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悪意・1

 鳥居彰吾が山崎克己と出会っていたその頃――

 朝倉翔は喫茶店で雑誌を読みながら昼食を済ませていた。

 警察は未だに篠原一美殺しの殺人犯を捕らえることが出来ずにいた。それどころか凶器が何なのかを特定することも出来ず、犯人の目星すらつけられない状況にあった。

「いったいなんなんでしょうね」

 正面に座った石津正雄がぼやくように言った。「あのメモ……いったい何の日付なんでしょうねぇ」

 篠原が持っていたメモに書かれていた日付にどんな意味があるのかもわかっていない。今は一つでも事件を解く手掛かりが欲しいところだ。

「それがわかればこの事件は解決だよ」

 コーヒーを一口飲んで朝倉は言った。

「やっぱ借金取りの線ですかね?」

「いや、その線もかなり薄いな」

「ほんなら篠原一美事件の第一発見者。やっぱあいつが一番怪しいんとちゃいますかね」

 石津は中学生の時に大阪から東京に引っ越してきたらしいが、未だにその言葉には関西訛りがまじっている。石津は30歳の朝倉よりも三つ年下だったが、それでも刑事としての経験は十分に積んでいる。石津はつい先日、別のチームから今回の事件の助っ人として朝倉と組むことになったばかりだ。いかつい顔に大柄な体格。その反面、署内では誰よりも気が小さいので有名だった。

「いや、あの男じゃないだろ。あいつは篠原とは親友だったらしいが動機になるようなものは何もない」

「それってホンマですかね?」

「嘘をついているようには見えなかったな……ただ、何かあの男は隠してる気がする」

「何かって?」

「それがわかれば苦労はしないよ。ただ問い詰めたところでシラを切られるだけだ」

 そう言うと朝倉は手を伸ばして、空いていた隣の席のテーブルに置かれていた新聞を手にした。

「オカルト雑誌の編集者の怪死かぁ。こりゃ、まるでホラーですね」

「ばかばかしい……なんだこりゃ?」

 朝倉は今広げたばかりの新聞を見て眉をひそめて日付を見た。「……5月27日? もう一ヶ月以上前のの新聞じゃないか」

 そう言ってテーブルの上に新聞をまるめて放り投げた。

「バカバカしいですか? 朝倉さん、『祟り』とか『呪い』とか信じませんか?」

 石津は何を思ったのか、朝倉が投げ出した新聞を手を延ばし読み始めた。

「そんなもん信じるわけないだろ。そんなもん信じてたら刑事なんてやっていられないじゃないか。全ての事件が『祟り』で済ませられるならそんな楽なことはないよ」

「ま、そらそうですけどね」

「そんな古い新聞読んでどうすんだよ?」

 捜査が進まない苛立ちから、石津の行動ひとつを見ても不愉快になる。

「なんかこういうのってつい読んじゃいませんか? 妙に懐かしくなるような気がして」

「懐かしいってほど前でもないだろ――」

 そう言った瞬間、朝倉の表情が変わった。「おい――ちょっと貸せ」

 朝倉はそう言うなり石津から新聞を奪い取った。

「ど、どうしたんです?」

 それに答えようともせず朝倉は新聞に見入った。

「こいつだ……」

 石津も朝倉が読んでいる記事に視線を向けた。

 そこには東京都千代田区に住む大学生の山嵜勝実という若者が秋田で事故死したことが書かれていた。

「は? 山嵜勝実? 偶然ですかね?」

「偶然なわけあるか。記事を読んでみろ。この学生が行方不明になったのは5月12日。こいつは篠原のメモに残っていた日付じゃないか」

 そう言うと新聞を持ったまま朝倉は立ち上がった。「署に戻って残りの二日の日付に起きた事件、事故を徹底的に調べるぞ」

 朝倉たちは署に戻り、新聞記事をしらみつぶしに調べた。

 その結果、3人の『ヤマザキカツミ』がこの2ヶ月の間に死んでいることが判った。だが、それと篠原の死がどう繋がっているのかがわからない。それらは全て事故によるもので他殺とは考えられないものだった。


 翌日、朝倉は石津を連れ、山崎克巳の家に向かった。決して石津のように『祟り』などということは考えていなかったし、山崎が篠原殺しの犯人と考えているわけでもなかった。それでも山崎克巳こそが今回の事件の鍵を握っているように思えて仕方なかった。

「何してるんだ?」

 朝倉は助手席に座る石津に声をかけた。石津はさっきからずっと左手を胸に当てている。

「いや……ちょっと御守りを――」

「御守り?」

「なんかの祟りとかやったら怖いやないですか」

「バカ野郎! 刑事がそんなもんに頼るな」

 朝倉は思わず石津の頭を引っぱたいた。

「そ、そやけど、こいつはただの御守りとはちゃいます。うちのお袋が田舎の神社できっちりお祓いをしてもらったもんなんですよ」

 石津は口を尖らせた。その表情はその大柄な体格にはまるで似つかない。

「そもそも、いちいち事件のたびに『祟り』だなんのと言っていたら仕事にならないだろ」

「そりゃそうかもしれませんけど……」

「これは殺人事件だ」朝倉はぐっと口を噤んだ。

 山崎克巳の住む家の前に車を停めると、二人は玄関のチャイムを押した。相変わらず石津は暗い顔をしている。

「なんて面してるんだよ」

 朝倉が小突くと石津は声を震わせた。

「この家……なんか変ちゃいますか? 実は俺、ちょっと霊感があるんですよ。この家の空気はちょっとおかしいですよ。何かおかしな空気が漂ってます」

「バカ……」飽きれたように朝倉はつぶやいた。

 その時、ドアが開き、山崎由紀が姿を現した。

 どこか身構えたような、怯えた目をしているように感じられる。朝倉達が警察の人間とわかると、由紀はますます戸惑ったような表情をして二人をリビングに通した。間もなく奥の部屋から山崎が姿を現した。

「……あの……今日は何か?」

 山崎もまた由紀と同じように妙に警戒したような目で朝倉達を見た。

(妙だな)

 先日とはまるで態度が違っている。何かに怯えているように見える。

「篠原さんのことで、もう少し詳しい話を聞かせていただきたいと思いまして」

「な、何でしょうか?」

「篠原さんが持っていたメモのこと憶えていますか? あの日付のことですが……あなたは本当にあの意味がわからないのですか?」

「それは……」

 山崎は顔を曇らせ俯いた。その表情に朝倉は自分の予想が当たっている事を確信した。

(やはり知っているな)

「あのメモに書かれた日、あなたと同姓同名の人が事故死していますね」

 朝倉の言葉に山崎ははっとして顔をあげた。「あなたはそれを篠原さんに相談したんですね。違いますか?」

 ぐっと口をかみ締めた後、山崎は観念したように口を開いた。

「……その通りです」

「篠原さんが殺されたのはそれに関係しているのでしょうか?」

「わかりません……そもそもなぜ私が呪われなきゃいけないのか」

「呪われる?」

 朝倉は顔を歪めた。「どういうことです?」

「あれは『呪い』なんです……私がそのことを調べてくれるように頼んだために、篠原は呪い殺されたんです」

「何をバカな事を」朝倉は吐き捨てるように言った。

「バカな事? ええ、私だってそう思っていましたよ。けど、現に昨日の若者もあんなことに……もう死んでいるかもしれない」

「若者? いったい何を言ってるんです? それは誰のことですか?」

「わかりません……私にはもうどうしていいのか……」

 山崎は首を項垂れ、頭を掻き毟った。その姿に朝倉は呆然とした。

(呪いだって? いったい何を言ってるんだ?)

「山崎さん、落ち着いてくださいよ」

 朝倉は宥めるように声をかけた。「いったい『昨日の若者』とは何の事です?」

「昨日、一人の若者が私を助けるために来てくれました。彼は私を『呪い』から救ってくれようとしたんです……けど、結局、あの女によってあんな大ケガを……」

 山崎はほんの少し顔をあげ、虚ろな目で言った。

「それで? その若者とはいったい誰なんです?」

「わかりません。鳥居彰吾という名前しか」

「では女というのは?」

 山崎は強く首を振った。

「知りません。本当にあの女のことなんて知らないんです。私はあの女のことなど殺していない」

 そう言うと山崎は再び頭を項垂れた。

(支離滅裂だな)

 だが、精神的にかなりショックを受けている事だけは間違いなさそうだ。

「こりゃだめだな」

 朝倉は小さくため息を小さく囁いた。朝倉には山崎の言っていることが、まるで事件とは無関係な幻覚を喋っているようにしか思えなかった。ただ、山崎の言っている『鳥居彰吾』という男については調べてみる価値はあるかもしれない。

 朝倉は仕方なく引き上げようとした。その時、今まで黙っていた石津が口を開いた。

「……ゆかり」

「あ? 何だって?」

 思わず朝倉は隣に座る石津へ顔を向けはっとした。石津がその胸のあたりをぎゅっと握り大きな身体を震わせている。「おい……今なんて言ったんだ?」

「……わかりません」

「おい……わかりませんってことあるか。『ゆかり』って誰なんだ?」

 ところが石津は顔を俯かせ首を振った。

「わかりません……ただ、頭の中に突然その名前が……たぶん山崎さんの言うてる『女』の名前やと思います」

 前に座る山崎以上に怯えているように見える。「俺には……そういうのがわかるんです」

 山崎も驚いて顔をあげて石津の顔を見た。

「あなた……あの女のことがわかるんですか?」

「わかるってわけじゃないですが……感じるんです。あなたの言ってることも嘘じゃないってことがわかるんです」

 その二人の会話に朝倉はうんざりとして肩を竦めた。

「いい加減にしろ。帰るぞ」

 朝倉はそう言って立ち上がった。だが、石津はなおも朝倉に顔を向けて言った。

「この人放っておいたらやばいですよ」

 そう言うと石津は山崎に顔を向けた。「俺の知り合いにこういうのに詳しい人がいるんです。相談してみませんか?」

「ですが……」

「任せてください。俺、今からその人に連絡を取りますから」

 その姿を朝倉は唖然として見下ろしていた。

(こいつは何を考えてるんだ?)

「おい――」

 厳しい口調で声をかけると石津は朝倉を見上げ立ち上がった。

「朝倉さん、今から知り合いの先生に連絡を取ります」

「何言ってるんだ? 俺たちは殺人事件の捜査をやっているんだぞ。わかってるのか?」

「わかっています。けど、これが霊の仕業やとすれば、この人が危ない!」

 その真剣な眼差しに朝倉は呆れた。

「おまえ、本気で言ってるのか?」

「もちろんです」

 石津は引かなかった。「このままにしておくわけにいきません!」

 さっきまで震えていたのが嘘のように石津は顔を赤くした。その石津の態度に朝倉は諦めた。

「わかったよ……おまえの好きなようにすればいい」

 もちろん石津の言葉を信じたわけではない。それでも、これで二人の気が晴れるのであればそれもいいだろう。もしそれで山崎が気持ちを落ち着かせることが出来れば、そのうえで篠原の残したメモについて訊くことが出来る。

「それじゃ、すぐに迎えにいきましょう」

 石津はほっとした顔で言った。


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