【第9片】感情を「表現」しよう
もうちょっと、詩っぽく描いてみましょう。
前回は「寂しい」という感情をテーマに、詩(自由詩)を描いてみました。
でも「詩」と、呼ぶには。
なんか「詩的」さが足りないなんて、思いませんか?
それはきっと、感情への表現が足りないからかと思います。
なんで? ちゃんと、説明してるじゃん?
そうです。説明はしてるんです。
でも、それが「表現」? 私は、前回のような説明は「描写」ではないかと位置付けています。
では「表現」とは???
お答えしましょう(なにをえらそうに、怒)。私にとっての「表現」とは
☆★☆「そのことば」じたいを使わずに「そのことば」を伝えること★☆★
なのです。
つまり、今回でいえば「寂しい」ということばを使わずに、「寂しい」と伝えること。これこそが「描写」ではなく、「表現」であると、私は考えるのです。
そういえば、テーマとモチーフのはなしで
「テーマ」:寂しい
「モチーフ」:スコップ
なんて、設定していましたね。
せっかくなので、モチーフのスコップを使って、テーマである「寂しい」を「表現」してみましょう。
「スコップ」
だれかのあしもとにころがったスコップ
それがぼく
だれにも手にとってもらえないスコップ
それがぼく
だってこの街はどこまでいっても
アスファルトとコンクリートで敷き詰められてる
ぼくが掘れる場所なんて ひとつもないじゃないか
穴を掘れる場所がなけりゃ
だれもスコップを手にとってくれない
穴を掘って見せなきゃ
だれもスコップのことに気づいてくれない
ぼくはそんなスコップ
アスファルトとコンクリートで敷き詰められてる
この街に運悪くうまれて
だれかのあしもとにころがったまま
だれにも手にとってもらえない
ぼくはそんなスコップ
それがぼくだし それこそがぼく
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
どうでしょう?
「寂しい」ということばは使っていませんが。
スコップのきもち。伝わってきたでたでしょうか?
伝わったのなら、これが私流の「表現」なのです。
もちろん「寂しい」ということばを使っていない以上、ひとによっては、ちがう読みかたをするかもしれません。
「寂しさ」よりもむしろ、「無力感」にとるかたも、少なくないでしょう。
でも詩なんて、説明過多にすればいいってもんじゃないのでは?
ちがう解釈されて、不機嫌になどなってはいけません。
ああ、その気の持ちようとか、次の話題にしましょうか。
ま、とにかく。
「寂しい」ってことばを使わずに、「寂しい」と描くっていうのはこういうこと(だと思う)です。
あなたも「描写」ではなく「表現」で、詩を描いてみてください。
こういうふうに描いたことないってひとには。ちょっといままでとはちがう、おもしろいものが描けるかもしれませんよ。
これなら、「作品」として出せるかな?




