第三話 背信の刃
魔族領『ガンディアナ』が慌ただしくなったのがつい最近。
何事なのかと気になり、ディエスに話を聞こうと思ったが戦場を転々としているらしく掴まらない。
ベルナはベルナでディエスがいない間の仕事を任せられており、手が離せない状況が続いている。
エールとユシギナはピリピリした空気を感じ取って無闇に出歩かないように心がけていた。
だが、そのまま何もしなければ何かが起きた時に動けない。あの時、あの人に守られているだけの自分の姿を幻視した。
だから、エールは他人と会わないように注意し、影から情報を集めていた。
部屋に戻るとユシギナが心配そうな顔をして出迎えた。
「エール、おかえりなさい。どうだった?」
「勇者が現れたらしい、それも四人」
「四人も…!?」
エールはそれを聞いたとき苦々しい思いだった。
あの人が死んだ時の言葉を忘れない。
あの罵倒を、あの恩知らず共の行動を、腸が煮えくり返るような怒りを、エールは忘れていない。
ユシギナがそっと手を握ってくる。そこで初めてエールは拳を握りしめていたことに気づく。あまりの強さに血が滲んでいた。
「エール血が出ているわ」
「それくらいだいじょう…ぶ!?」
大丈夫と言おうとして声が上擦った。ユシギナがエールの手のひらを、正確にはエール自身が爪で傷つけてしまった傷を舐めた。
「ユ、ユシギナ!汚いからやめてください!」
「でも、傷は舐めれば治るというじゃない」
「確かに言いますけど…!いいから!ほら、魔法で治せるんで」
エールがユシギナの手を振り払うと名残惜しそうにしていた。
(そんな顔をされても困る…!)
ユシギナは妹のように思っているエールから見ても美少女だ。笑顔や時折見せる切ない顔などにドキッとさせられることもある。
だが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。
勇者の召喚。それは魔族にとっては大きな問題だ。先代の勇者は一人だったがその一人にすら魔族は手をこまねいていたのだ。
それが同時に四人も現れたとなると今までの優勢も覆されるほどの戦力であろう。
ディエスが戻ってこないことがそのことを裏付けている。
ユシギナの心配そうな顔が目に映る。
「大丈夫ですよ。ディエスは殺しても死なないですから」
「…そうよね」
慰めの言葉をかけるエールの胸にも、漠然とした不安がシコリとなっていたのだった。
―――
勇者が召喚されたとの知らせが入ってから一月が経過した。
転移の気配を感じたエールがそちらを振り返るとディエスが立っていた。
ディエスは疲れきった顔をしている。精悍な顔には影が差しており、髪は戦闘続きでボサボサになっていた。
「おかえりなさい」
「おう、遅くなったな…」
「今、ユシギナと奥様を呼んできます」
「エール、ちょっと待て」
「…?どうしました?」
ユシギナとベルナを呼びに行こうとしたエールをディエスは呼び止める。
エールはディエスの真面目な雰囲気からなにやら不穏な気配を感じ取る。ディエスの意図を察して近くに寄る。
ディエスはエールの耳に顔を近づけ声を潜めていくつかの確認をする。
ベルナとユシギナは無事かどうか。
怪しい動きをしている奴はいないかどうか。
ここ最近の兵の雰囲気はどうか。
ベルナとユシギナに関しては無事だと言い切れる。
エールは護衛としても兼ねているので二人の安全は最優先だ。
次に怪しい動きをしている者に関してだが、確証はないが一部の貴族、主にアーラ族が秘密裏になにか行動しているとの情報を耳にしていた。そのことをディエスに伝えると神妙な顔をして考え事をしていた。アーラ族は翼を持った種族で風の魔術を得意としている。ディエスたちホルン族のことをあまり快く思っていない種族なので今の状況ならアーラ族が動くのも納得できる。
最後に兵の雰囲気だが士気は低い。勇者の登場とここ最近の負け戦。ディエスが王としてふさわしくないのではないかという声も上がっている。こちらもアーラ族の手が回っている可能性がある。
「そうか…」
ディエスは重々しい口調で、まるで溜め息のように言葉を吐き出す。
人と魔族が戦うのを良しとしないディエス。だが、お互いに相手を悪だと決め付け合って、相手の言葉に聞く耳を持たずに殺し合う。それをどうにかしようとするディエスの行動が今や不信感を生み出している。
『魔王は人間の味方なのか?』
勇者が現れ、負けが続く現在。その負けの原因が自らの王なのではと疑い始めているのだ。
それをアーラ族が他種族に唆す。『王は人間の奴隷を贔屓にしているからそれもありえる』と。
ディエスはそれを知っていたがエールには話さなかった。
ディエスはエールのことを傷つけたくはなかったから。
「魔王様、こちらにおいででしたか」
エールとディエスが会話していところにウングイス族の男が訪れた。デンス族は獣の耳と尾を持ち魔力を使うことで獣に変身することができる種族だ。この男は剛毛な灰色の狼の耳と尻尾を生やしている。
不敵な笑みを浮かべたその男に嫌な予感が走る。そしてその予感は外れてはくれなかった。
「ディエス様!」
「わかってる!」
エールが叫ぶと同時にデンス族の男が襲いかかる。爪に魔力を込めて部分的に獣化した重く鋭い一撃。それをディエスは剣で捌いた。
エールもすぐに剣を抜く。これで二対一。相手も不利と見て攻めあぐねているようだ。
膠着状態は長くは続かない。男の後ろから騒ぎを聞きつけてやってきた武装した兵士たちが押し寄せてきたからだ。
安心するのも束の間、嫌な予感は消えてくれない。最悪の考えが頭を過ぎる。思い過ごしだと、心配し過ぎなのだと、そう思いたかった。
だが、現実は証拠を突きつけてくる。
兵士たちは男を無視してディエスとエールに剣や杖を向ける。
「あなたたちは何を考えているのです!!」
「人間風情が吠えるな!そいつは魔族を裏切っているのだろう!!」
「何を馬鹿なことを!!」
「ならなぜ貴様は生きている!奴隷などと言うが本当は人間のスパイなんだろう?」
「そうだ!負けているのは貴様が情報を流しているからだ!」
「魔王もグルなんだろう!!」
「裏切り者は殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
ウングイス族の男はこの光景を見てニヤニヤと笑っている。
エールは唇を噛み締める。血の味がするほど強く。
これはどうしようもない状態なのだ。
この者たちを殺して場合、ディエスの立場は悪化する。殺さなければこちらが殺される。
こちらの考えはどうやら甘すぎた。アーラ族だけならばここまで早く動くことはなかっただろう。
「まさか、アーラ族とウングイス族が手を組んでるだけじゃなく、デンス族も関わっているとはな…」
ディエスは兵士たちのあとからやってきた蝙蝠の羽を生やした男と虎の頭を持つ男を見て言った。
羽を持つ男がアーラ族、虎頭の男がデンス族だ。
「いえいえ、魔王様。手を組んでいる、というと我々が何やら企んでいるようではないですか」
「そうだ。我らは企みなどない。全ては民たちのために動いているんだからな」
アーラ族の男もデンス族の男も白々しいことを言っていた。表情にはニヤニヤとした笑みが浮かんでいるので本心ではないのがよくわかる。
だが兵士たちはそうではない。彼らの全員とまではいかないだろうがその大半は自分たちの家族を、民を守るために戦っている。その表情からは魔王への失望と怒りが滲み出ている。
「魔王さまは自ら戦場に出ることで勇者たちと連携しているんでしょう?」
「戦っている振りをして勇者たちが危機に陥っても止めを指すのではなく話し合いに持ち込もうとしているなど、笑止千万」
「さあ、魔王様。無駄な抵抗はお止めになってそのまま首を差し出してください。そうすれば奥方様や娘様には手を出さないと誓いましょう」
「そうして我らの誰かが新たな王となってガンディアナに勝利をもたらしましょう」
三人の首謀者はそんなことをのたまった。
エールは三人を睨みつける。視線が相手を殺せるのならば殺せるほどに。
だが反対にディエスは落ち着いていた。ここで起きることを悟っていたかのように。ディエスはゆっくりとエールの方を向くと穏やかな口調で話し始めた。
「エールお前に頼みがある」
「待ってください、このタイミングでそれを言うのは遺言みたいじゃないですか…」
だがエールの言い分を無視してディエスはしゃべり続ける。
「ベルナもいつかはこういうことが起きると覚悟していた。俺たちの力が、俺たちの理想へとたどり着くには足りないってことに。だが、ユシギナは違う。あいつはそんな覚悟ができちゃいねえ。今回のでポッキリ折れちまうかもしれない。だからあいつのことはお前に任せる」
「我らがそこの人間を生かしておくとでもお思いですか?」
「思ってねえからこうすんだよ」
「なっ!?」
ディエスが練り上げた魔力。それはエールの周りの空間を歪め、捻り、破壊する。そしてできた穴がエールを飲み込む。転移の魔術だ。
それを阻止しようと兵士たちが走り出す。だがそれをディエスが阻んだ。
「おい、これでも魔族の頂辺の俺に背中を向けるとか余裕すぎるじゃねえか?」
「くっ!」
そのあいだにも空間は元の形に戻り始める。転移が終わろうとする直前。
ディエスがエールに向けて腰に佩いた剣を投げた。
「エール!そいつをもってけ!」
「ディエス、でもこれは…!!」
「いいからもってけ!」
これはディエスが作らせた魔剣。エールが魔術と武術の両方を使っているのは師であるディエスがそうだからだ。魔剣士であるディエスが剣を手放せばそれだけ相手が有利になる。
それを最後に空間が元通りになる。エールが最後に見たのはディエスの体が怒りの表情に彩られたアーラ族の男に刺し貫かれていた姿だった。