卒業式のち 【恋愛】
卒業式が終わって、誰もいなくなった校舎。誰もいない教室。私は一人そこに戻った。
教室に差し込む、午後の柔らかな日差し。静まって、無機質に並んだ机とイスの群れの中を歩く。そして、特別な一つの前で立ち止まる。
公平……くん。私の親友エミの、彼氏。
この教室で過ごした日々を思い返す。桜咲き、若葉萌え、枯葉散り、雪が舞う。巡る季節と私の眼差しの奥に秘めていた想い。公平くんと仲良くなったのは私の方が先だった。エミは、たしかに可愛いし無邪気だし、すこし鼻につくところもあったが、甘え上手だった。女の私でさえ、頼まれると悪い気はしなかった。自分のコノキモチに、気付くまでは。私は、意地っ張りだ。でも、仕方ない。生まれ持った星なのだ。
公平くんにバレンタインにあげたチョコ。
「義理だよ。エミのほど豪華じゃないでしょ」
風邪を挽いて寝込んだエミに頼まれて、冬の帰り道、大きな紙袋とチャチな包みを渡した。
「ありがとう」と笑ってくれた笑顔。社交辞令でも、私の望む意味ではないんだと、わかってはいても。気が狂いそうになるくらい、うれしかった。前の日降った雪が溶けはじめて、ベシャベシャの道路。帰り道、二人の足跡はすぐに消えて見えなくなるんだと、知っていたのに。
公平くんの机に、そっと手のひらを乗せてみる。ひんやりと冷たい。あの人は何も知らない。私の3年間。私が過ごした日々。あの人に何も伝えられなかった日々。
ガラガラと音がして。教室の扉が開く。私はビクッとなる。振り向くと、教室の入り口に金髪頭で制服のボタンを全て外したミツルが立っていた。
「まだ残ってんのぉ?」
ミツルは公平の親友だ。真面目で堅い公平くんが、なぜだかミツルとは仲がいい。ミツルは良くいえば社交的。普通の見方では、軽薄でチャラチャラして、愛想の良い嘘つきで、楽しければ、面白ければ万事オッケーと思っている能天気なおバカさんだ。最悪。今一番関わりたくない奴に見つかった。
「何やってんのぉ?」
そう言って、無粋に近づいてくる。
「あれぇ? 公平っちの机じゃん」
そう言って。無造作に公平くんの席に座ってしまう。このバカちんがぁぁぁぁぁ。と心の中では叫んでいる。ミツルはポケットからシャーペンを取り出し、芯を出さずにそこをなぞり、削り始め、公平くんの机に何かを彫り込み始める。
ド
ン
カ
ン
野
郎
!
上目遣いで、ニコッと笑みを見せながら、ミツルは私にシャーペンを差し出す。
「ショコちゃん。直に伝える気… 無いならココに。この教室に全て置いていこうよ!」
衝撃が走った。公平くんを、私が好きなこと。おバカのミツルに気付かれていた。私は心を見透かされて、バツが悪くなり、乱暴にシャーペンを受け取り、言葉を彫り始める。
ド
ン
カ
文字を彫り込みながら徐々に考える。この薄っぺらくてで、噂好きで、アゲアゲな男が、誰にも言わなかったんだ。私の思いに気付いてて…
不覚にも私は泣いてしまった。いつからだろうか? きっと最近じゃないはずだ。私は、ミツルの優しさに感謝しつつ、公平くんへの想いのたけを、押さえきれず溢れる涙とともに、懸命に机に刻み込んだ。誰にも気付かれない。どこにも届かないと、わかっていても。
…あなたのことが、好きでした。
ポプラ並木の帰り道。私は、さっぱりした気分で、その道を歩く。
今日、卒業したんだ。きっと私は。
さっきまで、勝手に隣に着いてきたミツルの馴れ馴れしさも、今だけはどこか許せている。
「ショコちゃん。街でオレ見かけたら、絶対! 絶対、声かけてね?」別れ際、ミツルは言った。相変わらず、うわべだけの人当たりは、すこぶるいい。
「いいよ! その頃はあんたでさえ懐かしく思えてるでしょ」
私の言葉に対していつも大げさなミツルは、珍しく小さなリアクションをした。微妙な、はにかんだような微笑みだった。でも、それもほんの数秒で終わる。
「絶対だよ! 約束だよ! オレが綺麗な女の子連れてても、恐れなくていいからね」そういって、オーバーに手足を振りながら、突然駆け出して、どこかへ行ってしまった。
(アイツんち、あっちだっけ?)
「バ~イバ~イ!」
角を曲がって見えなくなったのに、ミツルは遠くで叫んでいる。
(バカだな…… 女連れの男になんて、声かけるわけないじゃん)
ありふれた街角の風景の中、私は一人呟いてみる。
「ド~ン~カ~ン!」
もっと遠くでミツルがまた叫んでいる。私を励ましているのか、からかっているのか、よくわからなかったんだけど…
「あーりーがーとー!」
私は、周りの人の目も気にせず、その声がする方に向かって叫んでいた。
とても大きく。
(了)