テニスボーイの憂鬱? 【コメディ】
2007年初夏。テニスの聖地、ここ英国ウィンブルドンでは、世界4大国際ツアーの中でも最も権威のあるトーナメント大会が開かれようとしていた。
前年度のチャンピオンと決勝戦でしか使われないという、栄えあるセンターコートでは、女子シングルスの開幕試合が今まさに始まろうとしている。試合開始寸前の興奮が収まらぬ観客に、審判が「ビークワィアット(静かに)」とマイクを通して伝えていく。選手二人を試合に集中させるためだ。ボールボーイ二人も神聖な面持ちで、ネットの脇でしゃがみこみ、構えている。
「おい……」
「……」
「……おいってば!」
「何だよ?」
隣で同じようにしゃがむ、同世代のボールボーイが小声で話しかけてくる。そいつは、この大会で初めて顔を合わせたが妙に人懐っこく、試合前からしきりに僕に向かって話しかけてくる。
「なあ……、ちょっとしゃべろうや」
「何でだよ、試合始まるぞ」
僕は、少し離れたところに立っている副審達にバレないように、顔はまっすぐネットのライン方向を見つめたまま、小声で返す。
「だって~、暇やんかぁ2時間強も、しゃがみっパで、ボールが網に掛かったら小走りでひらいにゆくだけの、単純作業やんか」
「ば、馬鹿! これは格式あるウィンブルドンのセンターコートだぞ、お前何でボールボーイなんか応募したんだ?」
「だって~、ちょっとカッコいいやんか、この濃紺の衣装着て、ちら~っとテレビなんか映ったろうかいな思ぉてな」
「なんでお前なんかが受かったんだ?」
「なんで……? ルックスちゃう?」
『レーット!』
そのとき、主審が叫んだ。コート内にボールが緩やかに転がる。僕は颯爽と駆け出して、コート内のボールを拾うと反対側の主審台の下にたどり着き、その場で試合を観戦する。コートの向こう側ではアイツが小さく手を振っている。
(手を振るな!)
そして、試合は徐々に進んでいく。僕は、ことさらにアイツを無視した態度を決め込んでいたが、あいつはそんな僕の思いを知ってか知らずか、審判達に見つからぬよう鼻を指で押さえてブタの真似をしたり、目に指を当てて見開いたパフォーマンスをしていた。
(調子に乗りやがって……)
そのとき、前回チャンピオンのサーブがネットに掛かりサーブエリア内に転がった。
『レット!』
主審が叫ぶ。しかし、僕は一瞬アイツのことに気を取られていて出足がおくれた。すかさずアイツはダッシュして、コート内に突入し、転がっているボールを軽やかに拾いあげた。
だけど、僕は見たんだ。アイツがボールを拾いあげる瞬間を。その時あいつはカメラの位置を確認し、反対の手を腰の辺りに添えたまま、小さなピースサインをレンズの方に向けていた。
「おまたせ。退屈やったやろ」
主審台を挟んで、同じく待機の姿勢を取ったあいつは、間髪入れずに小声でそう言った。
「……話掛けるな、審判に聞かれるぞ」
僕は精一杯の拒絶の態度を見せる。
「これくらい聞こえへんよ。それに、寂しかってん」
「知るか!」
「ほお~、そういう態度ですか?」
「当たり前だろ」
「じゃ、さっきのパフォーマンスの続き、ココでおもいっきしやったろ。周りの人間はどう思うかな?」
「どうって?」
「お前も仲間やと思うんちゃうか? すぐ側で笑ってたら」
「笑いひんよ」
「どうかな? さっき思いっくそニタニタしてたやんか、自分」
「……してた?」
「してたよぉ、ヤンチャしがいがあったで、ほんま」
「ほんまに? そらマズイな」
「やろ? ……だからココは一つ」
「う~ん」
僕は悩んだ。しかし、アイツの言う通り、神聖なるウィンブルドンのセンターコートで、ニタニタしながら試合観戦するボールボーイ。というレッテルを貼られるのは非常にまずい。
「わかったよ。話を聞けばいいんだろ」
「おおきに!」
「ところで、お前微妙に方言入り混じってんなぁ」
「ああ、わて河内と三宮のハーフやねん」
「そんなんハーフ言えへんわ」
「そう、そのツッコミが欲しかってん」
「いいから続けろよ」
「いやーどうも~」
アイツは音が鳴らないように、拍手する振りをしながら期待する目で僕を見ている。
「……ど、どうもー」
(僕も乗っかれということか?)
「いやー、ほんま暑いですね」
「もうすぐ夏やからね」
「夏近いーゆうても、まだ6月の終わりですよ」
「そうやねー」
「ほんま、6月終わりでこの暑さですから、これで12月にでもなったら……」
「なったら?」
「……メリークリスマスやね」
「いや、そこは『どんだけ暑いんやろ?』言うとかんかい!」
「ほんまにねー」
「……ほんまやわ」
「いや~、今年も残すところ6ヵ月弱となりまして」
「長いわ! 6ヶ月って…… 半年も残っとるやないか」
「ええ、ええ、残ってます残ってます。大相撲の行司並に残ってます言いますよ」
「どんな例えやねん、早よ先進めや」
「そうそう大相撲と言えば、ウィンブルドンの季節やね~」
「初夏と言えばやろ、お前が脱線さすから話おかしなっとるやないか!」
「ほんま、どんだけ暑いやんろ?」
「だから、おかしいって」
「で、話は戻りますけど」
「ああ、戻せ戻せ」
「ウィンブルドンと言えばテニスコート」
「そうですねー、今まさに眼前に広がっておりますけど……」
「そうなんです、みなさん。僕らこう見えてもボールボーイなんて職務を、申し付けられておりましてねえ」
「こう見えてもって、どっからどう見ても、ボールボーイの格好ですけど……。そうなんです、みなさん。僕ら格式あるウィンブルドン選手権のボールボーイやらさせて貰ってますねん。しかもなんと…… センターコート!」
「センターコート、これがどれだけすごいかわかります?」
「そう! 言うたげて! どれだけの格式か」
「ウィンブルドンでは、一年に一回。この大会でしかセンターコートを使いませんねん」
「そう一回だけでぇ~す!」
「しかも、大会中も前年度チャンピオンの登場する試合と、決勝戦だけしか使われません」
「そう、あのお方しかこんな特例は認められません」
「そして今日僕達がいるのが、なんと! 栄えあるそのウインブルドン本選のオープニングカード。この、まばゆい光に包まれたセンターコート」
「そう黄金色に光り輝いております」
「……?」
「ガンダム史上、類を見なかったその黄金色の機体。メカニックデザインは実はエルガイム、ファイブスタ……」
「おい!」
「え?」
「何の話してんねん」
「何の話って…… 百式の話やん。知らんの? Zガンダム。クワトロ=バジーナ大尉の専用モビルスーツやん」
「はあ~?」
「ところでシャアは最後なんでジオンの息子の証明である、キャスバル=ダイクンの名を名乗らずシャアの名でネオジオンの総帥になってんやろ?」
「知らんわ! なんやねんガンダムって? ここはウィンブルドン! 見てみい。お客さんポカ~ンとしてはるわ!」
「ほんまやねえ。なんや、みなさんΖはガンダムとして認めない派なんや?」
「違うわボケぇ! ここはウィンブルドンのセンターコート」
「そう。だからここでは、たとえシャアでも、白を基調とした機体にしか乗れません」
「ちゃうわ! そらウェアは確かにそうやけども…… なんでボールボーイ二人が主審台の下でガンダム話に花咲かせなあかんねん」
「ほんまやねえ」
「……そやろがい。わかったら話、元に戻して」
「ほんじゃあ話、戻します。ウインブルドンと言えばセンターコート」
「そうそう、それやがな。ウィンブルドンと言えばセンターコート!」
「センターコートと言えば……」
「センターコートと言えば?」
「……アンダースコート」
「ちょっ待てぇ!」
「何やねん?」
「何やねんあるかぁ! 何がセンターコートと言えばアンダースコートやねん」
「変かぁ? 目の前ヒラヒラさせ取るやないかお姉ちゃん達ふたりが」
「お姉ちゃん達二人? ……プロや! しかも前年度チャンピオンや! そこらの学生サークルみたいな言い方すな!」
「いや、そら失礼」
「そう、失礼やわ」
「でも、自分アンダースコートに偏見あるんちゃうか?」
「偏見って何やねん」
「アンダースコートを差別してるってことや」
「別に差別なんかしてへんよ」
「ホンマかぁ?」
「ああ、テニスウェアの一つやないか。ただ、お前の言い方がやらしいねん。なんや……『目の前ヒラヒラさせとる』みたいな言い方が」
「じゃあ聞くが。アンダースコートは下着か?」
「……いきなり、なんやねん」
「ほら見てみい。つまりその、考え方が差別や言うてんねん」
「じゃあ、お答えします。アンダースコートは下着ではありません」
「なんで?」
「なんで?って、あれは女性の下着を隠すためにその上から履くもんやからです。淑女のたしなみです」
「ほんなら別に、ええやないか別にヒラヒラさせとるの見たって下着ちゃうんやろ?」
「ちゃうけどもな、あれはアンダーって付くくらいやからスコートの下に履くもんやろ」
「そやなぁ」
「スコートの下に隠してる物を、動きの中でチラッと見えたかって、それを、ことさらジロジロ見たり、そこだけクローズアップするってのは紳士としてアカンやろ」
「関西弁でアカンヤろ言われてもなぁ……」
「じゃあ、いけず」
「何か、そう言われるとそそるわ。昔、国語のテストで擬音語を四っつ書けってのの一つにそれ書いた気ぃするわ」
「京都の祇園ね」
「もう一つは『一見さん、お断り』」
「あとの二つは?」
「……つうか、話戻すけど。それやったら最初からスコート脱いどけばええやん。アンダースコートで試合すればいいやん」
「それやったらオムツみたいやろ。なんやパンパース付けた若い女二人がテニスボールの打ち合いしてても美しくないからなあ……」
「ほらな。それが偏見やゆうてんねん…… なんやねん美しくない。って。外見で人を判断してるって言うのはそういうこっちゃ」
「……すまん。でも、そうやろ? アンダースコートっつうのは隠れてるものがチラッと見えるから、なんか、そそるねん。開けっぴろげに見せられてもハイそうですか。って感じやろ」
「おお~、ぶっちゃけたなー。そやねん。だから、アンダースコートっつうのは下着じゃないねん」
「ほお~」
「かといって上着でも無いねん」
「そりゃま、そやろな」
「それじゃあ、何か? と問われたらやな……」
「何?」
「あれは、思春期的衣服やねん」
「思春期的衣服?」
「そう。あのアンスコのヒラヒラって、何やと思う?」
「ヒラヒラ? あれは飾りやろ」
「飾りって自分、ア・バオアクーの技術者か?」
「なんやねんそれ。じゃあアレか? 隠すための布やろ。はじめから厚いと動きにくいからヒラヒラさせとんねん。な、そやろ?」
「正解! つまりは、そういうことや。あれはカエルでいう、おたまじゃくしに生えてきた足や」
「何やねんな、ソレ」
「つまり、水の中で生活していたおたまじゃくしが成長して地上でも活動できるように足が生えてくる。それが、あのヒラヒラやねん」
「……なんや、ようわからんけれども」
「わからんか? やつはまだ地上では生きられへんねん。かといって足が生えた以上もう、おたまじゃくしでは無くなりつつあんねん。そういう思春期的な思想の衣服やねん」
「……なんか、わかる気もするけど」
「オレは声を大にして言いたい。あいつらは自分をもてあましとんねん。体は大人、でも気持ちはまだ子供。足が生えてきて図に乗ってるけど、まだまだ一人立ちは出来ひんねん。しかも、いずれ自分の尻尾がなくなっていくことに気付きもせず、時には体の色、時には生えてきた足を見せびらかして自分を使い分けて周りに認めさせる。あのアンスコのヒラヒラにはそういう、おたまじゃくしの足的な甘えと、懐かしい憧憬が詰め込まれとんねん」
「なるほどなぁ、でも……」
と、さらに突っ込んだ質問をしようとしたとき、急に僕の体が得体の知れない力で頭上に引き上げられた。隣を見るとヤツも、がたいの大きな警備員に首根っこをつかまれて担ぎ上げられジタバタしている。
*
……センターコートの実況席。BBCのアナウンサーがマイクに向かって喋っている。
「試合開始から1時間足らずですが、栄えあるウィンブルドンの開幕試合でセンターコートから、今大会で最初に去っていく者が決まりました。……それは、前回チャンピオンでも挑戦者でもなく…… ボールボーイの二人です」
解説者が口を挟む。
「ま、この一方的な試合展開よりは面白かったですけどね」
「おおっと、ここで観客席から、スタンディングオベーションでコートを去りゆく二人に拍手が送られます」
*
そして、審判がマイクに向かって、観衆に囁いた。
「プリーズ! ビー クゥワイアット!」