第六話 傷跡の残る村
二人が森を抜けた頃には日が沈みはじめ、村に着く頃には空には月が登っていた。
村を囲う柵は壊され、畑は荒されている。家屋も崩れている物が見受けられる。
荒れている、というよりも戦いの爪痕が今も癒えていない。そう言った方が適切だろう。
エールはユシギナにフードを被らせ、後ろを歩かせる。
無事でいて、それで大きな家に目星をつけ扉を叩く。
叩いてからしばらくしてゆっくりと扉が開く。
隙間から覗く瞳。それはこちらを警戒している目だ。無理もない。時間は遅く、二人は小汚い格好をしているのだから。戦いがあったとすれば野盗などの心配もあるし、ここはガンディアナにも近い。
「誰…?」
「私たちは旅の者です。村長はこちらにいらっしゃいますか?」
「村長はいません。少し前にこの村の近くが戦場となった時に亡くなられました」
「そうですか…、辛いことを思い出させて申し訳ありません。では村長の代理の方はいらっしゃいますか?」
「私です」
「そうですか。ではお伝えしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「この村に来るはずの馬車の話です」
―――ヴェルセルンの村
エールとユシギナは大きなテーブルの置いてある広い部屋に案内された。
エールたちの前に座っている少女――ユシギナとそうかわりない歳に見える――はマリア・ヴェルセルンと名乗った。どうやら彼女は前村長の娘らしい。
潤沢ではないはずの物資を捻出してエールたちにお茶を出してくれる。
それに礼を言う。向こうもそれに対して気にするなと返答する。
「それで、馬車が魔獣に襲撃されたという話ですが…」
「ええ、護衛にいたラッセルという男を救助したのですが、別の魔獣に襲撃され全員死亡しました。場所は森の中ですが詳しい場所は明日案内させてもらってもいいですか?」
「ええ、構いません。それでお二方は旅の者、ということですがこの村は何もないところです」
これは言外に目的はなんだと聞かれている。
「私たちは追われる身でして安全な地を求めて旅をしているのです」
「そうなのですか。ではユシギナさんは顔を隠すためにフードを被ってらっしゃるのですか?」
「ええ、そうです。どこに目があるかわからないですからね」
「ですがあなたがたを信用するにも顔を見せていただかないことには」
それもそうかとエールは納得する。納得はするが頭を抱えたくなる。フードを外せばユシギナの角が露見する。人間は魔族に対して敵意を抱いている。魔族を見れば殺す、そういう判断をするのが普通だ。
だが、ラッセルはどうだった?
彼は人間だがユシギナを見てもそんな判断をしなかった。もちろん彼は命の恩人に対して恩を仇で返すということがしたくなかったと言っていた。
もしかしたら…。目の前の少女も一歩的な決め付けをしないかもしれない。魔族は敵、だけれども例外もいるのかもしれないと考えてくれるかもしれない。
「分かりました…、ユシギナ」
「…いいの、エール?」
ユシギナの心配そうな問いかけ。
エールはそれに頷く。もちろん騒ぎにされれば手段は選ばない。この村にいる人間程度なら圧倒できる自身もある。
ユシギナがフードを外す。それにより銀色の髪がふわりと広がる。そして顕になる小さな角。ユシギナが魔族である、ホルン族の証である、人間からしてみれば異物の小さな角。
「あなたはま…!」
「騒がないで」
エールは鋭い声で遮る。目の前の少女を、マリアを殺気を込めて睨む。騒ぎ立てればどうなるか。マリアはそれを察したようだ。
「…何が目的なのです?この村を支配下に置くというのですか?見ての通りこの村には何もありませんがね!」
「君たちが魔族を敵視するのはわかるし、それをやめろとも言わない。だが面倒だ。無駄に敵視するようなら僕たちは君たちを黙らせる」
「…」
「冷静になったかな?」
「腸が煮えくり返ってるわ」
「そう。それで話しを続けてもいいかな?」
「…どうぞ」
マリアは深呼吸をして気持ちを落ち着かせたようだ。ギラギラと光る瞳から魔族を敵視しているのはわかった。
「さっきも言ったとおり、僕たちは魔獣に襲われた馬車を見つけた。君たちには必要だろうと思って教えに来た」
「あなたたちはそれで何か得はあるの?私たちを騙してるわけじゃないのかしら?」
「それこそなんの得があるっていうのかな?それに僕たちが追われているのも嘘じゃない。得というならこの村で少しだけ休ませてもらえるってことかな」
「誰も承諾なんてしてないけど?」
「じゃあ、今から森に行くのかな?暗い中魔獣のいる森に」
僕たちは睨みあう。ユシギナがオロオロとしているのが目に入る。
それを見て僕は頬を緩め、マリアは不思議なものを見たような顔をしている。
「魔族でもそんな反応をするのね」
「魔族も人間も変わらない。良い意味でも、悪い意味でもね」
「あなたは一体何者?」
「僕は人間だよ。勇者と魔王の近くで時を過ごしただけのただの人間」
「…それはタダの人間っていえるのかしら」
マリアはそう言って口を閉ざした。
エールも口を閉ざす。ユシギナが不安そうにエールの服を掴んでいる。
「わかったわ。あなたたちを信じるわ」
「ありがとう」
「いいわよ、別に。信用するって言っても武器は預からせて。流石に落ち着かないし」
「いいよ。僕たちも魔術が使えるからね」
「気持ちの問題よ。じゃあ寝室に案内するわ。いや、その前に湯浴みの準備をさせるわ。あなたたちかな…、うんん、少し臭うからね」
マリアの言葉にエールたちは気まずそうにするのだった。
魔術を使えるものがいれば湯浴みは簡単にできる。
使えるようになった魔術を湯浴み専門に威力などを調整したものが湯浴み師と呼ばれる。
ただ、魔力を使うには精神力を消費する。休みなしに風呂桶に湯を張っていたら精神力を早々に使い切ってしまう。だから大きな街に見られる湯浴み屋は大人数の湯浴み師を雇い、ローテーションで水魔術担当、炎魔術担当と替えて負担を軽くしているらしい。
エールたちは魔王の下にいたので湯浴み屋を利用したことはない。村長クラスでも風呂桶は持っているのだからそれもそうだろう。
一ヶ月の汚れを長時間かけてさっぱりとしたエールとユシギナは心の底からマリアに感謝する。
まさかお湯があそこまで真っ黒になるとは…。
エールでさえここまでダメージを受けるのだからユシギナが受けたダメージは計り知れない。事実目が死んでる。
「さっぱりしたかしら?」
「ええ、それについては感謝しきれないくらいです」
エールがユシギナを見て言う。マリアも女性なので心中を察したようで苦笑いを浮かべている。
今着ている服もマリアが用意してくれたものだ。今まで来ていた服は泥やら返り血やらで汚れが凄まじい。
「綺麗になったみたいだから部屋に案内するわ。流石にあの汚れと臭いで寝室に入れるのは…ね…」
「はは…」
ユシギナがそれを聞いて乾いた笑いを浮かべる。魂も抜け出ていきそうなくらいに。
いいとこのお嬢様だから仕方ないといえば仕方ない。逆に言えば今までの生活によく不満を言わなかったものだと思う。
寝室に案内されると、久方ぶりの柔らかいベッドの魔力に誘われ、疲労の溜まった身体は抗うことのできない睡魔に襲われることとなった。
翌朝。ベッドで寝ていることに対して驚き、そういえば村で部屋を貸してもらえていたのだと思い出す。疲れがだいぶ抜けているので体が軽い。
部屋を出てとなりの部屋の扉をノックする。こちらの部屋にはユシギナが寝ているはずだ。
返事がないのでまだ寝ているのだろう。扉を開けて入ると案の定、ユシギナはまだ寝息を立てていた。
「ユシギナ、起きて」
「んんー、えーる?もうあさなの?」
「そうだよ。ほら、よだれ垂れてるから拭いて早く起きて」
袖でよだれを拭い寝ぼけ眼をこすりながらユシギナは身を起こす。エールはそんなユシギナの寝癖を直してやる。湯浴みをさせてもらったことで髪の輝きが戻っている。ユシギナは目を閉じて気持ちよさそうにされるがままになっている。
久しぶりに落ち着いた朝を過ごす。そこへノック音。エールがどうぞと言うと扉を開けてマリアが入ってくる。
「起きてたのね。…貴方たち仲がいいのね」
「ええ、羨ましいですか?」
「そうね、私には弟妹はいないから少しだけ羨ましいわ」
マリアの目に羨望の色が宿る。それもすぐに消える。
彼女の格好は寝巻きから既に着替えられている。すぐにでも森に行けるようだ。
「朝食を取ったらすぐにでも森に案内してもらうわ、いいわね?」
「分かりました」
「ごはんー?」
「…その娘の目も覚ましておいてね」
「ええ…」
ユシギナの気の抜けた声に毒気を抜かれる。
マリアがこいつは本当に魔族か?と言う目で見ている。残念な子を見る目で見ないで欲しい。
やればできる子なんです、とエールは口には出さず、心の中だけで思った。
朝食はパンとスープ、そしてサラダだ。スープは豆とじゃがいもにチキンが入ったものだ。一ヶ月の逃亡生活では食べるものは現地で調達、それを焼くだけだったので素朴な料理でも美味しかった。
下品ではない程度に食事を取り、久しぶりのまともな食事に満足する。
食事を終えると言われたとおりに森へと案内するための支度を整える。
部屋の壁に立てかけておいたウィズアを腰に佩き、ローブを羽織る。ユシギナにはフードを被せしっかりと角が隠れていることを確認する。
マリアに魔族ということを明かしたとは言え、他の村人に言うのはやめておいたほうがいいだろう、という判断からだ。別にマリアもそれに対して文句を言わないので問題ないだろう。
「準備は出来た?」
「ええ」
「じゃあ、案内兼護衛をよろしくするわ。魔獣が出たらみんなのことはお願いするわ」
エールは頷く。馬車の荷物を運ぶための人手が必要なのだ。
万が一魔獣が出たら彼らを守るのもエールたちの役目である。
村人たちから向けられる好奇の目に晒され、エールは頭を下げる。
ラッセルの、あの馬車のメンバーたちの無念は晴らせただろうか?そんな思いがエールの胸中に思い浮かんだ。
そうだといいな、とエールは一人思ったのだった。