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短編集  作者: ふわゆ-
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月が自由をあざ笑う【SF】



 月から投下されたエリア物資の無人定期便がその軌道をそれて、自由民たちの居住区から一五〇キロも離れた荒野へと漂着した。軌道修正装置が磁気霧によって狂わされたせいだと思われる。各地の採掘場を巨大な台風が狙いすましたような進路で襲い、拡散した金属塵が上昇気流に乗り成層圏まで広がり目に見えないが濃密な磁気を発生する霧となった。その影響によりQ州ブロック全般でウェーブ電波の感度が著しく低下してしまった。二〇年に一度の事態だという。それで自分の同僚たちはその予定地点から外れた場所に落ちたエリア物資定期便の回収作業に出はらうこととなった。


 自分は一年前に月面公社から派遣されて地球に降り立ち、特別保安員として日々その任務に従事している。来月で二七歳になるが、もちろんこんな事態は初めてだった。ところが、ここでさらにトラブルが起きた。


「とにかく大変なんですじゃ。助けてくだされ」

 年老いたジャバドの地区長が保安所にやってきて、数本ぬけ落ちた黄色い歯をむき出しにしながら悲痛な表情で訴えかけてくる。赤茶けた荒れた肌が日に焼けて顔に深いシワを刻んでいるのが印象的だ。


 話によると、街で一体の有機クリーチャー(人造生命体)が暴れだしたらしい。おそらく磁気霧の影響なのだろう。不正にウェーブ電波を利用していたため、プログラムが混乱をきたしたに違いない。

 だが、この地区に残っている保安員は自分一人だけだった。留守番役が保安所を留守にして離れるのはいかがなものだろう。

 そういった訳で、街の外れにぽつんと建った保安所の入り口で老人の応対をしながら、自分は黄昏色が混じり始めた午後の空を見上げる。日差しが傾いた午後の中空には、透明な磁気霧を透かして真っ白なペーパームーンが太陽を追うように浮かんでいた。自分はそれを恨みがましく見つめ、そしてため息を一つついた。



 現在では、地球上からすでに大半の人類が月への移住を済ませていた。残った集団は各地に分散するように秩序だった原住民コミュニティーを形成していて、それなりの国家機能も残っている。


 それとは別に、少々アナーキーな地域もあった。ここ半世紀ばかりの間に月面公社からドロップアウトした、自由民と呼ばれる政治的思想を持った集団が不法占拠している土地がそうだ。彼らは他のあらゆる組織との協調を拒絶していた。が、何にでも建前と異なる例外はある。比較的公社と良好な関係を保ちつつある一部の集団もいた。彼らは月面公社の保安員が赴任しての干渉管理を認めていた。理想だけでは、腹は膨れないということなのだろう。それが自分の担当区域であり、ジャバドと呼ばれるQ州特区の一地区である。


 だから自分は、彼らに起きた緊急事態に対処すべき立場にいた。たとえ回収作業にでかけた同僚はもちろん、ジャバド周辺のエリアに点在する特区の土地々々で任務にあたる熟練した保安員たちや自分の上司たちと、月のウェーブを通じて連絡を取り合い相談する手段がおそらくあと半日は磁気霧のせいで失われているとしてもだ。



「わかりました。とにかく行ってみましょう」

 自分は、地区長の肩を軽くポンポンと叩くと、踵を返して保安所の奥へと下がった。そして、原始的な指紋認証で武器ロッカーの鍵を開け、野球のボール大の硬質ゴム弾を発射する七連装ハンドキャノンを取り出す。この硬質ゴム弾は、着弾の衝撃で融解した内部エネルギーを気流型モンロー効果で回生させ、その衝撃波で対象の内側から素粒子レベルで破壊していく威力兵器である。


 現時点での公社側の状況的深刻さとは裏腹に、自分はフットワークを軽くして気さくに地区長の要請に応じることを選んだ。選択肢はいくつかあるが、じっとしているのは性格的に苦手だったし、有機クリーチャーの暴走に少なからず興味もあった。それに何かしてないと、シリコン製のヘッドギアが磁気霧発生からずっと一五分おきに『警告、月面公社へ接続できません』の文字を網膜ディスプレイに赤文字で点滅させて苛立たせる。


「ありがてえ、どうぞお願げぇしますだ」

 いかにも貧しげな身なりをした地区長は安堵の吐息を漏らして嬉しさをシワだらけの顔で表現すると、先導して貧民窟へ向かって小走りに進み始めた。



 二世紀前に人類が月へとたどり着き生活圏を形成し始めた頃、その重力の軽さと放射性物質を一切排出しないレーザー核融合技術が生み出され、地球上で飽和状態にあったエネルギー問題が一気に解決へと向かった。

 同時に戦争と飢饉と資本主義富裕によって生み出されていた地球上の格差社会は、新たな世紀に革新技術経済組織による新格差社会を再構成した。

 きっかけは地球の化石エネルギーに替えて、無尽蔵にも思える月氷土鉱物と宇宙空間における太陽風成分との化学反応によって発生する代替エネルギーの発見と、有機クリーチャーと俗称される生物動力を備える有機体の開発、そして現実拡張端末技術である――かって自由民の少年がしてきた質問に、自分はそう答えた。


 それは、半年前の出来事だった。


「ここまでは、理解できますか?」

 と、自分は事務的な教師のような口調でつい確認してしまう。そういう癖なのだ。


「なんとなく」

 貧民窟の少年は、目を伏せてつぶやく。

 質素な身なりのそのシャツは、平素の洗濯では色が落ちないのだろう、妙なまだら模様で汚れ薄黄色がかっていた。


「ここまでで、何か質問はありますか?」

「ううん、ないよ。ねえ、続けて」

 翳りのない表情で少年に催促され、自分は話を続けた。


「それでは……」



 月面では、人間が想像可能なあらゆるタイプの有機クリーチャーが生成され、人類から殆どの肉体労働をなくした。また、現実拡張端末が月面人類の脳内下垂体及び視床下部を間接的に制御し、人間の情報管理能力とコミュニケーション手段を飛躍的に加速させ、自律能力を活性化させた。さらに開発会社の制御プログラム――ウェーブと呼ばれる脳神経系へ間接的に作用する無線オペレーティングシステム――が結果的に人類を席捲し支配する形となった。その発展の過程で開発会社は月面限定国家連合体が運営する公社へと変遷し、利権を拡大し、最終的には世界の政治から大きな国境をなくして、これを一つの永久経済機関としてまとめあげた。


 とはいえ、それは主義でも思想でもなく、ウェーブと呼ばれる現実拡張端末と有機クリーチャーを遠隔管理する無線オペレーティングシステムに過ぎない。そしてその基本原理は単純明快、国連憲章よりも簡単な三つの安全管理条項が掲げられ成り立っている。



・第一条、ウェーブの管理下に置かれた存在は、あらゆるすべての人間へ危害を加えることはできない。


・第二条、ウェーブの管理下に置かれた存在は、公社から与えられた指示に対して常に同意も拒絶も選べる。ただし、その選択が、第一条に反する場合は、この限りでない。


・第三条、ウェーブの管理下に置かれた存在は、前掲第一条及び第二条を踏まえた上で、非実在空間及び一部現実での自由活動を約束保護される。


※なお、この三原則に違反する者は直ちに、ウェーブ端末とそれに付随する有機クリーチャー・威力兵器等の管理権限を剥奪される。



 よってウェーブ端末の喪失は、携帯電話の所持やテレビ視聴、及びインターネット接続の機会をうばわれるがごとく、自分たち月面人類の人生においては大部分の快楽活動の停止を意味していた。


 もちろん、人それぞれに主義主張はある。


 だが、公社内部に属する人間たちの派閥争いや陰謀は、結果的にウェーブプログラムによって浄化された。間接的とはいえ視床下部を支配され、暴力性を制御され、感情を常によりよい方向に保たされ、非実在空間で人間が想像可能なあらゆる欲望を解放されたとき、人類はどうなるか。公社の中枢に近しい人間ほどウェーブプログラムの影響が強まり、組織は仙人然とした我欲のない意志で運営されていくことになった。


 現実世界に対して私的感情が薄れてゆく装置。人類は自らの手で、またしても新たな神を創り上げ、キリストの誕生から二千年と少しを経て、公社誕生の年を基準として、世紀の呼び名を変更した。


 むろん、有機クリーチャーや現実拡張ウェーブ端末への依存と月面公社への反発を露わにする団体や思想も存在した。しかし彼らとて、高度に発達した代替エネルギー社会の中で、公社とまったく係わり合いにならずに生きていくことは不可能だったし、大抵の場合渋々ながら迎合した。迎合できない過激派は公社の組織する保安員にマークされ月面から刈り取られ、地球の重力の底に再び堕ちていった。


 しかし公社は彼らを掃討しなかった。むしろ政治的思惑から彼らの存続を間接的に支援することを望んだ。


 そして、荒廃した地球上には僅かばかりの原住民国家と、月公社からドロップアウトした自由民たちの開拓地コミュニティーが点在するという現在に至る。



 公社のウェーブは簡単な施術が必要だったため、基本的に本人の同意の上で導入される。ただし、社会のインフラが完全にウェーブのOSにパッケージングされた時、それは選択の余地のない支配となってしまう。それに伴い、責任と義務と補償への経費が四倍増することを懸念した月公社は生活保障を前提に、ウェーブからドロップアウトした者たちに、地球上での政治不介入コミュニティー地帯の成立を容認した。むしろ積極的に促進させ提供したと言い換えてもいい。


 ただし、完全なる見放しもまた、脅迫的支配と変わらない。公社は資材の供給と情報のフィードバックを交換条件に部分介入を決定し、対立ではない、対等な関係を世界に印象づけた。そしてそれをスムーズに執り行うこと、またコミュニティー内外から公社の計画を阻害するものを排除することを目的とした保安員部隊が組織された。

 自分たちである。



「……わかりますか?」

 自分は、再び貧しげな身なりの少年に尋ねた。


「うん」

 屈託のない返事だった。

「本当に?」

 自分には少年が真に話を理解してるのか疑わしかった。


「うん。僕、保安官の話を聞くのが好きなんだ」

 少年は眩しそうに笑ってそういった。



 話を現在に戻す。自分は地区長の背中を追っていた。向かったのは自由民のなかでも手工芸的生産業を生業にしている人々の住居が立ち並ぶバラック長屋の群だった。


 公社保安員である自分は、ナノレベル人工筋繊維で施術された下垂体へウェーブOS端末によって低電磁波刺激を送り心肺機能を向上させていた。これくらいは月からのウェーブを要さず、ヘッドギアに内蔵のLSIメモリだけで処理が可能だ。が、自由民の老人はすでに息があがっている。身体からは汗が噴き出していて、腐りかけの粘土のような匂いがした。自分は図らずしも、臭覚センサーの感度を下げることと免疫機能の強化を強いられた。


 北の地平には白雪を戴冠した峯々が、秋晴れの空を背景に鮮かに遠くつらなっていた。薄い筋雲がいくつかの弧を描く、台風一過の秋晴れの空だった。


 貧民窟では街の至るところで野次馬たちが寄り集まり噂話をする人だかりができていた。暴走クリーチャーに破壊された跡地だ。


 彼らは、公社のアーマーを装着した自分を目にすると即座に反応した。ただじっと睨みつける者、口々に汚い言葉で囃し立てる者、賢しらに勝手な憶測をのたまう者など様々だ。そして、その情報を統合するとどうやら酒場の亭主アルバートが持つ前時代的な未登録有機クリーチャーが、仕入れの途中で暴走した、ということらしい。故障にも関わらず安全停止装置が発動しないという。そのクリーチャーは偽造オペレーティングシステムで構成され、しかも違法チューニングが施してあったと記憶している。


「アルバートのクリーチャーなら西の方へ行っちまったぜ」


「散々だぜまったく、板塀も家の壁もバラけちまった。どうしてくれんだよ」


「ヤツなら西の見張り台がある広場にいるって自警団の連中から聞いたけどな」


 そんな風に、ここから数百メートル先の広場に逃げていったと、自由民の幾人かが愚痴まじりに地区長のそばに来て耳打ちしていった。

 我々は、現場へ急いだ。




 ジャバドに赴任した日から、基本的に白黒の制服を着用した保安員である自分に、住民たちは表面的な敬意を払ってくれている。だけど、その視線の奥には薄ら暗いものを感じる。彼らはウェーブOSを魔術か何かと勘違いしているし、武装した自分の姿を化け物でも見るような目で見る。一方的に誤解されて一方的に非難され、自分があずかり知らぬ場所で陰口を叩かれているという状況はかなり癇に障る。だから自由民との交流は最悪だった。

 自分は一万人規模であるジャバド地区コミュニティーの保安責任者ではあるのだが、彼ら自由民同士の問題に介入する権限はない。が、自由民の下級層は権力系統への先入観があるのか、自分を西部劇に出てくる世間知らずで手抜かりだらけの若僧保安官に見立てているようだ。


 そして赴任してから数ヶ月が立った頃、パトロール中に少し脳に障害がある自由民の少年と懇意になり、たまに会話を交わす仲になった。


「ねえ保安官。あんた月から来たの?」

 ある時少年から無邪気に、そう質問された。自由民の、そういう種類の瞳の輝きを見たのは地球に降りてきて初めてだった。


「ええ、そうです。ちなみに保安官ではなく、正式には保安員ですが」

 自分は害のない程度に微笑んだ。

「いつも変な喋り方だよね」

「敬語です。相手に敬意を払う話し方ですよ」


「敬意って何」

「相手のことを高く認めるということです」

 自分は正確に言葉を選んだ。

「僕、あんたに認められてるの」

 少年は驚いて、アーモンド型の目を見開いた。

「ええ、もちろん」

 そう本心をいった。

「そんなこと言われたの初めてだ」

 そういって、少年ははにかんだ。


 そんな少年との交流には胸に温かいものを感じた。が、長くは続かなかった。二人が密に関わるのを嫌悪した一部裏社会の住人に少年は拉致され、のちに殺害された。


 事実がわかっていても公社側の法では自由民を裁くこも捜査することすら叶わない。さらに視床下部を公社とウェーブプログラムに握られていた自分は、安全装置が働いたのか、情報としての悲しさを知っただけで、あまり激しい感慨に身を委ねられなかった。むしろ、長らく放置されていた死体の腐敗による環境の悪化に心を痛めたくらいだ。


 少年の両親は公社を訴えた。しかし無視された。


 公社は事件の真相を完璧に掴んでいた。自由民の中に子供の人身売買を斡旋する者がいて、少年の両親は自ら子供を売ったのだ。人さらいにあったという体で。が肝心の少年がそれを拒んだ。公社の保安員である自分から新たな価値観を得ていたからだ。そして連れ去られる途中で反抗し逃亡を試み、その途上で失敗し殺された。少年の両親に入るはずだった金は立ち消えになった。


 エリアレベルで暗躍する人身売買組織と、Q州ブロックの保安員長との間で、この件に関して非公式な協議があったという噂もある。だが、真偽は確認しようがない。




 自分は自由民たちの祭事の警備に参加することもあった。住民は独自の自警団を組織していたが、彼らと連絡を取り合い手伝うことを要請されるのだ。


 自警団レベルの自由民には、自分が本格的なウェーブプログラムによって身体能力を増強していることが知れ渡っている。侮られることはまずない。


 ただ、一般住民は保安員が惑星法の下では住民に手出しできないものだという部分的に特化した先入観があって、ずいぶん嫌がらせをされる。遠くから背中に、動物の卵だか果実だか得体の知れない腐った何かを投げつけられる、なんてことはしばしばだ。


 が、実際にはウェーブOSによって、どの住人がどんな言動を取ったか、自分たちは完全に把握していた。ただ組織の末端レベルでそれに対応する必要はないという判断が公社側でなされていたので、まったく無関心を装っていたに過ぎない。そして、それによって保安員たちに発生するストレスもまた、ウェーブプログラムの非実在空間やホルモン抑制により、きれいに解消されていた。


 が、感情ではなく論理として、偏見で妄想を誇大化され自分が嫌悪されているという事実の前で、住民に良い感情で接しよう、などという発想が生まれるはずがなかった。




 ジャバドはその建立から半世紀を経た歴史が流れている。自由民の中には原住民の血族も混じり、その力関係は混然としていた。仮にとはいえ公社の意向も一部取り入れられ経済活動が未成熟なまま抑制された集落である。よって、そのヒエラルキーは複雑だった。


 大抵の場合権力を持つのは、表向きは公社に反発する姿勢を崩さないまま、裏では偽造オペレーティングシステムなどを見過ごしてもらって甘い汁を吸っている、怠惰で思想的に軟弱な欲深い連中だった。地区長や自警団長などの公職に就く者には表面上の尊敬が与えられたが、実際に権力を持っている土着豪族的連中はそういった名誉職には間接的にしか食指を伸ばさなかった。


 一つ断っておくが、自分には自由民を差別する気持ちはまったくない。むしろ最大限の敬意を払い、この新格差社会における彼らの立場を尊重し、むしろ公社のあり方そのものに対して否定的な感情さえ持っている。


 だが机上の思想と、現実に彼らと接するときに生まれる感情とは、また別である。


 彼らの生活を目の当たりにするとき、その怠惰で無目的な人生観に、自分は苛立ちを感じずにはいられない。そもそも彼らは何のリスクも追わず、彼ら自身の生活に必要な最低限の物資は、配給で公社から無償で授かるのだ。ただ束縛されたくないという理由で自由を叫び、うつろな目で重力の底を這いずり、臆面も無く保護を当然と言ってのける。


 もちろん彼らの正義はよくわかる。無償の物資も公社の暴力性管理プログラムからの押し付けであること、そういう状況に置かれて真摯な心理状態でいられるわけがないということも頭ではわかっている。


 しかしそれは、公社の中で生まれ育った自分には生理的に受け入れられない部分でもある。




 さっきの場所から数百メートルほど道なりに進んだ。通りかかった道々で破壊された瓦礫を見かける。


 地区長は、始めより鈍ったものの強靭な足腰を持っているらしかった。顔に汗しながら駆け歩くように暴走クリーチャーを追っていく。


 バラック長屋群の所々にある人溜まりをすり抜けて、破壊されている被害がひどい方を選べば西の広場の入り口だった。噂ではそこに有機クリーチャーがいるはずだ。道の両端は背の高い黒塗りの板塀で囲まれていた。その向こうは農作物の加工処理をする作業場がいくつかあったと思う。白い煙を吐く高い煙突の先が塀の上から少し見えていた。


 そのとき仮想音声の警告音が脳内に響く。目標が近い。


「ここからは、自分が前に出ます」


 先を歩く地区長を呼び止めた。




 サッカー場ほどの広場の奥で、人垣に囲まれ暴走した有機クリーチャーが仁王立ちしていた。自分は、網膜ディスプレイをスコープズームさせ倍率とピントを合わせた。ゴリラ型に黒山羊を合成させたようなタイプで、身体を覆う半粘液甲皮が艶光りしている。半径三〇メートルくらいか、遠巻きに自警団とおぼしき連中が輪を作ってそれを囲んでいる。


 クリーチャーはずっと、威嚇するように長い右腕を高々と頭上にあげ、肘の関節を天井扇のようにゆっくりとグルグル回していた。外周の塀や広場を見下ろす崖の上には野次馬の自由民が寄り集まり、広場はさながら闘技場のような様相を呈している。


 台風が通過したこともあり、元々水はけの悪いこの土地はぬかるみ、滑りやすかった。


 ハードケースからハンドキャノンを取り出して簡易セッティングを施す。


 保安員の制服姿の自分に気付いて群衆が喚声をあげ始めた。普段あれほど自分を、公権力の犬を見るように蔑んでいた無数の目が、今では期待でキラキラ輝いている。いや、正確には自分に期待を抱いているわけではないのだろう。これから繰り広げられるショーに期待を寄せているのだ。日々の怠惰に退屈していた精神が、原始的な記憶を喚起させ、一瞬の熱情を募らせていた。さっきまで不安に怯えていた彼らに、そこからの脱出と安堵の光がさした。その血走った目から察して、心の中で「殺せ!殺せ!」とでも叫んでいるのだろうか。




「ちょっと待ってくれ」


 そう叫びながら、自分と村長に向かって小走りで中年の男が近づいてきた。男は髪の毛にポマードを塗りたくり、赤いアロハシャツを羽織っていた。小奇麗に整えているつもりかもしれないが、その外見からは胡散臭い雰囲気だけが漂ってくる。飲み屋の主人アルバート、暴れている有機クリーチャーの所有者だ。


「何だよ、その物騒な大砲は」 


 アルバートの問いには、先に地区長が口を挟んだ。


「あの化けもんの土手っぱらに弾丸を撃ち込んでやるんじゃい、このまんまだと危険じゃで」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ保安官。何も壊すことはねえだろ。磁気霧のせいでちょっとは暴走したが、今は大人しくなってる。な、アレの代わりを手に入れるのにいったい幾ら掛かるかわかるだろ。たのむよ。穏便に停止させてくれよ」


 今度はきちんと自分が答える。


「ウェーブ電波が復帰するまで、このままでいいと?」


「そうだよ。暴走はしたが三原則プログラムまでは死んでねえ。このままの距離で人が囲ってればアイツは人に危害を加えるような暴れ方はできねえ。磁気霧だって、すぐに晴れるだろうよ」


「何言ってんだい」横あいから年配の女が口を出した。貧困に喘いでいるという建前のこの街で、どうやってそんなに太ったのか腕がぷっくりと柔らかく膨らんでいる


「アタシの子はね、アイツが壊した板壁に躓いて、足を切ったんだ。かわいそうに三針も縫ったんだよ」


「何言ってやがんだ、てめえの娘が勝手に転んだんじゃねえか、オレの有機クリーチャーが直接手を出したんじゃねえよ」


 女とアルバートは細かなつばを飛ばすように怒鳴り叫び、もめ合いだして手がつけられない。




 そのやり取りをよそに自分は地区長に尋ねた。


「今の話は事実ですか?」


「へえ、他にも軽くですがケガをしたものが四、五人……」


「おいおいおい」アルバートが語気を荒らげる。


「だからって、アイツを破壊する理由にはならねえだろ。惑星法に反してねえのかよ、それとも公社がヤツの修理代を保障してくれるってのか? その頭に付けてる無線機で公社に問い合わせてみてくれよ」


 その悲痛な訴えに手を貸してやれるのは自分だけだったが、残念ながら大気圏上の磁気霧のせいで、ヘッドギアから月へのウェーブ接続は遮断されている。


 自分は静かに返答した。


「あなたの有機クリーチャーは不正な違法改造がなされてますね。公社が補償金を出すことも有機クリーチャーの存続を保護することもありません。もしこれ以上の被害が出ると、町民の申告によってはあなた自身の身柄が公社に拘束されることになりますよ」


 ついに観念したのか、アルバートは押し黙った。自分は地区長に続けて尋ねた。


「どうします? このまま人垣で包囲し続けて保安員仲間の帰還を待てば、アルバートさんのマシンをこれ以上壊すことなく完全停止させることは可能ですが」


「ううむ」


「連絡は取れませんので正確なことはいえませんが、地区長、あなたの許可が下りれば危険性を考慮した緊急措置ということで硬質ゴム弾を打ち込むことが許可される判例があります」


「そげですか。なら、アルバートの奴には悪いが是非お願えしますじゃ。怪我人が出ておるし、町民は不安で興奮状態に置かれておる。できるだけ素早えぇ処置で町に平穏を取り戻してぇんで」


 地区長のその赤茶けた顔は真摯さを繕っていたが、その裏に喜びの色が隠れているのが仄かに香った。


「わかりました。ではこの件を現時より緊急措置案件として取り計らいましょう」


 自分はハンドキャノンにヘッドギアから伸ばしたシールド配線を取り付ける。ウェーブ端末でアルバートの有機クリーチャーのデーターを保安所のサーバーに送るのだ。


 広場に、押し合いへし合い詰めかけてくる群衆は、増えていくばかりだった。




「あららら、保安員の旦那。まさか、アイツを撃つ気ですかい」


 自警団の一人が近づいてきた。剽悍な体つきの若者はレオナルドといい、若手中心の自警団をまとめる幹部といった立場にいる。


「ええ。場合によってですが」


「そいつは、やめといたほうがいいんじゃねえですか。うちの隊長はあんたが撃たないと踏んでヤツの周りを仲間に囲ませてんですぜ」


「そうだぜ保安官、自警団の隊長を怒らせないほうがいい」


 ここぞとばかりにアルバートが口を出したが、レオナルドがたしなめる。


「ねえ、アルバートさんや。こいつは警備上の大事なミーティングなんでさ。それにあんたのペットがおイタして、みんなに迷惑掛かてんですぜ。恥を知ってるならすっこんでいてくんねえかい」


「何だと、てめえ」とアルバートはキレかけたがレオナルドがへらへらした態度を急にやめ、凄みをきかせて睨むと、


「うちの店の敷居を二度と跨ぐんじゃねえぜ、若僧」と言って後退りし、逃げ出すように群衆に紛れた。


「よろしいんですか」


「まあ損な役回りでさあね」


 そういって苦笑いする。


 だが公社の情報網によると、自警団の実質トップは実はレオナルドである。先にも言ったように本当に権力を持っているものは、表に出すぎないよう配慮しているものだ。たとえば、こちら側が彼らの情報を深く把握していることを悟られぬよう気遣いしていることと同じに。


 それにしても、集中力が散漫になっている。そう自覚した。群衆が周りにいることが妙に気になる。冷静にならなければならない、と、自分に言いきかせた。


「レオナルドさん、一つ断っておきたいのですが」


「何ですかい?」


 相変わらずへらへらと緊張感のない笑みを彼は口元に浮かべている。


「ハンドキャノンを持ってきたのは、単に万一の場合に我が身を守るためで、実際に有機クリーチャーを破壊する事態になるとは思っていなかったんです」


「まあ、そうでしょうねえ。うちのボスもそう確信していたんでさ。だからこそですぜ」


「ええ。もちろん、今この目で有機クリーチャーを見ても、撃たなくてはならない、などという確信は湧きません」


 アルバートの利権はともかく、そうしないで済むのなら、避けたほうがいい。しばらく様子を見て、また暴れるようなことがないと確認したら、自警団に任せて引き上げる。それがベストだろう。


 そもそも有機クリーチャーを撃ちたくなどなかった。それを人造機械と捉えるか、有機化合物とはいえ生命体と捉えるか。その価値観は人によって割れるだろうが、自分にとってこれを撃つのは、殺人に準ずる行為に等しかった。


「ですが、用意はしておきます」


「何ですって? あっしらずっと見張ってきやしたが、こっちが手出ししなけりゃ、ヤツは何もしねえんですぜ。むしろ、近づき過ぎりゃあ襲いかかってくるかもしんねえ」


 急に焦りだす。


「だから公社は手を出すなと?」


 自分は切れ長の目を光らせた。


「いや、まあその何ですねえ。合理的に考えてくれやせんか」


「自分は合理的にウェーブOSが導きだした回答を述べているに過ぎません。地区長からも緊急措置要請の言質は取りました。夜の帳が降りれば三原則プログラムうんぬんを期待するより、予測し得ないヒューマンエラーが出やすいということと、その場合、収拾不能の事態に陥る可能性が高いということを考えての行動です。それともこの場合、あなたの隊長にお伺いを立てるのが合理的方法でしょうか」


 何かわからぬもやもやが心に沸き立って、やはり少し焦っているのを感じた。ウェーブ端末の脳波計もそれを示し、視床下部を刺激してホルモンを促進させるなど、対処をし始めている。


「いや。そういった意味じゃねえんですがね」


 レオナルドは何かを察したのか、主張を濁した。


「まあとりあえず、さっき言ったように発砲は場合によります。撃てる準備だけはしてみましょう」


「なら、とりあえずそうしてみやしょうか」


 二人で自警団の輪の中に入り、正面からおよそ半分の距離まで近寄ってみて、クリーチャーの反応を確かめることにした。


 襲いかかってくるようなら、撃つ。何もしなければ、公社の同僚が戻ってきてから、皆で脱エネルギーワイヤーを使って捕縛すれば大丈夫だろう。少々大掛かりな作業にはなるが。


 地面はぬかるみ、歩を進めるごとに足がめり込んでいくような感覚がある。


「磁気霧の影響もありますし、もしあの有機クリーチャーが襲いかかってきたら、計算上、身体能力では分がないですね」


「じゃあ、旦那が撃ちそこなっちまうと、あの荷揚げ用の巨大な鉤爪ではらわたを引き裂かれかねねえですね」


 さっきのお返しのつもりか、レオナルドが意地悪なことを言う。


「ええ、でも自分の身の安全はそれほど気にならないんですよ。不思議なことに」


 本音だった。むしろうしろで見守っている多数の自由民たちの日に焼けた顔の波の方が気になる。


「へえ。いわゆる正義感って奴ですかい?」


 自分は苦笑いした。正義感ではなかった。自分は群衆の注目を浴びていることを自覚していた。だから、一人でいるときなら感じたはずの、通常の恐怖感はなかった。へまをすれば二千人の自由民の目の前で、有機クリーチャーに追われ、つかまり、踏みにじられるだろう。ただ、その痛みや恐怖よりも、自分の失態を喜んで嗤う群衆を想像して苛立っていた。


 ゴム弾を弾倉にこめ、ギリギリまで近づく。狙いやすいように地面に片膝を立ててしゃがんでみた。ハンドキャノンを構え銃口を有機クリーチャーに合わせる。町民から喚声があがる。照準がロックオンされたのを確認すると、さらに一メートルばかり有機クリーチャーににじり寄った。


「どうです旦那?」


 少し後方に離れて、レオナルドが尋ねる。


 公社の保安員に手柄を横取りされるのが嫌なのだろうか。なにしろ今回の件で公社の株があがれば、相対的に自警団の立場が薄くなる。今後の活動に支障が出るかもしれない。それとも、この件を自らで納めて有機クリーチャーをアルバートから取り上げて売りさばく気ででもいるのだろうか。


 どちらにしても、倫理観はともかく公社の保安員の立場として自分は、レオナルドらの活動を阻害するメリットは見い出せなかった。


 詰めかけ溢れんばかりの群衆たちは、今まさに有機クリーチャーと保安官の一騎打ちが始まると信じきっていた。


 高度なハンドキャノンと運動原理を手にした公社保安員。原始的な武器しか持たない自警団。そして暴れる怪物。


 そういったイメージを自然に喚起して、はっとした。


 群衆は、普段己らを規制する疎ましさの象徴を、日常の危機に瀕して勇者として迎え、英雄となることを望んでいる。実際は、広場を闘技場のように囲む彼らにとって自分らは猛獣ショーの見世物に過ぎないとしても。


 どういうわけか、意地でも自分は有機クリーチャーを撃つことから手を引けないと悟った。そもそも地区長に呼び出されて、ハンドキャノンを持ちだしたとき、自らそうする羽目に追い込んでいたのだとも自覚する。


 それに、そうしなければ、彼らの熱情は暴動へと育つかもしれない。




「レオナルドさん。そのまま離れていてください。撃ちます」


「な、ちょ、話が違うじゃ……」


 自分は慌てるレオナルドを無視して、この距離を保ったままクリーチャーを取り囲む自警団の隊長たちに叫んだ。


「みなさん、三つ数えたら一斉に自分の背後の道を空けてください。有機クリーチャーをこちらに誘導して仕留めます」


 自分が念を押すと、レオナルドは憤りの満ちた目をして頷いた。仕方なげに自警団にジェスチャーでそうしろと合図を送り、そこまで嫌悪感を出せるかというほどの、人の悪い顔で舌打ちして離れる。


「三……、二……、一」


 自分は大きくカウントダウンを告げる。背中から人垣が慌てて崩れる気配がする。


 クリーチャーは、その空気の流れが変わった中で頭をあげ、首をかしげるようにして匂いをかぐような仕種をみせた。


 空ではペーパームーンが、輝き始めていた。


 クリーチャーはうしろをふり返り、身じろぎもしなくなった。彼の立ち位置は輪を解いた側から風上にあたった。それで状況を錯覚しているのかも知れない。


 そう考えたとき、不意にクリーチャーは、こちらに顔を向けるとのっそり歩き始めた。大地を踏む重々しい足音が、身体に響いてくる。そうしてクリーチャーが自分に迫り始めた。


 五メートル近くまで引きつける。しきりに自分に言いきかせる。荒々しい息の音もきこえてきた。大きな口も見えた。頭を軽く垂れ気味に、ゆるんだ土の上を踏みしめ一直線に歩いてくる。


 有機クリーチャーは鈍い音を立てながら、開いた道へ逃げ出そうとする。迷子だった子供が親を見つけたように、クリーチャーはこちらを見つめた。いや、むろん自分を見たわけではない。文字通り出口を見つけ、そこにたまたま自分が重なっていただけだ。青黒く潤んだ瞳に映っている自分を、彼は認識していないのかもしれない。


 クリーチャーはゆっくりと重たい身体を伸ばし歩を進めてくる。銃を構える自分に向かって。その意味をわかっているのかわかっていないのか。どちらにしろ閉じ込められていた場所から希望を見出したように足を伸ばし、ゆっくり近づいてくる。


 ヤツの最大移動速度は一〇歳児並みだ。万が一弾が逸れても住民に危険がないタイミングを計り、焦りを押さえた。耳に荒い呼吸音が迫っていた。突然、逃げ出したいような恐怖が全身に泡立った。自分は引き金に指を掛かて待った。


 長くもあり短くも感じる濃密な時間が流れた。ただし、自分の胸はいつものように冷えきっていた。平静な空気が自分を包みこんだ。決意が揺らぐか? 自分は自分に問いかけ、そして驚くほど冷徹に答えを出していた。いや質問する前から知っていたと言い換えたほうがいいかもしれない。


 そして輪を解いた自警団員たちが安全圏の間合いに入ったと同時にクリーチャーが最大危険領域へ踏み入ってきた。




 引き金を引いた。


 轟音が鳴った。いや、轟音が鳴ったという感覚があったが、それに気を取られはしなかった。ゴム弾が一条の線を引いてクリーチャーに向かう。


 群衆はいつのまにか静まりかえっていた。そして低く深い、ため息が、無数の喉から漏れた。


 ハンドキャノンは公社製のウェーブ連動機能付きの上等なものだ。ただし磁気霧のせいで、有機クリーチャーの生体機能構成の情報は保安所のサーバーに保管されたログからの無線に頼るしか手段がない。


 最初のゴム弾が放たれた刹那、空気が割れるような音がして、肩から腰にかけて強い反動があった。身体強化した足首から振動が伝わり、靴底が地面にめり込む感覚がある。


 不意に絶叫を耳にした。それは、激しい恐怖と歓喜にかられた群衆の叫び声だった。横あいからも背後からも、群衆の怒号と悲鳴と喜色が入り混じったすさまじい歓声が沸き上がった。


 ゴム弾が有機クリーチャーに当たると、彼の全身が戦慄き、輪郭線が二重三重にブレたように震えた。


 アルバートが放心したように立ってその光景を見つめているのがみえた。口から短い呻き声のようなものが漏れていた。


 すかさずもう一発撃った。肩に反動がずしりとくる。


 有機クリーチャーは、わなわなと震えながら四肢を伸ばし、ただ一声だけ哀しげな咆哮をあげた。そして、ぐらぐらと首を揺らし、頭を垂れた。


 致命傷だった。


 苦悶が有機クリーチャーの全身を揺さぶり、かろうじて脚を支えていた最後の力が尽きた。地面が揺れるほどの地響きがして、有機クリーチャーは許しを乞うように地面に這いつくばった。


 低いどよめき。そして一瞬のち、観客たちに歓喜の渦が広がる。


 このショーは日々の怠惰に風穴を開ける扉だった。日頃重力に縛り付ける公社へのうっぷん晴らしだ。


 それは自分にとっても同じなのだろうか。胸に深い安堵が広がった。頬が温かく濡れているのを感じる。無意識に涙腺がゆるんだのだ。そして緊張が解けていくにつれ、意識が何度かかすみかけた。


 眼前にはクリーチャーの目が見えた。開かれた薄赤い大きな口も見えた。


 あの有機クリーチャーは人間に良いように操られ、原型の生命体が何なのかわからなくなるほどに継ぎはぎされ、酷使され、ついに、使えなくなって打ち捨てられた。あの姿こそが、自分たち公社民を映す鏡なのだろう。理不尽な仕打ちの前にあらゆる感情を押し殺し、自分は自分自身を殺そうとしている。なぜだ? 誰が自分に引き金をひかせている?


 オイルが血のように染み出して堅い広場の地面にたまりを作っている。


 そして生物機械は動作を止めた。




「私と話をしていて怒られたりしませんか?」


 自分は考えを素直に口にした。


「誰に」


「たとえば親御さんとか」


「どうして」


「うまくいえませんが、怒られなければ良いのです」


「喜んでるよ」


 驚いた。その答えは意外だった。てっきり気味悪がられていると思い込んでいたからだ。


「よくわからないけど、二人とも喜んでる。お金がもらえるんだ」


「どうしてお金がもらえるんですか。誰から?」


 自分が重ねて尋ねた質問に、少年は困った顔をした。


「ごめん。これは内緒だったんだ。聞かなかったことにしてくれる?」


 自分は優しく頷いた。そしてこのことを仲間にも口にすることはなかった。


 が、少年が後日あのような結果になった以上、その意味を忘れることはないだろう。




 瀕死の有機クリーチャーに対して、さらに三発の弾丸を続けざまに撃ち込んだ。引き金は無意識に引いていた。憐れみ深い生命体に暴力の楔を打ち込む。荒々しい呼吸音。吐き出した褐色オイルの上に、また液体がしたたり落ちた。


 自分は自分自身の幻影を破壊し、完全に息の根を途絶えさせるつもりでいた。


 弾丸が放たれるたび村人は狂ったように嬌声をあげる。その間、アルバートは膝を折り地面に手を付けて突っ伏せ泣いていた。


 自分はハンドキャノンの弾丸を撃ち尽くすと、立ち上がりスラックスの裾にまとわりついた泥と埃を払った。


 有機クリーチャーが二度と立ち上がることはない。だが、完全に死んでいるというわけでもなかった。未だグルゥフブドゥフという奇妙な喘ぎを口腔から響かせている。


 だからすぐ側まで近づいて、人工心臓部分があるとおぼしき場所に向けて、残ったゴム弾を撃ち込んでやった。衝撃でどろりとした褐色のオイルが口からあふれだす。


 それでも死なない。


 弾丸が当たってびくりとするも、変わらず苦しそうな息が大きく休むことなく続く。動くこともできず、死ぬことさえできない。横たわる、巨大な人造継ぎはぎ動物にとどめをさしてやらなければという慈悲心が胸を支配していた。だが打ち込んだ弾丸の衝撃も甲殻皮膚に吸収拡散され、苦しげな喘ぎ声だけがあたりに響き続ける。


 弾が切れ、自分はついに諦めた。




「自由って何?」


 相変わらず少年は、無邪気に質問する。


「さて、何でしょうね」


 自分は少しばかり困惑した。


「保安官にもわからないことがあるの」


 予想外の答えだったのか、少年は目を丸くした。


「それは、もちろんありますよ。むしろわからないことだらけかもしれない」


「だって……」少年は少しばかり口ごもり、それでも意を決したようにつぶやいた


「その端末で月にアクセスすれば答えが返ってくるんでしょ」


 自分は、不思議な感覚に包まれたが、正直に答えた。


「それは月面公社が考える自由であって、個人が求める自由ではありません」


 きっぱり言い切った。


「自由というのは人それぞれ違うの?」


「はい。月面公社の自由、自由民の自由、自警団の自由、そしてあなたの自由。それぞれ違うはずです」


「僕にも自由はあるのかな?」


 そう声をあげた少年は、目を輝かす。


「ありますよ、もちろん。生きとし生けるもの、皆平等に自由を自覚するべきです」


「じゃあさ、その……、有機クリーチャーにも自由はあるの?」


 その言葉が耳に蘇る。




 結局、この猿芝居に幕を下ろしたのは自由民の群衆たちだった。自分の苦悩を知ってか知らずか、ほどなく自由民たちが、まだ息のある倒れたクリーチャーに群がったのだ。人工甲皮膚や筋繊維、その他あらゆる有機物質を奪い合うために。


 彼らは農作業や調理に使う刃物を持ち寄り、魚市場でマグロを解体するかのように、器用にクリーチャーの装甲の隙間に刃をあてがい、引き剥がし、分解していった。そして数十分ほどでその人だかりが解けると、血液のようなオイルのシミだけを地面に残し、その生命体は地上から消えた。


 自分は途中でその輪から離れ、西の広場を去った。群衆たちは略奪に夢中で、そのことに誰も気付かなかった。


 おそらく自由民たちの間では二、三日、いや一週間はこの話題でもちきりだろう。が、旬を過ぎれば、自分は引き続きまたあの偏見に満ちた嫌な視線で蔑むように見つめられるようになるだろう。


 保安所へ戻る道を歩きながら暮れなずむ居住区の風景の中でそんな考えが頭を渦巻いていた。




 後日、有機クリーチャーの持ち主であるアルバートはQ州行政府の法廷に出廷し烈火のごとく怒りをぶちまけた。


 しかしながら一介の自由民の感情は、その場でまったくもって無視された。惑星法的な見地からみても、自分のしたことは正しく、凶暴化した有機クリーチャーは、檻から脱走した猛獣と同じ扱いになる。持ち主の手におえなくなれば、破壊するのが当然であり、それを公社が安全のため手助けした。それが判決の論旨である。


 ただし壊された家屋や怪我人の保証は公社が負担を申し出た。友好的援助である。


 この件で、ジャバドでの信用を失ったアルバートは、数ヶ月後に店をたたみ、街ではレオナルドの息が掛かった女が代わりに別の居酒屋を立ち上がた。


 アルバートは海を越えて大陸に渡ったとも、マフィアに消されたとも噂される。


 公社の管理官の間でも激しく意見が交わされた。


 若い世代の多くは、自分の行為を全面的に肯定してくれた。が、反暴力を過剰に教育されてきた年配層は、原住民の子供が転んで血が出たくらいで、独断で有機クリーチャーを破壊するなんて、大げさだとか、暴力性を助長する等といって、少なからず非難的な論理展開をみせた。


 しかし組織が汲み上げた意見は前者だった。公社としての価値観も時代と共に少しずつ変わってきている。それがウェーブOSの意図するところなのか、それとも人類の意志によるものなのかは、自分にはわからない。


 Q州行政府が公社へ出した回答を要約すると次のとおりだ。


『この件を人類に対する危害とみなし、現場保安員は十分な根拠で有機クリーチャーを停止させたと認める』


 でも、どの意見も少しずつ間違っている気がした。自分が違法改造クリーチャーを撃った理由は、別にあるのだと。


 たしかに自分は引き金を引いた。そして快楽を感じた。


 それは公社への忠誠心からくる悦楽でも、民衆を守る正義感でも、単なる破壊への衝動でもなかった。あの熱狂と興奮の中で彼らが興味を持って浴びせかけてくる自分への視線。ただそれを一瞬でも逸らしたくて、身代わりを踊らせるように弾丸を撃ち込み続けたに過ぎない。


 自分はあの行為をそう結論付けることにした。誰かが納得しなかったとしても、知るもんか。




「保安官にとっての自由って何?」


 そう少年が問いかける。


 自分は少し考えてこう答えた。


「何にでもなれること。そして、まだ何者でもないこと」


 少年はしばらく空に浮かぶ月を見上げて、つぶやいた。


「ふうん。それって幸せかどうだかわかんないね」


 暮れなずみ、闇が包み始めた保安所の入り口で、直立警護する公社のヒト型有機クリーチャーである自分の背の高い影と、寄り添うようにしゃがみこんでいる少年の小さな影。


 あの日、藍色に濃く染まりゆく西の空で、ペーパームーンが二人の自由をあざ嗤うかのように輝いていた。


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