異能者・2
篠原が住むマンションの前の歩道に座り込み、彰吾は篠原が帰ってくるのを待った。
すでに陽は沈みはじめている。
あと10分もすれば篠原は帰ってくるだろう、ということが彰吾にはわかっている。
気が進まなかった。
いくら香月の頼みとはいえ、篠原のような男をなぜ助けなければいけないのだろうという気持ちがあった。もともと人間というものに愛情を抱いた事などなかった。人の『思念』を感じれば感じるほど、人間に救いなどないと思うようになる。
香月とは違い、彰吾の場合は物心がついた時にはすでに自分の能力のことは把握していた。いや、もっと正確に言えば生まれる少し前からかもしれない。母の胎内にいるとき、彰吾は何者かの声を聞いたことを憶えている。
――汝は光の者なり。ゆえに我、汝に力を貸そう。我が名は役小角。
『役小角』とは修験道・密教の祖と言われる人物で、密教の呪術の一つである「孔雀の呪法」をマスターしたとも言われる。
『役小角』を題材とした小説などはさまざま存在しているが、その反面、信頼できる歴史的文献はわずかしかなかった。唯一、『役小角』が実在していたと信じることの出来る書物として、『続日本記』にわずかに記述が残されている。
「役君小角は葛城山に住み、呪術をもって称えられたが、弟子の韓国連広足に讒訴され、伊豆島に流された」
「小角はよく鬼人を使い、水を汲ませ、薪を取らせた。もし鬼人が命に従わないときは、呪をもってこれを縛った」
あの時の声が、本当に役小角の『思念』なのかは彰吾にもわかりようがない。
彰吾は古本屋や図書館などを回り『呪術』や『陰陽術』に関する書物を集め、それを使って自らの能力を把握しようと努めた。その結果、それと自分の能力とは似てはいるが別のものらしいということがわかった。おそらく香月の持つ力も自分と同様の種類のものだろう。そのため彰吾の使う『呪術』は古来のものを自分の力にあわせて変形させたものだったし、『陰陽術』や『神道』を併合して使うこともあった。彰吾にとってそれらの呪文は自らの力を導き出すための鍵となるもので、呪文そのものの力に頼ろうとはしなかった。
去年、祖父が死んだのを気に家屋を売り払い、三鷹にあるマンションで一人暮らしをしている。普段は大学に通いながら、ネット上では『霊能力者』として活動をはじめている。とは言っても、月に一人や二人、真剣に悩んでいる人を見つけては相談にのる程度で、実際に除霊が必要な人間など滅多に出会うこともなかった。
そのなかで彰吾は自らの能力をさらに分析していった。全てはあの時の声の意味を知るためだ。そのなかで、香月の存在は彰吾にとっても大きな意味を持っていた。自らの能力を測るため、これまでさまざまな他の霊能者たちとも出会うことがあったが、香月は彰吾が知る霊能者の中でも最も大きな力を持つ存在だった。
不思議なことに彰吾がどれほど自らの力に磨きをかけても、いつも香月の能力は彰吾を上回っていた。もともと霊力者としての原石が違うのかもしれない。
どちらかというと香月は普通の人間としての生活を望んでいるように見えるが、彰吾はそうは考えていない。普通の人間とは違うこの力を天から授かったのだとすれば、それには何か意味があるはずだ。自分が生きる意味を彰吾は見つけ出したかった。もちろん香月と自分とは違う。香月には何事もなく幸せに生きてもらいたいと願っている。
香月は彰吾にとって家族以上に大切な存在だった。もし香月を脅かすような存在が現れれば、命をかけて戦うだろう。だからこそ、香月のもとにやっかいごとを運んできた篠原の存在は気に入らなかったし、その件については全て自分が受け止めるつもりだった。ただ、気になるのは篠原から感じた『気』の大きさだ。あれほど大きな憎悪に満ちた『気』に出会ったのは初めてのことだ。出来る限り香月を厄介ごとに巻き込みたくはない。
やがて、夕陽のなかを篠原の大きな身体が坂を登ってくるのが見えた。坂を登るのが辛いのか、ほんの少し視線を落として足元を見つめながら登ってくる。
相変わらず、その身体にはあの殺意を含んだ『気』がまとわりついている。しかも、その殺意は昼間見たときよりも強くなっている。
厄介だな――そう思いながらも彰吾は篠原の前に立った。
「あれ? こんなところでどうしたんだい?」
篠原は彰吾に気づいて顔をあげた。額から汗が滲んでいる。
「今朝、話しをしていた事件のことなんですが、何かわかりました?」
「ああ、あれね。調べてみたらやっぱり私の友人と同性同名の人がここ2ヶ月の間に3人も死んでいたんだ。しかも、その3人に共通することは名前だけじゃない」
篠原は再び足を動かしながら彰吾に向かって喋った。彰吾にとってもその話しは興味深かった。
「何か他に共通点が?」
「女だよ」
「女?」
「そう。今日、死んだ3人の家族に連絡を取ってちょっと話を聞いてみたんだけどね、死んだ3人は皆、死ぬ前に女の姿を見ていたと言ってたらしいんだ。まあ、たいていは夢のなかの出来事や錯覚ってことで片づけていたらしいけどね。これはやはり何かあるよ」
「何かって?」
「呪いだよ」篠原はさも楽しい話でもするかのように言った。
「それじゃ、その女の呪いだっていうんですか?」
「たぶんね。そのうちの一人の家族には会って話を聞いてきたんだけど、実際、事件前から本人意外にもいろいろおかしなことが立て続けに起きていたらしいよ。息子さんが階段から落ちたり、車が家に突っ込んだり……」
彰吾の能力のことなど知らない篠原は得意げに喋った。
「この件からは手をひいたほうがいいんじゃないですか? もし、本当に呪いで3人もの人が死んだというのであればあなただって危険でしょ」
彰吾は篠原をこの事件から手を引かせるために言った。
「ははは……、大丈夫だよ。さっき、『祓い屋』の沢木戸にも会ってきたんだ。二つ返事で受けてくれたよ」
彰吾は驚いて足を止めた。これほどまで早く立ちまわる男だとは思っていなかった。
(これじゃ真っ向から戦いを挑むようなもんじゃないか)
さっきから『気』が篠原の首元に絡み付いている理由がよくわかった。
それにしても、その沢木戸という男もたいした力はないらしい。『祓い屋』といっても、きっとまともな霊力は持っていないだろう。篠原にまとわりついている『気』に気づかないようでは何も手出しが出来るはずがない、と彰吾は思った。
彰吾は篠原の腕を掴んで足を止めさせた。
「忠告しておきますけど、本当にこの件からは手をひいたほうがいいと思います。その『祓い屋』の人にもそう言っておくほうがいい」
「おいおい――」
驚いたように篠原は彰吾の顔を見た。
「でないと命を落としかねませんよ」
「怖いなぁ、脅かしっこなしにしようよ。悪いがこれから友人が来る事になってるんだ。それじゃ、失礼するよ」
篠原は一向に彰吾の言葉に耳を貸そうとしなかった。
(勝手にしろ)
マンションに入っていく篠原の後ろ姿を眺め、彰吾は歯がゆい思いで眺めた。
おそらく篠原は殺される。そのことは篠原を取り巻いている『気』で感じる事が出来る。
だが――本当にこのまま見殺しにしていいのだろうか。
篠原のことは好きではなかったが、簡単に殺させてしまっていいものかどうか彰吾は迷った。何よりも香月の寂しがる顔は見たくない。
「くそ!」
彰吾は一瞬迷った後、篠原の姿を追い、マンションに入って行った。
(もう一度……これが最後だ)
新腹の姿がエレベーターのなかに消えていこうとしていた。
エレベーターが閉まる直前に彰吾が飛び乗ると、篠原は驚いたような顔をした。
「まだ何かあるのかい?」
「考え直したほうがいいです」
「どうしたんだい? そんなに私のことを心配してくれるなんて珍しいじゃないか」
エレベーターのドアが閉まり、上昇していく。
「僕が冗談でこんなことを言っていると思ってるんですか? 信じる信じないはあなたの勝手だ。でもね、このままならあなたは死ぬことになるんですよ」
「死ぬ? 私のことかい?」
そう言うと篠原は大きく笑った。「君はなぜそんなことがわかるんだ?」
篠原はまったく彰吾の言うことなど信じていないようだった。篠原にとって彰吾は作家、藤野香月の友人としての存在でしかない。
「……それは」
彰吾は唇を噛み、それから思い切って口を開いた。「僕にはそういう力があるんです」
香月以外の知り合いに自分の力のことを話すのは初めてだった。これまで除霊の仕事をした時でも、いつも自分の身元ばバレないよう注意を払ってきた。だが、今ははっきりと自らの力のことを伝えなければ篠原は自分を信用しないだろう。もちろん、今を乗り越えることが出来ればあとでいくらでも誤魔化すことは出来ると考えてのことだ。
一瞬、沈黙が流れる。
エレベーターが5階で止まった。
「へぇー、そりゃすごい――」
篠原は笑った。「それはどんなものなの? 死んだ人の姿が見える……とか? それじゃ、今度取材させてもらいたいな」
そう言って篠原はエレベーターを出た。彰吾の言葉などまるで信じていないようだ。
彰吾もその後を追った。
(ちくしょう……どうすりゃいいんだ)
その時だった。大きな『気』が篠原の部屋の前でうねっているのを感じた。
(あれは……)
思わず彰吾は立ち止まった。それはこれまでに感じた事のない強い殺意に満ちた『思念』だった。恨み、妬み、嫉み、その『思念』のなかに人間のあらゆる暗い感情が見え隠れしている。
その『思念』の強さに足が竦んだ。
篠原がドアを開け、部屋のなかへ入っていく。
(終わった)
彰吾は自分の力の限界を知っていた。
この相手に何の準備もなく、まともに戦いを挑む事は出来ない。
やがて、部屋の奥から篠原の『気』が消え去るのを感じ取ると、彰吾は再びエレベーターに乗りこんだ。




