雀蜂
しいなここみ様「純文学企画」参加作品です。
私の「純文学とは何か?」の解釈は後述します。
とりあえず本作は「現代文の試験の問題にありそうな話」としてお楽しみいただければ幸いです:-p
子供を連れて公園に行った。
この公園は家から少し遠い。気まぐれで先週初めて利用したら、息子がいたく気に入ってしまい、どうしてもまた行きたいとせがまれた。
「日曜日なのに、人少ないね」
息子が言った。
「まだ早いからな。すぐにいっぱい来るよ」
私は答えた。
午前中、それも朝食後すぐに来たのは私の都合だ。その公園は、家から徒歩30分はかかる位置にあり、日中は歩くだけで汗だくになる。せめて行きの道中ぐらいは涼しく歩きたい。
大人にとっては億劫な30分も、彼にしたら公園遊びの一部のようだ。始終上機嫌で、スキップやらギャロップやら、飛び跳ねながら歩いていた。そして着いて早々、疲れた素振りは微塵もなく駆け出した。
彼の目的は『坂登り』だ。
その公園には5人ほど上に乗れる大きな台があり、一面が坂になっている。
台の高さは私の身長より少し高い。だから2mぐらいあるだろう。坂の道幅は私の両手幅よりだいぶ広いので3mぐらい。傾斜角は45度ぐらいと思われる。表面は滑り台のようになめらかだ。
歩いて登りきるには絶妙に困難な坂なので、子供たちは必死に駆け登る。
今時の公園の遊具に比べたら、なんとも簡素で無骨なものだが、どういうわけか子供達は夢中になっていた。
そんな息子を遠巻きに見守りつつ、私は少し離れた場所にそびえる巨木を確認した。
(やっぱり居るな)
それは樹液を吸う雀蜂だった。
先週もそれはいた。周りの親も知ってはいたので、ここでは上手く共存しているのだろう。
樹液を吸っている雀蜂は単独行動中で、比較的攻撃性は低いとのこと。
しかし、巣が近くにある場合はその限りではないとも言う。随分調べたが、結局何が正しいか分からない。
私に出来ることは、距離を取りつつ、見張りつつ、子供が変に刺激しないよう注意することぐらいだ。
しかし、子供に伝えるべきかどうかは迷う。蜂の存在を知ることで変に委縮して、楽しみにしていた公園遊びを満喫できないのも気の毒だ。それ以上に、興味を持った子供たちが、遊び半分で蜂を刺激するのが怖い。
私自身、小学生の頃は蜂の巣に石を投げて、度胸試しなんて遊びをしていたことがある。今どきの子供は当時の私より賢いとは思いつつ、一抹の不安は拭えない。
「パパ!オレ、レベル2出来たよ!」
私の懸念は露知らず、息子が駆けよって来た。『レベル2』とは、手を後ろに組んで坂を登ることらしい。腕振りが使えないので少し難度が上がる。おそらくこの公園コミュニティの独自ルールだ。
「パパはレベル何までできる?」
「そのルール、パパは知らないよ」
「子供の頃やらなかったったの?」
「うん。もっと遠いところに住んでたからね」
最近こういう会話が増えた。息子は自分の知っていることは、全て私も知っていると思っている。
三歳ぐらいまでは、それで問題なかったが、流石に小学生男子の独自世界は把握しきれない。
「じゃあオレ、次レベル3やるから見てて!」
息子はそう言って走り去った。
レベル3はギャロップなようだ。これはなかなか苦戦しており、何度も坂の中腹から滑り降りている。
そんな様子を片目に見つつ、私は、ちらりと蜂を見た。
遠目にはピクリとも動かない。プラスチックのような光沢があり、ハッキリと黄色と黒のそれは、一見すると玩具のようにも見える。しかし、少し近づいて見ると触覚が僅かに揺れており、慌ててまた距離を取った。
(やっぱりオオスズメバチだよな)
それは、とにかく大きかった。大きく、そして太い。大工をしている義父の親指ぐらい存在感がある太さだ。
(この時期にいて、こんなに大きいなら女王蜂か?なら巣が近くにある?いや、女王蜂が自ら飛び回っているなら、あったとしてもまだ働き蜂はいないかな?)
先週1週間で随分蜂には詳しくなった。
しかし、どんなに調べても怖さは変わらないものだ。だから自然に『だから大丈夫』という情報ばかりピックアップしてしまう。自分を納得させたいのだ。
歓声が上がった。
息子が誰かと手を繋いで坂を上り切っていた。気が付けば随分子供たちが増えている。
彼は登りきった台上で何人かとハイタッチしていた。そして私を確認すると、坂を滑り降り、嬉々として駆けよって来た。
「見てた?!レベル5出来たよ!」
二人で手を繋ぐのはレベル5らしい。レベル3のギャロップの方が難しいように思えるが、そこは子供なりの何かがあるのだろう。
「凄いな。一緒に登ったのは学校の友達?」
私は聞いた。随分親しげなのだが、私はその子を知らない。数か月前に小学校に上がったばかりなので、まだ息子の友達全員は把握していないのだ。
「ううん。今日ここで会った」
「そうか」
私は言った。
「いい公園だな」
「うん!」
息子はまた坂に向かって行った。
彼は、どんどん私の知らない、自分の世界を構築している。
私は、蜂のことは息子に伝えず見守った。
了
純文学とは基本的には「大衆受けを度外視し、作者が芸術と思うものを書いた文学作品」だと思っています。
だから、異世界転生も作者が「これは純文学だ」と言えば純文学だと。
ただ、それだけでは面白くないので、本作は「純文学っぽい」というイメージを意識して書きました。
列挙するとこんな感じ↓です。(多分に偏見です。。)
・日常や心理を切り取ることに主眼を置いている
・切り取る視点、描写力、文章表現(文体、リズム)等に技巧や芸術性を見出す
・俗語はあまり使わない
・ストーリーそのものでは勝負しない。その為、作為的な伏線やトリックは使用しない
・何やら主題(作者の主張、テーマ)があるっぽい。ストーリーは主題の付属物ぐらいの位置づけ
本作は国語の試験だったら、以下のような問題が作れるかな?なんて考えながら書きました。
・作者はなぜ蜂の存在を息子に伝えなかったのでしょう?
・作中の「雀蜂」は何を暗喩しているでしょう?
本当に純文学好きな方、すみません。。。