのならば、この怒りのロデオに最後まで付き合いたいが、フォークリフトと運命を共にするつもりもない。フォークリフトと運命を共にするのは、あの二人だ!!
ある程度の加速がついたところで、俺はフォークリフトから脱出した。
スタントマンさながらに、ゴロゴロとリフトから転がり落ちた。処置箇所が地面に触れるたびに痛みが走り、血が滲み出た。だが、それは承知の上だ。ここで諦めることに比べたら、安いものだ。
「こんなもので、我々に挑むんっすか? 甘いっすよ」
「無駄です……」
巨漢は物干し竿を強打者のように持ち、フォークリフトの突進に備えた。
乗り手を失い、暴走するフォークリフト。それは、二人との距離を見る見るうちに詰めていく。
フォークリフトの衝突音が響いた。追手二人に激突したのだろうか?
だが、二人は健在だった。それも無傷だ。
「何外しているんすか? 馬鹿にしているんすか?」
「愚かな人たちです……」
必殺の一撃の不発に嘲る二人。
しかし、俺の作戦はフォークリフトでの直接攻撃ではなかった。
フォークリフトが激突したのは、入口付近に設置された発電機だ。
深々とフォークリフトの刃が突き刺さり、何かが弾け飛ぶ音がモーターから炸裂する。
目論見通りの展開となった。俺はよろよろと立ち上がり、同時にガッツポーズをとった。
工具が駆動部に混ぜられ、黒煙を噴き上げていたモーターは致命的一撃を受け、黒煙だけでなく、火花や炎まで巻き上げるほどとなった。
結果……。
「なっ!!」
「え……?」
発電機は、一度に発電できる最大電力を凌駕するエネルギーを生み出し、大爆発を起こした。
激突音以上の爆発音、建物全体を揺るがすほどの衝撃、広大な部屋内を包み込む黒煙、降り注ぐコンクリート、飛び散る鉄片。モーターの破片はコンクリートの壁や柱に突き刺さり、そのいくつかは柱に隠れていた俺とミミをかすめる形で通過した。
それに連鎖するかのように、フォークリフトも大爆発。フォークリフトは、爆風によって軽々と持ち上げられ、コンクリートの天井と床に叩きつけられ、思い出したかのように再炎上をした。
地獄絵図となったシャッター付近に俺は思わず唾を飲んだ。。モータとフォークリフトの残骸、赤々と煌めかせる火の海、黒々と巻き上げる煙。ここまで激しいことになるとは、想像以上だった。
「化けてだけは出ないでくれ」
「にゃにゃあ……」
人間二人を殺してしまった。罪悪感もある。
だが、命を狙われた以上は仕方ないことだ。こうでもしないと、俺たち二人の命が危なかったのだから。
「さあ、逃げるぞ。ミミ」
「にゃ」
俺とミミはゆっくりと立ち上がり、その場を後にしようとした。
直後、背後からコンクリートが崩れる音と、金属が擦れる音と、電流が流れるような音がした。
俺とミミはゆっくり振り返った。
もうもうと燃える業火の中、大きなシルエットと小さなシルエットが一つずつ。
正確には見えないが、二つのシルエットはこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
これは……。
「いや~、惜しかったっすねえ。不意打ち攻撃を仕掛けたところまでは良かったっすけど、その後が続かなかったすねえ」
「貴方たちの攻撃は無駄です……」
あの二人だ。
服の乱れや顔に小さな切り傷はあれど、それ以外に目立った変化はない。懇親の一撃が、まさかの不発だなんて……。
同時に、不発の理由もすぐに理解した。
二人の目の前に突如現れたガラスを連想させるような青白いガラスのような透明な板と青白いプラズマ。初めて見たが、これが何であるかは分かった。
バリア、であると。
「なんだよ、こいつら……」
俺は思わず舌打ちした。素人ながらも渾身の策だったのに、こうも簡単に防いでしまうなんて。
「さあ、どうするっすか?」
口調こそは先とは変わらず軽口ではあるが、表情は剣幕そのものだ。鼻の頭から流れる出る血が、それに拍車をかける。
作戦も失敗に終わり、抵抗する術を失った俺とミミに出来る選択肢は……。
「また逃げるぞ、ミミ!!」
「にゃ、にゃにゃあっ!!」
逃げるしかなかった。策など、最早無かった。
炎の海となった大広間から脱兎の如く走り去り、薄暗がりの通路を駆け抜け、コンクリート剥き出しの階段を必死に登った。
俺は泣きたかった。
だけど、泣くわけにはいかなかった。ここで泣けば、本当に走れなくなってしまう。
それは俺に限らずとも、ミミも同じはずだ。
そして、逃げること以外に出来ることは心の中で願う事だった。
デュタが、あの銀髪のネコ耳少年を負かしてくれることを。