4. その気持ちは
あの去り際のアライシュの行動により、リクスは少しだけアライシュを意識するようになった。さすがにあれは、ただの仕事仲間にすることではないはずだ。
だが仕事中のアライシュは、いつもと変わらず作業に没頭しているし、魔石を褒めれば分かりやすく喜んだ。その変わらぬ態度に、あれはなんだったのだろうかとリクスは首をひねった。
そこでリクスは、すぐに時間を作って友人サニアに会いに行くことにした。サニアはアライシュのことを知っているし、とにかく誰かに話したかったのだ。
リクスは魔石の作り直しをしている身だが、行動は制限されていないので、友人に会いに行くから明日は休むと言えば、それでアライシュは納得した。
リクスが突然訪ねて来るのに慣れているサニアは、美味しい紅茶を入れてお茶に招いてくれた。それが分かっていたので、リクスは手土産に紅茶と合うスコーンを焼いて来ている。
「へえ。アライシュってそんな洒落たことをするの。意外ね」
話を聞いた友人は、スコーンにクリームをぬりながら、感心したように呟いた。
「意外なの?」
「うーん、私もアライシュとは何度か仕事を一緒にしたくらいの付き合いでしかないけれど。魔石以外に興味がありそうに見えなかったから」
それはその通りだ。アライシュは魔石の研究に没頭すると簡単に寝食を忘れる。リクスのやや強引な矯正によって、寝るときはなんとか寝台までは行ってくれるようになったが。
「まあ、魔石の作り方を教えてもらっているなら、相手が好意的になったのはよかったじゃない?」
「そうだけど。その好意が、どの方向なのかなと……」
紅茶のカップを両手で持ったリクスが、うつむき加減でぼそぼそと小さな声で言うのに、サニアはにっこりと笑った。
「ふふ。リクスは満更でもないのね。だからアライシュの気持ちが気になるのでしょう?」
「…………そうなのかな」
サニアに言われても、リクスはまだ自分の気持ちもはっきりとしなかった。ただ、アライシュと過ごす時間は楽しいとは思うし、あの夜のことも嫌悪はなかった。
第一印象はあまりよくなかったし、いつも余裕な態度を崩してやりたくなることもあるが、魔石を初めて作れるようになるまで励ましてくれたことや魔石を褒められると弱いところなど、リクスはアライシュに好感を抱いていると言っていい。
「まあ、今はまだ焦らずにそのままでいいのではないの? こういうのは、自然となるようになるわよ」
「うん…………」
サニアはそれ以上は何か言うこともなかったが、リクスにはそれがありがたかった。自分でもどうしたいのかよく分からないから、ただ、話を聞いてほしかっただけなのだ。
気心の知れた女性の友人とはこういうときにありがたいなと思って、スコーンを口に入れた。
リクスがそうして意識しているからなのか、単にお互いに慣れてきたからなのか、それからアライシュとの距離が縮まってきたような気がしている。
その日、リクスがやって来たときアライシュはまだ寝ていた。朝になっても寝ているということは昨夜遅かったのだろうが、机でそのまま寝ずに寝台に入っているところはリクスの矯正の成果だろう。
そう思うと少しだけ誇らしい気持ちになりつつ、リクスは寝台の上で毛布に包まっているアライシュに声をかける。
「アル、もう朝よ。起きて」
「……まだ、眠い」
「昨日は何時に寝たの? ほら、起きて朝食を食べないと」
「朝食、……要らない」
「駄目。ちゃんと食べて」
「………………リズが作ってくれるなら、食べる」
言われた言葉に、リクスは目を瞬いた。
まだ寝ぼけているのか、アライシュがずいぶんと甘えてくることに驚いたのだ。そして、そんなアライシュのことをなんだか甘やかしたくなった。
「ふふっ、いいわ。温かい野菜スープに、おまけで卵を落としてあげる。そうしたら、起きてくれる?」
「…………起きる」
子供にするように優しく言えば、毛布の中から返事があった。
もぞもぞと起き上がるアライシュは、やはり目が半分開いていなかった。薄緑の髪も乱れ、完全に寝ぼけている。
「髪の毛がぐちゃぐちゃね」
「………………」
リクスが手櫛で軽く髪を整えてやるのに、アライシュはされるがままでぼうっと寝台に座っている。
そんな様子に笑いを堪えながら、リクスは台所へ向かった。
ほどなくして身支度を整えたアライシュが出て来たので、細かく刻んだ野菜のスープという消化に良さそうなものを出した。先ほど言ったように卵も入れたので、淡い黄色が食欲をそそるはずだ。
アライシュはそれを見ると嬉しそうに席に着いて、きれいに平らげた。
「美味しかった、ありがとう」
「どういたしまして。でもアル、自分でも作れるんだから、いつもこれくらいは食べた方がいいわよ?」
「……リズが作った方が美味しい」
「…………」
その発言に深い意味はないと分かっているが、リクスはなんとなく頬を染めて黙り込んでしまった。美味しいと言われたことは嬉しかった。
その後、完全に目を覚ましたアライシュに、魔石の素材屋へ行こうと誘われた。
「リズ、街の素材屋へ買い出しに行くから、一緒に来い」
「魔石の素材のお店? 行く!」
それではと街まで魔術で飛ぼうとするアライシュに、急ぎでないなら歩いて行こうとリクスは提案した。アライシュは研究ばかりで家にこもりがちなので、運動するべきだ、と。
それを聞いたアライシュは、なるほどと頷いた。
「リズと居ると、なんだか健康になりそうだな」
「アルが不健康すぎるのよ。以前よりは夜も寝てくれるようになったみたいだけど、まだ徹夜しているときがあるし……」
「はは。研究が佳境に入ると、ついな」
「たまにはこうして散歩をした方がいいわ。森の空気って、気持ちいいのよ」
そんな話をしながらふたりで楽しく森を歩いて、街の素材屋に到着した。
リクスは街のはずれに住んでいるが、こういった専門の店は目的がなければ来ることはない。呪いの魔術師だったリクスは、もちろん魔石の素材屋に来るのは初めてだった。
慣れたように店の中に入って店主と話し始めたアライシュの背を見送った後、リクスは店の中を見回した。
さすが素材屋というべきか、店内には魔石の素材が所狭しと並んでいる。見上げるほどの棚で左右を囲まれていて、商品を取るのにも魔術を使う必要がありそうだ。
リクスが品数の多さに感心していると、アライシュとやり取りしていた店主が話しかけてきた。
「おや、お連れさんも魔石の魔術師かい?」
「いえ、私は、」
「そうだな……、俺が魔石の作り方を教えているから、そうなるかもしれない」
「そうかい。そのときは、どうぞごひいきに」
言われてみれば、今の魔石を作り終えた後、リクスは魔石を作る魔術師になることもできるのだ。リクスの魔力量では量産はできないだろうが、込める魔術の組み合わせを工夫すればそれなりのものが作れるのではないかという希望がある。もう呪いを使って魔術を扱うのはこりごりだった。
その日のアライシュの作業は、夜に関係するらしい魔石だった。
机に置かれた真っ黒なその魔石は、込めた魔術がうまく定着すれば深い藍色になる。素材屋で仕入れた星くず石も混ぜ込まれているので、魔術が定着する瞬間は、まさに夜の星空のように煌めくらしい。
それは是非見てみたいと思ったリクスだが、そうなるには夜までかかるとアライシュに言われて肩を落とした。夜ということは、リクスが帰った後だ。その反応はほんの一時的なもので、魔術が完全に定着してしまうと見えなくなるから、明日の朝ではもう遅い。
そんなリクスの様子を見て、アライシュがなにげなく提案した。
「最後まで見たいなら、泊まっていけばいい」
「え、」
「空いた部屋があるのは知っているだろう。そこを使え」
確かに、家の片付けをするときに、空き部屋も整えた覚えはある。だが、泊まるまでしてもいいのだろうかとリクスが迷っていると。
「最後の反応を見たいんだろう。なら、泊まっていけ」
相変わらずの強引さではあるが、リクスが最後まで見たがっていることを分かって誘導してくれたようにも思えて、なんだか胸の奥がふわりと温かくなったような気がした。
夜になり、徐々に藍色に変わってきた魔石をふたりで見守っていると、一瞬、きらりと光った。
「そろそろだ」
アライシュの言葉に、リクスはわくわくして魔石を見つめた。
すると魔石の藍色が濃くなり、混ぜ込まれた星くず石がちかちかと煌めく。魔石の中で魔術が定着するのに従って、星くず石も一緒に動いているのだろう。それが星の瞬きに見えて、本当に夜の星空のようだった。
「きれいね…………」
「そうだろう。これは魔石の魔術師の特権だな」
煌めく魔石をうっとりと見つめるリクスに、アライシュは得意げに言った。その自慢げな様子がなんだか子供っぽくて、リクスはくすくすと笑ってしまった。それにむっとしたらしいアライシュが、リクスの頬を軽く引っ張る。だがそうされてしまうと、せっかくの魔石から気が逸れてしまう。
「アル、邪魔しないで」
「……そうだな」
しばらくの間、ふたりで小さな星空を堪能した。
すっかり魔石に魔術が定着して、落ち着いた藍色になった後。リクスとアライシュは、窓辺で本物の星空を見ながらお酒を飲んでいた。
飲酒の効果でいつもより口が軽くなるのか、アライシュが魔石についていろいろと語るのを、リクスは興味深く聞いていた。
「アルは、本当に魔石の研究が好きなのね」
「まあ、好きだな。……それに、俺にはこれしかない」
「そんなことないと思うけど。アルはけっこうなんでもできるじゃない」
「例えば?」
意外なことを言うなとリクスは思った。
実際にどの程度かは分からないが、アライシュの魔力は相当に多いはずだ。リクスに貸してもまったく不自由していないようだし、あれほど簡単に転移の魔術を使っているのだから。
それに魔石を作るだけの器用さと発想力もある。それだけそろえば、大抵の魔術は扱えるはずだ。本人もそれが分かっているから、時折強引にでも物事を押し進めるのだとリクスは考えていたが。無意識だったのだろうか。
それならば、他にリクスが思いつくことを挙げておこう。
「そうね、説明が丁寧で、教えるのが上手いわ。おかげで私は魔石を作れるようになったもの。失敗しても責めないで励ましてくれて、すごく助けられたわ」
「ふうん。……それは、リズがよくやっているのが分かるから助けようと思ったのかもな」
「ふふ。ありがとう」
魔石の魔術師によくやっていたと褒められて、リクスはくすぐったい気持ちになって杯に口をつけた。
くいっと飲み干せば、ふわふわした気分がさらに高揚する。
「リズ」
名前を呼ばれて、肩に置いた手に引き寄せられた。逆らわず、リクスはアライシュの肩に頭を乗せる。
「リズは、よくやっていると思う。正直、こんなに早く魔石を作れるようになるとは思わなかった。リズが器用だというのもあるだろうが、いちばんは、リズが真摯に努力したからだ」
「アル…………」
リクスが頭を寄せたまま見上げれば、アライシュはにやりと笑った。
「魔術契約した甲斐があったな。主として誇らしい」
「ふふっ。お褒めに与かり、恐縮ですわ」
そのままアライシュがリクスの頭を撫でたり、薄紫の髪を指に巻いて戯れたりするのを、リクスはぼんやりと見ていた。
そろそろ、リクスの手掛けている魔石は出来上がりが近い。
これが完成すれば、今度こそ、ここへ通う理由はなくなる。そうすれば、こんな時間はもう持てないのだろうか。
(ときどきだったら、遊びに来てもいいかしら…………?)
その後のことを思って、リクスはそっと目を閉じた。