第零話 勇者の死を人は悼まない
火の手が上がり、夜は赤い光に照らされる。そこかしこで影と影がぶつかりあう。
地面は何かを吸って黒くなっている。その近くには人影があり、ピクリとも動かない。
剣戟による金属音が響き渡る。叫ぶような声が轟き、火が、氷が、風が、形を持って猛威を振るう。
そんな中、悲鳴に近い叫びが上がる。
「勇者がやられたぞッ!!」
歓声と悲鳴。
かろうじて均衡を保っていたぶつかり合いの流れが変わる。
歓声を上げていた影が悲鳴を上げた影の方へ勢いよく流れ込む。
その流れの勢いは最早止めることはできなかった。
夜が明けた。
火は既に収まっていた。それもそのはずだ。燃えるものは残っていないのだから。
黒く炭と化した街並みを呆然と見る人々。
怒りに震え、唇を噛み、拳を握る。
シン、と静まった中で、誰かがぽつりと呟いた。
「何が勇者だよ、ふざけんな…!」
その呟きは不思議なほど、あたりに響いた。
怒りの矛先は死んだ勇者へと向かう。誰もが勇者を罵った。
そして、誰かが首のない死体を引きずってきた。
悪意が事切れた体にぶつけられる。
それは死者への冒涜だった。ずたずたにされた死体は打ち捨てられた。原型を留めていない死体にはかつての面影を見出すことはできない。
それを見ていることしかできなかった。狂気が渦巻くその中心に飛び込むことができなかった。
どれだけ時間が経っただろうか?
いつの間にか自分一人がこの場にいた。ボロボロになった死体に近づいて座り込む。
声を上げて泣いた。ボロボロになった死体をかき集めて、それに顔を埋めて泣いた。
臭いなんて気にならなかった。悲しみが溢れ出てくる。
泣いて泣いて泣いて、悲しみをすべて吐き出して。
最後に残ったものは怒りだった。
「ひでえなあ…」
遠くから声が聞こえた。怒りに燃える瞳でそちらを見る。そいつは人間ではなかった。
頭には角が生えており、瞳は爬虫類を連想とさせる。ひと目で魔族とわかった。
そいつは目を瞑ってしばらく佇んでいた。
魔族とは人間を殺す心無い敵だと思っていた。だからその姿に怒りも忘れて驚く。
「なあ…」
なぜだろう。魔族に声をかけようと思ったのは。殺されても不思議ではないのに。
無性に気になったのだ。なぜ、人間の死者も悼んでいるのかを。
急に話しかけたことで相手は驚いてた。だが急に襲いかかってくるということはなかった。
「お前は人間かい?」
「そうだ…」
そいつは一瞬だけ申し訳なさそうな顔をした。それから黙って見つめ合う。
沈黙。それを破ったのは魔族の方だった。
「すまんな…」
「何が…」
「いろいろだよ」
「…」
それからまた黙りこくる。そうすると呪文を唱え始めた。
そして地面に手を当てる。地面には大きな穴があいていた。
魔族は丁寧に死体を一つ一つ穴の中に入れていった。
「何してんだよ…」
「このままじゃこいつらに悪いだろ」
「そんなこと聞いてんじゃない!なんでお前がそんなことしてんだよ!」
お前らが殺したんだろうが!その思いが胸で暴れる。
魔族を睨みつける。魔族はまた申し訳なさそうにする。
なんで、魔族のお前がそんな顔をするんだよ!
なんで、なんで、なんで!!!
自分の荒い呼吸だけが聞こえる。
「俺たちとお前らって何が違うんだろうな…」
魔族がぽつりと呟いた。
「姿か?住んでる場所か?そんなもん違うに決まってる。お前たち人間だってそうさ。肌が黒いやつもいれば白いやつもいる。俺たちの中にも角があるやつもあれば尻尾があるやつもいる」
「何が言いたいんだよ」
「その程度の違いしかないってのに、俺たちは殺し合ってんだ。それでお互いが憎み合って、大切な人が死んで、後戻りができなくなってんだ。馬鹿みたいだよな…」
馬鹿みたい、じゃなくて馬鹿なんだよな…。と魔族は呟いた。
その言葉を聞いてハッとする。
『俺たちはなんで魔族と戦ってるんだろう…?』
あの人はいつもそう言っていた。戦いが終わったあとはいつもぼんやりと戦場を眺めていた。
目の前の魔族は、あの人と同じことを言っていた。
あの人と、目の前の魔族。立場が、種族が違うはずの二人は同じことを悩み、憂いていた。
「僕を連れて行ってよ」
気づけば僕の口はそんなことを言っていた。
相手も目を見開いて驚いている。
「俺は魔族だぞ…?」
「関係ないよ。人間だってことも、魔族だってことも…」
「なんで俺なんだ?同じ人間だっていいじゃないか」
「見てみたいんだ。あなたがみてる世界を。あなたが見据える世界を。あなたが望む世界はきっと、あの人と同じだから…」
お互いに見つめ合う。目をそらすことはしない。
やがて、魔族の方が目をそらす。大きくため息を吐いて空を見上げる。「面倒なことになったな…」という態度だ。
だが、魔族は諦めたように視線をさげて手を差し出してくる。
「名前は?」
「僕の名前は…」
差し出された手を取る。その手は大きくて、暖かくて、優しくて、それでいて戦う者の手だった。
それはあの人と同じ手。
エールはその手をしっかりと握りしめた。
勇者と旅を共にした少年、エールは魔族の男に拾われた。
あの人と同じ考えを持ち、戦いに疑問を持つ魔族の男は驚くことに魔族を束ねる王だったと判明したのはその男に連れられて場所のせいだ。
厳重な門をくぐり抜けた先にある普通に立派な城(魔族が住むところは毒の沼に覆われていると教えられていたので驚いた)がこの魔族、ディエスバロウ・クリストフォロ・ルシェイラの帰るべき場所だった。
「うっぷ…」
「おっと悪いな…」
初めての転移魔法で酔ったエールを介抱する姿は親切な人間となんらかわりない。種族が違うというだけで人間は穿った目で見ているということがはっきりとわかる。
だが、それは人間だけでなく、魔族もかわりないということはこのあとわかった。
「ご無事でしたか」
「ああ」
ディエスに恭しく礼をする魔族たち。だがその目はディエスに抱えられた人間、エールを凝視している。その瞳には蔑み、嘲り、憎しみ、そんな負の感情がこもっており、好意的な感情を見出すことはできなかった。
視線の暴力に晒されるエールは居心地が悪いことこの上ない。ディエスもそれは承知しているが流石にどうしようもない様子だ。
「あー、こいつはベルナとユシギナの世話をさせるために連れてきた奴隷だ」
「人間が、奥方さまたちの世話をするのですか…?」
「ああ、そうだ。それとこいつは俺の所有物だからな。俺が好きにするのはいいがお前らが手を出したら…わかってるだろうな」
これはあらかじめディエスとエールが打合せしてあったことだ。
奴隷とは言え王の所有物。それに手を出すということはどういうことかをわからないほど無能な部下はいないはずだ、というディエスの考えである。
その考えは成功して、こうしてエールは人間でありながら大手を振って魔族の本拠に住むこととなった。
奴隷という隠れ蓑を使っているが、その効力を発揮させる為にエールはディエスの妻であるベルナとその娘であるユシギナの身の回りの世話をしなければならない。
そのことをディエスはベルナに説明する。
ベルナはエールから見てもとても美人であった。人間にはありえない銀の髪に真っ白な肌。頭にはディエスのものよりも小さな角がちょこんと生えており、トカゲのような尻尾が生えていた。ディエスと並ぶと野獣と美女のカップリングに見えてしまう。ちなみにディエスに尻尾がないのは戦いのさなかで切られたからだそうだ。
「俺にはもったいないくらい良い嫁だ」とはディエスの言葉である。その言葉にベルナは「私にはもったいないくらいいい旦那様ですよ」とにこやかに返していた。
ベルナとの挨拶を済ませてると、今度は娘のユシギナとの対面だった。
「ユシギナ、今日からこいつがお前の身の回りの世話をするエールだ。仲良くやれよ」
ユシギナはエールより3歳下の少女だ。母のベルナによく似た美少女である。エールは思わず見とれてしまった。
だがすぐに気を取り直して挨拶をする。
「えっと、エールです。よろしく…」
「ユシギナよ、よろしくね」
ニッコリと笑みを浮かべるユシギナはまるで天使のようだった。
それからディエスとベルナは「あとは若いふたりで仲良くね」と言い残して部屋をあとにした。
初めは緊張したり、魔族と人間の違いとで悩んだりで黙っていたが、ユシギナはそんなことなどとは無縁だったらしくエールに声をかけてくれた。
そのおかげでエールも段々と口を開き始めて、そのうちいろいろなことを話し始めた。
エールとユシギナはその日、ずっと話し続けていた。
ユシギナにとってエールは初めてできた歳の近い友達らしい。王の娘ということで周りには偉い大人ばかりが集まってきていたそうだ。それに魔族ではなく人間だというのでさらに好奇心を刺激されたみたいだ。
エールとしても可愛い女の子が目を輝かせて話しかけてくれば張り切ってしまうのも仕方がない。
そうしてエールとユシギナは出会い同じ日々を過ごした。