【第6片】「詩」であることに、なにが必要か?
描いてはみたけれど?
どうです? あれから、描いてみたりしましたか?
描いてみたはいいけれど。
これって「詩」って呼べるの? ——そんな不安を持たれたかたも、いらっしゃることと思います。
「詩」といっても。定型詩、歌詞に自由詩。そして、自由詩のなかには、普通の文章のような散文詩まで、あるというではありませんか。
じゃあ、いま描いた「これ」は、ちゃんと「詩」にあたるのか?
今回はちょっとそれを考えてみましょうか。
①定型詩
その形やルールを満たしていれば(季語など)「詩」にあたる、と判定されることでしょう。
②歌詞
こちらの要件は、曲や歌メロにのることです。
リズムが必要とも言えますが、「歌いまわし」が得意なシンガーさんなら。リズムも歌メロも、曲と歌詞さえあれば、じぶんで紡ぎ出してしまうので、そこは怪しいところです(笑)
極端な話。
♪ドレミファソラシド に
「ドレミファソラシド」と歌えば、それすら歌詞になります。
でも、それは「曲」や「歌メロ」があればのはなし。
このサイトに、歌詞という「文章」のみをのっけたばあい。その限りにおいては、あたなの歌詞は「曲」や「歌メロ」と切り離された状態にあります。
つまり、ここに投稿するためには、「歌詞」が「曲」や「歌メロ」から切り離されても「詩」である必要があるというわけです。
♪ドレミファソラシド に
「おなかがすいたよ」と歌えば、それは歌詞になります。
ですが。その曲や歌メロがない状態で、ただ、
おなかがすいたよ
と描いて、それを「詩」と呼べるでしょうか?
じつのところ、「詩」とは呼ばないなんて、私は思っていません。
ただ、それを「詩」として臆面もなく出せるのって、それ逆に深すぎる気がします。高度すぎて、私には無理。
ですが、あなたが。
いや、「曲」や「歌メロ」にのせなくても、これは「詩」なんだって思えるなら、なんの遠慮も要りません。
その「歌詞」は「詩」なのです。そう断言してしまいましょう。
③自由詩
私の不勉強のせいで。
定型詩でも、歌詞でもないものを「自由詩」と、乱暴な位置づけをしてしまっていますが(汗)
体言止めの多様や、擬音・擬態語だけの行を用いるなど、いわゆる「詩っぽい」形態のものなら「詩」だと主張しやすいことでしょう。
だからこそ、自由詩のうち、散文詩だと。ふつうの文章と変わらない描きかたをされているため、「詩」にあたるかは、自信をもちにくいかもしれません。
だったら、私はこう尋ねます。
そこに「シゴコロ」はあるのかい? って。
歌詞なら、曲や歌メロにのせるために描かれたはず。つまり、歌うために描かれたわけです。そこには「ウタゴコロ」がこめられていて、しかるべき。私はそう考えます。
「ウタゴコロ」があれば歌詞ならば、「シゴコロ」があればりっぱな詩なのです(おそらく、「ウタゴコロ」は「シゴコロ」の一種で、それがあれば「詩」のひと形態である「歌詞」にあたる、ということかと)。
その形態にかかわらず、「シゴコロ」がそこにこめられていれば、「詩」だと断言してしまいましょう。
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ちなみに、私が困るのは。
☆これって詩なのか? あるいは童話なのか?
だったりします。童話は「詩的」な物語であることは多いでしょうし。音読するために、リズミカルな文で描かれることも珍しくありません。
そもそも、吟遊詩人や琵琶法師なんかは、物語を歌いあげますからね。
そう考えれば、「ウタゴコロ」「シゴコロ」をもった童話はがあるのも、自然なことだと思います。
詩という姿をとった童話もあるし。童話のような物語の詩もあるし。
これも、描いた本人が「どちらかといえば」あるいは「どちらも」でいいのではないでしょうか。
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「シゴコロ」がこめられていれば、それは「詩」ですし。
「ウタゴコロ」がこめられていれば「歌詞」。
「ウタゴコロ」は「シゴコロ」の一種で、そのなかにリズムやメロディを内在、あるいは呼ぶものがこめられているもの。
それらが、ちゃんとこめられているか?
もし、こめているのなら。
それは「詩」ですし、「歌詞」なのです(と思う)。
これを「詩」と呼んでいいのか?
描いたあと、疑問に思うこと、よくあります(笑)