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第一話 親友の桜子

本作は全ジャンル踏破「文芸_純文学」の作品です。

詳しくはエッセイ「なろう全ジャンルを“傑作”で踏破してみる」をご覧ください。

https://ncode.syosetu.com/n0639in/

――金曜日はフライデー、つまり揚げ物の日である。


 両親がそんな家庭内ルールを生みだしたのには、それはそれは深い理由があるらしい。

 毎日でも揚げ物を食べたいと主張する父親。できるだけ揚げ物をしたくない母親。そんな二人が血で血を洗う仁義なき夫婦喧嘩を繰り広げた挙げ句……揚げるか離婚するか。その瀬戸際で、最終的に結ばれた和平協定こそが「金曜は揚げ物」というルールだというのだ。これ以上くだらない夫婦喧嘩の話を、私は未だかつて聞いたことがない。


 しかし、その家庭内ルールの弊害と言うべきか。幼い頃からそれを当然のものとして育ってきた私は、気がつけば金曜日に揚げ物を食べないと生きていけない体に改造されてしまっていたのである。こりゃ参ったね。


 一人暮らしで揚げ物をするのは、正直に言ってかなり面倒くさい。が……じゃあ外食で済ませようかと考えると、これがまた微妙なのだ。というのも、世間一般に流通する揚げ物は私のストライクゾーンをことごとく外してくるのである。

 このあたり、外食産業の方々にはもう少し考えてほしいものだ。例えばコロッケの中のじゃがいもというのは、潰しきらずにゴロゴロしているのが正解じゃないだろうか。秋刀魚の食べ方は唐揚げが一番美味しいのになぜ塩焼きばかりなんだ。牛肉の竜田揚げに至っては、普通の店では見かけもしないんだが……どうしてなんだ。私には意味がわからないぞ。


 そんなこんなで、一人暮らしの私は毎週金曜日に揚げ物をしている。

 華金だ何だと騒ぐ奴らは全部無視。世の中にいる普通の二十七歳シングル女子は、もうちょっとガツガツ合コンに勤しむらしいけどね。私はそんなの知らんとばかりに、換気扇を回しながら一心不乱にトンカツの準備をしていた。そんな時だった。


 ブーンと振動するスマホ。しかし。


「悪いね。私は揚げ物に忙しいのだ」


 無視。今は豚と向き合う時間だ。


 油の温度が低すぎれば、揚げ物はベタッと水っぽくなってしまう。かといって温度が高すぎれば、肉に火が通る前に表面が焦げ付いてしまう。この適温は揚げ物の種類ごとに異なるのだが、今回は薄切りの豚肉をカリカリに揚げたかったので、油の温度は少し高めにしていた。


 大切なのはタイミング。

 感覚を研ぎ澄ませ。


 衣をつけた豚肉を静かに投入すると、揚げ油が静かな音を立て、否応なしに期待感を煽ってくる。腹の虫が狂ったように鳴くこの数分は、一週間の中で一番わくわくする時間なのだ。

 ちなみに今回の豚肉は、値段としては安い部類に入るだろう。スーパーに普通に売ってるヤツだ。しかし私は、高い食材を買ってくるより、安い食材を美味しく食べられるように試行錯誤する方が性に合っているらしい。


「キャベツ、ご飯、味噌汁、柴漬け……よし」


 そうして指差し確認をしている時だった。

 再びブーンと振動するスマホ。しかし。


「悪いね。我が家では揚げたてを食べ逃すのは犯罪行為にあたるんだ。もう少し待て」


 私の家では私が法律なのである。

 そんな風にして、私は週に一度の揚げ物デーをめいっぱい楽しむべく、お盆に並べたトンカツ定食をいそいそと運んでいったのだった。


  ◆   ◆   ◆


 本物の美人はこれほど顔が小さいのかと心底ビックリしたのは、上京してすぐの頃。大学に入学したばかりで、右も左も分からなかった時期である。


「私は雨宮桜子、よろしくね」


 そう名乗った彼女は、絵本の中のお姫様がこっそり城を抜け出して遊びに来たのかと思うほど、絶世の美人であった。

 神様が縮尺を間違えたとしか思えない小さな顔、パッチリとした目にバッサバッサと生えたまつ毛、その気がない私ですら思わずチューしたくなるような桜色の可愛い唇。いやぁ、こんな女が現実に存在するとは思わなかった。


 新入生へのガイダンスということで広い部屋に雑にかき集められた私たちは、オリエンテーションという名の下に、見ず知らずの他人とフリートークをするという苦行を強いられていたのだが。


「私は山村千恵子。よろしく雨宮さん」

「桜子でいいよ、チエちゃん」


 強い。距離の詰め方がどんなにテキトーでも、美人というだけでだいたい許せてしまう。そんな感じでちょっと油断しているうちに、私は気がつけば桜子と友達になってしまっていた。


 田舎の狭くるしいムラ社会で育った私は、ほんの少し前まで自分の容姿を「真ん中よりちょっと上かなぁ」などと評価していた。鏡に映る自分の顔も、これはこれで味わいがあって良いじゃない、と好意的に見ていたのである。あ、それは今でもちょっと思ってるけど。

 ともかく東京に来たばかりの私は、都会のお洒落ガールどもの意識の高さについて行けず、自分の芋女っぷりに打ちひしがれていたのだ。その一方、桜子は服装も化粧も私とそう変わらない未熟さなのに、素材の力のみで周囲の女どもをナチュラルに公開処刑している。強い。


 そんな桜子は何が楽しいのか、目を爛々と輝かせて私のことをジッと見る。


「ねぇ。チエちゃんって何か趣味とかあるの?」

「うーん……金曜に揚げ物をするくらいかな」

「揚げ物? 唐揚げとか、天ぷらとか? 金曜?」


 小首を傾げる仕草一つで、彼女の周囲の空間が妙にキラキラと輝き始めた。おやおや、妙だな。急にあたりがメルヘンになったぞ。なんだその特殊スキルは。


 私は彼女に負けじと、ない胸を張って宣言する。


「そう。金曜日はフライデー、揚げ物の日だからね」


 こんな風に言うと、返ってくる反応は概ね三種類。


 パターンその一。私の宣言に「何それダジャレ?」「フライデーはそういう意味じゃないから」などと冷たい反応を返してくる人間。そういうのとは、これまで長い付き合いになった試しがない。別に悪人というわけではないのだけれどね。なんだかんだ反りが合わないことが多いのである。


 パターンその二。ここで「ふーん」「へー」と軽く話題を流すような人間は……そもそも私に興味を持っていない。お互いに相手の存在をどうでもいいと考えているので、友達付き合い自体が始まらないのだ。たまたま学校が一緒だった以上の何かなど、生まれる余地がないのである。


 そして桜子は――


「何それ楽しそう! ねぇ、どんなの揚げるの?」


 パターンその三。ノリノリで掘り下げてくる人間である。そういう人たちは基本的にめちゃくちゃ性格が良い。そして私は自分に激甘な人間なので、初対面でも優しくしてくれる人には駄犬のようにすぐ懐く習性があるのである。ワン。


 さてと……うむ、いいだろう。お望みとあらば私の揚げ物トークを聞きたまえ。


「芽キャベツの天ぷらはマジ最高だよ」

「えっ……何それ。想像するだけで美味しそう」

「ふふふ、実物は想像を超えてくるよ」


 食べたい食べたいと騒ぐ桜子を、やれやれと言って落ち着かせる。じゃあ次の金曜はうちに集合な?


 そんな風にして始まった私たちの友達関係は、第一印象で感じていた通りズルズルと長続きしていた。

 あれから彼女には何度も激ウマな揚げ物を食べさせてやったし、お互いに不慣れな化粧を一緒に試行錯誤もした。恋愛相談をしたり、されたり。美人なりの悩みごとに訳知り顔でアドバイスしてやったこともあるし、恋に敗れた私の涙が枯れ果てるまで夜通し付き合わせたこともある。で、大学を卒業しても、ちょいちょい連絡を取り合うような関係が続いているのであった。


 桜子は美人なのに性格が良い。

 いや、彼女の場合は美人だから性格が良いのか。


 幼い頃から周囲にめちゃくちゃ優しい人間しか存在していなかった桜子は、人の奥底には善性があるという固定観念をどうしても捨てられないらしい。むしろ悪人側が彼女の後光だけで勝手に改心しそうなくらいである。強い。

 出会った時の彼女も一応、自分なりにしっかりしなきゃと気合を入れていたらしいのだが……いや、本当だろうか。はじめっからだいぶホワホワな空気を纏っていた気がするけれど。


 そういうのを諸々引っくるめて、私が言いたいことはただ一つ。


――桜子はガチで顔が小さいのである。


『……実は彼にプロポーズされて』


 電話越しにそんな桜子の言葉を聞いて、私はただ「そうかぁ」と呟いていた。そうかぁ。

 恋人の斎藤氏とはもう三年の付き合いになるし、年齢を四捨五入すると十の位が「三」になる類の女が辿るルートとしては、まぁまぁ妥当なところだろう。親友の私から見ても、斎藤氏は大当たりであるとしか言いようがない。


 そう、斎藤氏は大当たりなのである。


 四年ほど前に少しの間だけ付き合っていた男は、私の「金曜日は揚げ物」宣言を「ダジャレかよ」と鼻で笑ってきやがった。そのため、ヤツにはキュウリの浅漬けを押し付けながら「お前に食わせる唐揚げはねぇ」と退場処分にしてやったのである。それに関しては我ながら英断だったと思う。


 一方の斎藤氏は、そういう有象無象とは違う。

 スラリと背の高い色男なのはもちろん彼の魅力だが、そういった外面的な部分だけではない。初対面の私が揚げ物宣言をした時に「何それ楽しそう! ねぇ、どんなの揚げるの?」なんて桜子と一言一句同じ反応をしてくるような可愛い男なのだ。

 あ、このキラキラ王子様は、まるっきり桜子の男バージョンじゃないか。事態を理解した私が「ワン!」と鳴くのに、そう時間はかからなかった。


「良かったね。斎藤氏なら間違いないでしょ」

『うん。私も嬉しいんだけど……でもなんだか、結婚なんて現実感がなくて。心がホワホワしてるの』

「ほほう? じゃあそのホワホワについて詳しく聞かせてもらおうか。いつものホワホワとは違うんだろ? んん?」


 斎藤氏は、美人の桜子にお似合いの素敵な男性。

 二人が並ぶだけで、世界はメルヘンに包まれる。


 ただ一つだけ難点を挙げるとすれば、斎藤氏はいささか色男が過ぎるのである。桜子に「彼氏です」と紹介されて、もう三年が経つが……私はいい感じの男ができそうになるたびに「斎藤氏と比べると微妙だなぁ」なんて失礼な思考をするようになってしまった。頭の片隅に、いつも斎藤氏が居座っているのだ。

 そんなわけで、結果的に合コンからも足が遠のき、恋愛の仕方も忘れ、私は金曜の夜に揚げ物をするだけの干からびた女になってしまったのである。困ったなぁ。


 分かっている。捨ててしまうべきなのだ。こんな不毛で無謀な感情は、誰の得にもならない。親友としてあるまじきどころか、人間としての道理にも全力で反している上に、絶対に報われないと分かりきっている……そんな、一方通行の横恋慕なんて。


  ◆   ◆   ◆


 これまで桜子の頼みごとはなんだかんだホイホイ聞いてきた私ではあるが、斎藤氏と結婚するのかぁと思うと少しだけ足が重くなる。もちろん、それを表に出さないくらいの分別はあるから、女子会をしようと言われれば高速で飛んでいくけれど。びゅーんって。


 十二月のある寒い日。

 カフェで会った桜子は努めて明るく振る舞っていたけれど、その表情にいつものホワホワはない。これは何か良くないことがあったな。


 彼女の飲んでいるなんたらかんたらフラペチーノだかペペロンチーノだかよく分からないヤツは、やたら巨大なサイズだった。しかしよくよく見てみると、飲み物のサイズは普通であり、桜子の顔が小さいだけなのである。なんだかトリックアートみたいで、相変わらず不思議だなぁと思う。

 というか、この寒いのによく冷たいの飲むね。いつもブラックしか頼まない私とは、注文の仕方からして女子力の桁が違うのである。強い。


 とか考えつつ、桜子が話し始めるのを待ってると。


「……実は最近、ストーカーがいるみたいでさぁ」


 彼女はポツリとそう漏らした。

 何気ない風を装っているけれど、実はけっこう気にしてるだろ。バレバレだぞ。


 桜子ほどの美人になると、特に好きでもなんでもない男が勝手に勘違いして「分かってる、君も僕を好きなんだよね」と薔薇の花束を持っていることが普通にある。小顔美人はマスクをしても小顔が隠せない(あと普通サイズのマスクが巨大に見える)ので、街を歩くだけで後をつけられるケースだってあるのだ。ちなみに私は一度もない。


「ストーカーは特定できてるの?」

「ううん。付け回されたり、郵便物やゴミ袋を漁られたりしてるんだけど……誰の仕業かは分からなくて」

「それは怖いな。警察には?」

「相談はしたけど」


 まぁ、警察は事件性が証明できないとなかなか動けなかったりするもんなぁ。もちろん、全く何もやってくれないわけじゃないけど……これはもう警察官個人の良心の話ではなく、組織のルールとかそういう話なのだ。


「斎藤氏は?」

「一緒に住もうかって」

「その方がいいんじゃない?」

「でも変な事情に巻き込むのもなぁ」

「そんな悠長な状況じゃないと思うけど」


 どうせ近々結婚するのである。斎藤氏と一緒に住み始めるのが少々早まったところで、それでストーカー被害から逃れられて安心を得られるのなら、別に構わないだろうと思うが。


「うーん……もうちょっと考えてみる」

「私が犯人を見つけてやろうか」

「それはダメだよ! チエちゃんが危ない目に遭うのは絶対ダメ。私、そんなつもりで相談したんじゃないの。ちょっと愚痴を聞いて欲しかっただけで」


 分かった分かった、と答えながら私は決意する。


 結婚を目前に控えたこの時期に、このホワホワお姫様の顔を曇らせるなんて言語道断。不埒な男どもを陰で蹴散らすのも親友としての役目だろう。大学時代にもやってたし。

 もちろん私だって女である。あまり危険な橋は渡りたくないのだが……しかし桜子に執着する男というのは基本的に面食いであり、この小顔美人を全力で好んでいるのであって、私みたいな揚げ物娘の貞操が脅かされる心配はあまりしなくて良いのだ。ちょっと世知辛いがこれが現実である。


 こんな風にして私は、親友を悩ませるストーキング野郎の尻を、鉄バットでめった打ちにしてやるための計画を練り始めた。

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