序章 1
行き場のない夏碧玉を助けてくれたのは、町外れの廟に祀られた神様だった。
しかし、その廟に参る者は少なく、現在家計は火の車。
なんとしても廟を建て直さないと、また路頭に迷ってしまう。
人々の願いを叶えてこの廟を盛り立てよう。碧玉はそう決心する。
夏碧玉の足は止まらなかった。
伯父伯母の家を飛び出してから、どのくらい経っただろう。少なくとも息が上がるくらいの間、自分は走り続けている。
もう息は苦しい、けど足はまだ止められない。誰かがあとを追ってきているかもと思うと、立ち止まるなんて考えられない。
あんなところはもういやだ。
朝の表通りは人通りが多い。これまでに何人もの通行人とぶつかりそうになった。懸命に駆けていく自分を、不思議そうに眺める人もいた。でも誰からも声はかけられない。
一体自分は今どんな様子だろう。頭のどこかでそんなことを思った。
衝動に駆られて、着の身着のままで出てきてしまった。化粧はまだだし、髪だってまだきちんと結えていない。簪はどうなっているだろう。沓が脱げていないだけでも奇跡的だ。そもそも年頃の娘はこんな風に人前で駆けたりなんかしない――。
きっと目も当てられない姿だ。そう思うと頬が焼けるように熱くなる。
一体いつまでここにいるつもりなんだろうねえ。
赤くなっているに違いない耳朶の向こう側で、ついさっき聞いてしまった伯母の言葉が蘇る。
全く困ったもんだよ。いけ図々しく居着いちまって。うちだってそんなに裕福じゃないのにさ。
どこか片付くところはないかい。この際後妻でもなんでもいいから。
若い内にあてを見つけないと、一生うちが養わなくちゃならなくなるよ。ああ、どこか連れ合いを亡くした爺でもいやしないかね。見目だけはいいんだし、出戻りの娘でもそんな男ならもらってくれるってものさ——。
思い出した言葉に身震いする。いやだ、と悲鳴を上げたくなる。
分かっている。親もなく、一度婚家からも追い出された自分に、贅沢なんて言えやしない。歳だって、今年の夏になればもう十八だ。わざわざ嫁に迎えようなんて物好きな男はいまい。それこそ後妻であってもきっと数は少ないはずだ。もしかしたら妾しか道は残されていないかもしれない。
その考えにぞっとしたのがまずかった。足をもつれさせて、そのまま碧玉は転んだ。地面に打ち付けた膝頭の痛みに涙が滲む。
もがくように起き上がりながら、確かめたのは背後だった。どうしよう、立ち止まってしまった。きっと追いつかれてしまう――。
けれど、目を向けた先に見知った顔は誰一人なかった。
「あ、—―」
目の奥がつんと痛くなった。喉に熱いものがせり上がってきて、碧玉は思わず唇を噛んだ。
誰もあとを追ってこなかった。
逃げ出したのをこれ幸いというように、放っておかれた。
誰もわたしを引き留めやしなかった。
思い知らされた現実は胸の中で、安堵ではなく切なさにすり替わった。