第三話 金曜日
私たち家臣一同は、お姫様のために頑張った。
いっぱいいっぱい頑張ったのである。
「チエちゃん。伊吹。正座」
はい。
あの後はストーカーを警察に突き出して、現場検証が行われたり、奴の鞄の中から色々とエゲつない品々が発見されたり大変だったのだが。そういうゴタゴタの中に帰宅した桜子は、それはもう凄い形相で私と伊吹を睨み……あぁ、その顔を見ただけで理解してしまった。これはダメなやつ。本当に怒らせちゃいけないラインを越えてしまったパターンだと。
そうして色々なことを片付けた後で、私と伊吹は彼女の部屋で正座させられることになったのである。トホホ。
「まずね。二人ともありがとう。本当に危ないところを助けてもらって、すごく感謝しているの。結婚までまだ期間はあるけど、早めに引っ越して彼との新生活を始めたいと思う。今度ばかりは私が悠長だったし、本当に危ないところだった……迷惑をかけてごめんなさい」
そう言って頭を下げる桜子。
私と伊吹は揃ってうんうんと頷く。
桜子だって色々と危機感を持ってストーカー対策なんかはしているのだけれど、どうしても彼女のホワホワな部分が行動を楽観的にさせるのだ。今までは何だかんだ、誰かしらが手助けしてくれて事なきを得ていたのたが……今回はガチで危険だった。奴の持ち物はそれくらい、関係者一同がドン引きするようなものが含まれていたのである。
それはそれとして……桜子は顔を上げ、目を吊り上げる。
「その上で言わせてもらうけど」
はい。
「私は二人に言ったよね。チエちゃんが危ない目に遭うのは絶対ダメって。伊吹が傷ついたら本末転倒だって。なのに、どうして勝手にストーカー探しなんてするの。いや、分かってるよ、私のためだって。それならそれで、他のやり方はなかったの? もし二人が怪我でもしてたら、私は耐えられなかったよ」
ごもっとも。
本来なら桜子を説得して引っ越しさせるなり、興信所にお願いするなり、もう少し他のやり方はあったと思う。結果的には何とかなったけど、さすがに今回は桜子のことを楽観的だなんて責められない。危機感が足りていなかったのは私も同じだ。
あ、ちなみに先日怪我をしたのは絶対に秘密である。そんなことを桜子に知られた日には、ただの正座では済まされない。鉄板の上で焼き土下座だ。
「それで、二人はいつから知り合いだったの?」
そう問われ、私は顔を上げる。
「ストーカーの調査をしてたら知り合っただけ」
「ふーん。それにしては仲良さげじゃない?」
「いやまぁ……この前の金曜日、揚げ物デーに招待するくらいには仲良くなったけれども。一応」
「ふぅーん。へぇぇ……何を揚げたの?」
桜子からの圧が妙に強いな。
私はなぜか、少しどぎまぎしながら答える。
「サバを……いや、伊吹が『サバは味噌煮がベストだ』なんて舐めた口を利くから、渾身の竜田揚げを食らわせてやろうと思ってね。それで揚げてやったんだが」
「サバだけ?」
「ついでにカレイと、エビと、イカゲソも」
「あとは?」
うーん、たしかあの時のメニューはそれだけだった気がするけれど……そう思い、チラリと伊吹に視線を向けると、何やら記憶をたどっていたらしい彼はポンと手を叩いて告げた。
「揚げおにぎりも食べたよ」
「あー、それも揚げたなぁ」
「ふぅーん、ふぅーん、へぇぇぇ」
桜子はそう言うと、口元をニマニマさせる。
なんだなんだ、何が言いたいんだ。
「伊吹、良かったね。揚げ物の品数はチエちゃんの好感度メーターなんだよ。初めから五種類はかなり多め」
「ひゃっ?」
変な声が出ちゃった。
やめろやめろ、そんな方法で私の心を暴くな。
いや、まぁ言われてみれば……これまで全く無自覚だったけれど、人を揚げ物に誘う時は確かにそんな傾向があるような気がする。揚げる量は胃袋の大きさに合わせて決めるのだが、品数は「色々食べて欲しいなぁ」とか考えてあれこれ買い込むからさ。桜子が来る時はついつい十種類以上は用意しちゃうし。
それに実際、伊吹のことはそこそこ気に入っている。
「チエちゃんも良かったね。伊吹は基本的に気を許した人の料理しか口にしないんだよ。昔いろいろあって」
「まっ!」
伊吹は何やら慌てたように挙動不審になってる。
まぁ、彼くらい顔が良ければ過去には色々と……本当に色々なものを盛られてきたんだろう。私も大学時代には、桜子へのプレゼントを検品していたから分かる。信頼できない相手から飲食物を受け取るのはガチで危険だ。これについてはホワホワしている桜子でも徹底してシャットアウトするくらい、世の中にはヤバい奴が大勢いるのである。男女問わずね。
「あんまり野暮なことは言いたくないけど……伊吹、分かってるよね。私の大事な大事なチエちゃんを泣かせたら、姉弟の縁を切るから。あとチエちゃんには一つ朗報だけど、伊吹をゲットしたら漏れなく私と義姉妹になれるって特典があるよ」
おや、それはなかなか魅力的な特典じゃないか。
ふむふむ。
それはそれとして、そろそろ正座を止めてもいいですか。まだダメですか。たぶん私も伊吹も、けっこうキツいところまで追い込まれてると思うんですが。はい。分かりました。ちゃんと反省します。もう危ないことはしません。
◆ ◆ ◆
いろいろあったクリスマスから三ヶ月が過ぎた。
三月末。桜子と斎藤氏の結婚式は、当初予定よりも小規模でひっそりとしたものになっていた。たぶん親族以外で参加したのは私くらいだったんじゃないだろうか。
それもこれも、例のストーカー騒ぎを重く受け止めた斎藤氏が動き回った結果である。日程も式場も招待客も全て変更し、トラブルの種を完全シャットアウト。もちろん多額のキャンセル料も発生したが、重要なのは桜子の安全であるというのが斎藤氏の考えである。さすが、分かっている男だ。
ウェディングドレスを着た桜子は本当に綺麗だ。
この姿を一般公開できないのは勿体ないなと思う。しかし同時に、確かにこれは信頼できない有象無象の招待客に見せつけるのは危険だなと納得する。
キラキラ王子様とホワホワお姫様の新郎新婦は、二人揃ってふにゃりと笑い、どこまでも幸せ空気を生み出し続けている。絵面としては「それから二人は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」なんてナレーションでも入りそうだ。今この場面には、欠片ほどの憂いもあってはならない。
教会で誓いのキスをして、結婚証明書にサイン。といっても、一緒に暮らし始めた段階で二人は早々に入籍を済ませていたため、形だけのものではあるが。
パラパラと拍手が送られる中、桜子はちょっと涙ぐみながら、幸福に満ちた笑顔を溢した。
知り合いの結婚式に出席すると、ブーケトスと呼ばれる極悪イベント――未婚の女をかき集めて「このブーケを受け取った人が次に結婚する人でーす」などとシングル女の逆鱗をこれでもかと撫でまわす地獄のような催し――によく遭遇する。しかし今日は、そういった類のことは予定表に入っていなかった。そのはずだが。
「チエちゃん!」
桜子が投げてよこしたブーケをつい受け止める。
え、このやり方はなんか違くない?
正直、私の結婚はまだまだ遠いと思う。実家の両親も数年前までは「良い人はいないのかい?」などと聞いてきたものだが、近年は私に気を使ってか、誕生日おめでとうすら言ってくれなくなった。いいんだぞ、祝ってくれて。
とは言え、最近は斎藤氏への感情もだいぶ色褪せたように思える。というのも……ストーカーに向けて放った言葉がブーメランのように返ってきて、あの王子様の隣に立つのはどう考えても私じゃないんだよなぁと、なんだか妙に納得してしまったのだ。
え。負け惜しみに聞こえる? 馬鹿な。はなから勝てるはずもないのだから、発言くらいは前向きにしとかないとバランスが取れないだろ。
◆ ◆ ◆
誤解を恐れずに言ってしまうが、天ぷらというのは究極の調理法の一つと言ってよいものだと思う。苦手意識を持っている食材でも、天ぷらにするだけでめちゃくちゃ美味しくなったりするので、軽いサクサクの衣が織りなす魔法は凄まじいなといつも思う。
伊吹の奴が「パセリの存在意義が分からない」などと寝ぼけたことを宣っていたので、今日は極上のパセリ天を食らわせてやろうと思っている。今回のメニューには含んていないが、人参の葉、春菊、セロリなんかも天ぷらにすると革命が起きる食材である。そのあたりは、また別の機会に布教しよう。
もちろんパセリだけだと食卓が寂しいので、定番のエビ、伊吹が好んで食べるイカ、タコ、ホタテなどの魚介類、それと芋、根菜、茸なんかも各種用意している。
「チエちゃん、来たよ」
「おう。よく来たな伊吹。腹は空かせて来たか?」
「もちろん!」
そこからはいつもの流れだ。手を洗った伊吹が食卓についたのを確認すると、私はおもむろに揚げ物を始める。
もちろん本職の天ぷら屋ほど極めてはいないけれど、衣を軽く仕上げるための試行錯誤は大学時代からずっと行っている。ポイントは小麦粉と卵水を混ぜすぎないこと。もちろん冷水を用いて、小麦粉に粘り気を出させないことも大切である。
「何か手伝うことはある?」
「ない。集中して味わえ」
「はぁい」
スマホがブーンと振動するが、無視。
今はエビと向き合う時間である。
食材一つずつに衣を付け、油の中に投入すると、静かな音と共に小さな気泡が浮かんでは消え、天ぷらがカラリと揚がっていく。
我が家では揚げたてを食べないのは重犯罪者の所業なので、一番美味しいタイミングのものを伊吹の前に順に差し出してやるのだ。黙って食え。私の家では私が法律である。あ、ちなみに私も揚げながらちょいちょい摘んでいるから、心配しなくて大丈夫だよ。
「うまっ……あ、パセリ美味いわ。僕が間違ってた」
「うむ。分かったならよし。今日はたらふく食え」
冷蔵庫から缶ビールを出してやると、伊吹は嬉しそうな顔でそれを二つのグラスに注ぐ。可愛い男である。
なんとなくだが、実家の母の気持ちが少しだけ分かったような気がする。揚げ物をするのは面倒ではあるけれど、こうして美味しそうに食べてくれる人がいるのなら、週に一度くらいは手間ひまをかけてやっても良いかなと思ってしまうのである。
「あ、そういえば姉ちゃんから電話来てたよ」
「あぁ。揚げ物が終わったら折り返すさ」
「徹底してるなぁ」
もちろんだとも。
なにせ今日は一週間の中で最も特別な日。どんなに落ち込んだって、空回りしたって、今日という楽しみがあればどうにか乗り切れる。私にとっては既に人生の一部と言って良い習慣であり、毎週楽しみにしている日。
――金曜日はフライデー、つまり揚げ物の日なのだから。
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