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このままじゃいけない 2

「楊様。私考えたんですけど……。あの花瓶を元に戻すのは駄目なのは分かっていますが、修復するのも駄目なんてことはないですよね?」


「修復?」


 気を取り直して話してみると、三秋は軽く首を傾げた。どうやら想定外の内容だったようだ。


「何故そう思った? そんなことをしてどうなるとでも?」


「綺麗に修復してみせたら、子供の父親の怒りも解けるんじゃないかと思うんです」

 碧玉は姿勢を正した。背筋を伸ばし、目を真っ直ぐ相手に向ける。自分が子供の頃、物事について教えるとき親はいつもこうしていた。


 三秋が興味を持ってくれたのは幸いだ。このまま一気に説得しよう。


「今この花瓶は行方不明中ですけど、修理していたっていう理由にすれば話の筋は通りますようね。そのために家から持ち出していたんです、っていう言い訳は無理じゃないと思うんです。辻褄は合ってると思うんです」


 花瓶を割りました、それはごめんなさい。でも隠したんじゃないんです、直したかったんです。

 花瓶が割れたこと自体は取り繕えないとしても、子供にそう言わせることはできる。


「だがそれは嘘だろう」


 碧玉の説明に対して、三秋は唇を曲げた。納得できない、と顔全体が物語っている。


「確かにそう言えば、父親は納得するかもしれない。だがそれが嘘であることには変わりない。花瓶を割ったという罪の上に、嘘という罪を積み重ねることになる。それでもいいのか?」


「言っておきますが、幸せになるための嘘は嘘って言わないんです。方便って言います」


 言い返された言葉を、碧玉はつんと顎を反らして跳ねのけた。

 卓の向こう側で、三秋はぽかんと口を開けていた。思いも付かなかった、そんな顔だ。


「嘘っていうのは、誰かが不幸になる場合に使う言葉なんです」


 碧玉はそう思っている。そして今の状況は皆不幸せだ。

 弟は兄が責められる姿を見なければならない。兄は濡れ衣を被らなければならない。本当のことを知らないまま、父親は子供を責め立てなければならない。


 きっかけは花瓶が割れただけなのに。こんなことは間違っている。


「このままじゃ、糸の通っていない針で服を仕立てているようなものですよ。仕上がったとしても、誰にも着ることができない服になるだけです。だったらそうならないように考えるのが、神様のお仕事じゃないですか」


「……一つ言っておこう」


 やがて、三秋は低く声を出した。


「忘れているようだが、私は一応神だ。嘘の付き方などという話を、神の前でしていいとは思えないのだが」


「何度でも言いますけど、私は嘘をつこうとしているんじゃないです。あの子たちが幸せになる方法を考えているだけです」


 相手の声の重さを感じながらも、碧玉は引かなかった。ぎゅっと唇を噛み締めて次の言葉を待つ。

 廟の主はしばらくの間何も言わなかった。沈黙の中、視線だけが何度も行き交った。


「——なるほど」


 最初に笑ったのは三秋だった。中庭に声が響き渡った。


「そなたはなかなか利発な娘だ。まさかそうくるとはな。気に入った」


「じゃあ、あの花瓶を直してくれるんですね!」


「いや。そんなことはしない」


 喜色を浮かべる碧玉の前で、青年は首を横に振った。


「私は残念だが不器用なのだ、だから不慣れなことは最初からしないようにしている。私が気に入ったのは、そなたの方便の使い方だ。――だが、花瓶を直すことは却下だ、残念だがあの子供の役には立たぬ」


「どうして」


「直したところでまたあの子供は、花瓶を割ることになる」


 断言されて、碧玉は目を瞬かせた。


 そう言えば最初にも三秋はそう言っていた。花瓶を直してもあの子供の顔が晴れることはないと。


「どうして……」


 口から洩れた声は、我ながら途方に暮れていた。頭を抱えたい気分だった。

 三秋の言うとおりなら、花瓶は弟ではなく子供本人が割ったことになる。


 ではどうして割ったことを隠そうとしたのか。直して欲しいと神に縋ったのか。


 そもそも彼は何故花瓶を割ったのか。――駄目だ。何も分からない。答えはきっとあるはずなのに、それを見出すことができない。


 わたしには何もできやしない。そんな思いから気持ちを逸らしたくて、碧玉はぎゅっと目をつぶった。


「碧玉。お前は強いか?」


 暗くなった視界の向こう側から、涼やかな問いかけが届いた。

 顔を上げると、三秋がこちらを見ていた。


 見守られていると思える視線だ。答えを見つけられない自分を、責めるのでも侮蔑するのでもない。ただ道を踏み外さないよう、見守ってくれている。


 そう感じるだけで、腹の底から力が湧いてくるような気がする。


 はい、と碧玉は頷いた。そうだ、こんなところで立ち止まっていては駄目。この方に少しでも近づけるように努力しなければ。


「なんでもおっしゃってください。頭は悪いですけど、体力なら自信があります!」


「それは頼もしいな。では期待させてもらおう。今回の件を収めるために、そなたに頼みたいことがある」


 この方のお傍にいたいと思ったのは自分自身なのだから。


「はい、なんだってお任せ下さい頑張ります!──あの、でもその前にできたら」


 強く頷いたあと、碧玉は小さな声で付け加えた。我ながら頬が赤くなっているのが分かる。

 でも仕方がない。今日自分が口にしたのはお茶とお茶菓子でしかない。三秋に近づきたいと思っても、こればかりはさすがに真似できない。そろそろきちんと食べないと体がもたない。


「分かっている」


 形のよい手が打ち鳴らされた。すると応じるように戸口で獣の鳴き声が聞こえた。


「仕事の前に腹ごしらえはしておくべきだな」


 するりと門を潜って邸に入ってきたのは、二匹の犬だった。それぞれが一点の染みもなく、白と黒だけの毛皮を纏っている。

 白は雲のように白く眩しく、黒は闇のように艶めいている。彼らはどこかからの使いらしく、どちらの背にも何かしらの荷物が布でくくりつけられていた。


 その中身がなにか、確かめる前に碧玉は笑みを浮かべた。漂ってくる暖かな匂いはどれも美味しそうなものだった。


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