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陰陽師・2

 彰吾が目覚めた時、そこは見慣れた部屋のなかだった。

 窓から外の明るい日差しが差し込んでいる。

(生きているのか)

 ズキリと胸元が痛み、思わず右手で押さえた。いつの間にかパジャマに着替えさせられ、胸にはきつく包帯が捲きつけられている。

「目が覚めた?」

 ベッドの脇に座っていた香月が声をかける。

「え……ここは? なぜ僕はここに?」

「彰ちゃんが病院に行くのを嫌がったからじゃないの。憶えていないの?」

 その言葉に彰吾は昨夜の記憶を手繰り寄せた。

 昨夜、『奴』に襲われた後、克己と話しをしたことは憶えている。だが、その後は――?

「ごめん……何も憶えてない」

「私があの家に行ったら、彰ちゃんが倒れていてちょうどあの人が救急車を呼ぼうとしていたところだったの」

「あの家に行った? 香月が?」

 彰吾は驚いた。香月が自らの足のことを気にして、外に出たがらないことは彰吾も知っている。だが、それ以上に香月がこの事件に本格的に関わりを持ってしまったことが残念だった。

「そうよ……なんか嫌な予感がしたから……もう一人で動かないでね」

「でも――」

「だめよ。もう彰ちゃんだけに危険な目に合わせるわけにいかないもの」

 香月の瞳からは強固な意志が読み取れた。彰吾にとっては望まないことだったが、香月は本気で彰吾に協力するつもりでいるらしい。

「そういや……あの時、香月の声が聞こえたような気がしたな」

「彰ちゃん、急に目を覚まして『救急車は呼ぶな』って」

「そういえばそんなこと言ったような気がする」

 うっすらと記憶が蘇ってくる。「病院なんて行きたくなかったから」

 もともと病院という場所は好きではない。『死』の匂いがぷんぷんと漂い、そこにいるだけで気が滅入ってくるからだ。

「だから応急手当をしてここに連れ帰ったの。心配したよ。彰ちゃん、死んじゃうんじゃないかと思った」

 彰吾はそっと包帯に捲かれた胸元に手をやった。そこにはまだうっすらと香月の『念』が残っている。おそらく香月が『念』をこめることで、傷口を塞いでくれたのだろう。普通ならば死んでいてもおかしくはない。

「そんな簡単には死なないよ」

 彰吾は強がってみせた。それでも、実際には死の一歩手前であったことは自分が一番よくわかっている。

「どうしてそんなことが言えるの?」

 咎めるように香月は言った。「現にこんな大ケガしてるじゃないの」

 その香月の口調に彰吾は改めて香月の顔を見た。目が赤く染まっている。きっとほとんど寝る間もなく介抱してくれていたのだろう。

「ごめん」

 素直に彰吾は謝ると、思わず香月は涙を滲ませ目を伏せた。

 あの時、命水晶の力がなければ、あの剃刀のような風は一息に彰吾の命を消し去っていたかもしれない。「そうだ……山崎さんは?」

 彰吾はこれまで決して名前を出そうとはしなかった克己の名前を口にした。すでに『奴』に自分たちの存在は知られているだろう。これ以上、隠す必要はない。

「家に居てもらってるわ。いけなかった?」

「いや、たぶん大丈夫だろう」

 彰吾は思案するような目をした。あの家には結界が張られている。『奴』の力がいかに強いとはいえ、結界のなかならば危険は少ないだろう。だが、それも今の時期に限られいる。

「心配?」

「ん……まあね」

 その彰吾の表情を見て香月はほっとしたように笑った。

「それで何かわかったの? 探偵さん」

「からかうなよ」

 そう言いながら彰吾は香月の手を借りながら身体を起こした。ズキリと胸の部分が痛む。まだ完全に傷口はふさがっていないのだろう。ほんの少し身体を動かしただけでも傷口が開く感じがする。

「無理しないでね。脇腹から肩にかけて、ナイフで切り裂かれたみたいになってたんだから……もう少し傷が深かったら死んでたわよ」

「ああ」

 それは彰吾自身身、身にしみてわかっている。

「それであの女の人の正体はわかったの? 誰かの呪詛だったの?」

「いや……あれは『呪い屋』の『呪詛』とは違っていたよ。陰陽術の『呪詛返し』も『祓いの術』も効果はなかった。そういう意味では予想通りだったんだけどね……」

 彰吾は口篭もった。「ただ……僕が想像していたものとは少し違った」

「どういうこと?」

「あれはやはり死者の『怨念』だと思う。香月も見たあの女の『怨念』こそがあの『思念』の核になってる。ただ……それだけじゃなかった」

「他に何か?」

「事前に僕なりにこれまでの事件のことを調べていたんだけど。これまで事故で死んだ『ヤマザキカツミ』という人たち。一人目は4月13日、二人目が5月12日、そして三人目が6月11日。何か共通点に気づかないか?」

「だいたい一月おきね」

「以前に話したことがあったと思うけど、僕たちの力は『月』の引力に大きく左右されてる。月の光が満ちる満月に強くなり、新月の時にはその力は弱まる。『怨念』と言われる死者の魂はその逆に、新月になって最も力が強くなる」

「それじゃ、この人たちは――」

「皆、新月の日に事故にあってるんだ」

「でも、篠原さんが殺されたのは6月13日よ」

「だから僕もそこがわからなかった。ただ、昨日、『奴』と会った時にはっきり感じたんだ。あれは一人の『怨念』じゃないって」

「他にも誰かの『怨念』が?」

「ああ……ただし、それを『怨念』と呼んで良いのかどうか。どちらかというと単純な『悪意』だよ。女の『怨念』はこの『悪意』ともいえる霊力に支えられている」

「それって何なの?」

「香月、十文字忠明って名前を聞いたことはあるかな?」

「十文字? いいえ。知らないわ。誰なの?」

 少し考えてから香月は答えた。

「歴史から消された陰陽師さ。もともと陰陽道の呪術は人を呪うものよりも、呪いや襲いかかって来る魔物から身を護るために使われることが多いんだ。だが、殺人術としてその『力』を極めたのが十文字忠明と言われている。十文字忠明は強い霊力を持ち、明治政府発足にも関わっていたという記録がある。だが、明治政府発足後、突然彼はその姿を消した。けれど、実際にはその力に不安を持った明治政府によって密かに暗殺されたものらしいんだ。その後は彼の存在や働きを示す記録はほとんど政府によって消されてしまった。僕もつい最近までその存在は知らなかったけど、ある文書に彼の記録が残っていたんだ……昨日の思念を感じた時……僕はその男のことを思い出した」

「なぜそんなことが言えるの?」

「もちろん僕はその男の思念など知らない。でもね、昨日の思念がどこから来るものなのか紐を手繰り寄せた時、一つの場所が頭のなかに浮かんだんだ。それが群馬県富士見村……そこにはかつて十文字忠明の別荘地になっていたらしいんだ。もし十文字忠明が本当に暗殺されたのだとすれば、この世の中に対して深い『恨み』の念を持っていたはずさ。ましてや大きな能力を持っていた陰陽師だった男だ。あの『悪意』が十文字忠明のものと考えても不思議じゃない。現にその後その別荘を買い取って住んだ財閥の一人は、気が狂って使用人たちを全員殺すという事件を起している」

「十文字忠明の呪いだっていうの?」

「その可能性は否定出来ない。現に、僕を襲ったのは『式神』の一種じゃないかと思う」

 『式神』とは陰陽道で使役する変幻自在の神のことで、香月もその存在は彰吾から聞かされて知っている。

「でも『式神』なら『護身法』で身を護ることも出来るんじゃないの?」

 ウル覚えながらも香月は以前彰吾に聞かされた話しを思い出しながら言った。

「相手はすでに肉体を持たない陰陽師だよ。しかも僕なんかに比べて遥かにその霊力は高い。とてもじゃないけど歯が立たないよ」

「それじゃ、これからどうするつもりなの?」

「本当は穏便に『撫物』で済ませたかったんだけどね」

「『撫物』って?」

「人形を用意し、それに『呪い』を移して水に流して捨てる方法だよ。一般的な『呪い』ならそれで十分避けることが出来る。でも、今回はあまりにその力が強すぎて、その方法は使えない。やはりあの女が何者なのか、誰を呪っているのかを知らなければいけない。それにね……昨日、あの女の『思念』に触れた時、もう一つ気になることがあったんだ」

 彰吾は思い出すように言った。「あの女、山崎さんのこと知らなかった。これは勘だけど……ひょっとしたらあの女、実際には『ヤマザキカツミ』という人をよく知らないんじゃないかな」

「それってどういうこと?」

「わからない……その件でもう一度山崎さんに話しを聞かなきゃいけない」

「その身体で出かけるつもりなの?」香月は眉間に皺を寄せた。

「ああ……今は結界で防いでいるけれど、早くしないと次の新月の時にはあの人は必ず殺される。そのためにも調べなきゃいけないことがあるんだ」

 彰吾は顔をしかめながら、ベッドから出ようとした。それを見て香月は慌てて彰吾の動きを押し止めた。

「ま、待って……その身体じゃ無理よ。調べるのは私がやるから彰ちゃんは休んでいて。少しでも彰ちゃんは身体を休めないとだめよ」

「けど――」

「何を調べればいいの? 言って」

「事件や事故の記録を調べたいんだ。山崎さんとあの女との関係も知りたい。キーになるのは十文字忠明の別荘地である群馬県富士見村。そこに何かあるんじゃないかと思う。おそらくインターネットで記事を検索すれば大きな事件は調べられると思うんだ……けど、香月……そういうの苦手だっただろ?」

 確かに香月がパソコンを使うのは原稿を書くためだけで、インターネットを使うことも滅多になかった。基本的にパソコンや機械類が苦手なのだ。

 その時、チャイムが部屋を鳴らした。はっとして香月が顔をあげる。

「美咲さんだわ」

 加藤美咲が来ることになっていたことを香月は思い出した。彰吾との話しに夢中になっていたため、その思念にも気づかなかった。

 香月は立ち上がった。「そうだ……美咲さんなら事件のことも調べられるかも……」

「おい――そんなことしたらあの人を巻き込むことになる」

 彰吾が慌てて言った。美咲を篠原の二の舞にしたくはない。

「大丈夫よ。調べるのは私がやるわ。美咲さんにはちょっと手伝ってもらうだけよ。それにこの部屋のいたるところに霊符が貼られて結界がはられているはずよ」

 そう言うと、香月は足を引きずりながら部屋を出て行った。

 確かに香月の言うように、今、この部屋のなかには一切、昨日の『思念』のようなものは感じられない。

(不甲斐ないな)

 彰吾は自分の力の弱さを嘆いた。

 香月を巻き込むまいと思っていたはずなのに、今では自分ひとりで身動きを取ることも出来ず、そして、香月だけでなく美咲のことまでも巻き込もうとしている。

 そのことがなおさら悔しかった。

 加藤美咲は香月の話を聞いて、快く協力してくれた。

 もちろん事件の詳しいことや、彰吾のケガのことを話すことは出来なかったが、美咲は香月の気持ちを察してか、そういう背景のことは何も訊こうとはしなかった。

 香月は美咲にインターネット記事の探し方を教えてもらいながら、一つの記事を見つけ出した。


『群馬県前橋市内で28日、拳銃を持った男数人に現金輸送車が奪われる事件が発生し、これを止めようとした警備員1人が拳銃で撃たれ死亡、1人が重症を負った。逃走した犯人の行方は、未だ掴めていない。襲われたのは、前橋市中区にある東亜銀行前橋支店の駐車場。犯人たちは警備員を脅し現金輸送車の金庫を開けさせると輸送車から現金約6000万円が入ったトランク3個を奪い乗用車で逃走した。撃たれたのは26歳と22歳の民間警備員。現金輸送車は同支店裏の駐車場に横付けされ、現金の入ったトランクを支店に運び入れようとしている最中に襲われた。犯人たちは現金6000万円の入ったトランク3個を奪っており、あらかじめ現場付近で待ち伏せしていた可能性が高い』


 記事は昨年の12月29日のもので、およそ半年前のものだ。群馬県前橋市であれば、彰吾の言っている十文字忠明の別荘地がある富士見村のすぐ隣だ。

 さらに香月はもう一つ気になる記事を見つけ出した。


『昨年、12月28日に起きた現金輸送車が襲われた事件で、重症を負っていた警備員、鯨岡重徳さん(26)と妹のエリカさん(22)が行方不明になっていることが判明した。鯨岡さんは昨年の事件後、治療のため会社を休んでいた。事件の犯人は未だ特定されておらず、警察では現金輸送車強奪事件との関係も含めて調べている。また、鯨岡さんの知人、林葉道明さん(22)も一ヶ月前から行方がわかっていない』


 記事は今年の5月10日のものだ。

 美咲はその記事について、群馬にいるという知人の新聞記者に連絡をとり、事件の詳細を聞いてくれた。偶然にもその記者はその事件について取材をしたことがあり、美咲に詳しく話してくれた。

――もともと警察は鯨岡を犯人の一人と見ていたんだ。鯨岡の妹は特殊な目の病気になっていて、その手術に金が必要だったからね。ただ、如何せん証拠もあがらず、実行犯を見つけることも出来ない。そんなある晩、鯨岡と妹の姿が見えなくなった。しかも、その妹と付き合っていたという林葉道明も一緒にだ。警察は未だに躍起になって捜しているけど、あれ以来、三人とも見つかっていない。それとこれは余談だけど、前橋支店の支店長はその責任を取らされ辞任させられたらしいよ。

「辞任? そんなことで?」

――もともと東亜銀行の場合はいろいろと揉め事が多かったんだよ。

「そういえば……私も聞いたことあるわ。もともと東亜銀行の柳田常務とは犬猿の仲だって話だったわよね。前々から柳田常務は支店長をクビにしたがってたんでしょ」

――そうそう。ただ常務が一支店長をあそこまで毛嫌いするってのもわからんよ。

 記者はそう教えてくれた。


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