死の影・3
深い眠りのなかに声が聞こえていた。
女の声だ。聞いた事のない低い女の声。
――裏切り者!
憎しみの篭もった声が頭のなかいっぱいに響いている。
(なんだ……?)
それが夢のなかであることに克己もすぐに気づいた。それでも、そこに広がる光景はまるで現実であるかのように不愉快な感触だった。
まるで洞窟のなかだ。まったく光が見えない。目の前にはただ底知れぬ深い暗闇が広がっている。そして、じめじめとした土の感触。辺りには悪臭が漂っている。まるで何かが腐っているような匂いがする。ぞわぞわと首筋が寒くなる。
闇の向こうから女の含み笑いが聞こえてくる。まるで笑い声そのものが地べたを這って、擦り寄ってくるようなそんな感じ。
その笑い声に克巳は全身の血が凍りつくような気がした。その声から逃げるように克己は走り出す。だが、逃げ道は土に覆われている。
――あんたも私の苦しみを味わえ!
背中に声が突き刺さる。
苦しい……息苦しさが克己を襲う。空気が薄い。まるで息が出来ない。
(早く覚めてくれ……)
夢であることはわかっている。それでもその暗闇のなかには何かが存在している。そして、その暗闇の向こうから克巳をじっと見つめている。
土の壁を手でこすり、そこから逃れようともがく。その感触がまるで夢とは思えないほど手にべったりと絡みつく。それでも、そこが夢から出る事の出来る唯一の道であるかのように、克己は必死になってその土の掻き出した。
ズキリと指が痛む。
「ちきしょう……ちきしょう」
思わず声が漏れた。
ふと、どこかで音が聞こえたような気がして耳を澄ます。機械的なアラーム音。これは――
(電話?)
そう思った瞬間、闇が消えた。
思わず飛び起きた。
心臓がドキドキと高鳴っている。背中のあたりが汗でぐっしょりと濡れている。
(なんて夢だ……)
克己は胸に手を当てて大きく息を吐いた。
枕元に置かれた子機が鳴り響いている。その脇の目覚まし時計が深夜3時を指している。明かりの消えている室内は当然暗かったが、あの夢の中の洞窟よりはよほど明るく感じられる。
克巳は大きく息を吸ってなり続けている受話器を見た。夜中の電話は嫌いだったが、今日だけは感謝したくなった。
「はい、山崎です――」
受話器を取った瞬間、その指がなぜだかズキリと痛んだ。
(なんだ?)
そう思いながらも受話器を耳に当てる。
――克己さん?
由紀の声だ。
「由紀か? どうしたんだ?」
――うん、ちょっと……火事で――
「火事?! 涼子は? 大丈夫なのか?」
『火事』という言葉にどきりとした。
――ボヤ程度だったんだけど……お父さんが火事を消そうとしてちょっと火傷した程度。
その落ち着いた口調に克己は安心した。
「火は?」
――もう消えたわ。消防署がすぐ近くだし、近所の人たちも手伝ってくれたから。
「そうか、それじゃ今からそっちに行くよ」
――でも、本当にたいしたことなかったのよ。一応報告しておこうと思って――
「ああ、でも一応心配だから」
――うん、ありがとう。そうしてもらえると助かる。涼子もあなたに会いたがっているから。やっぱりこんなことがあって、ちょっと不安になったみたい。
「急いでいくよ」
電話を切った瞬間、眠る前に読んだ新聞の記事を思い出した。
(ただの偶然だ)
克己はベッドから出ると部屋の電気をつけた。
その瞬間、克巳はその自分の手足の状態にはっとして立ちすくんだ。両手と両足が泥で汚れている。振り返るとベッドのシーツの上までもが濡れた泥で汚れている。
思わず悲鳴をあげそうになった。
(なんだ? 何が起きたっていうんだ?)
まるであの夢が現実世界とリンクしているかのようだ。
左手の中指の先が切れて血が滲んでいる。
克巳は何が起こったのかわからずに、指先をじっと見つめ続けた。
深夜になっていつの間にか細かな雨が降り始めていた。
克己は軽自動車で由紀の実家に向かった。
深夜の国道はほとんど車の姿もなく、時折大型トラックがスピードをあげて克己の乗る軽自動車を邪魔にするように追い抜いていく程度だった。
車を運転しながらさっき見た夢のことを考えていた。
あれはいったい何だったのか。ただの夢とは思えないほど生々しさ。まだ手の中にはあの時の感触が残っている。感触だけではない。指や足にこびり付いた泥。
一瞬、前方の信号が赤に変わったことに気づくのが遅れ、慌ててブレーキを踏んだ。タイヤが音を立てて車が止まる。思わずバックミラーで後ろから車が来ない事を確認した。
(何やってるんだ俺は! たかが夢じゃないか!)
そう、あれはただの夢に過ぎない。
子供の頃にも同じようなことはあったはずだ。寝ぼけて外に出て泥だらけの足でベッド入り眠ったことがあった。
(そうだ、それに決まっている)
必死に自分自身を言い聞かせた。
克己が由紀の実家に着いたのは朝の5時近くになってからだった。その頃には雨も上がり、うっすらと東の空が白みはじめている。すでに消防車は引き上げたのか、家の周辺には人の姿もなく、一見いつもと変わったところなどないように見える。
克己は車を家の前の道路脇に止めると、周囲の様子を伺いながら『浦山』と表札の出ている門を通った。庭にアジサイの花が咲いているのが見える。
家の東側がほんの少し黒くススがついている。克己はそのまま家の裏手に回ってみた。ちょうど台所の裏手の部分が火元だったのだろうか、かなり燃えた跡が残っている。プラスチックやゴムの焦げたような独特の匂いがプンと鼻をつく。
克己は家の正面に戻ると、玄関のチャイムを押した。
すぐに玄関の向こうから声が聞こえ、ドアが開く。それが涼子の声だという事はすぐにわかった。
「涼子」
ドアを開けた涼子を思わず抱きしめた。「大丈夫か?」
「うん。全然」
克己が来たことが嬉しいのか涼子は笑顔を見せた。パタパタとスリッパの音が聞こえ、由紀が奥の部屋から姿を現す。
「あなた……」
「火事って聞いてびっくりしたよ」
克己は涼子の身体をはなすと、家のなかに入った。
「涼子が気づいたのよ」
「涼子が?」
「そうよ。眠っていたら急に目を覚まして『家が燃えちゃう』って言って怖がりだしたの……最初は何の事かわからなかったけど、そのうちなんか焦げ臭い匂いがしてきて。涼子が気づいてくれたおかげでたいしたことなくて済んだの」
「へぇ、よく気がついたな」
そう言って涼子の顔を見ると、涼子は困ったような顔をしている。「どうした?」
「ううん……なんでもない」
何か言いたい事があるのを我慢するように涼子は首を振った。隠し事があるような涼子の仕種に克己は妙に気になった。だが、無理やり聞き出すようなことはしたくない。何か言いたい事があれば自分から言い出すことだろう。
「お義父さんたちは?」
「お母さんは寝室で横になってる。本人はいたって元気なんだけど、今朝、ちょっと寒いおもいしちゃったから風邪を悪化させないように寝てもらってるの。それとね――」
と言って由紀は声のトーンをさげた。「本当は今日、帰るつもりだったんだけど、こんなこともあったことだし、明日までいることにしたいんだけどいいかな?」
ボヤとはいえ、こんなことがあれば心配にもなるだろう。
「そうだな。そのほうがお義父さんたちも助かるだろ」
「ありがとう、お父さんは居間にいるわ」
それから由紀は玄関先に立つ克己に気づいて声をかけた。「何してるの。上がってよ」
そう言われて克己は始めて靴を脱いだ。
これまでも何度か来た事はあったが、どうもこの家は馴染む事が出来ない。やはり結婚前のゴタゴタを心のなかでこだわっているのかもしれない。
居間に通されるとそこに義父の浦山道之の姿があった。座椅子に背をもたれかけ、左足を縁側に向けて投げ出している。左足の裾を捲り、そこを包帯で捲いている。
「お義父さん、大変でしたね」
克己が声をかけると、道之は振り返った。「大丈夫ですか?」
「こんなのはたいしたことじゃあない。ちょっと火傷しただけだ」
強がってみせてはいるが、状態を見る限りかなり足に痛みがあるようだ。克己は遠慮がちに道之の傍に座った。涼子がその克之の膝の上にちょんと座る。
「出火の原因はなんだったんですか?」
「さあ……それがぜんぜんわからん。もともと火の気があるような場所じゃないんだ。それに俺だってもう半年はタバコをやめている」
道之がタバコを止めたのはやはり涼子の影響だ。涼子がタバコの匂いを嫌うのを知って道行は30年以上吸い続けたタバコを止める決心をしたのだ。未だに止めることの出来ない克巳にとっては耳の痛い話だ。
「それじゃ――」
「消防署の奴が言うには、放火の疑いもあるらしいんだ」むすっとした顔で道之は言った。
「放火? ぶっそうな話ですね」
「まったくだ。昨夜は涼子が早めに気づいてくれたから、たいしたことなくて済んだんだ。もし涼子が気づかなきゃどうなっていたことか」
そう言って道之は急に目を細めて涼子を見た。さすがに孫のことはかわいいらしい。結婚当初は克己が話し掛けてもまともに答えてはくれなかった。こうしてまともに話が出来るようになったのも涼子が産まれたおかげだ。
「ホント、よく気がついたわね」
由紀がお茶を運んできた。「この子、鼻がいいのかしら?」
涼子はふと俯いて小さく首を振った。
「違うよ。匂いなんかしなかったよ」小さな声で涼子は言った。
「それじゃどうして気づいたんだ?」
克己は膝の上にいる涼子の顔を覗きこむような形で訊いた。
「それは……」
やはり涼子は話しづらそうに口篭もった。
(まさかこの子が原因じゃ……)
子供の火遊びが原因で火事になるなんてことはよくあることだ。涼子が火遊びなどするような子だとは思わなかったが、それでも涼子の仕草がほんの少し気になった。
「いいさ。涼子が気づいてくれたおかげで大きな火事にならずに済んだんだからな」
涼子の頭を撫でながら克己はうやむやにしてしまおうと思った。もし涼子が何か火事について知っていたとしても、どうしても話さなければいけないようなことならいずれ話してくれるだろう。今は余計な詮索はせずにそっとしておいてあげたほうがいい。
「まあ、子供っていうのは第六感が働くことが多い」
道之もそう言って無理に聞き出そうとはしなかった。
「克己さん、会社はどうするの?」
「うん……こっちの状況を見てから考えるつもりだったんだけど――」
「こっちは何も問題ない」
横から道之が口を挟む。「仕事は休んじゃいかん」
「そうですね」
本当ならば会社を休んで由紀と涼子の二人を連れて帰りたい気持ちだったが、道之にそう言われてしまってはそうすることも出来ない。
「それじゃ、うちで朝ご飯だけでも食べて行くでしょ。フレックス使えば少しくらい遅れても平気だろうし」
「うん、そうするよ」
「それじゃ、少し早いけど支度するわね」
由紀はそう言ってキッチンに戻っていった。
6時過ぎに早めの朝食を済ませると、克己は道之に挨拶をして席を立った。一度、家に戻り少し眠ってから会社に行くつもりだった。もともと会社を休むつもりでいたため、ジーンズにトレーナーという恰好だ。このまま会社に行くわけにはいかない。
涼子が玄関先まで見送ってくれた。
「あのね」
小さな声で涼子が囁いた。「さっきの話なんだけど……」
「さっきの話って? 火事のこと?」
克巳は涼子の前に跪き視線を合わせた。
「うん」
涼子はまだほんの少し迷っているような目をしながら、それでも思いきって口を開いた。「あれね……女の人がいたの……私見たんだよ」
「女の人? それってどういうこと?」
「女の人が『殺してやる』って言って火をつけたんだよ」
「涼子はそれを見たのか?」
放火犯を見たのだとすれば、これは放っておくわけにはいかない。話によってはすぐに警察に通報しなければいけない。「その女の人どこにいたの?」
「夢のなか」
それを聞いて克己は拍子抜けした。
「なんだ夢の話か」
「うん……でも、私、それで目が覚めたんだよ。すっごく怖かった」
拍子抜けした反面、涼子が隠している事がただの夢のなかの出来事であることに安堵した。だが、涼子の表情は固かった。
「怖がることないよ」
そう言って軽く肩をぽんと叩く。涼子の身体は微かに震えている。
「あれはただの夢じゃないよ。あの女の人……きっと私たちのことすっごく嫌いなんだよ。あの人、暗い洞窟のなかで一人ぼっちだった」
洞窟……克巳が見た夢で見たのも暗くじめじめした洞窟の中だった。
(まさか……あの夢は……)
いや、ただの偶然だ。あの夢が現実とリンクしてるなんてことがあるはずがない。
克己はぎゅっと涼子の身体を抱きしめた。これほどまでに怖がるとは、よほど怖い夢だったのだろう。だが、涼子の次の言葉はますます克己をはっとさせた。
「あの女の人、『おまえたち全員、不幸にしてやる』って言ってたよ。どうしてなの? どうしてあの人は私たちに意地悪しようとするの?」
克己は涼子を抱きしめたまま動けなくなった。
――おまえのまわりの人間は不幸になる!
先日の夜にかかってきた電話の声、そしてあの夢のなかで聞こえていたあの女の笑い声。あれは同じ女のものだったんじゃないだろうか。
いや、そんなことがあるはずがない。あれはただのいたずら電話で、涼子が見たのはただの夢に過ぎない。
心のなかに湧き上がる不安を必死に理性で取り繕うとした。
「涼子、大丈夫。怖がる事ないよ。何かあっても涼子のことはちゃんとお父さんが守ってあげるからね」
会社に着いたのは昼を回ってからだった。
家には8時前に着いたのだが、ほんのちょっとのつもりの仮眠のつもりが目を覚ましたらすでに11時を過ぎていたのだ。
会社に着いてからも今朝の火事のことがずっと頭から離れなかった。
(……全ては偶然だ)
心のなかから沸きあがってくる不安を、克巳は必死に打ち消そうとした。
「先輩、知ってますか?」
向かいの席に座る岸本裕二が声をかけてきた。岸本は克己の3つ年下で、克己と同じグループで働いている。「先輩と同じ名前の人、事故で死んでるみたいですよ」
岸本は克己をからかうように笑った。その表情に克巳はほんの少し不愉快になった。
「知ってるよ。昨日、新聞で読んだよ。火事で焼死した年寄りの話だろ?」
「昨日? いえ、違いますよ。もう2週間以上前の記事ですよ。それにここに出ているのは学生のことですけど――」
岸本はパソコンのディスプレイを指指しながら言った。
「何だって?」克己は驚いて顔をあげた。
「今、アドレス送ってあげますよ」
立ち上がろうとする克己に岸本はそう言って、素早くそのインターネットの記事の出ているURLをメールで送ってきた。
克己は急ぎメールを開くとそのURLをダブルクリックした。目の前にインターネットブラウザが立ちあがり、そこに新聞のインターネット記事が表示される。
小坂町小坂の県道大館十和田湖線(樹海ライン)で5月26日、約50メートル下の十和田国有林に乗用車が転落しているのが発見され、中から死後2週間とみられる男性の遺体が発見された。鹿角署で調べた結果、男性は東京都千代田区に住む大学生の山嵜勝実さん(19)と判明した。現場は直線道路で、同署では転落と死亡原因を調べている。山嵜さんは3週間前から旅行をしており、5月12日の朝、家族に電話をした後、行方がわからなくなっていた。
ごくりと唾を飲んだ。
(本当に偶然だろうか)
急に自信がなくなっていた。
「先輩? 大丈夫ですか?」
これほど克己がショックを受けると思っていなかったらしく、岸本は恐る恐る訊ねた。
「ああ、大丈夫だよ。こんなのただの偶然だからな」
克己は無理に笑顔を作ってみせた。それが自分でもぎこちないものだということははっきりとわかる。
(それにしても――)
と、克己は改めて記事に見入った。たった1ヶ月の間に同姓同名の人間が二人も死んでいるという事はさすがに気持ちの良いものではなかった。
ふと良からぬ想像が頭を駆け抜ける。
ひょっとしたらこの二人以外にも同姓同名の人間が死んでいるのではないだろうか。自分でも嫌になるような想像だった。だが、同姓同名の人間がそれほどまでに連続して命を落とすなどということが有り得るのだろうか。しかもこれらの事件には何の関連性もない。住んでいる場所も、年齢もまったく違い、とても関係があるとは思えない。殺人事件というわけでもない。一つは火事、そして、もう一つはただの事故だ。
(そう、俺とは関係がない)
そう思いこもうと試みた。だが、心のなかにかかった疑問はどうしても晴れない。しかも、考えれば考えるほど良くない想像ばかりが頭のなかに浮かんでくる。
昨夜の火事。あれも何か関係があるんじゃないだろうか。
占いや迷信などこれまで信じた事はなかったが、ついついそんなことを考えてしまう。
(まてよ)
死んだのは二人の『ヤマザキカツミ』であって、その家族が命を落としたという記事はどこにもない。この二人の家族には何の危険も及ばなかったんだろうか。
だが、どうすれば調べられるのだろう。そう思ったとき、一人の男の顔が頭に浮かんだ。
(あいつだ)
大学時代の友人で雑誌の記者をやっている篠原一美のことを思い出した。一美という名前から想像出来ないような大柄な男で、時折、会っては飲みに行くような付き合いをしている。友人たちからはその髭面の容貌から『クマ』と呼ばれ、誰一人『一美』とは呼ばなかった。
あの男ならそういう事件にも詳しいかもしれない。
篠原が担当している雑誌は『Qデータ』という心霊現象などを取り扱うオカルト雑誌だ。克己は信じていなかったが、篠原は多少の霊感もあり、霊を見る事が出来ると言っていたことがある。もちろん今回の事件をただのオカルト話にして欲しいわけではなかったが、情報を集めるなら篠原は打ってつけだ。
克己は席を立つと、トイレに飛び込みすぐに携帯から篠原に電話をかけた。呼出し音が聞こえてくる。
――はいよー
間延びしたような返事をしながら篠原の声が聞こえてくる。
「クマ。俺、山崎だ」
――どうしたんだ? こんな時間に珍しいじゃないか。こんな早くから飲みにでも行くのか?
ガッハハという太く豪快な笑い声が聞こえてくる。
「そんなんじゃない。ちょっと頼みがあるんだ」
――頼み? それこそ珍しいな。何だ? 金ならないぞ。
「バカ。おまえに金の相談なんかするはずないだろう。
――ま、そりゃそうだろうな。
「ヤマザキカツミって男が死んだ事件知ってるか?」
――はぁ?
篠原は大きな声で聞き返した。
――何言ってるんだ、おまえ? 冗談のつもりか?
「違うよ。昨日、千代田区で火事があったの知らないのか?」
――いや。
「それでもマスコミ関係者なのか? 新聞くらい読めよ」
――マスコミ関係者ったって、俺は事件記者じゃないぞ。で、その火事がどうしたんだ?
「その火事の被害者の名前が『ヤマザキカツミ』なんだ」
――へぇー、そんなことでわざわざ電話をよこしたのか? 世の中には同姓同名の奴なんていくらでもいるだろ。
篠原は笑ったが、克己は気にする事なくさらに続けた。
「それとさっきインターネットの記事で読んだんだが、先日、秋田で大学生が一人死んでいるのが発見されたらしいんだ。その被害者の名前が――」
――まさか、『ヤマザキカツミ』?
やっと篠原も克己の言いたい事がわかってきたらしい。
「そうなんだ」
――どういうことだ?
「俺が聞きたいんだ」
――知り合いなのか? 遠い親戚とか……?
「そんなわけないだろ。それともおまえには同姓同名の親戚がいるのか?」
――ふぅん、面白いじゃないか。でもそれだけじゃ、まだ記事にするには弱いなぁ。
そういうセリフが篠原から出るのは予想していた。
「違う。記事にして欲しいわけじゃない。この他にも同じようなことがあるのかどうか、そして、この二人に関連性があるのかどうかを知りたいんだ」
――つまりおまえも怖いわけだ。祟りだとでも思っているのか? そういうのを信じる性格だと思わなかったよ。
篠原はまたも声をあげて笑った。
「べつに祟りだなんて思ってるわけじゃない。ちょっと気になってるだけだ。信じる信じないは別として、そういうのって気持ち悪いじゃないか」
――わかったよ。調べてやるよ。わかったら連絡するから、大人しく待っててくれ。
からかうような口調で篠原は言った。
「ああ、頼む」
克己は電話を切るとトイレを出た。
(何を怖がっているんだ)
自分でも不思議だった。
たった二人、同姓同名の人間が死んだ記事を見ただけだ。もちろん先日のいたずら電話や義父の家の火事など、気になることも続いてはいたが、それらがすべて関連しているとはとても考えられない。同姓同名の男二人が死んだことにしても、関連性がある出来事などと思っているわけじゃない。
(そうだ……関連性などあるはずがない)
やはり先日のいたずら電話と昨夜の夢が心にひっかかっているのだ。
早くケリをつけて、忘れてしまいたかった。




