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神様の教え

「最初確信を持てたのは、そなたが話した母親の様子だった」


 騒ぎがあった次の日。

 廟の中にある誰にも見えない住まいの中で、三秋はゆったりと茶を啜りながら言う。

「父親から我が子が責められているのに、子供を庇おうとしなかった」


「いえ。庇ってましたよ」


「もし本当に庇っているのなら、こう言うはずだ。“この子はそんなことなどしません”と。だが彼女はそうは言わなかった。違うか?」


「あ……」


 碧玉は声が出なかった。確かにその通りだ。

 この子を責めないで、とは言っていたが、無実ですとは言わなかった。


「母親は花瓶を割ったのが自分の子だと分かっていた」


「……じゃあ、どうして……」


「そうだ。普通であれば、子供と一緒に頭を下げて父親に詫びる。だがそれもしなかった。花瓶が割れたこと自体を知られたくなかったからだ、それ以外にない」


「どうしてそんなことを思ったんですか」


 当たり前のように言われて、慌てて疑問を口にする。そうしないと話についていけない。

 もう目の前にあるはずの真実も、自分にはまだ霧の中だ。見つけ出すためには、神様の手を借りなければならない。


「あの子の父親は、確かに口は悪いし声は大きいし、ちょっと怖いですけど悪い人じゃないですよ。勇気を出して謝ったら、最後は許してくれると思うんです。母親もそれが分からないとは思えないんですけど……」


「あの子供がここへ持ち込んだ花瓶には、元々怪しい点があった」


 おずおずと問いかけてみれば、三秋は嫌な顔はしなかった。

 一口茶を飲んでから、彼は穏やかな声で話し始める。


「破片の一つには、血が付いていた」


「え」


「だが子供の手に怪我はなかった。母親もまた同じだろう。だとしたら誰が怪我をしたのか、私はまずそこが気になった」


 花瓶が割れたとき、子供と母親以外の誰かがいたはずだ。その人間こそが怪我をした張本人だ。


「とすると怪我をしたその者が花瓶を割ったのか。――いや違う。だとしたら正直に子供も母親もそう言えばいいだけだ。だがそれも彼らは言わなかった。つまり、その人物のことを父親に知られたくはなかったのだ」


 それは何故か。碧玉は小さく喉を鳴らした。


「こういう稼業をやっていると、色々な話が飛び込んでくる。たとえば数年前結婚したとある店の後妻には、昔付きまとう男がいたのだというようなことがだ」


「……わたし、知らなかったですそんなこと……だってあの一家は」


「夫婦は相睦まじく、子供たちも仲がいい。それがあの店の評判だ、そなたは間違ってはいない。このことを知っているのは、別の廟にいる神だけだ」


「別の廟?」


「あの不届き者は、よく願掛けにやってきていたそうだ」


 何を願っていたのか三秋は語らなかったし、碧玉も聞こうとは思わなかった。ただ顔を顰めるだけだ。

 神様も色々大変だ。初めてそんなことを思ってしまう。


「あの店は繁盛している分、父親はどうしても留守がちになる。いつかその隙を突こうと男は前から狙っていたらしい。そしてとうとうある日念願が叶い、忍び込んだ男は母親に関係を迫った」


 その願いを阻止したのは神ではなく、彼女の子供だった。

 小さな手で花瓶を割り、破片を握って男に立ち向かった。


「おそらくだが、そなたが確認した医院の書きつけをもっと調べれば、子供の怪我の記録が残っていたかもしれぬな」


 歳六。男童。手に傷。――碧玉はそんな文字を想像する。理由はきっと些細なものだ。

 たまたま手にした食器を割ってしまった。それこそどこかに飾っていた花瓶を割ってしまった。

 少し叱られたり反省したりしつつも、怪我は大したことはなく、子供はその後も元気に育っていく――。


「焼き物も割れば立派な武器になると、以前学んだことがあるのだろう。かくして、予想外の伏兵によって男は腕に傷を負い、ほうほうの態で部屋から逃げ出した。あとに残されたのは壊れた花瓶だ」


 子供は急いで花瓶を片付けた。この騒ぎで何があったかを父親に気づかれるのを恐れたのだ。


 とにかく花瓶をなんとかしなければならない。子供は外に飛び出して懸命に駆けた。


 このままにしておけない。誰にも見つからないようにしなければならない。

 どこか、人気のないところはないだろうか——。


「そして、この寂れた廟の存在に気づいた」


 そう言って、三秋はにんまりと笑った。

 その後のことについては、碧玉もよく知っている。三秋は笑っているが、彼がこの廟へ駈け込んだのはきっと、単に寂れているからだけではないだろう。


 あの時の子供には、神の力が必要だった。花瓶を直して下さい、という痛々しい声は今でも耳に蘇る。

 割れた花瓶さえなければ、何が起きたかは隠し通せる。そうと分かっているからこその願いだったのだ、あれは。


 あの声は、追いつめられた子供の感情の発露だった。あの小さな手では余ってしまう難題を前に、たまらず上げた悲鳴だったのかもしれない。


 どれだけ怖かっただろう。どれだけ心細かっただろう。

 それでも、彼はその後決して口を割らなかった。


 あの小さな身体で、家族全員の絆を守り通そうとしたのだ。そう思うと胸の中には温もりが灯る。


 そんな子供の頑張りが無にならなくてよかった。

 ささやかなものではあっても、助けになれてよかった。


「男は役所に引き渡されたそうだな。夫人を脅した罪で、当面牢屋に入れられるだろう」


「当然ですよ。もうこのまま一生出てこなくていいです」


 たとえ出られたとしても、もう二度と母親に近づくことはないだろう。

 役所に引き渡される前、怒り心頭の店の主によって彼は相当搾り上げられていた。犬たちと一緒に、碧玉はその一部始終を見ている。あそこまでやられて懲りないなどということはあるまい、と心から思う。

 そしてあの様子なら、父親は今後もあの母子を大事にしてくれるだろう。

 そう信じられることが、碧玉には嬉しかった。


 残念ながら今回の件が、この廟の賑わいに役立つことはないかもしれない。けどそれでもいい。――そんな気分になれることが心地よい。


 向かい側にいる三秋にならって、碧玉はお茶を啜った。


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