32.あなたがいいの
ヴァイオレットは自分のノートにたくさん何かを書き込んでいた。
もちろんパソコンなんて便利なものはない。
ゆえに計画書はすべて手書きだ。
不思議な事に日本語で書き込んでいるはずなのに……
ノートに書き出される文字はみたことない言語だ。
「ふぅ……」
ペンを置いて宙を見上げた。
(明日は街に行って飲食店巡りをしないと……。
飲食の値段の相場がわからない。
あまり高くてもいけないし、かといっても安くてもだめだし)
やる事や考えることは山積みだ……。
頭と目が痛くなってきた。
するとそこにいい香りが漂ってきた。
「お嬢様……一息つきませんか」
セバスがお茶セットを携えて微笑んでいた。
「セバスが入れてくれる紅茶が一番美味しいわ」
そう言うと嬉しそうに目を細めて言った。
「執事冥利につきる一言です。
しかしこれをきいたらリガロがやきもちを焼くでしょうな。
ホッホッホッホッ……」
「そうかしら」
(いつも冷静なリガロのやきもち……
想像できないわね……)
一緒に添えられているお菓子がやたら気合の入った
可愛い一口タルトなのは何故だろう?
「フェリックスがお嬢様にお詫びの品だと
申しておりました……」
「フフフ……だからこんなにも可愛いのね」
ヴァイオレットは嬉しそうにパクッと食べた。
「美味しいわ……フェリックスは本当にお菓子作りの天才ね」
「さようですな……」
穏やかな時間が流れていた。
「ねぇ……セバス」
「はい……」
「港を仕切っている偉い人に知り合いはいない?」
セバスの目が鋭く光った。
「何か困りごとでもございましたか?」
「んーどうしてもうちに来て欲しい人がいるんだけど
あまり返事が芳しくないのよねぇ」
ヴァイオレットはエリアスの事を思い浮かべていた。
「無理強いはするつもりはないの。
ただ、何か柵とかがあったら後々面倒だなって思って
極力そう言うのは排除しておきたいの」
「さようですか……。
わかりました、私の力が及ぶ範囲で進めておきましょう」
「よろしくお願いいたします」
そんな事を話したわずか二日後の事だった。
大きな鞄一つと小さな鞄一つを携えて……
犬獣人の兄妹はヴァイオレットの目の前に座っていた。
場所は洋館の応接室だ。
テーブルの上には、紅茶とケーキが並んでいる。
「えぇっと……これはどういう事?」
セバスからいきなり呼ばれて部屋に入ったらこの状況。
二人も慣れないのか小さくなって恐縮している。
「おぉ……来てくれましたか」
一人したり顔のセバスがヴァイオレットの横に立っていた。
その反対側にはリガロが控えていた。
「セバス?」
「お二人ともお嬢様の元に来ていただけることになりました」
そう言って満面の笑顔を浮かべていた。
「えっ?うちで働いてくれる決心がついたの?」
ヴァイオレットはこぼれんばかり目を見開いていた。
(どういう風の吹き回し?
あんなにも興味がなさそうだったのに……。
それにイルマちゃんまで引き抜いてきたの?)
ヴァイオレットはセバスと兄妹の顔を交互にみながら
思いもよらない展開に驚きを隠せないでいた。
「お嬢様……本当に俺たちでいいのか?
特に俺は学もなにもない……。
ましてや女も苦手だし、喜ばせ方とかもわからない」
そう言ってエリアスは獣耳をへにゃっと下げて情けない顔をした。
「詳しい事はまたセバスからも説明があると思うけど
どちらかというと、執事喫茶は健全で高級なお店なのよ。
二人が思い描いているような接客ではないわね」
兄妹は神妙な顔で聞いていた。
「来て下さるお客様はみんなお嬢様になって優雅にお茶を
楽しむ空間を提供するというのが大前提なの。
今の私とリガロのようなものね」
そういって楽しそうにヴァイオレットは口角をあげた。
「はぁ……」
不安そうに兄弟は尻尾を揺らした。
「必要以上のスキンシップはご法度だし……。
ノルマもないわ。
お休みも週に二日あるし、衣食住は保証するわ」
そう言うと二人は驚いたように顔を見合わせた。
「そんなうまい話があるのか?
お嬢様は俺たちを本当はどうしたいんだ?」
懐疑的な目でヴァイオレットをみつめるエリアス。
「特にはないかな……。
あ、あるかな……でもこれは二人が本当に私の事を
信用してくれるのならお願いする事になる感じかな」
そういうとイルマは怯えてビクッと震えた。
「あっ……怖い事とか嫌な事をさせるとかじゃないからね。
そこは勘違いしないでね!」
ヴァイオレットは焦ったように取り繕った。
「とりあえずリガロ達と一緒にまずは研修を受けて頂戴。
そこでやっていけるか考えてみて。
もし駄目なら断ってくれても構わないわ。
新な就職先も責任もって紹介します」
二人はまだ不安そうだったか無言のまま頷いた。
「その間は申し訳ないけれど、この洋館の2階に住んで
貰う事になるけどいいかな?
もちろん家賃とかないから安心してね」
「わかりました、よろしくお願い致します」
そう言って兄弟はぺこりと頭を下げた。
その後二人はセバスに連れられ2階へと上がっていった。
「リガロどう思う?」
「どうでしょう……。
妹の方は大丈夫そうですが、兄の方はわかりませんね」
「ですよね……」
キャラ的にはどうして欲しい人材なんだけど……。
接客業だからなぁ……。
得手不得手はあるよねぇ……。
保険の為にまた新たな人材を探しに行かないといけないかしら。
人知れずヴァイオレットはそっとため息をついた。




