1. 呪いの魔術師
――――呪いの魔術師
それは、リクスの魔術師としての二つ名だ。
リクスが呪いを応用して魔術を行使することに由来している。
魔術師の二つ名は唯一の人物を指すものではないので、同じ二つ名を持つ魔術師が複数いることも多い。
だがリクスは、自分以外に呪いの魔術師と呼ばれる魔術師に出会ったことはなかった。それだけ呪いを利用して魔術を扱うことは危険であるのだ。そのことを、自身でも十分に認識しているつもりだった。
だったのだが。
「サニア! ただでさえ少ない魔力が、なくなっちゃったわ!」
「あー……、まあ、落ち着いてリクス」
朝一番で、リクスは友人サニアの家を訪れていた。
サニアは呪術師という職業柄いろいろと厄介なことに巻き込まれやすいために、家の場所を秘匿している。リクスもここへは移動の魔術道具でしか来ることができない。見晴らしがとても良いので、どこかの崖の上だろうなということくらいしか知らないのだった。
そんな静かな家を早朝から騒がせて申し訳ないとは思うが、こちらも一大事なのだから許してほしい。なにしろリクスは、昨夜はこの不安をひとりで抱えて過ごしたのだから。
リクスが魔術の行使に利用していた呪いは、この友人からもらったものだ。
呪いの本来の効果は、対象者の魔力を枯渇させること。リクスは魔石を使ってそれを応用し、自分ではなく周りから少しずつ魔力を吸収して自分のものとなるようにしていた。魔力の保有量が少ないリクスは、そうすることで大きな魔術も扱えるようにしていたのだ。
だが昨日、うっかりその呪いをリクス自身が受けて呪われてしまい、本来の効果が発揮されて魔力枯渇状態になったのだった。
「見てて」
今の状態をサニアに見せるために、リクスは指先を持ち上げて簡単な風の魔術を編み上げる。
「…………」
だが昨日から何度も試したように、そよ風さえも起こらなかった。
がっくりと項垂れるリクスに、サニアは呆れたようにため息を吐く。
「だから使い過ぎるなと言ったでしょう」
「そうなんだけどさ…………」
魔力を増やすために呪いを利用することに、サニアはあまり賛成ではなかった。過度に使わないようにするからとリクスが頼み込んで、渋々ながら譲ってくれたのだ。
それがこんなことになって、サニアが呆れるのも当然だった。
サニアの視線も痛いが、少ないながらも常にあった魔力がまったく感じられない状態にリクスはそわそわしてしまう。どうにも落ち着かない気分で、目の前に出された紅茶を一口飲んだ。
そんなリクスを宥めるように、サニアが質問する。
「放浪の彼には連絡をとったの?」
「もちろんティーズニートにも連絡をしようとしたけど、どこにいるのか分からなくて」
ティーズニートはリクスの友人で、とにかくすごい魔術師だ。彼に頼めばたいていのことは解決する。しかも女性に優しいので、リクスのお願いを断ることはないだろう。
ただ、ティーズニートは放浪の魔術師と呼ばれるほど常にあちこちを移動しているので、なかなか会うことが難しかった。
それで困ったリクスは、ひとまず呪いの主であるサニアのもとへやって来たのだ。呪いの主がその呪いを解呪できるとは限らないが、なにか手がかりくらいは得られるかと考えた。とにかく、この魔力が枯渇した状態を少しでも改善したい。
「うーん、……アライシュなら、なんとかできるかしらねえ」
「なんとかなる!?」
記憶を探るように天井を見つめていたサニアの呟きに、リクスは身を乗り出した。
あまりの勢いにサニアが少し身を引いたので、小さく咳払いして居住まいを正す。
「ええ。魔石の魔術師と呼ばれる知り合いがね、森に住んでいるの。リクスに渡した魔石、あれを作った人よ」
言われて、右手の小指にはめた指輪を見る。
指輪には、爪ほどの大きさの魔石がついている。これのおかげで、リクスは呪いの効果を応用するための細かい手順を大幅に削ることができていた。とても使い勝手のよい、優良な魔石だ。そんな魔石を作った魔術師であれば、たしかに望みはありそうな気がする。
「紹介状を書いてあげるから、訪ねてみたら」
「そうするわ。ありがとう、サニア」
安心させるように笑うサニアに、リクスも笑顔を返す。
昨日、魔力が枯渇してしまったときはどうしようかと思ったが、なんとか光が見えてきたことでリクスは安堵した。
サニアからもらった紹介状を携えて、リクスはさっそく森にある魔術師宅を訪ねてみた。
扉の前に立って周りを見回してみるが、近くに他の住居は見当たらない。魔術の影響を考えて、街には住まずにこのようにひっそりと暮らす魔術師は少なくないのだ。リクスは魔力の少なさから移動が不自由なので街に住んでいるが、それでも街のはずれの方に居を構えている。
扉を軽くたたくと、奥の方でがそごそと音がして、しばらく待ってようやく男が顔を出した。
「……なんだ。今は忙しいから、依頼は受けていない」
ややつり目の琥珀色の瞳が、こちらを睨んでいる。不機嫌さからの目つきの悪さのようで、薄っすらと隈が見えるので寝不足なのかもしれない。白に近いくらいの薄い緑色の髪のせいか、顔色もあまりよくないように見える。しかも服装が黒い。
体調があまりよくないのだとしても、訪ねてきた初対面の人間にここまで不機嫌さを見せるとはどういうことだろうかとリクスは思ったが、自分は頼み事をする立場だ。ティーズニートと連絡がとれない今、この伝手を逃したら他に解決策はないと、ぐっと堪える。
そこで空気を変えるためにも、まずは丁寧に礼をした。
「忙しいところをごめんなさい。あなたが魔石の魔術師アライシュさん?」
「…………そうだが」
「私は呪いの魔術師リクス。これ、サニアからの紹介状なの。あなたに協力してほしいことがあるのだけど、話だけでも聞いてもらえないかしら」
「サニア? …………ああ、呪術師の」
アライシュはサニアの名前にすぐには心当たりがなかったようだ。もしや、サニアとそれほど親しい仲ではないのだろうか。だとしたら、解呪を受けてもらえる可能性は高くないのでは。
少しばかり不安に思いながら、リクスはアライシュが紹介状を読むのを見守った。
「呪い、か」
読み終えたらしいアライシュが顔を上げ、リクスの右手を見つめた。
「俺の魔石を使っているのか」
「ええ、この魔石のおかげで、魔術を行使する手順が大幅に削れてとても助かっているわ」
「…………そうか。まあいい、話くらいは聞いてやろう」
そう言うと、アライシュはリクスを中へ招き入れてくれた。少しだけ不機嫌さが緩和したような気がするので、自身の作品を褒められて気をよくしたのかもしれない。
アライシュの家の中は、様々な物が散らばっているという印象だった。あちこちに物が積んであり、家全体が研究室のようだ。
その中でも比較的すっきりしている部屋の机で、リクスとアライシュはふたりで向かい合った。
「なるほど、呪いを応用して魔力の底上げをしていたのか……器用だな」
「まあ、そこだけは取り柄だから」
リクスの魔力は、本当に少ないのだ。どれだけ努力しても増えなかったので、もう工夫して魔術を扱うしかないと覚悟を決めて、この方法にたどり着いた。
今は、少ないどころかすっかり尽きてしまっているが。
「それに、その魔石がとても助けになってくれたわ」
「指輪にしていたわりに、傷が少ないな。丁寧に扱われているのが分かる」
「ええ。大事にしていたもの」
リクスが小指から外した魔石の指輪をアライシュが手に取って見ているが、眠気をごまかすためか目に力を込めて睨むようにしている。だが、なんとなく落ち着かない様子なので、やはり自分の魔石を褒められるのが嬉しいのだろうとも感じられた。
不機嫌さ全開のアライシュの第一印象はあまりよくなかったが、自分の作品に誇りを持っているなら好感が持てる。それに、大人の男性が褒められてそわそわしてしまうのは、なんだか微笑ましくもあった。
そんなことを考えていたリクスに、アライシュが向き直って話し始めた。
「さて。呪いを解く最も簡単な方法は、呪いのもとを絶つことだが」
つまり、呪い主であるサニアの命を奪うということだ。
「それは受け入れられないわ」
「であれば、……そうだな、呪いを魔石に移すか」
「魔石に移す?」
「知っているようだが、俺は魔石の研究をしている。ちょうど最近出来上がったもので、使用者の気配に染めて身代わりにできるようにした魔石がある。これの実験代わりに、試してやってもいい」
ずいぶんと上からの物言いだが、リクスは頼んでいる立場なのでそこは受け流して頷く。
すると立ち上がったアライシュが部屋の奥から飴玉ほどの大きさの魔石を持って来て、リクスの手のひらに置いた。つるりとした丸い魔石は透明で、持っている手の色がはっきり見えるほどに透き通っていた。
「……透明できれいね」
「色がないのは、未使用だからだ。肌身離さず持っていれば、そのうちにお前の色に染まる」
「私の色?」
「おそらく、髪の色と同じだろう」
肩にかかった自分の髪を一房、リクスは手に取った。やや灰色がかった淡い紫色の髪だ。
このきれいな魔石が、自分の色に染まるというのはなんだか嬉しい。どのようになるのか楽しみだった。
「だが、その魔石を染めるためにはいくらかでも魔力がないとな……。とりあえず、お前のその魔力枯渇をどうにかするか」
そこで立ったままだったアライシュが不意にリクスの手を取り、素早く口づけた。リクスは渡された魔石に興味がいっていて、抵抗する間もなかった。
驚いて手を引こうとしたところで、魔力枯渇の不快な違和感がきれいに消えていることに気づく。
「え?」
ぱちぱちと目を瞬き、リクスは思わず自分の体を目視で確認するが、特に変わりはないように思える。
だが試しにと、軽い風を起こす魔術を使ってみれば。
「魔術が使える…………」
ふわりと起きた風が、リクスの髪を揺らした。
それを見たアライシュは、よしと頷いた。
「無事に契約はできたようだな。これで俺とお前は、魔術的に主従関係だ。主たる俺の魔力を、従たるお前が使えるようになったわけだ。呪いとは違う層の契約になるから、不自由なく魔術が使えるはずだ」
この魔力はアライシュのものらしい。なるほど、どこからか魔力が流れてくるのが分かる。そして、契約を上から被せただけで、呪いが解けたわけではないのだ。
だがそれよりも、目の前の魔術師は気になることを言わなかったか。
「…………主?」
「ああ。主従関係を固めるために、呼び名を変えておくか。そうだな、……俺のことはアルと呼べ。お前のことはリズと呼ぼう」
「いや、主従……?」
「リズ。魔石がお前の気配に染まるまで、数日ほどだろう。その間、対価としてここに通って家事でもしていろ。経過も観察したいからな」
次々と決められてしまっているが、まず第一段階からリクスは事態の把握が追いついていない。
魔術契約とは、こんな風に気軽に結ぶものではない。ましてや、主従の契約など、相手の同意が不可欠であるはずだ。魔力がまったくない状態のリクスでは、たとえ気が逸れていなくても抵抗できなかっただろうが。きっと、アライシュはそれが分かっていて勝手に契約を結んだのだ。
その強引さに呆然としているリクスを気に留めることなく、アライシュは研究が立て込んでいると言って席を立った。
全てのことをのみ込めるまで、リクスはひとりその場でぽかんとしていた。