クリスマスケーキ
とにかく、貧乏だった。
父親は生まれる前に死んだらしい。死因はわからない。死んだのも戸籍で確認したのだ。戸籍に死因は載っていない。
母親は工場で働いていた。どちらかといえば内気な母は、もくもくと作業することを得意としていた。
我が家でお肉といえばひき肉のことだ。割引になったものを買ってくるから保存は要注意だ。ひき肉を小分けにして冷凍するのは私の役目だった。未だに計りを使わないで100gを当てることができる。
中学生のときだった。友達のお母さんにファミレスでステーキをご馳走になった。噛んでも噛んでも噛み切れず、次第に明後日の方向をみだす私は訝しがられた。
「あまりに分厚いので……いつ飲み込んでいいのかわからないんです」
と正直にいったところ可哀想な子だと思われたらしい。デザートまで頼んでくれた。
給食も持って帰る。教室にはいじわるな子もいるので見つからないように余分に貰う。親友のトコちゃんもよく協力してくれた。パンは朝ごはんになったし。みかんはデザートになった。悲しいと思ったことはなぜだかなかった。
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家の鍵を忘れると母の工場に取りにいった。工員と顔見知りの私はみんなからお菓子をもらった。だから工場にいくことはどちらかといえば楽しいことだったのだ。中に入れてもらい、母が休憩時間になるのを待つ。
ベルトコンベアーの前で機械の1部になったかのように、同じ動作を、正確に母はこなし続けた。母の検品能力は大したものでほとんど誤差はないんだそうだ。
「お母さんはちょっと大人しすぎるんだよねえ」と工場長はよく残念がった。もっとパキパキしてれば主任になったりしてお給料もあがるんだけどねえ、と首を振るのだった。
夕刻になれば母の背には西日があたる。体が陽を隠して母は黒い彫刻のように見える。
ブザーが鳴れば作業を止めて私を見つけてくれる。「どうしたの」といって甘い顔を向けてくれるのだ。
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1年に1度、母は贅沢をした。クリスマスケーキをホールで買ってくるのだ。お菓子など買えるわけではないから、これはほんとに1年に1回だけ母が私に用意してくれる甘いものだった。
しかし、しかしだ。私の中では「嬉しさ半分、困惑半分」といった代物だった。なぜならそれはバタークリームだったのだ。
バタークリーム。あなたは知っているだろうか。今ではどのケーキ屋に行っても見ることはできないが、昔は生クリームのケーキと一緒に売っていた。喉に残るしつこい甘さでねっとりしている。最初は美味しいのだが半分も食べれば嫌になってくるのだった。そしてバタークリームは、生クリームのケーキより若干ではあるが安いのだ。
それを母の前で私は「美味しい、美味しい」と言って食べた。半分は自分のため、半分は母のために呑みこむようにして食べたのだ。お茶を飲むペースが速くなったとしても、それは見逃して欲しいところだ。
ホールだったので、その日では食べきれず、次の次の日くらいまで残った。一度見つからないように捨てたこともあるのだけれど、やっぱり胸が痛んで次の年からは我慢して食べた。
だからクリスマスは私にとって嬉しいような、辛いような思い出なのだ。
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子供は働いちゃいけないという政府のお有難いお達しによって中学校の私はアルバイトができなかった。仕方ないから勉強した。高校は奨学金で行った。
高校になったら学用品は全て自分のアルバイトでまかなった。母はそれをすまながったが、私は自分の力でものが買える事が嬉しかったのだ。帰りにこっそりコロッケの買い食いとかもした。
なにより嬉しかったのはクリスマスケーキの販売員をやった事だ。帰りには売れ残りのケーキを貰ってくるから、と母にいった。言ったとおりに貰ってきた。
生クリーム・苺のデコレーション・ホールのMサイズ。
それは嘘偽りなく美味しかった。私の苦行は終わったのだ。
それからケンタッキーのパーティバーレルを買って帰った。中についてくるバーティ皿に母は心底びっくりしたようだった。
「近頃のファーストフードっていうのはこんなにおしゃれなものがついてくるの」
まあ、母の価値観の範疇じゃおしゃれな皿といえるかもしれないが、どうせ明日からこれに載るのは肉じゃがやきんぴらなのだ。
皿を見ては嬉しげな母。ケーキを切りわけては嬉しげな私。クリスマス、来てよかったと私は思った。
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大学受験は国立1校に絞ろうとしたが母は大反対だった。お金はあるから3校は受けて来いといって聞かなかった。しかたないから受けた。もちろん浪人できるお金などうちにはないがそれにしても1校3万円するのだ。6万円も行きもしない学校に使ってどうするのか。
3校分の合格通知を前に母が泣いたことは嬉しかった。母さんが喜んでくれるなら行かない学校の合格通知でもとれてよかったと思った。
まさか母がお昼を食べないで貯めてきたお金だったなんて知らなかったのだ。
東京で一人暮らしを始めた。学校とバイト先とアパートの往復だった。でも楽しかった。就職も東京にするつもりだった。母を呼び寄せる。もう工場で働かなくていいんだよと言いたかった。
しかし、母は私が大学2年のときに死んだ。
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いつまでも出社しない母を心配して工場長が家まで見にきたのだという。母は台所に倒れていた。病院に運ばれたけれど手遅れだった。なんでこんなになるまで放っておいたのかと医師は思ったらしい。
母は私が病院に到着するのを待っていたかのように死んだ。葬式は工場のみんなが取り仕切ってくれた。お棺に納める前に母の体を拭いて、私は愕然とした。
母はひどく痩せていた。
取りすがって私は泣いた。悲しかったんじゃない。悔しかったんだ。
あと3年、たったあと3年だ。どうして待ってくれなかったのか。誰もが知ってるような企業に就職して、母が目を回すくらいの高給を取って、贅沢をさせてやったのに
なにより、こんな体で死なせやしなかったのに。
通夜の席で母の同僚が私に言った。
「お母さんいつもあんたに済まないって言ってたわよ」
「クリスマスに生クリームのケーキ1つ、買ってやれなかったって」
ショックだった。
なぜよりにもよって生クリームのケーキなんだ。まさか私の演技を見抜いていたのか。だとしたらいたたまれないと思った。私の苦労はなんだったんだと思った。
そうじゃないのかもしれない。バタークリームのケーキでも喜んで食べる娘が不憫だったのかもしれない。どうか、母さんが私の演技に気づいていませんように。
50分検品して、10分の休み。それを1日8時間。それを20年。
それが母の人生だ。立派だった。誰にもとやかく言わせやしない。
私の馬鹿話に笑い転げるあなたの、目尻に溜まる優しい空気が好きでした。
母さん、今日から私一人ぼっちだ。
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12年たった。
優しい夫と2人の娘に恵まれて私は今とても幸せだ。まだ4歳と2歳で流暢に言葉をしゃべるわけではないが母の写真を見れば「バーバ」といってはしゃぐ。
前の職場に望まれて、来春には復職をする。
だから今年のクリスマスイブは贅沢をすることにしたのだ。
クリスマスケーキは有名店のものをお取り寄せにした。新宿高島屋で今年もイヤープレートを買った。もちろん肉じゃがなんか載せない。飾り棚に1つづつ置いていくのだ。デパ地下で惣菜を買う。ハムもチーズも買う。
小柄な女性ほどのクリスマスツリーの前で、家族4人乾杯をした。夫と私はシャンパンで子供たちはシャンメリーだ。全員でジングルベルを歌った。
ケーキはさすがの味だった。4種類の独創的なチョコレートソースに金箔をあしらったデコレーション。みんなで「美味しい、美味しい」って言って食べた。
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子供の寝顔を見ながら、私はふと不安になった。
子供の頃の私からみたら信じられない贅沢をさせているが、この子達にはわかっているのだろうか。蛇口をひねればでてくる水のように、何もかも当たり前のことなんじゃないのか。
このクリスマスは、思い出に残るのか。
でも私は子供に豊かさを注ぎ続けることを止める事ができないのだ。なにかの病気のように物を与えてしまう。貧しさは不幸ではないのに、子供が貧しいと思うことが耐えられない。
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母さん。バタークリームのケーキ。本当にまずかったね。
私1度だけ夢が叶うなら、あのケーキが食べたい。
母さんの前で「美味しい、美味しい」って嘘をつき続けながら食べたい。
でももうどこにも、売ってないんだよ。
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夜中に喉が渇いて目が覚めた。ワインを飲みすぎたのかもしれない。寝室からキッチンに降りて、冷蔵庫からボルヴィックを取り出した。
シンクは銀色に冷たく光ってる。聞こえるのは冷蔵庫の「ブーン」という音だけ。
「寒いなあ……」と思って窓を見た。
雪だ。
雪が降り始めたんだ。たたきつけるように降ってくる。この分じゃ明日は1面の雪景色だ。ホワイトクリスマスになって子供達が大喜びする姿が浮かんだ。
『明日は早起きして雪だるまを作るぞ』と思った。
(終)
お読みいただきありがとうございました!
2006年1月23日初稿
☆☆ヒューマンドラマ【文芸】日間7位週間54位☆☆