呪詛流し・2
彰吾は後部座席に身体をあずけ、暗くなった空をじっと眺めていた。
舗装もされていない砂利道を登っていく。ゆさゆさと車が揺れるたび、胸の傷がズキズキと痛む。今のところ傷はまだ塞がっているが、へたに動けばすぐに傷口は開くだろう。
やがて車の前方に大きな屋敷が姿を現した。その姿が見えてくるにつれて、大きな怪しい『気』が漂ってくる。
香月はその『気』を感じて、彰吾の手をぎゅっと握った。
「大丈夫」小さく彰吾が囁いた。
やがて車は大きな古い大きな屋敷の前にたどり着いた。門は開け放たれ、庭には草が無法状態に茂っている。山崎はその庭の中央に車を止めて、改めて屋敷を見上げた。
レンガ造りの洋風の屋敷。それはおそらく明治初期では極めてモダンな建物だったのだろう。だが、廃墟となった今ではそのモダンさが不気味さを倍増させているように見える。
「おそらくここであの兄妹は殺されたんですよ」
その彰吾の言葉に山崎は思わず周囲を見回した。
「……なら、なぜ警察に連絡しないんだ?」
「警察は後です。その前にやらなきゃいけないことがあります」
「こんなところにやってきて危険はないのか?」
脅えたような目で山崎は振り返って彰吾を見た。
「たぶん危険はありませんよ。もし、僕らの動きを妨げるつもりがあるならばとっくにやっているはずです。あの女はすでに僕が何をしようとしているか、うっすらと感じているのかもしれませんね」
「……君は何を考えているんだ?」山崎は振り返り、彰吾の顔を見た。
「彼女の想いを叶えてあげるんです」
「な……バカな……あの女は私を殺そうとしてるんだろ? まさか俺を――?」
目を丸くして山崎が言った。
「心配しないでください。あなたを殺そうとしているんわけじゃありませんよ。彼女を殺した『ヤマザキカツミ』を殺そうとしているんです。それはあなたのことじゃない。それを彼女に教えてあげるんです。そうすれば彼女は願いを果たし、あなたは狙われることがなくなる」
「それじゃ、君はそれが誰なのかわかっているのか?」
「ええ、さっき殺されたであろう兄妹が住んでいたアパートの大家。僕はあの老人の思念からその男の顔を知る事が出来ました」
「それは誰なんだ?」
彰吾はそれに答えるように身体を起こし、運転席に座る山崎の左腕をぐいと掴んだ。
その瞬間、先日の夜と同じように山崎の頭のなかに一つの映像が浮かび上がってくる。
山崎はぼんやりとその頭のなかに浮かんだ光景を眺めた。
あの古いアパートの横に山崎の車が横付けされている。それはまるで自分がさっきあのアパートに寄った時と同じような光景に見える。だが、その車から出てきたのは――
(高岡?)
そこにあるのは山崎の良く知った高岡久志の姿だった。
高岡は車を降りるとアパートの外階段を登り、鯨岡の住む部屋のチャイムを押している。やがて若い男がドアを開け、部屋から出てきた。これは部屋に飾られていた若い男だ。おそらく鯨岡重徳だろう。
映像がぷつりと切れる。
「どうです?」
驚いている山崎から手を離し、彰吾が訊いた。「高岡という人ですね」
「な……なぜ? なぜあいつが?」
「おそらくあなたの車を使い、あなたの名前を騙り、あなたに呪いを押し付けたのはその男ですよ。その男こそがあの女にとっての『ヤマザキカツミ』なのです」
「そんな……そんなことが……」
今まで弟のようにさえ思ってきた高岡の裏切りに、山崎はショックを隠せなかった。
代わりに口を開いたのは香月だった。山崎の頭のなかに流れた映像は、彰吾の左手をずっと握っていた香月にも見ることが出来た。
「その人が犯人だとして……いったいどうするつもりなの? 彼女に願いを果たさせるってどういう意味?」
彰吾はちらりと香月の目を見ると、何も答えないままドアを開けて車から出た。雨に濡れるのも気にする様子もないまま歩き出す。
「彰ちゃん!」
慌てて香月も車から降りて、彰吾に近づきその身体を支えた。
「待ってくれ」
山崎も車から出て二人の後ろを歩き出す。
まるで三人の行く手を阻むかのように強い風が木々の隙間を抜け周囲を取り囲む。細かい雨が身体を包み込み、歩くたびに湿った土に足を取られそうになる。
「香月……今から僕がやろうとしていることは……香月にとって許せない事なのかもしれない。けど、今はこれしか手がないんだ……何も訊かずに力を貸してくれ」
香月は彰吾の身体を支えながら、答える代わりにきつくその手を握り締めた。
(もう何も言わないほうがいい)
彰吾の態度から、香月にも彰吾が何をしようとしているか感じ取れていた。おそらくこの全ての事件を終わらせるには、今、彰吾が考えている方法しかないのだろう。周囲に漂う『気』のせいだろうか、久々に右足がずきりと痛む。
彰吾は屋敷の裏手に回りこむと、ぴたりと足を止めた。
「ここだ……」
ぽつりと呟くと彰吾は膝をつき、右手を土の上にそっと置いた。「ここで死んでるんだ」
「待ってくれ……高岡はなぜ俺を裏切るようなことをしたんだ?」
「あなたを裏切ったわけではないでしょう。おそらくあなたの名前を使うのが一番手っ取り早く、都合良かった。ただ、それだけでまさかこんな形であなたが『呪い』を受けるなんて考えてはいなかったでしょう」
「だが、あいつは何のために……金なのか?」
「そうですね。それと彼はおそらく依頼されたのですよ。彼はあくまでも実行犯に過ぎません」
「他にも誰かいるのか?」
「その話は後にしましょう。『奴』の気が強まっています」
彰吾はジャケットのポケットから二枚の和紙と筆ペンを取り出すと、そこにさらりと何かを書きこみ裏返して地面に置いた。「香月……力を貸してくれ」
「うん」
香月が彰吾の肩に手を触れると、彰吾は右手で『刀印』を結び呪文を唱えはじめた。香月の手から、力が自分の身体のなかに流れ込んでくるのが感じられる。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
周囲に立ち上る『思念』が彰吾たちを取り囲んでいく。その『思念』を感じながら彰吾はさらに声を上げた。




