【第18片】Dメロと大サビ(Eメロ?)なんて要るの?
覚えにくいから、好きじゃなかったです。
カラオケとか行かれるかたは、思ったことあるかもしれません。
「間奏なげーな。こんなの要るの?」
ひょっとしたら、自分が歌うわけでなくても。CDなんかで聴いてるときも、こんなふうに感じるかたもいることと思います。
実は、私も。「曲」というより「歌」を聴いてたころはそうでした。でも、しだいに「曲」を聴くようになると。邦楽の間奏が短い曲だと、むしろ、物足りないくらいになっていったのです。
ギターソロや、キーボードソロ。歌のはいるパートとは、またちがうもりあがりのある間奏部分。作曲というより、演奏レベルのはなしですが。けっこう重要なんですよ。
わかりやすいのが、循環系のサビのとき。
おなじメロディを2回(あるいは4回?)繰り返すサビのときなど。ラストのサビ(ラスサビ)までそれだと、シンプルになりすぎるのを。間奏がはいることによって、フック(ひっかかり)をつくってくれます。さらにDメロ(あるいは大サビのEメロ)がドラマティックにもりあげてくれれば、淡白な終わりかたになることもないでしょう。
正直、Dメロ、大サビは曲中に一度しか流れないことがふつうなので。覚えにくい、などの理由からも、あまり好きではないひとも多いのではないかと。
ですが、曲をドラマティックにしてくれる、重要なパートになりえるのです。
とまあ、それは「曲」と「歌唱」のはなし。
では、「歌詞」を描く際に、メロ、大サビはどんな存在になるのか?
歌メロにハメコミや、曲先でそれらがすでにあるならば、そのパートにも歌詞を描かないわけにはいきません。
でも、歌詞先なら。
わざわざ、Dメロや大サビを描く意味はあるのか?
結論を言うと、それらを描くことで期待できるものがふたつ。
ひとつめは、つけてくれる曲に、Dメロ、大サビを要求する効果。
歌メロのハメコミや曲先で、Dメロ、大サビがすでにあるときは、そこの歌詞を描かねばならないのと同様。歌詞先で、Dメロ、大サビが描いてあるなら、曲のほうも、そこにメロディをつけなければなりません。
歌詞のほうからイニシアティヴをとって、ドラマティックな構成の曲をつけてもらうわけです。
ふたつめ。通常の1番、2番では描き慣れなかったり、その中におさめるべきではない歌詞を、いわば独立連として、描き加えることができること。
とくに、1番、2番が完全に並立・対比のかたちで描かれている場合。両方を総括するものはその中に入れ込めないので。ラスサビにもってくるか、大サビにもってきて
・1番・2番 → 間奏の前/後に【Dメロ 】→ ラスサビ
・1番・2番 → 間奏 → 1番のサビ(リピート) → 2番のサビ (リピート)→ 【大サビ】
なんてパターンが、考えられます。
前者のDメロなら、ラスサビへの架け橋(Dメロ → ラスサビで総括)。
後者の大サビも、直前の1番、2番のサビ(リピート部分)を総括する役割を果たしています。
Dメロも大サビも、無理につくる必要はありませんが、それをつくることを選択肢のひとつとしてもっておくこと。
そして、歌メロのハメコミや、曲先で要求されたときは、描くことができるようにしておくこと。
これも、大切な技術と言えるでしょう。
いまは、大好きさっ♡




