5. 切れた契約と、それから
その日、リクスはアライシュと共に街へやって来た。
こうして一緒に買い出しに来るのも何度目だろうかと、雑貨屋に入ったアライシュを外で待ちながらリクスは考えていた。そして、あと何度、来ることができるだろうかと。
「あれ?」
そこでふと、通りの向こうからやって来る人物が目に入った。
ふさふさと揺れる大きな羽のついた帽子に、全体的にひらひらした装飾的な服。そしてそんな奇抜な服装に負けない存在感。暗く艶やかな紅色の髪は腰につくほどで、きゅっと目尻の上がったつり目はなんだか色気を感じる、その容貌。
「……ティーズニート?」
こんな派手な人物は、放浪の魔術師以外に見たことがない。
リクスが呪いを受けてしまったとき、サニアに相談する前に真っ先に探して連絡がつかなかった、とにかくすごい魔術師の友人だ。いつこちらに来たのだろうか。
「リクス、久しぶり。わたしを探していたんだってね。留守にしていて悪かった」
そう言って微笑むティーズニートに、周囲から注目が集まり始めている。服装と容姿自体も目を引くし、放浪の魔術師は一部で有名なので、とにかく目立つのだ。
リクスは慌てて友人の手を取り、道の端まで引っ張った。
「ティーズニート、いつこちらに?」
「うん? さっき来たばかりだよ。君がわたしを探していると、呪術師の彼女から連絡が来たんだ」
「サニアが……」
どうやら、サニアは独自にティーズニートへ連絡をとろうとしてくれていたらしい。だが、その情報はすでに古いものだ。リクスの呪いはすでにアライシュが解いてくれた。
「あの、せっかく来てくれたのに悪いのだけど、その件はもういいの」
「どうして? …………あ、リクス」
「わっ」
急にティーズニートに腕を引かれ、リクスはその胸に顔を押しつけることになった。胸元のひらひらが意外なほどに手ざわりの良い生地で、少し驚く。
「なにか魔術の残滓が君にまとわりついているのかと思ったけど……、これ、魔術契約だね?」
「あ、」
リクスの頭上あたりを見ながら、ティーズニートが目を細めた。リクスには分からないが、放浪の魔術師には魔術契約の繋がりが見えているのかもしれない。
おそらく、それが主従の契約であることも分かったのだろうが、さすがに詳しい内容までは読み解けないはずだ。だから魔力を融通してもらうだけの契約だとはまさか思わずに、ティーズニートは友人がそんなものに縛られていることを不愉快そうにしている。
これは早く説明しなければと、リクスは焦った。
「そう、そのことよ。あのね、」
そこで、アライシュが雑貨屋から出て来たのがリクスの目に入った。
そうだ契約相手のアライシュを連れて来ればいいのだと考えたところで、ティーズニートに腕を引かれたままのこの体勢は、抱き合っているように見えるのではないかということにリクスは気づいた。これは絶対に誤解される。
リクスがうろたえている間に、アライシュは待っているはずの同行者を探すように視線を動かした。そしてリクスとティーズニートの姿を見て、驚いたように目を見開く。
「ちが、違うのよ、アル!」
ティーズニートへの説明を放り出してリクスは慌てて離れようとするが、放浪の魔術師の行動はそれよりも早かった。
「ああ、なるほど。リクスはこれをどうにかしてほしかったんだね」
アライシュを見て、リクスの契約相手が誰か悟ったのだろう。安心させるようにリクスへ微笑みを向けるティーズニートには、友人を思いやる気持ちしかない。
「いいよ、すぐに切ってしまおう」
「ティーズニート、待っ、」
放浪の魔術師は軽く手を上げると、さっと振り切るような動作をした。
――――ぷつり
その瞬間、なにかが切れたような音が、リクスの頭の中に響いた。そして感じたのは、独立した魔力の自由さと、微かな寂しさ。
魔術契約が切れたのが、はっきりと分かった。
おそらく同じ感覚がアライシュにもあったのだろう。呆然とこちらを見ている。
「さ、これでリクスは自由だよ。よかったね」
そんな中で、ティーズニートだけがにこにこと悪気なく笑っている。
友人の善意を無下にできない気持ちと、起こってしまったことへの衝撃で、リクスは混乱していた。
そこへさらに、もうひとりの声がする。
「……リズ、お前はこの契約を終わらせたかったのか?」
傷ついたような声で言うアライシュに、リクスはぎくりとした。そんなわけはないのに、まだ混乱している状態では咄嗟に言葉が出ない。
だがとにかく放ってはおけないとそちらへ駆け寄ると、アライシュにさっと腕を掴まれた。
「え?」
「だが、俺は終わらせるつもりはない」
ぐっと抱き込まれて、目の前の景色がくるりと変わった。アライシュが魔術で移動したのだ。うしろで、ティーズニートの呼ぶ声が聞こえた気がしたが、すぐに遠のいた。
移動した先は、あちこちに物が積まれた部屋。今ではすっかり見慣れたアライシュの家だった。
壁に背をつけたアライシュはずるずると座り込み、深く息を吐いた。その間も、逃がさないとばかりにリクスを抱き込んだ腕はゆるまない。
「…………アル?」
先ほどの傷ついたような声が気になって、気遣うようにリクスはそっと声をかけてみる。
抱きしめてくる腕が、ぴくりと揺れた。
それからゆっくりと顔を上げたアライシュに耳のすぐそばで囁かれる。
「リズ」
今度はリクスがぴくりと震えて顔を伏せた。
「……俺は、リズとの魔術契約を終わらせるつもりはなかった。たとえお前がそう望んでも」
アライシュの言葉に、そうだその誤解を解かなければと、リクスは顔を上げた。
「っ、私だってそんなつもりはなかったわ」
「…………あの男に頼んで、契約を断ち切ったのに?」
「あれは、ティーズニートが早合点したのよ」
「ティーズニート…………、放浪の魔術師か。どうりで」
魔術契約をあんな風に手で切ることは、普通の魔術師では不可能だ。リクスの出した名前にアライシュは納得したように頷いた。放浪の魔術師の名前は、同じ魔術師の間では有名なのだ。
「そう、友人なの。アルにお願いする前に、呪いを解いてほしくて探していたのだけど連絡がつかなくて。呪いが解けたことは伝えていなかったのよ」
「店先で抱き合うくらいの仲なら、連絡方法もあるんじゃないのか」
「それは、ティーズニートが魔術契約に気づいて、よく見ようと引き寄せただけなの! 彼は友人だってば」
アライシュは探るように目を細めてリクスを見つめている。
「…………つまりは、どういうことだ」
「だから、私はアルとの契約を終わらせたいとは、」
「俺との契約を続けたいと思っている、と?」
目の前の胸にしがみついていた手を取られ、代わりに大きな手で包まれた。
解呪をするときも同じようにされたが、あのときと今では、リクスの気持ちは大きく違っている。それに、こちらを見つめてくるアライシュの瞳にあるのは、以前のように冷たい雰囲気だけではない。そこにある種の熱があるように思えて、リクスの体はなぜだか震えた。
「え、ええ」
「俺から離れたくない、ということか?」
「…………」
「リズ?」
「…………そういう聞き方は、ずるいわ」
「言えよ」
「もう主従ではないもの。そんな命令、無効よ」
もとより魔力供給以上の意味はなかった主従関係ではあるが、アライシュのその聞き方に納得がいかないリクスは、ぷいっとそっぽを向いた。先ほどまでは弱っていたくせに、アライシュはもういつもの余裕を取り戻しているように見える。
そんな子供っぽい仕草に、くくっと喉の奥でアライシュが笑う。
「言わないなら、言わせるまでだな」
不穏な言葉に、またなにか強引な方法でくるのかとリクスは身構えた。
「俺は、リズと離れたくない」
だが、アライシュはリクスの目を見つめて、真剣に言葉を紡いだ。
「魔術契約なんて、今ではもうただの口実だ。リズにそばにいてほしい」
「アル、それって……」
ふっとアライシュが笑った。
「リズ、お前が好きだ。だから契約が切れようと、俺はお前を離さない」
リクスは息をのみ、思わず身を引いてしまった。
だが座り込んだアライシュの足の間に収まっているリクスを、アライシュはやはり逃がさないというように握った手に力を込めた。
「リズ、お前の気持ちも知りたい……」
一層に熱のこもった目が、じっと見つめてくる。
もちろんリクスは逃げるつもりはないが、こんな風にいきなり気持ちを伝えてきたアライシュに、一矢報いたい気もする。
「アル!」
「!」
そう考えたリクスは、勢いよくアライシュの名前を呼んだ。
それに驚いて手を握っていた力がゆるんだところで、両手を引き抜いて自由を取り戻す。それからアライシュの首に勢いよく抱き着き、そのまま床に押し倒した。
ごつんと音がしたので、アライシュは後頭部を打ったらしい。
「……っ、なにを」
「私もアルが好き」
文句を言おうとしたアライシュが、ぴたりと黙った。
首筋に埋めていた顔を上げて、アライシュの目をしっかりと見つめ、リクスはもう一度言う。
「好き」
ついでに、口づけをひとつ。
「…………」
黙ったまま反応がないことになんだか恥ずかしさが湧きあがり、リクスは小さく呻きながら再びその首筋に顔を埋めた。すると背中に腕が回されて、ぎゅうっと抱きしめられたので、ひとまず気持ちは伝わったらしかった。
ティーズニートとの突然の再会から、数日。
ついに魔石が完成した。
「出来たわ!」
出来上がった魔石を魔術遮蔽の布に包んで渡せば、アライシュは検分するように見つめた後、満足そうに微笑んだ。
「よし、なかなか良い出来だな」
「そうでしょう!」
ついに完成させた達成感と、褒められたことでリクスは上機嫌だった。
そんなリクスを、アライシュは目を細めて見ている。
「これだけのものを作ることができるなら、リズも魔石の魔術師と名乗ってもいいんじゃないか」
「ふふっ、そうね。そうしようかしら」
リクスはもう呪いを応用して魔術を扱うつもりはないので、呪いの魔術師とは名乗れない。魔石を作る作業はリクスの適性に合っているようなので、このまま魔石の魔術師としてやっていくのも悪くないだろうなと、目の前の恋人を見つめた。
あの日、気持ちを伝え合った後にふたりで再び街まで戻り、ティーズニートの誤解を解いた。
いきなり目の前から消えた友人をティーズニートはとても心配してくれていて、もう少し遅ければ、魔術の名残をたどってアライシュのもとへ乗り込むところだったと言った。
「それは…………間に合ってよかった」
「…………」
アライシュとリクスが抱き合っているところにティーズニートが現れていたらと考えると、リクスは少しばかり顔が引きつった。
「まあ、リクスが困っていないならいいよ。またね」
そのままどこかへ去って行った友人は、リクスのためにここまで来てくれたのだ。放浪してばかりの友人に次にいつ会えるのかは分からないが、そのときはきちんとお礼を言うべきだなとリクスは心に留めた。
それから、アライシュの申し出により、リクスは再び魔術契約を結んだ。今度はお互いに同意しての再契約だった。
リクスがアライシュの魔力を使えるようにするための契約だったが、そのおかげでアライシュと見えない結びつきを感じられることも、リクスは嬉しかった。アライシュも同じように感じるらしく、契約が切れてから繋がりが消えて落ち着かなかったと言っていた。
「魔石が完成したから、もう魔術契約は要らないか?」
褒めてくれたと思えば今度はそんな意地悪を言うアライシュを、リクスは睨んだ。
答えが分かっていて聞いてくる。いつだってこの男は余裕なのだ。悔しいので、リクスは素直な言葉は返さない。
「アルが私のことを不要だと言うなら、魔術契約も要らないわね」
つんと澄まして言えば、アライシュが、くっと笑う。
「そうだな、俺にはリズが必要だからな」
引き寄せられて、その腕に囲われる。
「……急にそんなことを言うのは、ずるいわ」
「本当のことだからな」
密着する意外とたくましい体に、それだけでリクスの心拍数は上がるのに、アライシュはやはり余裕に見える。
それがまた悔しくて、リクスはその胸元を掴んで顔を寄せた。
「っ、」
「そうね。私も、アルが必要だわ」
鼻が付くほどの距離で熱っぽく囁いてやれば、アライシュは驚いて目を見開き、その反応にリクスは満足した。
だが離れようとしたところで、すぐに立ち直ったらしいアライシュがにやりと笑い、リクスの後頭部に手を回して唇を寄せた。ついばむように一度口づけ、それからさらに深く唇を合わせてくる。
「んっ、」
「リズ…………」
しばらくリクスの口内を味わったアライシュは、最後にぺろりと唇を舐めて仕返しを終わらせた。
「主としては、お前を満足させてやらないとな」
挑発するように濡れた唇で笑うアライシュに、リクスはもう反撃するだけの気力もなく、赤い顔のままくたりとその胸にもたれかかるしかできなかった。
だが悔しいので、細身に見えて男性らしいたくましさのあるその胸に、ぐりぐりと顔を押しつけて抗議しておく。
するとアライシュは、宥めるように髪の毛に口づけを落としていく。
その感触と、こうして戯れる空気が心地よかったので、リクスはひとまず機嫌を直したのだった。
これにて完結です!お付き合いいただき、ありがとうございました。
来週末、番外編を投稿予定です。よければそちらもご覧くださいね。