【短編小説】摩訶不思議舞踏会
今日は決戦の土曜日である。
女は、ひとつのハンガーを手に取ろうとして、それを止めた。それから、その隣のスパンコールをあしらった薄い桃色のドレスを手に取った。体のラインがはっきりと分かる、しかし膝下からはふわりと軽やかなフレアになっているドレス。これを着れば、可愛らしさと大人っぽさの両方を手に入れることができる。先ほどから何種類ものピアスをつけたり外したり、またつけたり。それから年入りにメイクを確認する。下ろした髪を、これまた念入りにとかす。一本の乱れも許さない。
女がこれほどまでに外見に気合いを入れているのには、ある理由があった。
"ドヨウビ ゲッカノヨル ブトウカイニテ オマチシテオリマス"
ある日、女のもとにパーティーの招待状が届いた。ところが女はダンスも、上質なクラシックにも、知らない人達と写真を撮ることにも興味がなく、フォークの置き方を気にしながらソーセージを食べなければならないなんて煩わしいと思っていた。このような性格から普段であればこの手の招待状はすぐにゴミ箱へ投げてしまうのだが、今回は違った。捨てるなんてとんでもないとすら思った。この舞踏会では、自分にぴったりの運命の相手を見つけることができるというのだから。
土曜日の夜。パーフェクトな姿で舞い降りた女は、門をくぐり、中央の噴水を通り過ぎると、幅のある白い階段を登っていった。
すぐに会場内の煌びやかな男女の大群が目に入った。建物の装飾もそれに負けないほど煌びやかであった。壁を彩る見覚えのある絵画、一際目立つ巨大なシャンデリア。ピアノの音色が聞こえてきたかと思えば、茹で上がったばかりのソーセージのいい匂いが鼻先を掠めた。しかし女は料理に手をつけることも、絵画を眺めることもせず、あくまで平然を装った。まるで、このようなものには毎日触れていて、すでに見飽きているかのように。目線を少し下に向け、ほんのりと笑みを浮かべるだけだった。動きは気怠げにゆっくりと。それがいい女の条件だと考えたからだ。
湖に向かって軽く釣竿を投げ、じっくりとニジマスが食いつく時を待つように、女は壁にもたれその時を待っていた。
しばらくすると、餌につられたひとりの男が声をかけた。
『いやぁ実にお美しいドレスですね。あなたの白い肌によく似合う。今はおひとりですか』
詳しく聞かなくても、彼がたいへん裕福であることはすぐに分かった。しっかりとした生地のスーツに磨かれた靴。口元の髭は綺麗に整えられ、爪はちょうどいい長さに揃っている。
細部にまで気を使うこだわりと余裕は、結果的に収入と比例していると女は考えた。
「えぇ、ひとりです。なにか楽しいことはないかなと見物をしておりました」
『そうですか、そうですか。可能でしたら、私もご一緒してよろしいでしょうか』
「えぇ、もちろん」
『それではおとなり失礼します。あ、そうだ』
男は通り過ぎようとしたウェイトレスに向かい軽く手を上げた。
『ここに並んでいるシャンパンは全て、私の工場で生産されたものなのですよ。今日の為に、滅多に手に入らない高級シャンパンを手配しました。ぜひひとくち』
グラスの中で黄金色にゆらめくシャンパンを、男は嬉しそうに差し出した。
それから男が話すことといえば、シャンパン造りのこだわりか、自社の武勇伝ばかり。女は、顔面に笑顔を貼り付けて頷きながら、その心は空っぽだった。
「私そろそろ失礼しますね、ありがとうございました」
女はピアノの近くへと場所を移した。
数分の間、音に合わせて踊る男女を眺めていると、またひとりの男が声をかけてきた。
『素敵な夜ですね。おひとりですか』
「えぇ」
『ピアノがお好きなのですか』
「まぁ、それなりに。あまり詳しくはないのですが」
『そうですか。もしよろしければ、今度知人のピアノコンサートがあるので、ぜひ一緒に行きませんか。普段はウィーンで活動している方なのですが、日本に帰国するそうで』
「そうですか。それはぜひ行ってみたいですね」
気をよくした男は、それからも知人だという有名人のことを話し続けた。女の心はそれを聞くたびまた空っぽになっていった。そうしてまた顔面に笑顔を貼り付け、男が彼女に確信を持った瞬間、どこかへ消えてしまうのだった。
声をかけてくる男はみな、自分のことにしか興味がないようだった。しかしここにいる女性たちは、彼らが自分の話しかしないことにも気づいていないようである。気になるのは、彼らが身につけているものだけなのだ。それは目に見えるものだけではない。職業、家柄、所属している団体、有名人とのコネクションも、ここでは立派なブランド品となる。ここで行われているのは運命の相手探しではなく、ブランドの争奪戦なのだ。
早々に退屈になってしまった女は、会場を出て中央の噴水の石段に腰掛けた。
黒い夜空の星を見つめていると、心にぽかりと穴が空いた。
本音を言えば、今着ている薄桃色のドレスは彼女の好みではなかった。これは、誰かに気に入られるために選んだドレスだ。このドレスを着て出かければ誰しもが美しいと言ってくれたが、女は全く嬉しくなった。本当は、昼間、女が真っ先に手に取ったのは真っ黒のワンピース。少しのラメが散らばった、この星空のようなワンピース。黒色がいちばん落ち着くし、自分に似合うと思っていた。
しかし、やはり着てこなくて正解だったとも女は思った。華やかなあの場所に、黒いワンピースは似つかわしくないだろうから。
帰ろうと、女は立ち上がった。受け取った名刺には、気が向いたら連絡しようと考えた。真っ直ぐ門の方へ進むと、門にもたれかかるひとりの男性の姿があった。軽く会釈をして通り過ぎようとした時、男は声をかけてきた。艶々とした肌の、若い男だった。
『素敵な、優しい男性は見つかりましたか』
女は思わず、下を向いていた顔を上げた。
「あ、いえ。こういった場所には向いていないようで。私は帰ります」
『あの会場の中には、あなたの運命の相手はいませんでしたか』
「えぇそのようです。‥‥あなたはここで何をなさっているのですか」
『私はあの会場の中にいるシャンパン工場の社長の運転手ですよ。いつでも帰れるようにここで待機しているよう命じられているのです』
「あぁ、そうなのですね。社長さん、素敵な人が見つかるといいですね」
『そうですね。しかしどうでしょう。あのお方は穏やかそうに見えて実に頑固で、強いこだわりをお持ちなのです。招待状に書かれていた運命の相手を見つけても、あのお方が納得されるかは分かりませんね』
「招待状に運命の相手が?」
『えぇ。全員の招待状に、運命の相手の特徴が書かれているのです。どのようにしてこんなことが分かるのか、不思議ですよね。例えば私に届いたのはこんな感じ。おっとりとした、なんでも受け入れてくれる女性』
「あなたにも届いているのですね」
『この舞踏会は、来場者全員に招待状が届くのです。必ず運命の相手がやってくるそうですよ。もちろん、これを知って運命のお相手に声をかけるかはその方次第ですが。それにこの特徴の女性を探すのは極めて難しい。相手のことをよく知る必要がありますからね』
運転手の男は、ふと手紙の宛名を確認すると突然慌てた様子をみせた。
『いけない!これは社長宛ての招待状です!すぐに取り替えて来ます』
白い肌はすぐに青みを帯び、男は会場へと走って向かってしまった。
それから少しの時間が経ち、戻って来た男の手には1通の招待状が握られていた。
『無事に交換できました』
「よかったですね。つまり、そこに書かれているのが、あなたの本当の運命の相手ということですね。なんと書かれているのですか」
『えっと、黒色のワンピースが好みの女性と書かれています。これはまた難問ですね。会場の女性全員に、黒いワンピースを持っているか確認して回らなければならない』