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10/23

【第9片】感情を「表現」しよう

 もうちょっと、詩っぽく描いてみましょう。

 前回は「(さび)しい」という感情をテーマに、詩(自由詩)を描いてみました。


 でも「詩」と、呼ぶには。

 なんか「詩的」さが足りないなんて、思いませんか?


 それはきっと、感情への表現が足りないからかと思います。


 なんで? ちゃんと、説明してるじゃん?

 そうです。説明はしてるんです。

 でも、それが「表現」? 私は、前回のような説明は「描写」ではないかと位置付けています。


 では「表現」とは???


 お答えしましょう(なにをえらそうに、怒)。私にとっての「表現」とは


☆★☆「そのことば」じたいを使わずに「そのことば」を伝えること★☆★


なのです。


 つまり、今回でいえば「(さび)しい」ということばを使わずに、「(さび)しい」と伝えること。これこそが「描写」ではなく、「表現」であると、私は考えるのです。


 そういえば、テーマとモチーフのはなしで


「テーマ」:寂しい

「モチーフ」:スコップ


なんて、設定していましたね。

 せっかくなので、モチーフのスコップを使って、テーマである「(さび)しい」を「表現」してみましょう。


「スコップ」


 だれかのあしもとにころがったスコップ

 それがぼく

 だれにも手にとってもらえないスコップ

 それがぼく

 だってこの街はどこまでいっても

 アスファルトとコンクリートで敷き詰められてる

 ぼくが掘れる場所なんて ひとつもないじゃないか

 穴を掘れる場所がなけりゃ

 だれもスコップを手にとってくれない

 穴を掘って見せなきゃ

 だれもスコップのことに気づいてくれない

 ぼくはそんなスコップ

 アスファルトとコンクリートで敷き詰められてる

 この街に運悪くうまれて

 だれかのあしもとにころがったまま

 だれにも手にとってもらえない

 ぼくはそんなスコップ

 それがぼくだし それこそがぼく


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


 どうでしょう?

(さび)しい」ということばは使っていませんが。

 スコップのきもち。伝わってきたでたでしょうか?


 伝わったのなら、これが私流の「表現」なのです。


 もちろん「(さび)しい」ということばを使っていない以上、ひとによっては、ちがう読みかたをするかもしれません。

(さび)しさ」よりもむしろ、「無力感」にとるかたも、少なくないでしょう。


 でも詩なんて、説明過多にすればいいってもんじゃないのでは?

 ちがう解釈されて、不機嫌になどなってはいけません。


 ああ、その気の持ちようとか、次の話題にしましょうか。



 ま、とにかく。

(さび)しい」ってことばを使わずに、「(さび)しい」と描くっていうのはこういうこと(だと思う)です。

 あなたも「描写」ではなく「表現」で、詩を描いてみてください。

 こういうふうに描いたことないってひとには。ちょっといままでとはちがう、おもしろいものが描けるかもしれませんよ。

 これなら、「作品」として出せるかな?

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― 新着の感想 ―
[良い点]  改めて説明されると目からウロコでした。  描写と表現……。なるほどです。  もしかすると。冬野は表現ではなく描写よりで描いているのかもと、思いました。  表現、気を付けてみます。 [一言…
[良い点]  そのものの言葉を使わずにそれを表すこと。  もちろんお話を書く上でも使うことではありますが。  詩もお話も描かれる方は、やはりそういった『表すこと』に長けておられる気がします。 [一言]…
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