第3話 フォース・カインド(2)
「こ、これで逃げ切れるとは思わないが……」
「にゃ……、にゃあ……」
俺と大きなミミが必死で逃げついた場所、それは橘町の外れにある建設中止となったスーパーの駐車場だった。
数年前、大手デパートが橘町にチェーン出店を試みた。その頃は、まだ橘町に引っ越ししていなかったため詳細は知らないが、強引なやり方で土地を確保していたらしい。そのため、母体会社の評判の悪さから町内から猛反発を受けていたようだ。それからしばらくしてから母体会社の不祥事が発覚、その影響でデパートの計画が白紙となり、5階まで作った建物はそのまま放置されている。そのため、打ちっぱなしのまま風雨に晒されたデパートは色褪せ、雑草がアスファルトを破って成長し、所々が錆が吹いている。この朽ち果てた建物は、激しい戦いを物語る残骸といえよう。
「全くなんなんだよ、アイツらは? ミミ、どうしてあんな奴らに狙われているんだ?」
「にゃん」
俺はミミに謎の三人組と球体の正体のことを聞こうとしたが、プイッと顔を背ける。話すつもりがないほどに相変わらずご機嫌斜めというわけか。まあ、言葉が理解出来ない時点で大して変わらないが。
「にゃん!!」
ミミは、可愛らしげにくしゃみをした。
そう言えば、妙のお古がビリビリに破れたんだよな。俺もこのままでは目のやり場に困る。
「風邪を引くぞ」
俺は羽織っていた上着を渡した。いくら口論したとはいえ、このぐらいはしてやらないと。
「にゃ……」
大きくなってからずっと険しかったミミの表情だったが、僅かながらに揺らいだ。
「それと、これもだ」
「にゃっ!?」
俺はお気に入りの靴をミミに渡した。1980円の安物だが。
「これも履いておけ。気休めにはなるはずだ。言っておくが、臭くはないからな」
少しでも逃げ足を早くするというのもあるが、ガラスや釘みたいな尖ったものを踏んで大事になったら大変だ。靴のサイズこそあっていないが、無いよりは幾分かマシだろう。靴擦れになるかもしれないが、その時は許してくれ。
「にゃにゃ、にゃにゃあにゃん……」
ミミの声は僅かならがも穏やかだった。
少し前までは攻撃的だったが、今はそうではない。歳相応の女の子の可愛らしさが滲み出ている。
やはり、この子はあの小さなミミと同じだ。
小さなミミとは違って素直じゃないけど、それでも心根は優しい女の子。何を言っているかは分からないが、少なくとも俺にはそのように見える。
そう思うと、俺は大きなミミを助けた甲斐があったと充実感に満ちている。もし、あそこで助けなかったら、俺は後悔していたかもしれない。
しかし、問題はこれから先だ。あの得体の知れぬ連中が、これで諦めたとは思えない。今すぐ襲ってくるかもしれない。場合によっては、寝込みにでも襲ってくるかもしれない。あるいは、俺とミミが予想だにつかない手段を使って襲ってくるかもしれない。
その時はどうするか? そんなのことは今考えるべきことでない。その時が来たら、その時に対策すればいい。今一番重要なことは、大きなミミと一緒に逃げる、ただそれだけだ。
しかし、その考えるべきことは目の前に立ちはだかっていた。
「えっ?」
「にゃっ!?」
闇をやや帯びた茜色の夕焼け空は消え去り、深紫の空へとゆっくりと変貌する。それは、日没や異常気象などではない。俺の理解しえぬ何かが、起きているのだ。
だが、それだけではない。
人の営みを匂わせる喧噪は、それが嘘であったかのように完全なる静寂の世界と化し、アパートや街灯から漏れる灯りは完全に奪われ、まるでゴーストタウンかのような薄い気味悪い澱んだ空気に包まれる。
この変異が意味するものは何か?
俺と大きなミミはどうなるんだ?
ただただ不安でならない。
「にゃあにゃあにゃ、にゃあにゃん」
虚空から声が聞こえた。
同時に、数mほど離れた位置から3個のプラズマの輪が地面から現れた。
「なっ、なんだ!?」
「にゃんにゃんにゃにゃあ!!」
プラズマの輪は、空に向かって上昇していく。
それと同時に、プラズマの輪から体のパーツが露となっていく。
足、膝、腰、手、胸……。
俺は直感的に理解した。このプラズマの輪の正体は……。
「にゃにゃーあ、にゃにゃん」
現れたのは、やはりあの得体の知れない三人組だった。
追っかけてくるのは想像できたが、まさかこんな姿で現れるとは。既に不可解な現象が起きているというのに、理解が追いつかない。
「にゃんにゃんにゃー、にゃあにゃーんにゃあ」
銀髪のネコ耳少年が、数歩ほど前に出た。何を言っているのかは分からないが、ミミを渡せといっているのかもしれない。
渡せるわけがなかった。
本人が嫌がっているし、事情が分からないというのに、この連中の命令を聞き入れるなんて有り得ない。渡そうと考えているのなら、それは薄情以外にも何者でもないのだから。
「お前らが何を言っているのか分からないが、俺はお前たちの指図は受けるつもりはないし、捕まるつもりもないからな!!」
「にゃあーにゃにゃん」
三人組はゴソゴソと動き、身につけているものを触り始めた。
茶髪の巨漢は、右手につけていたリストバンドらしきものを。
目深のボブカットの少女は、ネコ耳についた耳ピアスらしきものを。
そして銀髪の少年は、首につけたチョーカーらしきものを。
「なにをしているんだ、こいつらは?
「これでよろしいですか? 夏目大和さん」
「な」っ!?」
俺は驚きを隠せなかった。
今まではネコ語しか話さなかったのに、それが今では日本語を話している。あのアクセサリーが何か意味しているのか?
「お前らは、一体何者だ!?」
「全てを話すことは出来ませんが、私の名前を『ヴァン・スコラット』と覚えてくれれば光栄です。東雲学園高等部2年生の夏目大和さん」
ヴァンと名乗る銀髪の少年は、律儀かつ優雅に一礼した。
「何故、俺の名前も、俺の通っている学校も知っている!?」
「我々にかかれば、個人情報を調べるなど造作にないことですよ」
隣にいた目深なボブカットの少女が、何もない空間に向かって指を動かす動作を行った。すると、なにもない空間からまるでパソコン画面のような映像が、瞬時に現れたではないか!?
次々と責め立てる超常現象の津波に俺はパンクしそうだった。
どうしてこんなものがあるんだ? こんなのSFの世界だけの話だろ? いくら東雲家電でも、あのような技術はない。
そんな困惑気味な俺を尻目に、目深なボブカットの少女は俯きながら話し始めた。
「夏目大和。誕生日、20××年3月1日。身長、176cm。体重、64㎏。O型。広島県出身、サラリーマンの父親とパートの母親の間に長男として生まれる。幼少時代は隣の家に住む幼馴染の星野そらとともに幼稚園、小学校を共に暮らし、幼馴染としての関係を持っている。現在は月2万8000円の築25年の六畳一間のアパート『日向荘』で暮らしている。東雲学園に高校から入学した理由は、家から出たかったから。過去に目立った出来事や、事件、大会などでといった大きな挫折体験や成功経験はない。趣味は、これと言ってない。好きな食べ物は焼肉とコロッケと甘いもの。嫌いなものは蛇と蜘蛛。モットーとするものは、ケ・セラ・セラ。最近の悩みは、幼馴染の星野そらと橘妙との関係……」
すらすらと述べられる俺のプロフィール。戸籍に書かれているようなものから誰にも語ったことのないプラベートなことまで。まるでストーカーじみて怖すぎる。
「どうですか? これで理解してくれたでしょうか? 我々があなたの想像を凌駕する存在であると」
「ああ、理解したさ。理解したくないけどさ」
「では、ミューナ・ミスティール・スコティッシィ様を渡してください」
間髪いれずに、銀髪ネコ耳少年は追撃した。
「なんでお前たちにミミを渡さなければならない? 嫌がっているじゃないか」
「これは上からの命令でしてね。これを任務を果たさないと、我々としても不都合なんですよ」
「それがミミの意思でなくともか?」
「ええ」
感情無き言葉が圧力として俺に圧し掛かった。俺よりも小柄で顔も子供っぽいのに、どうしてこうも圧することが出来る? こんな人間、今までに出会った事がない。
ジリジリと距離を縮める3人組。俺とミミはそれに合わせて後退するが、数m先は廃コンテナが待ち構えている。そうなると、俺たちは捕まってしまう。
もうダメなのか? あの少年との約束を守ることが出来ないのか?
「むっ!?」
銀髪の少年、それに目深のボブカットの少女と茶髪の巨漢は垂直に飛んだ。同時に、地面に何かが突き刺さった。
「な、なにが起き……、うわぁっ!?」
突然、小さな爆発が起きた。
俺とミミは爆風のあおりで、数mほど転がり、廃コンテナに軽くぶつかった。
「いててて……」
「うにゃあ……」
俺は埃を払い、周囲を見渡した。
爆炎と爆煙の中に、人型の影が一つ。
「これは……」
それが何者であるかはすぐには分からなかったが、煙と炎が弱くなるにつれて、正体が明らかになっていく。
謎の三人組と同じ黒づくめのスーツ、しっかりと引き締まったボディ、幻想的な水色のショートヘアー、中性的な顔つき。
俺は知っている、この人物の正体を。
昨日の夕方、橘橋で出会った美少年、デュタだ。
「お前はあの時の少年!!」
「にゃあ!!」
彼の登場に、俺と大きなミミは驚愕とともに僅かながら安堵した。こんな異常事態に駆けつけれる人間が、どれだけ頼もしいことか。このタイミングで現れている以上は、敵であることは考えにくい。
「初めまして、デュトナ・サイベリアスさん。いや、デュタさんと言ったらいいでしょうか? 私の名は……」
「ヴァン・スコラット。あんたの話は、軍属の時に嫌というほど聞いた」
デュタは極めて冷静だった。しかし、それでいながらもナイフのような鋭く冷たい敵意を向けていた。
「分かっているのでしたら、話は早い。デュタさん、我々にミューナ様を渡してください。今でしたら、上の方に説明して不問に処してあげますよ?」
「断る」
一刀両断。
「ミューナをこれ以上苦しませたくないからだ。雁字搦めな生活をさせた挙句、ミューナの尊厳を無視した仕打ち。そんなミューナの人生にどんな意味がある?」
「さあ? これは上部の命令ですから。私の知ったことではありませんよ」
真剣な面持ちのデュタ。ミミに何があったかは分からないが、相当辛い人生送っていたのかもしれない。そうだとしたら、抵抗する理由も分かる。
しかしながら、銀髪の少年も譲歩するつもりもない。
「それにあんたらにとってはこれは仕事かもしれないが、私にとってミューナは私の人生そのものだ。ミューナを奪われたら――、私の生きる価値など無くなる。だから渡すわけにはいかない」
デュタにとって、ミミは人生そのもの。どういうことだ? 今はそれを考えるような事態ではないが。
「そうですか……。それは残念ですね……」
やれやれ、と形式上のポーズをとる銀髪の少年。
乱入者が現れたにも関わらず、その落ち着いた表情は崩さない。デュタの事を大したことのない相手だと思っているのだろうか? あるいは、ただの虚勢とでもいうのだろうか? 多分、前者なのだろう。
「元から交渉するつもりもない。追っ手が現れたのなら、倒してでも逃げる。ただそれだけのこと」
デュタは拳を前に突き出し、戦闘体勢に入った。
「私は別に構いませんよ。あなたが私に挑むことなど」
「そう……」
デュタの拳から、疾駆から繰り出された強烈なストレートが繰り出された。
矢のように鋭く、大砲のように重たい一撃。常人ならば目で捉えることも出来ず、顔を潰されるか、首が曲がってはいけない方向に折れるのは確実だ。そんな恐ろしき一撃。
だが、相手はそのようなものを喰らう程度の相手ではなかった。
デュタのストレートそのものは命中したが、銀髪の少年は瞬時に反応、両腕をクロスして攻撃を防いでいたのだ。
「これが、あなたの攻撃ですか? これはこれは、とても面白いですね」
余裕綽々のヴァン。あの重たい一撃がノーダメージだというのか!?
一方のデュタは、ヒットしたと同時にバックステップで距離を取り、相手の反撃に備えた。
二人の卓越した格闘技術に、俺は呆気に取れられてしまった。まるでカンフー映画のようだ。
「そこの君、ミューナを連れて時間稼ぎをしてくれ!! その間に、こいつを倒す!!」
「えっ? あっ?」
突然の指示に、俺は思考停止。時間稼ぎをしろって、一体……。
「早くしろ!! 早くしないと、あの二人に捕まるぞ!!」
今まで見せなかったデュタの怒声。相手が相手だけに、あまり余裕がないことが窺える。
「あ、ああ、分かった……」
「にゃ……」
俺とミミは、デュタの命令通りに廃デパートの中へと駆けて逃げた。今の俺には、それしかなかった。
「スミレ、ブラン。あなたたちは、あの二人を追ってください。くれぐれもミミ様に怪我をさせぬように」
「了解っす!!」
「了解……」
ヴァンの命を受けた巨漢とボブカットの少女も、後を追う形でデパートへと駆けた。
「さて、これで二人っきりになりましたね……」
「ああ」
「では、本気で行きますか」
「望むところ」