少し休憩。-勇者とその仲間-
本文に書かれていることはすべてギャグです
実際するあらゆるものと関係ございません
魔界に入って一番に目についたのはただただ広がる草原だった。空は赤黒く、草は真っ青だが、そんなことは関係ない。風が吹いていて気持ち良いとすら感じる。瘴気に満たされた魔界の中で人間界と繋がる場所だ。気持ち良いと感じた風は人間界から吹いているのかもしれない。
「ハースレア、ちょっとこっちに!」
勇者に呼ばれ、門番の一族の一人が草原の向こうに消える。魔法使いと元騎士はそれを見送った。勇者がハースレアしか呼ばなかったのだから、ミルゴとセゴンがそちらに行く権利などないのだ。権利など……。
「はーあ、セイロンのお茶が飲みたいなー」
魔法使いミルゴはなかなか帰ってこない勇者とハースレアを待つ間、それを何度も繰り返す。巨大な黒い鳥に襲われた時から、セイロンは例のお茶を飲まなくなってしまった。アイテム入れには大量のお茶っ葉が残っている。元騎士のセゴンもミルゴの愚痴を黙って聞いていた。手持無沙汰なので少し背の高い葉っぱを指先でいじる。
「お茶ー」
「うまいもんなぁ、あれ」
セゴンもまた、あのお茶を好ましいと考えていた。四獣から貰ったものだと知った時にはもうすでに遅く、あのお茶の虜になってしまっていた。
そんなセゴンよりもミルゴのほうが重傷だ。ミルゴは最初、勇者セイロンの旅に同行することを拒否していたのだ。それでもセイロンが淹れてくれたあのお茶がおいしくて。あのお茶を飲み続けたいと思ったからついてきたようなもので。
「最初はそうだったんだけど」
「え、何が?」
「最初はお茶がおいしくて一緒に行こうかなって思ったの。でも、ずっとセイロンと一緒にいたらね、セイロンって素敵だなーって思ったの」
素敵だから一緒に行こう。素敵だから一緒にいたい。勇者じゃなくてもいいからセイロンと旅をしたい。お茶があればなおよし。
「ぐんぐんにーる……」
ミルゴが宙に円を描き、そこから光の槍のようなものが現れた。しかしとても小さく、爪楊枝にも見える。
「グングニル、だろ。たぶん」
「ううん、ぐんぐんにーるでいいの」
もう一本、爪楊枝がぽとんと草の上に落ちた。一本をセゴンの服に、もう一本を自身の服にしまってミルゴが立ち上がる。
「この旅が終わったら、セイロンとお別れしないといけないのかな?」
そうだとしたら、終わりたくないね。
ミルゴは悲しげに、遥か彼方に見える旅の終わりの象徴、魔王城を見つめてそう呟いた。
* * *
ウィルという魔法使いは屑と広くその名を轟かしていた。
屑と呼ばれる前も確かにあったように思う。創世の魔女と呼ばれ論文も全ての人に賞賛され、次の公演はいつだどこだと聞かれ前にも進めない人気者。
しかし、ある時。その美しい顔を歪めて彼女は言った。
「もう嫌よ」
人々は黙った。
「私の論文はこれで完成じゃないわ、勝手に完結させないで。まだ世に出さないで」
人々の顔が疑問に染まった。
「私の力はこんなものじゃないわ、勝手に見くびらないで。勘違いしないで」
人々に怒りが湧き上がってきた。
「私は公演なんてしたくないわ、勝手に次の予定を立てないで。期待しないで」
人々は、創世の魔女を拒絶した。
彼女のいかなる論文に目もくれず、彼女のいかなる言葉を聞き入れず、彼女のいかなる動作も受け入れない。そうしていつの日か、彼女は屑と呼ばれるようになっていた。
そんなある日、彼女の力を使うべく旅をする勇者が現れた。勇者は彼女を見て、「出来損ない、一緒に行こう。魔王城乗っ取ってやろうぜ」と言ったのだった。
「はぁー、あの屑。この私を無視して魔王になるなんていい度胸じゃないのー」
ウィルは人間界の空を見上げる。見飽きた蒼さをしていた。誘いなさいよ、バカ、と小さく呟いて、彼女は研究に戻るのだった。
* * *
アルバスは「僧侶の癖に、なんて屑なんだ」と耳にタコができるほど言われた人生だったと振り返る。しかし、そうではない時期も彼にはあった。
女性など目にくれずアルバスは常に神に祈りをささげる、この世界における僧侶の仕事を果たしていた。牧師と大体同じ役割だったりしたのだが、なぜかアルバスは僧侶だと、皆がそう呼んだのだ。立派な僧侶様ね、と。
ある日、魔物がアルバスの居た町を襲った。田舎町で小さな教会が村唯一の大きな建物だった。
神は毎日祈りを捧げたアルバスを守ってくれた。しかし、アルバスの目の前でアルバスの姉と母が死んでしまった。彼女たちは死の直前までアルバスの祈る姿を褒めていた。奇跡的に助かったアルバスは、姉と母を犠牲にして生き残ったのだった。
町の誰もが気にするなと言った。お前のせいではないと。
その声がアルバスには一生忘れるな、お前のせいだと言っているも同然だった。
アルバスだけが神に声を聞き届けてもらった結果がこれだというのなら、アルバスの声など神に届かなければよかったと思うようになった。その日から、アルバスは小さな町を出て大きな町で女性に祈りを捧げるようになった。いつの日か、姉と母の代わりに彼女たちがアルバスを許してくれる日を心待ちにしていた。
そんなある日、アルバスの元に勇者が現れた。勇者はこう言った。
「魔王城で女侍らせてだらだら生きようぜ」
アルバスは神の像を見上げる。神々しい姿は、アルバスにとってうんざりするものだった。
「あのバカ屑……。人間の女性のほうがいいって言ったのによ」
勝手に行きやがって、とアルバスが呟きを零す。神にもその呟きは届かなかっただろう。
* * *
川に自らの家を建てた元勇者の一行最後の一人、ミーナもまた屑と呼ばれる人魚であった。鱗に覆われた下半身を足にする代わりに声が出ないといった、欠陥の人間としてどの町でも邪険にされていた。
しかし彼女もまた、そうではなかった時期がある。同じ人魚の仲間たちと海を泳ぎまわった日々が彼女にもあった。
「ミーナったら、また人間を見ているのね」
「海面の近くは危ないってお父様が言っていたわ」
姉たちがそう言ったけれど、ミーナは水面のきらきらした光が好きだった。いつものように水面ギリギリのところで浮かんでいると、人間がミーナを見つけて船へと引き上げたのだった。
人間はミーナをお金に換えた。故郷の海から遥か遠い場所で体に合わない水を頼りに必死に生き延びていた。
そんなある日、目の前に勇者と名乗る男が現れた。勇者はミーナに海水をぶっかけながらこう叫んでいた。
「魔界の海もきれいだと思うんだよね! 偏見がなければだけど!」
ミーナは故郷の海に戻る権利もありながら、旅を終えた後はある川へと戻った。勇者が現れたら一番に通る川に。
「あーれー……、水面で死んだふりしてるのに誰もこないなー。もしかして勇者の屑、勝手に魔界に行ったのー?」
私を無視してるんじゃないわよ、とミーナは憤慨した。とぽん、と水の中に潜る。水面は相変わらずきらきらと光っていてきれいだけれど、ミーナの心はもう少しも揺さぶられなかった。